上 下
77 / 87
5 氷の獣人公爵

閑話 ラウドの憂鬱

しおりを挟む



 仕えている公爵が結婚をして帰ってきた。それは、いい。
 そもそも生死不明の状況で行方不明だったのだから、生きていただけで喜ぶべきところだ。
 しかも、婚姻については本人に全くその気がなく、生き急ぐ感すらあった。争いの火種となる自分の血を残す気もないといった風で。逆賊とも言える獅子族を誅するという意思はなく、争いを生まずに生きようとしていた。狼族、といっても、その本性がフェンリルという異質なものであった公爵は、その本性を知られていなくても本能からか周囲から畏怖された。それもあってか、人を寄せ付けず、表情も変えず、感情を伺わせることのない人だった。それこそ、幼い頃から。
 お目付役、として下につけられたが、そこに居続けられたのは、実際、公爵を尊敬し補佐しようと本気で思っていたことが公爵に仕える他の獣人たちに伝わっていたからだろうことは、わかる。獅子族への反感は、獣人の中で強い。それだけ狼族への信頼が篤いということでもある。



 ただ、婚姻を結んだ相手が、人族だった。それに反発をする獣人は多い。あらゆる点において獣人に劣り、それでいて獣人を虐げる人族への根強い嫌悪はある。ただ、ヴィルに連れられてきた少女、シオリにはそんな様子は一切伺えない。
 もともと狼族の王家の血を絶やすことをよしとしていなかった古株たちが、ここぞとばかりにヴィルへの他の妻を勧めることは容易に想定されたが、それを防ぐように、先に一妻多夫の複数婚を成立させて帰ってきた。その夫の顔ぶれに、正直な話耳も目も疑った。
 滅びたはずの跳兎、しかもその族長として名高かったサライ殿。
 限られたものしか入ることのできない森に住まう、調停者たるハイエルフのルシエール殿。
 そして、ほかと相入れるはずのない妖魔であり、その中でも高位に属するはずの九尾の狐のノインが、本来関わりないはずの婚姻という契約に応じている。
 というのに、早々に王に呼び出されて渋々出かけて行ったヴィルの不在の間のシオリはどこをどう切り取っても普通の娘なのだ。
 ただ、非常に独特では、ある。

 勝手に動き回り、毎日、邸中を一巡して一通り声をかけて歩く。
 どんなに人族嫌いだろうと、繰り返されれば毎日毎日噛み付いたり無視したりもできなくなるのだろう。人族嫌いのはずの獣人ですら、言葉は返さないまでも頷きを返したり、目を合わせたりするようになっている。
 その間も、不埒な輩がしでかさぬよう目を光らせているはずが、それ以上にルシエール殿とノインがしっかりと守っているのがおかげでよくわかる。近づき過ぎれば邪魔だとでも言われたのか、距離を保っているがその距離が、何かあれば彼らであれば守ることができる距離だとすぐ知れる。





 シオリにヴィルがつけたガルダは、ヴィルが赤子の頃からの侍女頭であり、仕事については信頼がおける。が、人族に対する因縁は強い。彼女の弟が、人族と番であり、そして、獣人と番になるなど許さないと、番なのであれば力を削ぐためにと、目の前でその番が自ら命を絶った経緯がある。
 番を見つけた獣人が、その番を失えば命を削られるのと同じだ。ガルダたち家族の力で生きてはいるが生きているだけの状況だ。
 それを知らないシオリは悪くないし、そうでなくとも、シオリは獣人に害意も敵意もない。むしろあのヴィルの感情を表に出させるのだからありがたい限りだが、ガルダとしたら複雑な心境だろう。
 全て承知でヴィルはそばに置いたのだろうがどうなるかと気を揉んでいたところに、王都から帰還したヴィルの所行に苛立ち、シオリを助ける動きをしたのには驚いた。接する様子からは伺えなかったが、いつの間にかかなり、柔軟に対応するようになっているらしいことはわかる。




 が、その結果、というか。
 シオリがいっそ、何もできず味方もいない方が喜ぶのではないかというくらいにかかりきりになりたいらしいヴィルは、不在の間にシオリが思いの外邸の中で居場所を作りつつあったことに面食らいながらも不機嫌になった。
 世話を焼きたいヴィルをその日もシオリが仕事をしろと追い払って、のこの状況だとコルトから聞かされて肩が落ちる。


「何やってるんだ、お前は」
「…うるさい」



 ぴりぴりと苛立ちを撒き散らしているヴィルを睨むが、効き目はない。
 邸の者と仲良くなっていくのを喜ぶではなく拗ねるような様子を見せたヴィルを最初はシオリは嗜めようとしたようだが、結局そうは行かずに、喧嘩になったらしい。

(なんでそう、かたくななの!わからずや!)


 と、言い捨てて部屋を出たらしいシオリの言葉には思わず笑ってしまったが。


「そんなにおかしいか」

 笑っているのはバレているからなおさら不機嫌だ。

「おかしいだろう。お前が振り回されているんだから。喧嘩なんてして。これでお前のところに、やはり人族とは分かり合えないのだから婚姻を解消して獣人との婚姻をと持ち込む輩も、自分から仕掛けてくるメスも増えるだろうな。頑張れよ」
「何をっ」
「事実だろう?」


 諦めていない奴は多い。そういう意味でもさっさとシオリは立場を固めてくれた方がいいのに、本人があれだけ頑張っているのにこのバカは、という思いは出てしまう。


「オレが悪いのか」
「悪くないとでも?」
「あいつは、わかってない」
「当たり前だろう。お前だって、わかってないだろう。あの子がお前の邸で、お前が自分を伴侶に迎えたことでとやかく言われないように、嫌な思いをしないように、していたのを」
「……」
「これで、あっちの方が先に頭を冷やして謝ったりしたら、本当に、かっこ悪いな」
 まあ、向こうは頭を冷やす必要も謝る必要もないが、あの子はやりかねない。
 ぐうの音も出ないこの男も貴重だなとにやにや眺めていると、何も言わずに大股で部屋から出ていこうとする。


