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 日が暮れる前に到着する、と言ったヴィクターの言葉どおり、遠い空の向こう、鋭い山の向こうに日が落ちそうになり、まだ明るいけれど日が沈む気配を感じるような頃にフォスが高度を下げ始めた。

 森が続いているように思えていた場所は、急に岩肌が顕になってそこの見えない谷の間をフォスが飛んでいく。人が踏み込まない土地なのだと肌で感じるほどに、人工的なものが何もない。人が立ち入るのであれば、このような谷であれば橋をかけたり岩肌を削った道があったりがあるのだろう。

 フォスの巨体で巧みに岩の間をすり抜けて飛び、そしてそのまま岩屋に滑り込んだ。
 反射的に目を閉じる。
 岩屋の中は飛べる空間はなく、そのまま体勢を変えたフォスの背中から当たり前のようにヴィクターが流れる動作で抱えたまま飛び降りる。
 なんの衝撃も感じずに地面に降ろされて、目を開けた。

 暗さを予想して目を開けたが、岩屋の中は思いの外明るい。
 ヴィクターが灯りの魔法を使っているのかと振り返ったがその様子はない。
 見ると岩肌にところどころ灯りが灯ったように明るくなっている。
 その奥に、会ったことのあるフォスの番竜の姿があった。
 その蒼竜はこちらに目を合わせ、ゆっくりとその目を細めた。竜というと爬虫類を連想するが、爬虫類のような目ではなく、犬や馬のような優しい目をしている。

 以前、辺境伯家で聞こえたのと同じ声音が話しかけてくる。

『トワ、よく来た。言った通り、竜騎士は大丈夫だっただろう?』

「それは、はい」

 自分でも、煮え切らない返事をしたと思う。
 大丈夫だったけれど、状況としてはどうなのだろう。
 聖女は、どうなっているのか。この国は?
 いや、今いるのが「この」国なのかも分からない。辺境伯領が守っているのだからやはり国内なのか。

『ここからの話は、トワ自身が決めてほしい。だからフォス、その騎士にわたしの言葉を伝えるな』

 ほんの少しの時間差でヴィクターの体が強張る。
 ここはまさに、この蒼竜の棲家なのだろう。ヴィクターがいなければきっと、わたしの体質ではあっという間に意識を失いかねない。しっかりと手首を握って背中にぴたりとついている。握られた手首からヴィクターがわたしに魔素が滞留しないように魔力を流してくれている。

 反論はしないが、不本意だろうなと思いながら、蒼竜の言葉が続くのを待った。
 せっかちだな、と少し柔らかく笑いを含んだ声で言い、それから改めて蒼竜が話しかけてくる。


『もう聞き知っていると思うが、この世界では生命維持に魔素が必要になる。空気と同じように。血液と同じように。だが、魔素は滞ると毒になる。魔素だまりが状態化すればそこは魔窟になる。処理しきれない魔素を取り込めば命を落とすか、魔物になる』
「はい」
 それは、教わった話だ。
『魔素が流れる道を龍脈という。神龍たちは龍脈が滞りなく流れるようにその膨大な魔力を流し循環させている。』

「たち…」

 神龍は一体ではないということか。
 ただ、それはそうだろう。代わることのできない一体だけではあまりにリスクが高い。

 こちらが考え、理解するのを待つように蒼竜は言葉を切っていたが、やがて先を続けた。

『神龍も永劫の時を生きるわけではない。…ある意味では生きることになるが。だが、複数いても役目を終えた神龍が抜けて問題が起こらないわけではない。そこは補わなければならない。次代が育つまで』


「…育ってから、引き継いで退くのではないのですか?」

『それはできないのだ。同時に存在することはできない。退いてから次代が生まれる。そして、先代の力を継承できるところまで成長すれば、力を渡すことができる』

「いなくなってしまった神龍の力を、渡す、のですか?」




『そのための、聖女だ』


 聖女、と名付けたのも竜の花嫁と呼び始めたのもヒト族だが、と蒼竜は付け加える。他の呼び名を決めることもないと世に通用するそのままにしているのだとか。
 おかげで少し、紛らわしいことになっているが、と。


『聖女は魔力の器だ。そして、預かった魔力で龍脈の循環を補助する。次代が産まれるのに時間がかかることもある、育つのに時間がかかることもある。その期間は1年かもしれないし、何十年、もしかしたら100年を超えるかもしれない』


「…聖女のその力を悪用されることは、ないのですか?」

『聖女自身がそのような考えを持てば、預かった神龍の魔力が聖女の器を超えて暴走し、自滅する。悪用しようとする存在からは、全力で守ろう』


 言いきられた。
 そして、その言い方からしても、やはりこれは、そういうことなんだろう。

『複数の種族から側で守るものも出すことになっている。偏れば、それも争いの種になるような力だ』
 そうではないだろう。それだけ負担になることだから、分担しているのだ。
 寿命の長い種族がそのような話をきちんと引き継いでいるのだろう。きっと、エルフ族や獣人族は承知しているのだろう。



 ただ、と。

 初めて蒼竜の歯切れが悪くなった。
 ここまできたらもう、気にせず話してください、と。笑う以外にないから、笑って促す。








『今、代替わりを控えている神龍は一体ではない。だが、聖女は1人だ』






「一体ではないからこそ、なおさら必要なんですね」




 無理強いはしない。断るのであれば次を探すと、そんな言葉を思い出す。タイちゃんも、竜族に無理強いされたらどうにかしてやるというようなことを言っていた。

 一体ではないのは、最初から聞いていた話だ。フォスが、ヴィクターにそこまで伝えていた。
 断ったら次を探すしかない話だ。次。つまり、また誰かがここに召喚される。それがまた、彼女のようにここを現実ではなく「ゲーム」のように捉えて動く人だったら?
 なんの見返りも期待することなくこれまで助けてくれた人たちがいる。彼らは、「聖女じゃない」わたしを助けてくれた。



「わかりました」


 答えた瞬間、会話はわたしの方の声しか聞こえていないヴィクターの手に力が入る。


「あ、でも一つだけ」

『なんだ』

 大したことじゃない。

「フォスがわたしを助けてくれたのは、そのためですか?」


 絶対に違うんだろうと思いながら尋ねる。それが伝わったのか、蒼竜が笑った。


『ふ、…はは。あんな乱暴な真似に驚いて助けただけだ。それが聖女だったのは、たまたまだな』

 少し、憤慨したような気配を背後で感じて、振り返る。フォスが心外だという目をしているが、伝わっているようで本心からは怒っていない。

 この世界に召喚されて、この世界で生きるのならそれはわたしにとっても必要な「誰か」なのだ。




『この谷にも神龍がいる。案内しよう』




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