警護対象は元婚約者の主君

明日葉

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第1章

手練れのはず

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(シロ…)


 行きと同じく、戻る時も問答無用の不意打ちで転移される。むしろ、行きの方が声がかかっただけましだったか。

 シロの魔力の気配を感じて、素早くそっと、よく眠っているレオボルトの頭を枕におろした。
 それを見届けたかのように、体を浮揚感が包み、すとん、と立った場所は、ここ数日の自分の待機場所。すぐ隣は客人がおり、その控えの間。従者がいれば、従者に与えられただろうけれど、従者は離宮への立ち入りを許されていない。



 そして、ルナはまずは客人の部屋に続く扉を一瞥し、その向こうの気配は一旦無視する事にした。


 どうも、掃除が増えている。これはやはり、客人にくっついてきたのか、と頭をよぎるが、その雑念を取り払い、ルナは静かに廊下に続く扉から外に出た。魔法は、禁じられていた。魔力には個性が出るから、と。気づかれたくないなら使うな、気づかれたいなら使えと。


(ほんっっとに、嫌味!)


 言った時の顔を思い出し、腹立たしくなる。が、それも呑み込んだ。



 息を殺し、気配を殺している何者かに、一足飛びに近づいた。




「誰かをお探しですか?」



 ルナが背後から声をかければ、飛び退ったは、振り向きざまに音もなく剣を抜く。


 その身のこなし、速さ、剣の構え。何をとっても、手練れなのだろうな、と、ルナは気の毒な物を見る目を向ける。

 手練れのはず。だけど。



 生憎と、ルナの敵ではなかった。それだけのこと。


 隠密行動に長けているのは、思い出したくもない記憶の数々の奥深くに眠っている訓練の結果。


 でも。


 それがあったから、今、レオボルトの警護という役を与えられている。名ばかりでなく、働けている。



(可憐で守られるご令嬢になんて、そもそもなれるわけもなかったのよね)



 剣が落ちれば、その音がこの、人のいない静かな離宮に響くだろう。

 己を守れと言いながら、見物でもしたいのかすぐにのこのこやって来る主君を思えば、それは避けたいところだ。シロが遮音をしているだろうが、なぜか、嗅ぎつけるのだ。


 でも。


 その剣の刃には、毒が塗られている可能性もある。これまでも、幾度もあったこと。その刃のおかげで、ルナ自身がしばらく動けなくなったこともあった。
 守った後で何もできないのでは、用が足りんな、と、叱ったレオボルトの目の下の隈が濃かったのを思い出す。




 うれしいけれど、こんなのは、知らなかった。知らなかった頃の方が、身軽だった。自分自身の存在が軽かったから。自分を心配する存在なんて、いなかった。兄と弟は、何も知らなかったからだけれど。知った後の剣幕を思えば、ずっと本当は、優しいばかりに逃れられない束縛は、ずっと身近に在り続けてきたのかもしれないけれど。




 ルナの姿を視界に収め、たまたま通りかかった侍女だと思ったのか、気が緩むのを見て、ルナは足を踏み込んだ。



 ばかだな。




 がこの距離まで近づくのに気づかなかったなら、そんな稼業は廃業しろ。


 手練れのはずなのに、ここに来るやつの多くは、年より幼く見えるルナの容姿で呆れるほどに気を抜く。ルナには充分なほどの油断。
 油断を見せない輩は…今のところ、厄介だけれど手に負えないほどのことは起こっていない。




 ふわり、と、軽業のように宙に舞ったルナは、ほっそりとした脚から繰り出されたとは思えない一撃を首の後ろに入れ同じ動作で手を剣の柄に伸ばす。
 一瞬で無力化された侵入者は、音もなく崩れ落ちながら、その手にあった剣は取り落とすことさえ許されずにルナの手に収まった。



「聞くまでもないことでした、お客人。招かれぬ客は、誰を訪ねてきていたとしてもつまみ出すようにと、命じられておりますので」



 生憎、力持ちなわけではないルナは、をそのまま放置し、部屋の中に滑り込むように戻った。

 既に開いていた扉に、シルヴィが寄りかかるようにして立っている。


「失礼。呼んでも応答がなかったので開けてしまった」


 いつでも控えているから声がけを、と言ったことを遠まわしに咎められたかな、と思いながらルナは頭を下げる。


「申し訳ありません。何か、ご入用な物でしょうか?それともこのような時間ですが、どちらかへ行かれますか?」
、そのように髪を乱して、どちらへ?」


 髪?

