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 ずっと馬車の移動で疲れているだろう、と、バルトが風呂を用意してくれた。アメリアから、何か聞いていたらしい。
 こうして旅をしてようやく、風呂が一般的ではないと実感できたけれど、王都の辺境伯邸で当たり前に毎日お風呂を使わせてもらっていた。日本人の習性だ。それが、この世界の人には無類の風呂好き、に映ったのだろう。
 ただ、確かにお風呂でお湯に浸かってあちこちほぐしたいとその魅力に抗えない程度に、体は凝り固まっていた。


 ここでも、入浴の手伝いをしようとする人を振り切って、1人で入らせてもらう。申し訳ないが、手伝ってもらっては何も寛げない。お仕事をとるわけではないんです、と内心で手を合わせながら、たっぷりと張られたお湯に手を潜らせる。
 普段は熱めのお湯が好きなのだけれど、そんなに高くない温度。ゆっくりできるようにという気遣いを感じる。ほのかに花の香りがするのも、歓迎の印だろうか。
 何せ、魔法が使えないので、あらかじめお願いして布と石鹸をもらう。洗浄魔法で済ませる人が多いようで、貴族の方達はお風呂ではオイルマッサージとかを受けて、流して血流を良くする、みたいな使い方が主流らしい。
 そんなわけで、浴槽の周囲で石鹸で洗って良いかとか、お湯で体を流して大丈夫かとか、確認が必要になる。排水の機能がどうなっているかわからないからだ。
 魔法が使えるのが当たり前の場所で、使えずに何かをしようとすると不便なことは多い。ただ、できないわけではない、と一つずつ学んでいる。


 シャンプーとかトリートメントがなくて、石鹸で洗っていたらゴワゴワして、代わりになるものを探していたのに気づいたセージ先生が、王都で面白がって作ってくれたヘアケア用品を一緒に持ち込む。薬草を中心とした植物の知識で、説明を聞いて調合したと言っていたが。どうやら知的探究心をくすぐったらしく、ありがたい限りだ。
 おかげで、そこも自分でなんとかできるようになった。それまでは、洗浄魔法を使うかとヴィクターから聞かれていたのだから。見かねて無言でやってくれたこともあった。
 ただ、ドライヤーは似た機能が魔道具になるから、どうにもならない。
 そんなことを思い返しながらしっかりと頭も体も洗わせてもらって、浴槽で足を伸ばした。ふくらはぎや太もも、腰回りをぼんやりとマッサージして、同じ姿勢で固くなった体をほぐす。
 ここでのしっかりと迎える準備がされた居心地の良い雰囲気から、ヴィクターやアメリアが実家にどのように話を伝えてくれていたかがわかる。
 王家が放り出した余分なもの、ではなく、客人として扱ってもらっている。

 随分ゆっくりさせてもらって、準備してくれたふわふわのタオルで体を拭いて服を着る。服は、どうしても自分1人で着るとなると簡素なものになる。それの方が動きやすいからちょうど良い。ただ、後で辺境伯に会うときには、エリンにお願いをして身支度をしてもらうようかもしれない。


 などと思いながら、一度通された客室に足を向けた。
 乾かせない髪は、お行儀が悪いとは思うが水が滴るよりはとタオルを巻いて凌いでいる。タオルドライでは収まりがつかなかった。



「君がトワ、かな?」


 不意に背後から声をかけられ、足を止めた。
 誰にも会わずに戻る予定だったのだが。
 振り返ると、ヴィクターほどではないが背の高い美丈夫が扉から顔を覗かせている。少し、アメリアに似ている、と思った。

「はい。お世話になります。…えっと」

「はは、畏まらなくていいよ。僕はヴィクターとアメリアの兄だ。もうすぐ父が帰宅すると連絡があったから呼びに行こうと思っていたんだ。それにちょうど、フォスの番が様子を知らせに庭に来ている」

「え?」


 情報量が多くて戸惑う。
 が、マイペースなのか、気にする様子もなく近づいてきて頭に巻いたタオルを取られた。

「ああ、そうか」

 と呟いたのは、わたしが魔法を使えないことを聞いていたことを思い出しでもしたのか。ただ、何をしようとしたのか次の動作に入る前に聞き慣れた声が割って入った。

「イルクお兄様、それ以上はヴィクターお兄様の機嫌を損ねますわよ?」
「アメリアか…しかしこのままにもなあ」
「エリン」
「え、あの」

 こちらの意思は聞かれることなく、問答無用でエリンに髪をその場で整えられた。
 いや、だいぶ雑だな、とは思う。普段なら、部屋に通されてゆっくり座るよう促されて、という一連の流れが端折られた。
 それだけこの、アメリアからイルク、と呼ばれた兄を言い方は悪いが警戒している、ということか。確かに、まさか無造作にタオルを取られるとは思わなかった。異世界でなくても貴族でなくても、ちょっとマナー違反だと思う。


 戸惑って言葉が出てこないでいると、向こうから大股に近づいてくる人影がある。がっしりとした体躯と周囲を圧倒する風格。
 そしてその面差し。
 紹介されずとも、この人が辺境伯か、と察する。
 エリンがさっさと身なりを整えてくれたことにむしろ感謝しながら、教わった通りに膝を折る。
 が、目の前まできた辺境伯その人に、腕に手を添えてまっすぐに立たされた。
「お父様っ」
 アメリアの声が咎める響きを帯びるが、気にする様子もない。
「まったく。イルク、お前は竜の扱いは覚えるが女性の扱いが悪い。向こうから見えたぞ」
「…お父様が言えた言葉じゃありませんわね」
「む」
「挨拶もまだの女性の腕を掴むとは、どういうおつもりですか?大体、そんなに近づいて、お父様のポポラは大丈夫ですの?」
 言われてみれば、と顔をあげる。だが、どこからもあの、近づくなと怒る竜の咆哮は聞こえてこない。
「驚いたことに問題ないのだ。ついな。申し訳ない、トワ」
 まあ、気兼ねなく近寄れる他人がいたら、彼らのような生活をしていたら近づきたくなるだろう。


 そのまま促されて、先ほどイルクが出てきた扉の方に通される。
 先に来ていたらしいレイ殿下やブレイクの姿をそこに見つけ、それから改めて、辺境伯を見上げた。
 焦茶色の髪に濃いブルーの目。頬髭を生やした姿は見惚れるほどにハンサムだ。
 その目がこちらに向けられ、それから庭を一瞥する。

「フォスの番が遠征隊の様子を伝えに来ているようだが先に少し。トワ、今遠征隊にいる『聖女』と名乗る者と一緒に、この国に来たので間違いないか」

 言い回しにいろいろ、気になるところはある。だが、ここは頷く以外の選択肢はない。確かに誰も、彼女が聖女であると確認することはできていないのだ。ただ、彼女がこの世界のことを知っている様子で立ち回りも聖女のものであるというだけ。と、穿った見方をすれば言えなくもない。


「お父様?」

 アメリアも、不思議そうに声をかける。
 が、それには答えず、辺境伯は問いを重ねた。

「君は、この国で会った相手をどう思う」

 質問が漠然としすぎていて、何を答えればいいのか分からない。ただ、言えることはある。

「いろんな方がいますので一言では答えられませんが。ヴィクター様やアメリア様には何より命を救っていただきました。そして、辺境伯家の皆様にはずっと守っていただいています」

「…一人一人の、生きた存在だと思っているか」

「?」

 当たり前すぎて、思わず首を傾げてしまった。
 だが、その反応で何かを満足したらしい。良い、と短く言って問いを終わらせた。



「あまり待たせて不機嫌になられても困る。庭へ行こうか」








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