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しおりを挟む魔力飽和だろう、とあたりをつけながら、霞む視界を振り払おうと瞬きをする。
いや、瞬きをしようとしたけれどそれすらも思うようにはできない。魔力の奔流のおかげで昏倒は免れたけれど、いっそ横になって意識を手放したいくらいだった。
頭は、頭蓋骨の中におさまらない何かが膨張していくかのように痛み、内臓が熱を持ったように体は熱く、全身が軋む。
『ノル!』
頭に響く声はヒソクのものだった。
それが、漆黒の来客の名前なのだろう。顔を上げると、深紅の眼差しが向けられる。この状況はきっと相手が神龍なのだろうと思うのに、それは人の姿をしていた。
立派な体躯ですらりと高い身長。細面で白皙、端正な顔立ちでそのままじっとこちらを見つめている。黒髪は長く真っ直ぐに伸び、漆黒の装束に艶やかな流れを添えている。
この状況にありながら、自分でそれを招いたはずなのに途方に暮れたような様子にこちらが戸惑ってしまう。
力が弱まった、と言いながら、ヒソクは竜たちが棲む谷の奥で龍脈を守っていた。竜たちは神龍を守るように従うように、そこに棲家を定めているようにも感じた。
けれど、この目の前の「ノル」と呼ばれた来訪者は、独りだった。
竜の中でも、神龍の中でも、やはり「黒」は魔力の多さを示すのだろうか。
ヒソクの焦る気配が体内で入ってこようとする魔力の流れを抑えようとしているようだった。
『お前の力をそのような勢いで流せばそうなるか分からないのだぞ』
咎める声に、表情も変えず、口を動かすこともなく応じる声が頭に響く。
『器、だろう?』
その言葉だけ聞けば、こちらを「器」というものとしか考えていないように聞こえる。
待ちきれずに来てしまった、と小さく申し訳なさそうに笑ったあの声の主とは思えない響き。
けれど、苦しそうなその声音に改めて目を向けると、深紅の目を真っ直ぐに見つける形になった。美しい色につい目が離せなくなる。
そうして、頭の中に流れてきたイメージ。
ヒソクが『大極天!』とタイちゃんを呼ぶ声がその向こうで聞こえる。
自分で定めた塒はあるけれど、転々と動き止まることをしない、できない。黒持ちの神龍はその魔力の強さ故に、神龍でありながら止まれば自らが魔素溜まりになり瘴気を呼びかねない。
居が定まらず、黒持ちという特殊性から周囲に交流する竜族もおらず、眷属もほぼいない。いても集まることで招く事態を考えると顔を合わせることもままならない。
そうして永く孤独な時間を過ごし、塒を拠点としながらも移動して滞った龍脈を流したり捩れた流れを軌道修正したりと神龍の中でも特殊な役割を果たしてきた。
ある日、塒に立ち寄ると、どうやってそこに辿り着いたのか人族の娘がいた。
人族、と同じ姿をしたと言った方が良いのか。どこかの国で召喚された聖女だった。瘴気の浄化にすり減るほどに働かされた聖女は、最後の仕事と、竜の塒、と噂されるその場所に放逐されていた。その国の瘴気は解消されたからと、今後発生しないよう竜の花嫁の務めを果たせ、と。
消耗し、魔力欠乏を起こしている様子に、魔力を分け与えた。
けれど、この世界に召喚され、使い捨てられた聖女は、意識がはっきりすると黒持ちの姿を見て恐怖の表情を顔に貼り付けた。自分を元の場所に帰して、と叫び、勝手に呼び寄せて使い捨てた国に呪詛を吐き…。
黒持ちの神龍が助けるために与えた魔力の刃を、無数に降らせた。
傷ついた神龍は、それでもこの世界の被害者の娘を哀れんだ。いや、この世界の召喚の仕組みからしたら、実際の年齢はわからない。召喚時に、あるいは召喚直後に望んだ姿を得られるようだから。
とにかく、目の前の狂乱した女から、この世界の記憶を抜き取り、その膨大な魔力で彼女を召喚した国の召喚魔法陣に彼女を転送し、そしてさらに押し出した。
彼女がどこから来たのかは知らなかった。召喚した魔法陣の術式が繋いだどこか。同じ時系列の、同じ空間に送り返せた保証は、ない。けれど、一番高確率で「送り返せる」方法だった。
自分に刃を向けた人間の望みを叶え、流れる血と、血と一緒に漏れ出していく魔力と、そして黒持ちでも魔力欠乏を起こすほどの魔法を発動し、意識を途切れさせた。
頭の中で、孤独だった黒持ちの竜が、まるで何とかぎりぎりのところで耐えていた崖の際から突き落とされるような出来事が、切り取られた映像のように切り替わって直接伝えてくる。
孤独さえ感じないほどの空虚。
待ちきれなかったのは、弱って限界だったからじゃない。
ヒソクとは違う。
だから尚更、ヒソクがあのように反応したんだろう。
ヒソクに呼ばれたタイちゃんが側にいるのがわかる。契約した精霊がいるおかげなのか、光と闇の2属性あるいはどちらかの属性のおかげなのか、流れ込んでくるイメージを客観的に見る余裕ができている。感情的に同調してしまっているのか、ただ、わたしはノルのように孤独を抱え続けてきたわけではないから、ただただひたすら、その記憶が痛い。胸を鷲掴みにされて息ができないほどに痛くて苦しくてやり場がない。
なぜそんなに、この世界は黒持ちに厳しいんだろう。
ヒトだけではないのだ。それは、それぞれの種族の基準を踏まえてさらに、危険なほど強い魔力の証とされるからなのだと、何度も教えられ、聞かされ、経験して分かる。けれど、その力に頼っているのも事実ではないか。
ヴィクターの生まれた辺境伯家は、その中でも黒持ちをむしろ歓迎するような方向に進めた数少ない場所で、そこに生まれたヴィクターの幸運は計り知れない。そして、そこに助けられ庇護された自分も。
(ノル?様?)
どう呼べばいいのか分からず、相変わらずの本流に声は出ず。ヒソクの時のように心で呼びかけてみる。
声での返事はないけれど、こちらに意識が向けられているのはわかる。
(こうして訪ねていらっしゃる程度には、ここを頼ってくださっていると思って良いでしょうか?ヒソクのように、すぐに継承しなければならない状況でないならば、少し時間をくださいませんか?)
時が来たからではなく。
諦めたように何かを終わらせようとしているような黒持ちの神龍。
その力を受け続ける体の辛さもあったけれど、このままにしたくないと、身勝手に思ってしまった。
『一度に渡すには、大きすぎるな』
返事はないのではと思うほどの時間を置いて、ぽつり、と呟きが聞こえた。
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