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『…何かあれば名を呼べ、と言ったはずだが』


 呆れた声が応じて、そうだったかな、と思い返す。あの時のことは、夢現というか、どこまで正確に記憶しているのか自分でも定かではない。ただ、言われてみればそうだった気もする。


「この木の側で呼ばないとだめかと思っていました。ヴィクター様が、離れている竜とやりとりする方法を今度教えてくださると言っていたので、それでできますか?」


 挿木をしただけだったはずが、ヴィクターに連れられて戻れば、すっかり根付いて苗木になっている。やはり普通の木ではないんだろう。
 ついでに、何もなかったはずのその場所は、経過した時間を疑うほどに整えられ、もういつでも住めるような家が出来上がっている。
 辺境伯邸で住まわせてもらっていた離れよりはこぢんまりとしているけれど、十分大きいと感じる家は、落ち着いた佇まいで森の風景に溶け込んでいる。


 とりあえず苗木に向かってヒソクを呼ぶと、さっきの答えだったわけで。

 ため息でも聞こえてきそうな沈黙の後で、ようやくヒソクが応じた。ヒソクの声は他の人には聞こえていないらしい。

『この場でなくとも会話はできる。家の中に入るといい。…まったく、そんなのを連れてきおって』


 竜族とこの国の王家が絶縁状態だという話を思い起こし、それが神龍にまで及んでいると気付かされる言葉に思わず王弟殿下を振り返る。
 なんだろう、というようにこちらを見返してきた殿下に、とりあえず伝えるだけ伝える。

「王家の方を連れてきたと、ぶつぶつ言っています」


 怒っているわけではない。怒る気にもなれない、という雰囲気は伝わってくるが。
 それに王弟殿下は問いかける目をアメリアの方に向けた。

「トワは、誰と話していたんだい?」

 なんでわたしじゃなくてアメリアに聞くのかな、と少し思ったけれど、アメリアと会話をしたいのだと受け取れば微笑ましいだけだ。
 アメリアは苦笑いをしながら、王弟殿下と並んで屋内に入っていく。
 そう簡単に伝えられるものではないのだろう。神龍、と関わっていることはあまり知られて良い話ではない。今、聖女を抱えている国であればなおさらだ。神龍に会えないままに遠征を終えて帰った聖女がいるのだ。一緒についてきてしまっただけの人間が関わっているというのは、話が根底からひっくり返ってしまう。

 ヴィクターに促されて家の中に入り、中を見回す。
 中も派手なところはなく落ち着いた佇まいでほっとする。
 周りにいるのは、貴族や王族といった富裕層の人たちで、自分とは価値観が違って仕方ないことは承知している。ただ、今後住む上で自分の価値観に近い状況というのはとてもありがたかった。

「こんなに早く建つものなんですね」

「レイ殿下やブレイク、セージがいるからな」

 ヴィクターの返事に、魔法ってすごいな、と納得することにする。
 ちょうど奥から今名前の出た面々が出てきて、珍しくこちらの反応を伺うような様子がある。完全に任せきりにしたのだから、感謝しかないんだけれど。

「素敵な家をありがとうございます。もう建っているから驚きました」

 戻ってから一緒に何かできることをやろうと思っていたのに。魔法も使えない時点で邪魔にしかならない気はするけれど。

 ほっとしたような様子でセージが部屋に招き入れてくれる。
 来客を応対するための部屋のようでその部屋も豪華さはなく質素とも言えるくらい装飾はない。

「そう言ってもらえて安心しました」

 セージがそんな風に言うから、思わず笑ってしまう。

「セージ先生、レイ殿下、ブレイク、ありがとうございます。こんなに立派な家、もったいないくらいです」

 そんなやりとりをしている向こうで、先に部屋に入ったアメリアと王弟殿下はもうソファに腰掛けている。
 促されて座ったソファは、見た目は素朴だったけれど座り心地の良さに驚いた。