「この時間なら、庭だぞ」



 追いかけながら声をかける。
 まあおそらく、すぐには追いつかないだろう。



 案の定、庭では、庭師からさっきまでいましたけど、と言われ。次は厩舎だと向かうが、そこも去った後。鍛錬場、調理場など完全に追いかけっこ状態で、ヴィルの尻尾が揺れるのを背後から眺める。


「ラウド」
「なんだ」
「邸の者たちが、笑っているな」
 苦笑いもあれば、開けっぴろげな笑いも微笑ましげなのも。シオリの行き先を尋ねて答える使用人の顔に不機嫌なものはない。不機嫌を装っているのに、目が呆れて笑っているようなのもある。
 こんな公爵の姿が珍しいというのもあるだろうが。
「まあ、次で追いつくだろう」
 次は、図書室だ。どうせそこで、本を広げて長居をしている。




 図書室の、日当たりの良い隅っこにクッションを置いて、広げた本の横で、シオリは珍しく、丸くなって眠っていた。

「…お前、ちゃんと夜寝させてやれよ?」
「可愛いのが悪い」
「体力の違い、自覚しろ?」
「…見るな」


 寝顔を見られたくないらしいヴィルが睨んで、そのまま獣化する。
 包み込むように、シオリを隠してそばに丸くなって身をかがめるのを見て、自然と肩を竦めてしまった。






 今日は、仕事は進まないな、と積まれていたものを思い浮かべて少し憂鬱になって。それから笑う。
 かまわない。孤独ではない。あれほど必要とされているのに、自分自身が一番自分を不要と断じていた男が、やっと孤独ではないとわかってきたのだから、そのためなら多少の忙しさはむしろ歓迎しよう。




 多少、なら。







しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

魔法のせいだからって許せるわけがない

ユウユウ
ファンタジー
 私は魅了魔法にかけられ、婚約者を裏切って、婚約破棄を宣言してしまった。同じように魔法にかけられても婚約者を強く愛していた者は魔法に抵抗したらしい。  すべてが明るみになり、魅了がとけた私は婚約者に謝罪してやり直そうと懇願したが、彼女はけして私を許さなかった。

辺境伯へ嫁ぎます。

アズやっこ
恋愛
私の父、国王陛下から、辺境伯へ嫁げと言われました。 隣国の王子の次は辺境伯ですか… 分かりました。 私は第二王女。所詮国の為の駒でしかないのです。 例え父であっても国王陛下には逆らえません。 辺境伯様… 若くして家督を継がれ、辺境の地を護っています。 本来ならば第一王女のお姉様が嫁ぐはずでした。 辺境伯様も10歳も年下の私を妻として娶らなければいけないなんて可哀想です。 辺境伯様、大丈夫です。私はご迷惑はおかけしません。 それでも、もし、私でも良いのなら…こんな小娘でも良いのなら…貴方を愛しても良いですか?貴方も私を愛してくれますか? そんな望みを抱いてしまいます。  ❈ 作者独自の世界観です。  ❈ 設定はゆるいです。  (言葉使いなど、優しい目で読んで頂けると幸いです)  ❈ 誤字脱字等教えて頂けると幸いです。  (出来れば望ましいと思う字、文章を教えて頂けると嬉しいです)

君の瞳のその奥に

楠富 つかさ
恋愛
地方都市、空の宮市に位置する中高一貫の女子校『星花女子学園』で繰り広げられる恋模様。それは時に甘く……時に苦い。 失恋を引き摺ったまま誰かに好意を寄せられたとき、その瞳に映るのは誰ですか? 片想いの相手に彼女が出来た。その事実にうちひしがれながらも日常を送る主人公、西恵玲奈。彼女は新聞部の活動で高等部一年の須川美海と出会う。人の温もりを欲する二人が出会い……新たな恋が芽吹く。

幼い公女様は愛されたいと願うのやめました。~態度を変えた途端、家族が溺愛してくるのはなぜですか?~

朱色の谷
ファンタジー
公爵家の末娘として生まれた6歳のティアナ お屋敷で働いている使用人に虐げられ『公爵家の汚点』と呼ばれる始末。 お父様やお兄様は私に関心がないみたい。愛されたいと願い、愛想よく振る舞っていたが一向に興味を示してくれない… そんな中、夢の中の本を読むと、、、

側妃ですか!? ありがとうございます!!

Ryo-k
ファンタジー
『側妃制度』 それは陛下のためにある制度では決してなかった。 ではだれのためにあるのか…… 「――ありがとうございます!!」

【完結24万pt感謝】子息の廃嫡? そんなことは家でやれ! 国には関係ないぞ!

宇水涼麻
ファンタジー
貴族達が会する場で、四人の青年が高らかに婚約解消を宣った。 そこに国王陛下が登場し、有無を言わさずそれを認めた。 慌てて否定した青年たちの親に、国王陛下は騒ぎを起こした責任として罰金を課した。その金額があまりに高額で、親たちは青年たちの廃嫡することで免れようとする。 貴族家として、これまで後継者として育ててきた者を廃嫡するのは大変な決断である。 しかし、国王陛下はそれを意味なしと袖にした。それは今回の集会に理由がある。 〰️ 〰️ 〰️ 中世ヨーロッパ風の婚約破棄物語です。 完結しました。いつもありがとうございます!

処理中です...