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しおりを挟むしばらく過ごして、少しだけ困ったことが分かった。
いや、過ごしている間、本当に気ままに学ばせてもらっている。好きに読んで良いと言われたこの家の蔵書はとても豊富で、しかもおそらく、セージが集めてきた稀覯本もさりげなく混じっている気がする。
それはいいのだが。
「面白いくらいに、だめですね」
文字から学んだり、文化やマナーを学んだりに加えて、これまで我が身に起こるとは思わなかった「魔法を扱う」というところで行き詰まった。愉快そうにセージに言われるのは何度目か。
魔法がある世界、なだけあって、そこらじゅうに魔道具が溢れている。というか、魔力量や使える魔法の種類は人によって差があり、日常生活の中で誰でも困らずに少量の魔力で様々なことができるように開発されてきているらしい。
借りている部屋の鍵を閉めろと何度言われても鍵も鍵穴もないと思ったら、魔力を流すだけだったとか。というか、そこでおかしい、となったのだ。
流れる魔力を判別して鍵にするらしいのだが、流れなかったのだ。やり方がわからないからなのかと訓練が始まったが、さっぱり感覚がわからない。
子供でもできることだぞと、報告を受けて様子を見にきたヴィクターに呆れたように言われ、自分でも不甲斐なく思っていたところへの追い打ちに思わず憎まれ口が出た。
「生まれた時から魔法がある人たちと一緒にしないでください」
「開きなお……ふん」
何かを言いかけて、ヴィクターがまじまじとわたしを見た。
「トワの世界では魔法がないのか」
「ないですね」
「魔素にあたっていないということは、受け皿はあるんだろうが…」
ぶつぶつと呟きながら大きな手が伸びてきて無造作に手を握られた。身長が高いわたしから見ても見上げるような高身長の上に、騎士というだけあって鍛え抜かれた体躯をしている。日本で周りにこんなに精悍な人はいなかったわけで。さすがに体が緊張する。
「怖いか」
含まれる意味に気づいて、思わず睨むように見上げる。
「あなたの体格で急に腕を伸ばされて手を掴まれたら、それはびっくりします」
「なるほど」
なぜか口の端が上がって表情が緩む。ついでに、何か納得したような顔になった。
「セージ、トワは外に出す道がない」
「?」
首を傾げる横で、セージも眉間に皺を寄せる。
「流れている魔素を受けながら、適度に外に出しているから支障なく生きていられるのです。入り口はあるんですか?」
「あるんだろうな。トワ、来てみろ」
手を離してもらえないまま、手を引かれて部屋の扉の前に立つ。
扉に手のひらを当てられ、その手に完全にヴィクターの手が重ねられた。ごつごつとした手は、訓練を重ねている証拠なんだろう。手のひらもとても硬い。
接してはいないけれど、すぐ背後にあるヴィクターの体の熱が上がったように感じるのとほとんど同時に、重ねられた手が温かくなった。何かがお腹の奥の方から流れてきて手のひらに向かってくるような、それもヴィクターに引っ張られて、そして押されているような。
不意に、扉がぼんやりと一瞬光った。
が、頭上から笑いまじりのため息が聞こえる。
「これは、一筋縄ではいかないな」
「え?」
「お前の魔力を家に覚えさせることはできたが、自力で出せるようにならんと鍵の開け閉めもできない」
「う」
「ヴィクター…楽しそうですね」
セージの声に、ヴィクターがなぜか表情を消す。今までのは無意識だったのか。
色のせいで遠巻きにされることも多いらしいが、この屋敷の人たちはヴィクターを慕っている。それがわかるくらいには、ここで過ごさせてもらっている。何せ王家に弾き出された正体不明の女を客として置いてくれているのだ。
その相手をしているこの屋敷の人たちもむしろ同情するように扱ってくれている。それはヴィクターを恐れている様子はなく、その判断を信頼しているようだった。ラウルが引き下がったことでこの屋敷の人たちが抱える疑問も解消されたとでも言うようだ。
ただ、慣れないレベルで世話をされるので、ある程度はお断りさせてもらった。着替えも入浴も1人でできる。もう少しここに慣れたら何か仕事をしたいと思ったが、道具を使うことができなさそうだと気づき始めてかなり悩ましいことになっている。
とにかく、ヴィクターは本来は優しい人なのだ。会って間もないのにと言われても、言い切れる。心配になるくらいだ。わたしをこんな風に遇してくれるのだから。
それでも怖く見えるのは、周囲を拒絶しているように見えるのは、それまでの環境、なのだろう。
竜騎士に頼りながら、竜を利用しようともする国の矛盾にも振り回されているのかもしれない。
「トワの魔法の導き手はヴィクターですね」
「なに?」
ぎょっとした顔を見て、表情豊かだな、と思ってしまう。この人の表情の違いがわかるようになってきたこともあるかもしれない。
「だって、今あなたの魔力を流して誘導したでしょう。混乱しますし、拒絶反応出ても困りますし」
「面白がっているな」
「フォスを理由に、あなたも登城を控えているんですから、名目どおりになっていいではないですか」
にこにこと微笑むセージと苦虫を噛み潰したようなヴィクターの顔を見比べる。実際、まだ扉とヴィクターの胸板に挟まれたままで、だいぶ居心地が悪い。ほとんど顎先しか見えないけれど、どんな顔をしているかは想像に容易い。
見下ろす目としっかり、目が合った。金色の目が探るようにこちらを見てくる。
「あの、お暇な時でいいので、お願いします?」
生きていく上の最低限の条件だ。使えないわけじゃないらしいのなら、なんとかなりたい。
まあ、やってみたけど独り立ちできない可能性がまだ残っているけれど。
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