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遠慮なく避難しよう

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「リラっちゃん」

 楽しげに声をかけられ、振り返る前に頭に大きな手が乗せられる。
 そのまま振り仰げば、コギーが長身を屈めてにかっと笑った。

「楽しそうですね、コギーさん」
「ん?楽しくないこと伝えにきたんだけどね」
「えっ」
 やだなぁ、という顔になるリラにからからと笑って、乗せていた手をぐりっと動かして少し手荒く頭を撫でた。
 楽しくないこと、から、とりあえず被害の大きいコレを逃そうということになったわけで。


「ライアス君のところに行って油売っておいで」
「は…なんですか、そのサボりの誘惑。というかサボっているほど余裕もないんですけど」
「うん。今からこっちに来るって先ぶれがあってさ」
 先ぶれ、という不穏な響きにリラの顔があからさまに顰められる。それを喜ぶ者の方が多いのだけれど。


「どなたがみえるんです?」

「ウェーベン伯爵家の誰かと、楽士の君がみえるそうだ」
「…先ぶれをするような…」
 まあそれ以上は口の中に飲み込む。ここに、部長であるファーレイ公爵が在席していて、そこを訪ねるという事ならわかるのだけれど。
「しかも、騎士団副団長殿の護衛付き」
「は??」
 間抜けな反応を示すリラに、コギーはもうにやりと笑って、あとは立ち上がらせて追い出した。












「何してんの、お前」
 机の近くに小さな椅子を自分で運んできてそこに座って暇そうにしているリラが、いつまで待っても何も言わずにそこにいるだけなのに業を煮やし、結局ライアスは自分の方から問いかけてしまう。
 ふらっと姿を見せるから、また何か仕事の話かと思えば、どうやら違うようなのだが。
「コギーさんから、ライのところに避難しろって言われたから」
「避難?何、副団長?」
 それ、真っ先に出るのね。とリラは苦笑いになる。ほんの数日前まで、何の接点もない遠くにいる人だったはずなのに。それもコレも、あのちょっとお高めのチョコレートを口に放り込まれてあんなものに出席する羽目になったから。確かに、とっさに口を開けてしまうのは治したほうがいいかもしれない。
「まあ、副団長様もご一緒らしいけど。副団長様の護衛をつけて、総務部にウェーベン伯爵家の方と、楽士の君がみえるらしいのよね。それで」
 名前を聞いた瞬間、さっとライアスの顔が険しくなり、完全に手を止めて体ごと向き直られた。
「ライ、過保護ー。実の兄さんたちより、過保護」
 いや、あれと比べないでほしい、とライアスは遠い目になる。知らないのはリラだけだ。
 ウェーベン伯爵令嬢と楽士の君、どちらもリラとは因縁がある。そう。それを少しでも知る者が、リラを逃したいと思う程度には。
 伯爵令嬢が来ているとしたら、最悪だ。
 それを想定して、リラは言葉に甘えて素直に非難してきたのだろう。令嬢、と呼ばれているけれど、リラと年が同じ彼女は、既婚者だ。にも関わらず、令嬢と呼ばれ、未婚女性の敬称をつけて呼ばれる。それは、本人の求めによるもの。けれど本人は、自分が既婚である事を認めたくない紳士たちがあえてそう呼ぶのだと、困ったような風を装って吹聴する。まあ、残念なご令嬢ではあるのだが、目をつけられると厄介な人間でもあり。
 そして、楽士の君。リラと将来を考える間柄であったのか、そうなりそうだったというところで止まっているのか、ライアスは聞いたことがない。聞きたくもない。言えることは、あれが最後だった、と。リラが自分に向けられる好意を素直にきちんと受け止めようとしたのは。多分、好意がきちんと込められていた時期も、あったはずだから。楽士の君、と呼ばれる美貌の貴公子は、侯爵家の庶子で。
 その話をあの副団長が知っているのかは定かではないが。古い話なのと一部の親しい者の間でしか知られない程度で終わった話であれば、知らないと思いたい。まあそれでも、その2人が同時にリラのそばにいる場面には、絶対に居合わせたくない。


 と、ライアスは決意を固めながら、避難してきたとあっさり認めたリラを眺める。
「そういえば、その副団長どのの求婚、受けることにしたのか?」
「は?求婚?」
 本気できょとんとする幼なじみを、こいつ、何を言っているんだとライアスの方が呆れる。あれほどあからさまに、なりふり構わないというよりもほぼ無意識に後追いに近い状況になっているあれの言動を、どれだけ聞き流しているのか。
「素直に一緒にいるだろ?」
 あー、それは。
 と、リラが少し遠い目をする。
 抵抗しようと、放置しようとすると、体に教え込もうとするのだ。さすが、騎士。
 いや、また現実逃避をしてしまう。それはもう、そうなって仕舞えばリラにとってはただひたすら羞恥に耐える時間でしかなく。
「素直に従った方が、平和なのよ」
「なし崩しになるな」
 にやにやと人の悪い顔で笑う幼なじみを眺め、リラは肩を竦めた。その目の前の幼なじみが、内心舌打ちをしているなんて、知るわけもない。
「物珍しいだけよ。それこそ、楽士の君と一緒。やり過ごしている間に、わたしなんて社交性もないし面白味もないから、飽きて存在すら、忘れてしまうんじゃない?」


 さすがにそれは、失礼かもしれないぞ、と思うが、でもそれはライアスは言わない。リラのこの考え方の素地を作ってしまった一端は楽士の君。ただ万が一、あの恐ろしい男の耳に入ったら、と、そう思うと他人事ながら背筋が凍る。
「まあ、好きなだけここに落ち着いていけ。チョコでも食べるか?」
「ん?うーん。この後うちの方に回す書類があればここで見ていくけど」
「仕事かよ」
 と、笑いながらもライアスが周囲に目を向ければ、いそいそと書類を準備する男たちの姿があった。








 その頃。
 総務を訪れたローランドの機嫌…いや、気分が急降下したのは言うまでもない。
 そして、我が物顔で入室したウェーベン伯爵令嬢の言動に、苛立ちながらもリラを避難させた自分たちを称賛することで溜飲を下げつつ、苛立ちを紛らわせている同僚たちの胸の内なんて、リラが知る由もない。





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