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 咆哮が聞こえる。
 地鳴りのするような、空気を震わせるその声に思わず体が緊張する。


 
 過保護なヴィクターは休暇と称し、領地にとどまったままだ。目覚めて3日が経過していて、王都を離れている期間は長くなる一方だ。どのような話になっているのか分からないが、それを咎められている様子がないことだけはほっとする。
 まるで、その声が聞こえてくることが分かっていたかのように部屋に来ていたヴィクターが、窓辺に立って外を眺める。
 分かっていたかのよう、というのは、部屋に来ていたのがヴィクターだけではないからだ。アメリアとエリン、ラウル、それにセージ先生も揃っている。ブレイクとレイは、これからわたしが住む場所の下見に歩き回っている。

 幸い、立って歩けるようにはなっていて、ヴィクターの横に並んで外を見てみる。窓辺に立つことは咎められなかった。と言うことは、ここは危険ではないということなんだろう。

「あの声は?」
「竜だ」
「え…」


 大型の生物だ。あのような声だとしても不思議はない。騎士に騎乗されていることを考えれば、戦うこともあるのだろう。たまたま、穏やかで理知的な竜の側面にばかり接していたから驚いた。
 それでもなぜ、とは思う。知性を持つ彼らが訳もなくあのような咆哮を上げるとは考えられない。

「蒼竜のところで言われただろう。聖女が領地に足を踏み入れたようだ」
「……」
 それで、このような騒ぎになるのか。
 あの話があって、8日が経過しているということだ。日数もかかっているように感じた。
 色々な違和感ともやもやを言葉にできずにいると、察しの良いヴィクターは苦笑いをする。

 ヴィクターに促されて長椅子に腰掛けさせられる。既に向かい合う椅子に腰掛けていたアメリアがにっこりと笑う。

「竜たちのおかげですぐに来訪を知ることはできていたけれど、王都のニルス王弟殿下からも知らせが来ていたのよ」
 王弟殿下は王太子との婚約を解消したアメリアを口説きにくる、という話だったと記憶しているけれど、どうやら王都が落ち着かず離れられずにいるらしい。それでもそうやってやり取りをしているのだなと思うと、穏やかなアメリアの表情を見ても話がまとまってくれれば良いと願ってしまう。
 制止を聞かずに向かった、と蒼竜は話していたけれど、報せの方が早く届いているということは、時間がかかっていると感じたのは気のせいではないのだろう。ヴィクターの遠征に備えてこちらに移った時もそこまでは日数を要していなかった。

「聖女は通過する街々で歓待を受けますから、時間がかかるのです」
 ラウルが言うけれど、それは断れば良い話ではないのか。
「ついこの間も、聖女の遠征で沿道の街は歓待したのですよね?負担が大きくはありませんか?」
 ヴィクターとセージ先生を見比べるように言うと、2人の顔が緩むのが分かった。
 それと、気がかりなこと。
 辺境伯領に聖女が入ったことで竜がこのような反応をしては、辺境伯家に不都合ではないのか。竜と辺境伯家の繋がりは濃い。
 その疑問には、アメリアが笑いながら答えてくれた。

「辺境伯家や、騎士と絆を結んでいる竜は主家に不利益になる相手には騎士と自分の命の危険がない限り、歯向かわないわ。あれは、誰とも絆を結んでいない竜。王家もそれが分かっているから咎めてくることはないわ。王家も、辺境伯領には近づけないから」

 そういえばそんな話だった。レイは、特別なのだと。

「でも…龍の花嫁と言われる聖女がこのような反応をされては」



 問題になるのではないか。
 最後までは言えずに言葉を飲み込むが、愉快そうにセージ先生は笑っている。

「その方が好都合なんだよ。竜族にとって守るべきはトワ、君だ。君に害がある聖女には近づきたくないという意思表示だろうね」




 あの日、顔を合わせた聖女を思い出そうとする。
 「彼女」のはずだけれど、全く外見は違った。それでも、この状況でここに来ようとしているのは、何か考えがあってのことだろう。味方がいないこと、1人になることを極端に嫌厭する彼女だ。1人になるのであれば、わたしを味方にしようとする、他に味方がいれば、それを実感するために「誰か」をさりげなく、自分が悪くは見えないように遠ざける。
 擦り寄ってくる時の感覚を思い出して、ぞわり、と背筋が寒くなる。

「この国に聖女は必要なのではないのですか?」

「本当にあの女が聖女なのだとしても」

 召喚されたのだから、聖女には違いないのだろう。
 そう思いながら、ヴィクターの言葉が続くのを聞く。

「トワにしたこと、レイ殿下やブレイクへの仕打ち。何より、タイ…いやタイになる前の精霊への仕打ちは到底、考えられない」


 吐き捨てるよう、とはこういうことか。
 心底、腹に据えかねる様子のヴィクターは、その場にいるタイちゃんに目を向ける。静かな目で見返すタイちゃんが、ここで心地よく過ごしているのがわかる穏やかな波動が伝わってくる。

「光の精霊に浄化をさせ、その魅了の力を奪ったということは、意思の疎通がされていたということだ。そんな存在を、消滅させるような真似を躊躇いなくできる者が、「聖女」か?」



 まったく、その通りだと思う。タイちゃんにされたことの、消化できないものを言葉にしてもらった気分だった。精霊を大事にする国、世界だから、ということではない。そもそもの根本的なところでのヴィクターの怒りに、ものすごくほっとする。
 そういう感覚の人だから、安心していられる。


 それでも。
 ここに自分がいることは知られていて。
 この家と竜との繋がりも承知している相手で。そして、この世界の色々な理屈や仕組みをわたしより遥かに知っている相手。
 精霊やレイ殿下、ブレイクへの仕打ちは、彼女にとってここが現実世界ではないのではないかと疑わせる。だから、躊躇いなくあのようなことができる。
 だからこそ、何を言い出すか、何をするか予想ができなくて怖い。人同士であれば本来考えられない仕打ちを平気でやりかねないと思えてしまう。



「わたしが、一度会えば気が済むのでしょうか」
「だめだ」

 言い終えるのを待たずに、ヴィクターに厳しく言われる。
 その場の誰もが、同じ顔をしている。
 彼女の危なさを、誰もがきっと感じている。

「お前は聖女と旧知だと言いながら、自分から積極的に接点を持とうとしたことは一度もなかった。聖女召喚の前、近くにいたのだろうという話だったが、元々、何かあったんじゃないのか」



 鋭いな。
 きっと、気になっていたんだろう。
 知らない世界に来て、旧知の人間が、旧知でなくとも同じ故郷を知る誰かがいたら会いたいと思うものだろう。そんな素振りも見せなかった。
 別に、来て早々、聖女とそれ以外に区別され、この世界にいらないとその場から放り出されたことを根に持っている訳じゃない。むしろおかげで、こうしていられるのだ。


「この世界に来る直前。もう少し向こうにいたら、わたしは生きていなかったかもしれないです」




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