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5 氷の獣人公爵

公爵の帰還 4

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「これはまた…わかりやすく不機嫌ですね」


 冷やかすような声に足を止め、ヴィルはため息をついた。
「ウルマか」
「一年も消息を絶って、心配しましたよ」
 白々しいな、と言いながら、ヴィルは一年か、と頭に入れる。栞里の身の回りを整えることにばかり頭がいって、結果的に自分がこちらでどれほどの期間不在だったのかの確認をしていなかった。栞里が姿を消したあの時、ヴィルの方では本人の感じ方はともかくたいした時間が経過していなかったのに、栞里はこちらで五日間過ごしていた。同じ時間軸を移動するのではないのだろうと推測をしていたが。今度は向こうのほうが長く時間が経過していたということだ。
 眼鏡をかけた涼しげな顔の男を振り返り、変わらないその様子に少し、安堵する。この国の宰相を務めている男は、能力を買われ、というよりも他にできる者がいないから、ヴィルの母が王であった頃からずっとその立場にいるが、国王がよく思っているわけではないことも承知している。原因は、そもそもこのウルマが国王をよしとしていないからなのだが。僭王だ、と。それでも能力があれば良かったのだろうが、獅子族はまともに勤めもしない。全てを任せきりにし、美味しいところだけを味わおうとしている。贅沢をし、権力を思うままにし、務めは果たそうとしない。
 それでも黙ってウルマが仕え続けているのは、ヴィルがその地位を望まないため。余計な争いはいらないとその話を持ち出すことさえ許さないから。

「そちらは?」
 ウルマの目がヴィルの背後に控えるサライに向けられる。向けられたその目がウルマにしては珍しく、見開かれるのを眺める。
「あなたは…」
「ウルマ。陛下にこの後報告するが、伴侶を迎えた。俺が傷を負っていたところを助けてくれた人だ。この男は、同じ娘を伴侶に持つ」
「なっ」
 珍しいことにウルマが絶句した、とヴィルは一瞥を向け、背を向ける。
 慌てて追いかけてくる足音を聞きながら、ヴィルは横に並んだサライに何かを聞きたげについてくるウルマに口を開く間を与えずに伝える。
「サライ、これはウルマ。今の宰相だ」
「わたしの頃とは、さすがに人が変わりましたね」
「ふん。そのままだったら、お前も大人しくはしていないんじゃないか?」
「宰相に思うところはありませんよ」
 穏やかに応じながら、サライはヴィルに並んで歩く。跳兎の一族が絶えたのは、ヴィルが生まれるずっと前の話だ。それでも、事情を承知しているのだと今のやり取りでわかる。わかっているのだろう、と最初に出会った時から思ってはいたけれど。
「栞里には?」
「お前が自分で話せ。俺が話すことではない」
 つくづく、とサライは呆れながら目を前に戻す。この青年は、言葉を発するにも顔の皺ひとつ動かさない。この無表情が栞里がその場にいるだけで変化するのだから面白い。邸では正直、実に見ものだった。使用人の悉くが、凍りつくのだから。






