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 ぼそぼそと遠くで話す声が聞こえる。
 その声を聞き取ろうと意識を向けると、次第にはっきりと聞こえるようになってきた。遠くで話していたのではなく、自分が眠っていたのだと気づいた。
 音を認識できるようになると、視界の明るさに瞼が薄く開閉を繰り返す。一度視界を失った時、あの時に明るさを感じるようになった時をふと思い出した。


「ヴィクター様?」


 聞いたことのない低く怒りをはらんだ声は怖いと感じたけれど、その声色は間違いなく、ヴィクターだった。だから名を呼んだ。怖い声だったけれど、ヴィクターは怖くない。その声が向けられているのは、自分ではない。


「トワ!」


 すぐさま声が返ってきて、横になっている寝台が重みで沈み込むのを背中で感じるのと同時に気遣わしげな金色の目と目が合った。視界いっぱいに広がる整った顔に目が覚める。
 本当に、距離感がおかしい。もともといた世界…いや、国の人との距離感との違いがすごい。

 もう一度口を開いて返事をしようとして、思うように声が出ない。心配そうな様子や、目元の隈を見るに相当眠っていたのかもしれない。


 少し咳払いをしてなんとか目を合わせたまま応える。

「どのくらい眠っていたのでしょう?」

「…5日間だ」


 それは。


 心配されるわけだ。



 別の気配が近づいてきて、呆れた声が降ってくる。

「第一声がお兄様の名前とは。これ以上喜ばせる必要はありませんわよ」

 目が覚めただけで十分なんだから、と言っている内容とは裏腹に柔らかい声でアメリアに言われる。
 だって、声が聞こえたからと言い訳しながら、重い首を巡らせた。
 ヴィクターのあの声からするに、こうなった原因がそのあたりにいるのではないかと。

「ノル様は?」


 ものすごく、苦々しい顔をしてヴィクターが何かを言いかける。言いたいことは山のようにあるのだろう。5日間、眠っていた間に彼らの間でどんなやりとりがあったのかも想像がつかない。
 ふと足元に重みを感じて視線を向けると、タイちゃんが丸くなって眠っていた。ずっと側にいてくれたんだろう。
 そうしてその向こうに、あの漆黒の人影があった。


「ノル様、ご無事でしたか」


「……」

 無言だけれど、視線が上がる。深紅の目は物言いたげだが、言葉にならない様子だった。
 恨み言などを覚悟して身構えていたのだろうか。
 恨み言をいうには、あまりにこの世界の理がわかっていない。常識も、当たり前も、そういう基準がないから。
 それに、と口を開こうとして、思いとどまった。
 横になりながらでは話しにくい。


「ヴィクター様、起きたいです」

「は?」

 珍しく虚をつかれたような反応が返ってくる。自力で起き上がって体を支えるほどには復調していないのは、流石にわかる。
 何を馬鹿なことを、と止められそうな気配に、何度か声を出したおかげで話すことは問題なくなっていたわたしはアメリアの向こうに視線を向ける。

「ヴィクター様が手伝ってくださらないのなら、他の方の手を借ります。このままでは、話しにくいです」

「すぐに話す必要はないだろう。起き上がれないということはまだ、そのまま休む必要があるということだ」

「だめです」


 今でなければだめなのだ。

 無事に目を覚ましたことを確認したノルは、いなくなってしまいそうだった。何も話せないまま。
 うまく説明できないまま意地を張る様子を見せると、しばらく睨めっこになり、ヴィクターが折れた。

 壊れ物を扱うような手つきで抱き起こされる。
 大きな手に背中を支えられ、起き上がるとエリンが持ってきてくれたショールを肩にかけてくれた。クッションを積み重ねてくれたけれどそこに寄りかかっても座った姿勢が保てず、結局ヴィクターに寄りかかるように座らされた。
 これは想定外で、ひたすら恥ずかしい。
 けれど、そうも言っていられない。


「ノル様、誰も、この世界の誰も、ノル様のことを責められません。そんな顔をしないでください」

「何を…」

 ヴィクターの手に力がこもる。言いたいことがあるのだろうが、黙っていてくれている。驚いたように口を開いたノルに、どう言えばいいのか、と考えながらまとまらないことを話す。


「ノル様は。ノル様だけではなくヴィクター様も、レイ様も、『黒持ち』という理由でこの世界で厳しい扱いを受けていると、外から来たわたしは思います。それなのにそれぞれ避けられない務めを課され、果たそうと動き続けている」

 黒持ちだと恐れ遠ざけ、孤独を味わせながら、その力を頼って困難な務めを任せている。

 ノルは、孤独を強いる世界のために動き続け働き続けなければいけない立場に生まれた。それなのに誰も近づかない、感謝しない。厭わしいと恐ろしいと避けて通られるのだ。そんな理不尽が通るのなら。それが役目なのだから当たり前だと言われるのなら。


「ノル様に厳しいこの世界のためにノル様がとどまることなく働き続けることが当たり前なら、神龍の力を受け取るのは、きっとわたしに与えられた当たり前、なのでしょう」



 馬鹿なことを!と、流石に今度はヴィクターが反射的に口を開いた。
 少し掠れた声と、込められた力に自分に向けられた優しさを感じる。黒持ちの中でもヴィクターは恵まれているけれど、それでも嫌な思いは何度もしているだろう。しかも、魔眼、などと呼ばれる目の色までも。綺麗な色だとしか感じないけれど。

「だから、ノル様」


 また眠くなってきた。体が思うように動かないことからしても、もう少し休む必要があるのだろう。
 ただあまり動かないでいると筋力が落ちて違う意味で動けなくなってしまう。



「わたしが少し力を受け取ったことできっと今は一ところに止まっても大丈夫ですよね?もう一度目を覚ますまで、いなくならないでください。それで、これからのことをお話ししたいです。神龍様たちのことを教えてください」


「お前…」

 呆れた声を承諾と受け取りながら、支えになってくれているヴィクターの服を掴む。


「ヴィクター様、だから、ノル様を怒らないでくださいね」





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