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Side another 7
しおりを挟む辺境での会談の後、王太子と王都に戻ると、侍女からしばらく王弟殿下も王都を留守にしていたと聞いた。
王命でのお出かけでどこに行っていたかは知らされていないが、離れていた日数からして近場だったのだろう、と、どこに行ったのか尋ねると答えが返ってきた。
王弟といえば、あの夜会の日は悪役令嬢のエスコートをし、ことあるごとに『向こう側』についている印象がある。攻略対象なのだが。王弟と竜騎士隊長はもう、攻略の手立てがない。王弟に限ればまだ、王宮で国王の補佐についているから機会はあるかもしれないが、完全にルートから外れたようでイベントは発生しないし知らないことばかり起こる。それに、王太子に婚約破棄された令嬢を引き取ろうとされていると噂を耳にする。同じ女の相手を続けてというのは、流石に周囲の心象も悪くする気がした。
竜騎士隊長はもう、手立てがない。今回も辺境伯領地でのイベント発生をと思ったのに、顔も合わせなかった。正確には、辺境伯の領地にはほぼ、入ることもできなかった。
収穫といえば、おまけでついてきたくせに、ここのことを知らないからと何かと邪魔になっている音羽が辺境伯家を出ると知ったことだ。
お荷物の自覚はあったようだ。変に常識的なところが時々無性に腹立たしいけれど、今回のそれは、これで歪んでしまった世界観とシナリオが多少なりとも修正されるのではと期待ができる点で多少納得できる。
「聖女様?」
今まで、何度か声をかけられていたようで、恐る恐ると言った様子の侍女の声にようやく気づいて顔を上げた。
話していた途中で考え込んでしまっていたようだ。
「なんでもないわ。王弟殿下もお忙しそうで、体を壊さないか心配ね」
気遣う顔で言えば、本当に、と向こうは心底心配している様子で頷いている。
王弟殿下の評判は高い。国王と王弟殿下は優れた兄弟であり、そして仲も良いと国中からの信頼を得ているようだった。王太子殿下のご兄弟も同じように仲睦まじければという声もあったようだけれど、何せ兄王子が黒持ちであることがそれを抑え込んだ。
それだけ、黒は恐れられて忌み嫌われている。
そのはずなのに、そのままの色で受け入れられている音羽を思い浮かべて苛立ちが戻ってくる。
王太子は元婚約者をあの時名前で呼んだ。音羽のことも、周りはいつも名前で呼んでいる。
名前で呼ばれないのだ。
聖女、という役割でばかり呼ばれる。
どちらが聖女か、と聞かれた時に応じたのち、名前を聞かれることもなかった。
なぜこんなに落ち着かないのか、心細いと感じるのか、不安なのか。
名前がない、「役目」だけの存在のように感じるからだと気づいたのは、あの会談の時だ。音羽まで、「聖女様」と呼んだ。
名前を呼べば、この世界でも名前が与えられたはずなのに。
ふと湧いたその感情。
けれど、聖女だと応じた瞬間、イメージした外見を手に入れたことで、「知らない人間」と思われているらしい。本当にそうなのか、あいつのことだから、わかっていて知らん顔をしている可能性も高い。
味方に入れてあげようとしたこちらの意図に気づいているようなかわし方。
念入りに魅了し続けている侍女がお茶を入れてくれる。
コーヒーが飲みたいと思うことがあるけれど、この世界にコーヒーはないらしい。食事も豪華だけれど大味で一味も二味も足りない。
「それにしても、聖女様が戻られてから体調が良くなったと言う人間が増えているんです」
「え?」
不意の話題に首を傾げる。
そもそも、体調が悪い人がいたのか?
王宮は王都の中心で魔素溜まりができやすいのは王都から離れた場所だと言われている。神殿の力の及ぶ王都はできにくい、と。
そうなると聖女は関係ないのではないだろうか。
「聖女様が浄化の訓練も受けながら魔素溜まりの対応もしてくださっていますが、発生が多いので王宮の仕事もやはり増えているようなんです」
聞いた話のようでそう話す侍女の名前を、そう言えば知らないな、と気づく。
「それで疲労からか不調を抱えていた人も多かったらしいのですが、聖女様が戻られてから体が軽くなったようだと。さすがですね」
何かをしたわけではない。
これこそ、信仰心からの「プラシーボ効果」のようなものじゃないのかと思ったけれど顔には出さない。評価されていた方が都合がいい。
何せ、十分な浄化ができていないのは自分が一番よくわかっている。
正直、そこの判断ができるであろう神殿の上の方の人には会いたくない。いつ、その場しのぎがバレるかわかったものではない。
「王宮の方々が皆さんそれでは、動き回っている陛下や王弟殿下はどれほどお疲れでしょう」
「戻られてからは王太子殿下も以前のように執務にあたられていますし、負担は減っていらっしゃると思いますが」
王太子も、つきっきりになることがなくなった。
聖女としての仕事も訓練もあるだろうと、以前はそれにも付き添っていたものが、王宮の他の者たちとももう馴染んだだろうからと自分の仕事に戻っていた。
まだ不安だなどと引き止めることもできないが、顔を合わせる時間が極端に減ったのは心配だった。
あの会談のために少し王都を離れ、後から結局追ってきたものの王太子と少し離れた時間があった。大丈夫だろうと思っていたがその間に魅了は薄まっていた。
毛玉がいた頃と違って魅了の効力も持続も弱まっていると感じるのは、気のせいだろうか。
「殿下の執務室にお茶でもお届けしようかしら」
「あ」
ふと思いついたが、侍女が困った顔になる。
何、と嫌な感じがしたのを押し隠して可愛らしく、首を傾げて見せる。
「皆さん聖女様のおかげで元気になられたとはいえ、不調を訴える方もいらっしゃるので、聖女様にうつしてしまうようなご病気の方がいてはいけないから、と執務棟へは聖女様をご案内しないように言われているんです」
「そんな」
そんな時こそ、出番なのにそんな気遣いを
と口では言いながら、嫌な感じがする。
遠ざけられた、と、とっさに感じた。
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