 と、ルナはきょとんと自分の髪に指をとおした。

 確かに。だが、先ほど程度の動きで乱れるはずも…と思って、思い当たった。

 熱っぽいレオボルトに飽きずにかきまわされた。そういえば。


「お見苦しい姿を重ね重ね申し訳ありません。寝癖がつきやすいもので…自分では気づかずに、小用を済ませに外しておりました」


 嘘ではない。ちょっと、招かれざる客の足を止めていただけだ。




 ただ、良い解釈はされていないな、と思いながらルナは頭を下げたままでいる。


「陛下は、どういうつもりで続きの間に侍女を控えさせたのかな」


 問いかけるような言葉だが、邪推と言いたくなるようなことを彼が想像していることは、鈍いルナでも容易に理解できた。散々、そのような視線やあからさまな言葉に晒されてきたから。

「わたしがそれを、推測する立場にはありませんので」


 さっさと用事、言ってくれないかな、と、思いながら未だに頭を上げずにいるルナの視界に、ゆったりとしたローブの裾と部屋履きが入る。近づいているなとは思ったが、思いの外近い。



 気まずい沈黙の後、すぐ頭上から、思ったよりも穏やかな声がした。


「目が覚めたから、少し外の空気を吸いたいと思ったが、窓が開かなかった。起きていればと声をかけさせてもらった。まさか、部屋から出られないようになっているのかとも思って、この扉を開けてしまった」



 侍女とはいえ、女性のいる部屋への扉を深夜に開けたことを気にしているような言葉に、ルナは小さく息をついた。
「それは、説明が足りず失礼しました。部屋に入らせていただいても?」
「かまわん」
 不思議そうに頷かれ、ルナは客間に入ると、バルコニーに通じる窓を難なく開けた。
「部屋に閉じ込める意図は、陛下にはありませんので、廊下や控えに通じる扉は開きます。鍵をかけられるのは、今はこの部屋の主である閣下だけです」

 ですが、と、ルナは顔を外に向けた。シルヴィを促し、バルコニーに出ることも問題ないと促す。

「バルコニーの窓は、離宮の内と外がつながりますので。守りの薄い場所ですから、お一人では開けられないように陛下が施しておりました。閣下の身に何かあってはいけませんから」


 ルナが一緒であれば、かまわないと。客人を護ることも、役目だから。そして、そこから何かを招き入れることのないよう目を光らせることも。



 シルヴィは、不思議そうな目でルナを見る。その背に、ちょうど満月を背負い、青白い光が射したこの若き辺境伯は、美しいな、と、ルナは素直に思う。
「危険だというのに」
 言いたいことは、分かる。ルナのような小娘がいるだけで開けられるのは、結果同じなのではないかと。
 そう思っていて良い。
「閣下の、盾程度には、わたしでもなれますから」
 静かにそう言うと、邪魔にならない場所に控え、好きなだけ外の風に当たって良いとルナは小さく笑みを浮かべた。
 その笑顔に、シルヴィの顔が、僅かに歪んだ。
 胸の奥に蓋をした、大事なものと不意に重なった。それがなんなのか、形作る前に押さえ込む。
「…静かな夜だな」
「そうですね。今夜は、月が美しいですが、月が姿を隠す日は、晴れていれば星も、この客間からとても美しく見えます」
 ルナの声を聞きながら、外に目を向け、空を見上げたシルヴィが、急に泣き出しそうに見えて、ルナは目を逸らした。



 目を逸らし、頭をさげただ、控えているような様子のルナを、シルヴィはしばらく見つめ、不意に月を見上げた。何かを、隠すように。




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