「呼ばれなければ報告もできんのか、お前は」
 散々勿体ぶって待たされた後に通された謁見の間で、開口一番、嫌味に口を開いた獅子族の王をヴィルは無表情に見上げる。ただし、さっさと帰るために用件は済ませてしまいたい。
「まさか戻って即日陛下からの召喚が邸に届くとは思わず」
 いくらなんでも早い。おそらくは、この国に戻った瞬間に帰還を察していたのだろう。森で栞里がヴィルの気配を纏っているというだけで探されたというのだから、何かしらの術を張り巡らされていたのだろうとは思う。死んだという証が見つからない以上、警戒を緩めていなかったのだろう。その熱意を政務に向ければ良いものをと、そんな正論を向けても仕方ない。
「一年も、どこで何をしていた。見かけんやつを連れているが、悪巧みでもしていたか」
 身を隠して、仲間でも集めていたのかとあからさまに言われても気にもならない。そんなくだらないことをする余裕は、正直ない。
 いやむしろ、獅子族に比べればきっと、味方は多いのだろうと思う。ヴィルが狼族の正当な血を引く、というだけで。命じられれば軍務にも就いた。忌まわしい血を消せると自らも感じ、その先頭に立ってきたが。栞里がいる今は、それを続けることを考えはする。結局、先頭に立つのだろうが。家族がいるのは誰も同じなのだ。今はなお、栞里がいるからこそ、戻りたい、戻って守りたいという気持ちがわかってしまう。
「傷を負い、癒えるのに思いの外時間がかかりました。陛下にご報告が。その際、助けてくれた娘を伴侶として迎えました」
「なんだとっ」
 景色ばむ国王をヴィルは冷えた目で見上げる。
 伴侶を迎えたということは、狼族の血が繋がる可能性を意味する。ヴィルが血を残そうという意思を見せない間はヴィルさえ始末すれば良いと考えていただろう。
 だから、栞里は危ない。それでも、手に入れずにはいられなかった。そのために。1人では目が届かないこともあるだろうという言葉は事実そのもので、だからサライを受け入れた。
 予定外ではあったが、ルシエールもノインも、そういう意味では都合が良い。
「この男は、同じ人を伴侶としてもつ者です」
「わたしの許可なく、伴侶を迎えたのか。どこの誰とも知れぬものを」
 先に知らせれば、なんだかんだと理由をつけて引き裂いただろう。引き離しただろう。容易に傷つけられる栞里をどうしたかわかったものではない。実際、帰らずの森で獅子族に栞里は命を狙われたのだから。
 何も答えないヴィルを睨み据えるが、全く気にする様子もない。それがまた、火に油を注ぐが、口を開かない王の様子を良いことに、ヴィルはあっさりと一礼して踵を返そうとする。
「わたしが視界に入ると陛下はご気分を害されるようですので。早々に失礼いたします。こちらのお世話になる立場ではありませんので、このまま邸に帰ります」
「待て!」
 待てと言われて待つほど、ヴィルは従順ではない。話す価値も見出せない相手に時間を取られるよりも、さっさと栞里の顔が見たいのだ。
「お前の伴侶をなぜ連れてこなかった」
「わたしの婚姻ごときにお時間を割いていただく必要はありません。伴侶のことも、気にかけていただくまでもありません」
「っ!!」

 怒りのあまり、言葉も出ない様子の国王を後に残し、早々に謁見を切り上げてヴィルはそこを後にしてしまう。
 就いて歩いているウルマは肩を揺らしている。勝手に敵愾心を持ち、怯え、脅威に感じている国王を、この若き公爵は意識にも止めおいていない。
「殿下、お戻りになる予定は」
「その呼び方はやめろ」
 その返事だけで、戻る気もないことはわかる。だが、これはいつも繰り返されるやり取り。
「城の者たちは、帰還を待ちわびておりましたが」
 政務を行う者たちは、狼族を望んでいる。何より、最終的な御璽を持つのがヴィルである以上、国王がいても進まない案件は多い。通常は、登城の折にそれらをヴィルは片付けていくが、今回は無理だろうと流石にウルマも想像がついた。
「わたしが目を通す必要があるものは、邸におくれ。今後はそうしろ」
 よほど、奥方にご執心らしい、と思いながらふと視界に入れたサライが小さく笑っているのを視界に入れ、やはりと確信する。
 その奥方に非常に興味が湧いたが、今はそれを口に出す時ではない。狼族の誤解を招く言動は避けるに限る。
「近いうちに、お持ちします」
「…お前が来る必要はない」
 それには答えず、ウルマは眼鏡の奥でにっこりと笑った。
 好きにさせる代わりに、好きにさせてもらうというその態度に、ヴィルは何も言わずに背を向けた。






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