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昼休みの襲撃

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 エルムがきっちりと綺麗にしてくれたストールに、お礼のお菓子を添えて朝一でお返しし、それで昨日の懇親会のことはすっぱり終了。


 となったのは、リラだけで、時間を経るほどに、昨晩出席していなかった面々にも噂が広がっていく。
 まあ、本人は知らないことだが、同じ部署の同僚たちを中心にうまく情報操作をしてくれたおかげで、やはりローランド副団長は素晴らしい、に落ち着きそうな様相ではあるのだけれど。


 男性同僚、および、あの場を良縁を探す場と思っていなかった女性同僚により、もともと疲労が溜まっていたところに立食形式の慣れない場所でひどい立ちくらみを起こしたリラを、近くにいた騎士団副団長が、さすがの反射神経で抱き留め、騎士道精神に則り、女性をしっかりと送り届けたと。
 そういう筋書きになったらしい。
 重ねて言うが本人は、全く知らない話だ。噂に疎く、興味もないので、誰かが本人に伝えない限り知ることはない。それで今まで、どれだけ本人の知らない勝手な噂が飛び交ったか分からないが、そして、その少ない被害は被っているはずなのだが、一向に頓着しようという気にはならないらしい。






 ただ、そんな同僚たちの見事な連携による情報操作でリラに注目が必要以上に集まり、余計な面倒が降りかかるのを防げたのは、昼間での話だった。
 確かにリラの仕事量が多いのは、部署を超えてある程度は承知されている話だったため、信憑性はあったのだけれど。
 ここで当人がそれを覆す動きをしてしまったら、収拾がつくわけもなく。



「失礼。リラ嬢の席は?」



 昼休み。
 リラの所属する事務室を訪れたその美貌の人は、さらりと、近場の者に尋ねた。入り口付近にいるのが男性中心であったことが、せめても、だろうか。
「リラなら、昼で外に出ていますが」
「外?食堂か?」
「いや、あれは弁当持ちですから…。普段は席で食べるんですけど、いないようですし、この天気なら、どこかその辺で食べてるんでしょう」
 ふむ、と、肯き短く礼を言い、一部の隙もない身ごなしで踵を返した背中を、何人が確認したのか。
 生憎、ローランドはその日はリラを昼休みの間に見つけることはできなかったけれど、夕刻、終業直後に再び姿を見せたときには、いつおどおりそのまま残業をするつもりのリラは、当然席にいて、すでに帰っている者もいるため、聞くまでもなくその姿を見つけられる。
 いや、その場にいさえすれば、不思議なほど、吸い寄せられるようにその姿はローランドの目を惹き寄せた。



 ただし。


 その座る背後に立つ男に目を眇める。
 昨晩も、送ると声をかけてきた大柄な男。楽しげに言葉を交わしている。
 ライアスと言ったか。歩み寄っていき、声をかけようとしたところで、ちょうどライアスが何かをリラの口元に差し出した。







