警護対象は元婚約者の主君

明日葉

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第1章

我慢の限界と、調査の進展

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 キリトの呆れ顔と、周囲を凍てつかせそうな空気を纏うシルヴィを眺め、平然とした顔でヴァルトは肩をすくめた。大きな無骨な手で、軽くルナの背中をぽんぽんと、優しく叩く。華奢な背中のほとんどを覆ってしまうような大きな手に、頭を下げたルナの口元が微かに綻ぶのがヴァルトの位置からは見える。
「なぜ二人で?まだ茶会は終わっていないはずだが」


「中座をしたと思ったら、戻っていたか」



 不意にかけられた声に、そろって顔を振り向かせる。気配を消していたのか、いつからそこにいたのか。壁に寄りかかり腕を組むという、一国の主人としてはあまり行儀が良いとはいえない姿勢でレオボルトがこちらを冷めた目で見つめていた。

「竜厩舎で見かけ、こちらに戻るということでしたのでお連れしましたが」

「…お前はなんで、一人でそんなところをうろついていた。ということは、お前、一人で戻ってきたのか?」


 兄弟で離宮の近くにいることを禁じているルナにレオボルトとヴァルトが責める目を向ける。
 必要があれば王宮の中で用を足すために離宮以外を歩くこともある。だが、それは必要最低限。ルナが池に落ちた事件より後、過保護なほどに自分たちの知らないところでルナが一人になることを嫌う高貴な人たちに、ルナは若干、面倒そうな目になる。
「自分の家と、仕事場の往復ですから。子どもではありませんので」
「だめだと言ったはずだが?」
「不便なので、気をつける程度はしますと、お答えしたはずですが?」
 不機嫌なレオボルトの声に平然と言い返す侍女を、シルヴィは目を細めて見つめている。ただの、侍女にはどうしても見えないのだ。それこそ、下世話な噂の方が真実かと思えるほどにその距離は近しい。むしろ、寵を受けていると思わせるほどに。



 大股に歩み寄ったレオボルトが、顔を上げないルナの顎に手を当て、自分の方に目を向かせる。反抗的、ではないが、従順ではない目が迷惑そうに細められる。
 逆らえない強さだが、決して荒っぽくはないその手に、ルナは不貞腐れたような顔になる。
「陛下、もう子どもではありませんし、そのような制限はここで働くのに不都合だと何度もお伝えしています。そのような制限を与えなければならない下働きは不便でしょうから、職を辞しますが」
 言い終わる前に、顎に添えられた手が広がり、大きな手が顎からルナの顔を掴む。多少痛みを感じる程度に、指に力が加わった。
 僅かに顔をしかめるのに、自分が力を入れてしまったことに気づいてレオボルトは力を緩める。が、その分、ギリ、と噛み締めた奥歯が軋む。
「許さん」
 短く低い一言が、レオボルトの苛立ちとも腹立ちとも定まらないものを表している。


 あれほど苛立ったレオボルトに睨まれたら、可能であればさっさと逃げるか、間に合わなければ一も二もなく全てに従うんだけどな、誰もが、と、キリトは呆れ顔のまま眺めている。
 ルナは、別に自分に対してならばレオボルトが酷いことはしない、とたかを括っているわけではない。むしろ、ルナはレオボルトやヴァルトのルナに対する執着や甘さを理解していない。そんなものが自分に向けられるなんて、想像もしていない。
(だから伝わらないんだけどなぁ)
 ルナはただ、自分に無頓着なだけだ。これで不興を買って罰せられても、それが自分だけであれば気にもとめないのだろう。むしろ、望んでいるのではないかと思うくらいに見えることがある。罰を受けて何かからすっきりしたいような。