 が、そんな悠長なやりとりをしている場合ではないことを思い出す。
 問いかけるような王弟殿下の視線を一度受け流して、隣に座るヴィクターを見上げた。

「ヴィクター様、このままここでヒソクとやりとりしてもよろしいですか?声に出して話して良いでしょうか?」

 ヴィクターが眉間に皺を寄せる。
 話の内容にではない。ヴィクターも、そしてアメリアも、未だに「様」付で呼ぶことが承服できないようで、時折こんな反応を示すのだ。
 ただ、一旦それは脇に置いて頷いてくれる。

「だめであれば向こうが止めるだろう」

 それもそうだ、と納得して口を開いた。
 声に出せば、この場にいるセージ先生たちにも状況は伝わる。


 聖女と会ったこと。その時に感じた不調。それをアメリアが、魔素だまりで瘴気に触れた時のようだ、と話したこと。
 そして、王弟殿下が王宮で見られる不調もそのような症状だと思い当たったこと。

 レイ殿下の表情が曇っていくのを横目に見ながら、一通り伝え、その上で用件を口にする。

「王宮にいる方たちが身を守る方法はありませんか。それが瘴気に類似したものであるなら、原因不明の僅かな不調を積み重ね、取り返しのつかないことになりかねません」


 少しの沈黙の後、ヒソクの声が応じた。

『おそらくそれは瘴気なのだろう。魔素ならば、普通ならばヒトは自分の魔力に変換する。その許容量を超えれば魔力酔の症状を起こすだけだ。瘴気に触れた症状とは違う』

 瘴気だ、と断定されたことに思わず緊張する。
 魔素でさえ、魔力変換できないことも手伝って体に合わないのだ。それが溜まって澱んだ結果の瘴気はどれほどのものだろう。


『元々の体質なのか、それとも光の精霊の力を一部とはいえ譲り受けているからなのかは定かではないが、聖女は魔素だまりに耐性があるようだな。そして』


 小さな魔素だまりを浄化したという話を聞いた。
 耐性があるのは聖女の資質ではないのか。因果関係を思うと、浄化ではなく、吸収したのか?

 そんな不穏な発想を振り払いながら、ヒソクの言葉が続くのを待つ。



『己の欲のために時期を逸して聖女召喚を行った国に何かをしてやる義理もないが…仕方ない』



 ただし、際限なく与えることはできない。
 釘を刺すように言った後、不意に手の中に何枚かの葉と、小さな瓶が現れた。
 不思議な色合いのその葉は、外に苗木になっているあの木の葉だとすぐにわかる。ではこの瓶の中の水は、あの根本の小さな池の水か。



『その葉を、事情を話せると信じた相手にのみ、身につけさせるように。特に影響を防ぎたい部屋があれば、窓辺に1枚置けば簡単な結界にはなる。あまり強固にすれば気づかれるだろう。』

「この水は?」

『重症のものが出た時、助けたければ飲ませなさい。一口で十分だ。足りなくなったら、王宮にいる竜を介してそこの竜騎士のフォスに伝えると良い。』


 数も量も多くはない。それでも、王家に対してと思えばありえないほどの恩恵なのだろう。


 言われたことをそのまま、王弟殿下に伝えながらそれらを渡す。
 不意に手の中に現れた様子は見ていた王弟殿下は、不思議そうな顔を隠さない。


「詳しくはまだご説明できませんが…わたしも十分に理解できているわけではないので。ただ、滞った魔素の流れを正常に戻す魔法が込められています。きっと、役に立ちます」




 しばらく考えるように小瓶と葉を見つめている。
 こんなものが、と思うだろう。しかも、身につけるだけならともかく、小瓶の水は症状が出て危険な状態のものに飲ませなければならない。本当に助かるものである保証もなく、追い打ちをかける代物かもしれないのだ。


 何につけ、毒味が必要になる王族には無理か、とふと思ったのと同時くらいに、王弟殿下がため息混じりに微笑んだ。

「ありがたく預かっていこう」


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