 そのライアスが、終業真際にリラを訪れていた。
「ライ?どうしたの?」
「昨日のお礼」
「お礼?ついて来てもらって、わたしがお礼をするんじゃなくて?」
 きょとんとした顔で、こてんと首を傾げる仕草は昔から変わらない。本気でそう言っているのだから、かなわないと思いながら、ライアスが苦笑いを浮かべた。
「お前ぐらいだよ。本気でそう思ってるのは。貸しを作った気すらしてないだろ」
「?」
「はいはい」
 言いながら、持って来たものを取り出す。
「手間をかけた詫びとお礼だと、今日先方から渡された。ただ、お前に全部渡すとすぐに食っちまうから、適当に一個ずつ持って来てやる」
「えー、なにそれ?しかも、お茶菓子とかその場で昨日ももらったし」
「じゃあ、いらないか?」
「ん?くれるものは、もらう」
 言った途端、ライアスがぶはっ、と吹き出した。
 そのまま、くつくつと笑いながら、口元に差し出されたものを見て、リラは嬉しそうに笑う。躊躇うはずもない。差し出されたチョコレートをぱくり、と、そのままライアスの手から食べた。
 それを見ている厳しい視線に、無頓着なリラが気付くはずもなく。
 ライアスは途中で気づいたが、放置を決め込んだ。
 リラが食べた後の指に残ったチョコを見て、リラに示す。
「お前舐める?オレ、舐めていいか?」
「え、どっちも微妙。拭く?あー。でも、もったいないな」
「お前、そこ悩むのかよ」
 幼馴染の気やすさも手伝って、本気で悩んでいるリラに笑いながら、自然な流れでライアスは指についたチョコを舐めとる。ずるい、と本当に言いそうな目をするリラの頭をもう片方の手で撫でながら、確かに旨いチョコだな、とは納得する。
 が、さすがに背後から聞こえた低い声に、やり過ぎたか、と背筋を怖気がのぼっていく。
「リラ嬢」
 だが、肝心のリラは気づかぬ様子で、名を呼んだ方に目を向け、微妙な笑顔を浮かべた。珍しく警戒心の浮かぶ様子に、これまた永年の兄貴分の性分で、うっかり間にライアスは体を割り込ませてしまったわけなのだけれど。
「ローランド副団長。お疲れさまです。昨日は送っていただいてありがとうございました」
 一応の、大人としての礼儀を弁えているリラは、昨日の今日で会ったなら、当然するであろう挨拶を口にする。
 分かりやすく。いや、リラ以外には分かりやすく、ローランドは邪魔なライアスを退けるようにして、こちらを椅子ごと振り返って話しているリラの正面に立つように体を割り込ませる。
「いや。きちんと家まで送るつもりでいたんだが」
「へっ!?いやいやいや、十分です。そこまでは」
 本気で拒絶を示すリラに、ローランドは傷ついたような顔をし、事情を察したライアスは、少し目を逸らす。余計なものがくっついていれば、お説教が厳しくなり、さらに長引くだけだろうからな、と。
「いつも遅いと言っていたが、今日もか」
「へ?はあ、まあ」
 ローランドの方から話しかけるという、目も耳も、正気をも疑うような状況だというのに、当のリラは、やっぱり普通に社交性のある騎士様だよなぁ、くらいにしか思わない。むしろ、騎士相手に余計な情報を与えたばかりに気を遣わせて、申し訳ないなぁと見当違いな感慨にふける。
 その様子を見ながら、ライアスは苦笑いを浮かべた。これは、放っておいてもとりあえず今のところは、リラに状況を理解させるのに一筋縄ではいかないと見てとって、自分も残っている仕事に戻ることにする。
「リラ、戻るな。あ、そうそう。昨日はアレは、大丈夫だったのか」
 去り際にライアスが聞くのが、レイの機嫌だとそこは察して、ふっと目を逸らす。
「まあ、いつも通りよ。単純に仕事なら、迎え呼ばなかったことくらいしか、言われないんだけどね」
「言われてるなら、呼べよ」
「いや、基本、家にいて欲しいし」
 リラがそう言う理由も察して、そこはライアスもため息を吐く。
「まあ、相変わらずその辺り鋭いな。さすが」
「犬扱いしないでってば」
 皆まで言わせないリラに、ライアスは声を立てて笑う。
「まあ、外出禁止にされない程度に、帰れよ。待ってる奴も、いるんだから」
「言われなくても」
 ひらひらと手を振って戻っていくライアスに、リラもへらっと笑って、手を振り返す。
 それから、まだ目の前に立って、なんとも不思議な顔をしているローランドをみあげ、首を傾げた。そう言えば、と思い出す。
「ローランド副団長、昼にも寄ってくださったそうですね。わたし昨日、何か失礼を…」
「違う」
 そこは即座に否定して、ローランドは息を吐き出して、気を落ち着けた。親しげな、互いの間にたくさんの共通認識がある上での会話に、それに感じた諸々が表に出ないよう奥歯を噛みしめてから、改めてリラを見下ろす。
 不思議そうな顔を見れば、次第に波立っていた気持ちも穏やかになって来た。
「まだ仕事があるようだ。またにするよ、リラ嬢」
 目元を和ませ、金色の目が、蜂蜜みたいだなぁ、と、そんな感想を抱きながらリラが見上げる間に、何をしに来たのか分からないまま踵を返すローランドをリラはきょとんとして見送る。
 そのローランドが、出入り口付近の同僚に、何か声をかけていくのを目の端に捉えながら、気持ちはもう仕事に戻っていた。



