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しおりを挟む辺境伯の竜、ポポラはとても大きな赤銅色の竜だった。周囲を圧倒するような迫力があるけれど、ぱっと見の「怖さ」を無視して見上げると、思いの外、理知的で静かな目と目が合った。思いの外、というのは失礼な話かもしれないが、体の大きさとそれに見合った桁外れの力に先入観ができて、怖さが先に立つのは、実際勿体無い話だと思う。
そもそもが白竜のフォスに助けられ、王都の辺境伯家では先入観などを持つより先に竜に触れ合えた。それが良かったのだろうと思う。少なくとも理由なく人を襲う竜はいない、とヴィクターはきっぱりと言い切っていた。人の方から竜を討伐対象として向かってくれば、それは身を守るために力を振るうだろう。それが強いばかりに、凶暴なイメージが植え付けられる。竜の中には非常に知識も豊富で、長い時間を生きる分貴重なことを多く知っている個体もいるが、その恩恵に触れることは滅多にない。
「初めまして、ポポラ?さま?王都のアンフィス家で庇護していただいているトワです」
なんと呼びかければ良いものか、と思案したのがそのまま声に出た。どういった理屈かは分からないが、だんだん竜の言葉がわかるようになってきている。個体によって、な部分はあるから、向こうにその意思があれば、それを受容することができるようになったということなのかもしれない。
様、はいらないとヴィクターやアメリアのようなことを言って、ポポラは長い首をゆっくりと動かして大きな頭を下ろし、視線を合わせてくれた。どうしたものかと困惑していると、大きな鼻先が指先に触れる。この大きさでこの繊細な動きかと感心しながら、撫でろということらしいと察して鼻先や頬に手を伸ばした。大きすぎてただ触っているだけ、ではあるけれど。触れると顔の鱗は小さくて、そして温度も感じる。
「竜との接し方はヴィクターに教わったか」
背後から辺境伯に声をかけられ、はい、と答えながら振り返るとその側に深い蒼色の竜がいた。まだ若いのか、そういう種なのか、馬より少し大きいくらいの大きさしかない。ポポラが大きいだけに小さく見える。
「フォスの番竜だ。蒼竜と呼べば良い。人と絆を結んでいない竜の名は教えてもらえない」
名前が大事なものなのだと察しながら、蒼竜を見上げた。他の人たちが遠巻きにしていることからも、竜に近づくのは本当に大変なのだとわかった。特に、レイ殿下は屋敷から出てきてもいない。王家に連なる彼が屋敷にいることを竜が許しただけでも驚くべきことだというから、どれだけ王家は竜を遠ざけてしまったのだろう。確かに、王都の城でも、王族の居住域と竜舎は離れていた。昔からなのかもしれないが、王家が竜の怒りを買ってからだとすれば、その距離が竜騎士を抱える王家がなんとか繋いだ関わりなんだろう。
聖女が神龍の花嫁だというのなら、もしかしたら竜たちには誰が聖女なのか、わかっているのかもしれない。
ふと、そんなことを思った。
今も、今回の遠征の結末をある程度知っていながら竜騎士を乗せているのかもしれない。
きっと、この世界を知らない人間が思いつくこんなことは、この世界の人は当たり前に考えていて、きっと聖女を召喚すれば竜騎士を通じて問いかけたこともあるのだろう。それで認められたのか、それとも竜はそのような問いには一切答えないのか。
不意に、若々しい声が思考に没頭していた頭に響いてきた。張りのある聞きやすい声。顔を上げて目が合った蒼竜が目を細めた気がした。
こちらに意思を伝えてくる竜の言葉の流暢さは、竜の能力に左右されているのかもしれない。単語の羅列に近い竜もいれば、フォスやこの蒼竜は、完全に会話を成立させるように伝えてくる。
辺境伯はポポラを通じて蒼竜の言葉を聞いているようだ。絆を結ぶことで、意思の疎通もできるようになるといっていた。それならわたしはなんだろう、と思ったが、この世界にとってイレギュラーな存在である以上、答えはない気がして考えるのを放棄していた。
『フォスも竜騎士たちも特に問題なく任務についている。ただし、あの遠征隊の前に神龍が姿を見せることはない』
「え?」
想定外にきっぱりと言い切られた。
そこは白黒つける答えは竜からはもらえないのではないかと、さっきふと思ったばかりなのに。
辺境伯も驚いた顔をしている。やはり、竜の中の話は人には教えないものなのかもしれない。
『トワ、君はここで“生きて“いる。あの聖女は違う。城の竜舎にいた竜たちが聞いている。聖女なら竜を簡単に手懐ける、イベントはちゃんと起きないし、モブが多すぎる』
「?」
『君には何のことかわかるか?』
「いえ、さっぱり」
分からないことが申し訳なかったが、本当にわからない。ただ、その言い回しからして、と、ふと思い返す。城で騒ぎになった時、自分でも思った。「ゲーム感覚で好き勝手を」と。
ゲームの世界だとでも、いうのか?
だとしても、ここにいる自分が現実である以上、この人たちも現実に生きている。考えて生きている。それを「モブ」と言い放つのなら。
ゲームの役回りを演じて、設定されたストーリーの選択肢の「正解」と「不正解」を選んで「クリア」しようとしているなら。もしかしたらクリアすれば元に戻れると思っているのなら。
怖い、と思った。
躊躇うことなく、誰でも盾にするし蹴落とすだろう。それが「イベント」だというのなら陥れることだってあるかもしれない。その、イベント通りの進行にするために。
「神龍に会えないとしたら、どのくらいで見極めをつけてみなさん、帰還されるのですか?」
『国王次第だ』
お灸を据えるための遠征だろう。短くはない気がする。けれど、長くなればなるほど、危険に遭遇する可能性は増える。
その時が怖い。
ただ、どう説明をする?
聖女を守るために同行している騎士たちは、実際、守るために戦えと、盾になれと言われているだろう。それを当たり前だと思っていることを、おかしいと思う感覚がずれているとしたら?
だから、と急に思った。
人を物理的に攻撃することが当たり前ではない世界で生きてきたのに、なぜああも躊躇いなくアメリアを攻撃できたのか。
アメリアはきっと、聖女のライバル的な立場、いや、敵対するような立場なのだろう。彼女の知識の中では。その枠を超えた想像力が働いていないのだ。
『様子は、わたしが伝えよう。心配することはない。神龍を招くような場所だ。遠征先は竜にとっては動きやすい』
安心させるような声音に、優しい竜だな、と見上げた。それでも体に入った力は抜け切らない。
彼女が何を演じているのか、違和感と、同時にどうでもいいと思っていた感覚は、どうでもよくは無くなった。そのそばにここで助けてくれた人たちがいる。
そんな様子にまるで肩をすくめるような雰囲気で、蒼竜が辺境伯に目を向けた。
『今日は、そろそろ君たちが到着する頃だからとフォスがヴィクターに言われてわたしを使っただけだ。そのくらい向こうは何も起こっていない。』
竜をこき使うのは流石だな、と少し、力が抜けた。
その様子を見ながら続けた蒼竜の声はなんだか呆れ気味な気もする。
『トワは自分からはほとんど求めないから、くれぐれも頼むとのことだ』
どれだけ心配されているのだ。しかも、危ない場所にいる人から。
それに、わかっている、と呆れ顔で返した辺境伯も、きっと同じ気持ちだろう。
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