「キリト」
「!はっ」
 不意にかけられた声に、反射的に昔のように答えてしまう。声をかけたレオボルトは、ルナから目を離すつもりがないらしく、声だけが向けられている。
「離宮の執務室に茶を運んでこい。お前の分もだ」
「!」
 同席しろということに含まれる意味に、キリトは僅かに目を見開き、そして踵を合わせる。
「承知いたしました」
「辺境伯、部屋に戻られる前に話がある。ついて来い」
 言いながらレオボルトは、ルナの顎から離した手で二の腕を掴む。レオボルトの大きな手はその細い腕を掴んで余るほどだが、これで引きずって行くと痕にあるなと、そのままぐいっと引き寄せ、肩に担ぎ上げた。
「なっ。陛下?」
「お前も来い」
「はっ、いや、それは口で言ってください。歩きます。ちゃんと行きますから」
「うるさい、だまれ」
「おろしてくださいってば!!」
 じたばたするルナをしっかりと押さえ込み、そのまま軽々と歩いて行くレオボルトを見送り、ヴァルトは肩を竦めた。その目を平然とシルヴィに向ける。
「どうぞ、こちらへ」
 唖然とするシルヴィのいろいろな疑問への説明を一切省いた言葉に、説明されない主君の言動に疑問を口にすることが許されるはずもなく、シルヴィはついていくしかなかった。











 執務室にティーセットを運び込み、その中の状況にキリトはため息を隠さなかった。
 さすがにこれは、可哀想だ。
 シルヴィは来客セットの一人がけの椅子に腰掛け、その向かいに本来であればその並びで座らないはずが、レオボルトとヴァルトが並んで腰掛けている。レオボルトの足元には白い獣がしっかりと座っており、レオボルトの手が届かない距離に、控えるようにルナが立っていた。明らかに、レオボルトの首に綱でもつけて押さえているような状況でヴァルトはそこに座っている。
 こちらに手伝いに来ようとしたルナを引き止めるように手を伸ばそうとしたレオボルトを、ヴァルトはあからさまに腕を引き戻した。
「陛下」
「ちっ」

 舌打ちしたよ、ついに。
 と思いながら、キリトは茶を並べていく。
 レオボルトの前に置きながら、不機嫌な主君に、呆れた思いを隠しもせずに苦言を呈した。
「我慢できなくなるようなこと、最初からしなければいいんです。周りが迷惑なので」
「お前っ」
「言い返せるなら、どうぞ」
 ここに同席を求めた時点で、というよりも我慢の限界を超えてその目の前でルナを担ぎ上げた時点で、シルヴィにここの普段の人間関係を見せないでいる必要はなくなっていると、キリトは判断した。まあ、絶対の主人ではあるが、別に怖くもない。腕っ節も、もうかなわないだろうが、それはそれだ。漫然と従えというなら、先ほどのルナではないがここを辞すだけだ。
「ルナ、こっちに来い」
 キリトが呼べば、ほっとしたようにルナがその隣に立った。もちろん、キリトを盾にするようにして。
 傷ついたような顔になるレオボルトをヴァルトがあからさまに冷たい目で見る。


 それから、ため息をついてヴァルトがその目をシルヴィに向けた。
「ステラグラン侯爵、この先のことを話しますが、必要があるので離宮で働く二人にも同席させる。よろしいな」
「…は、はっ」
 元騎士団長。そのヴァルトが厳しく言えば、シルヴィも咄嗟に気を引き締めた。ただ、どうにも、キリトが隠すようにしているルナが気になるけれど。
 気になるが、その気配を察するように、その場にいる男たちが纏う空気が冷え込むのがわかる。とりあえず、そちらに気を向けるのが今は得策ではないと判断しながら、シルヴィはその目をまっすぐに宰相に向けた。
「侯爵につけていた侍女は、もともとはこの離宮唯一の侍女。不便が高じて陛下が機嫌を損ねたようで。気になさらないように」
 言いながら、キリトはその体で完全に男たちの視界からルナを隠した。
 それを確認して、ヴァルトは再び口を開いた。この離宮に客人がいるのももう、我慢の限界がきている。まあ、ヴァルトは、ルナが放置した侵入者で憂さ晴らしをさせてもらった分、少しマシだが。



「長々と足止めをしていたが、ステラグラン侯爵家の事故について現在わかった範囲の調査結果をお伝えする」





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