 ローランドは、そこにいるリラの同僚に声をかける。
 リラが帰りそうになったら、知らせろと。伝令魔法が使えれば、このくらいの距離であればここで働く人間にとってはそれほど苦にはならないはず。
 その同僚は、リラが魔法を使えないのをローランドが承知していて、代わりに頼んでいくのだな、と、少し誤った理解をした。リラはそのことについて何も了承はしていないのだけれど。
 リラに合わせるほど遅くなるつもりはなかったが、そろそろ帰ろうと声をかければ、ほどほどやっていればリラが従うことは承知していたので笑顔で快諾した。







 そんな帰り道。
 同僚と連れ立って建物を出ようとしたリラは、なぜかそこで、ローランドと行き合う偶然に目を見開く。
 そして、同僚を見上げた。珍しく一緒に帰ろうと言うと思ったら。そういうところは、時々察しがいいよな、と、ライアスやレイがいれば思うのだろうけれど、この同僚は2人了承の上の待ち合わせだと、昨日の話や昼の様子から勝手な解釈で思っているのだから悪意はない。むしろ、善意だ。
「じゃあリラ。また明日な」
「…お疲れさまでした」
 ぺこり、と頭を下げて見送り、それを上げるの、嫌だなぁ、と思った結果、そのまま上目にローランドを見上げる格好になった。
 その顔にローランドの片手がなぜか口元を覆う。その仕草に首を傾げるリラを、ローランドは促した。
「帰るぞ」
「は?」
 馬車だから、逆に逃げられた。普段通りの歩きであれば、ずっと並んで歩けば良い。
 なぜ、というリラの無言の問いかけは一切無視して、ローランドは早く来いとばかりにリラを促す。どちらにしても帰るしかない以上、そして同じ時間になってしまったようだし、というところは若干の疑問を抱きながらも、リラはローランドの少し後ろを歩く。
 話しづらいのか、横並びになるように歩みを緩めるローランドを、リラは見上げた。自分に合わせようとしてくれている様子に、ため息を吐く代わりに息を吸い込んだ。リラの歩く速さは、むしろ速いくらいなので、それなら、と、普段の自分のペースで歩かせてもらう。
 少し目を見開き、ローランドは口元を緩めてリラに並んだ。
「普段から弁当を?」
 不意打ちの、思いがけない話題にリラは反射的に頷く。
 そうか、と頷くローランドの顔を見上げ、目が合えばローランドが不思議そうな顔をした。
「蜂蜜みたいな目ですね」
「っ」
 恐ろしいと、気味が悪いと、鋭いと、そのような評価は多くもらったが。そのような甘いものに例えられたのは初めてで、自分は一体、どんな顔をしているのだろうと思う。いや正直、ローランドはまだ、自分の昨日からのこの行動の理由をきちんと自覚していない。
「普段はどこで食べているんだ?」
 その質問の意図を深く考えず、何箇所かの気に入りの場所をリラが答えている間に、昨日馬車を降りた辺りまで来てしまう。
「ここまでで、大丈夫ですから」
「いや、すぐだとしてもここまで来たのだし。その僅かな距離で何かあれば」
「いやいや、今まで何もなかったですし」


 などと、問答を繰り広げていれば、不意にリラの背後に気配がさす。
 リラの頭上で、厳しい視線のやりとりがあることには、リラは気づかないまま、巧みに執事に背中を押されていた。
「これは、うちのお嬢様を送っていただき、ありがとうございます」
 レイは言いながら、こいつか、と、昨晩のリラの言葉を反芻していた。







 翌日。
 昼に当然のように、リラはローランドの襲撃を、今度は直撃で受けることになる。



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