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3 森でした

1日目 夕

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 え、何、この可愛い生き物



 と、栞里は目を奪われる。そのまま、美しいハイエルフとか、ここは結局どこ、とか、いろんなことが頭から抜け落ちる。
 いや、ハイエルフは一応、覚えている。物語好きにはかなりのインパクトで。



 まだ子供なのか、ふわふわとした真っ白い毛に覆われた、狐、とハイエルフのルーシェに言われた子は、宝石のように赤い目を向けている。

 それはそれは、文句を言いたげに。




 原因は、と、栞里は自分の手を見る。
 ヴィルの尻尾にいつもやっていたようににぎにぎと堪能してしまう尻尾は、数えると9本…。九尾の狐ってことだろうか。いや、もふもふが一度に9本って、何のご褒美だろう。



「娘、いい加減、離せ」



 可愛らしい外見からすると意外な口調で言う声は、少年のように可愛らしい。ものすごく、不機嫌だけれど。


「お前のせいで我までこんな場所に連れてこられた」

 毛を逆立てて威嚇する相手は、ルーシェ。仲、悪いのかな、とルーシェに向ける視線は自然と咎めるようになる。子供に見えるのだから仕方あるまいと思うが、ルーシェの方は忌々しげに狐の首根っこを摘み上げると、自分の目の高さに吊し上げた。


「威勢の良い畜生だが。みろ、お前の虚勢は小娘を楽しませているだけだぞ」

 揃って向けられた視線が痛い。いや、楽し…かったけど。絶対に負けそうなのに噛みつくとか、ちっこい生き物が。


「お前がいた場所は帰らずの森とこことの境界だ。本来境界を越えられない者は、越えることができる者が同行していたとしても、越えられない。越えられるのはここの住人が連れてきた時だけだ」
「はあ…境界にいたから、ルーシェが入れてくれたってことですか?」
「…一度入ると、ここが覚える。ここが拒絶しない限り、そのあとは出入りができるようになってしまう」
「さらっと、質問聞き流しましたね」


 やりにくそうな顔をして、ルーシェは栞里を見下ろした。そうして、その膝の上にぽいとノインを投げ捨てる。
「そいつをここに入れたのは、お前だ。シオリ。この森は、お前を住人だと思っているらしい」
「…ルーシェの森じゃないの?」
「そうであってそうではない。狐、いい加減名乗れ。名がないのならつけてやるぞ」

「…ノイン」


 ろくな名前をつけないだろうと言う顔でルーシェを睨んだノインが名乗ると、栞里は嬉しそうに抱き上げて柔らかい喉の下をくすぐるように撫でる。


「ノイン。覚えてないけど、わたしがあなたをここに入れたの?自分がここに来たのもよく分からないのだけど」

「お前は泉で寝ていた。通りかかったら、お前に尻尾を掴まれて、そのまま引き摺り込まれた」




 何それ、ひどいな、と我がことながら栞里は顔をしかめる。子供だろうと、ノインには牙も爪もある。よく、怒って攻撃しなかったな、と手の中のふわふわした綺麗な真っ白い狐を見下ろした。
「ごめん。ノインは優しいね。怒って噛み付かれてても文句言えないや」
「我がかみつけば、ただでは済まないぞ。…腕はなんともないか」
「腕?ノイン、噛んだの?」


 言った途端、呆れた目を向けられる。
 ルーシェの手が不意に伸びてきて、栞里の右腕を掴み上げた。


「綺麗に消えている。問題ない。お前は、そこで獅子に襲われた。その点では、これに感謝することだ。お前を守っていた。妖魔に魅入られるとは難儀だが、妖魔がここに入っていられると言うのも初めて聞いた」
「妖魔?ノインは獣人じゃないの?」
「一緒にするな」
 いやそうな顔したな、と狐の表情を観察しながら、栞里は首を傾げる。まあ、違うなら違うでいいのだけれど。
「じゃあ、ノインはずっとその姿?」
「人型にもなるが、今はなりたくない。こんな場所で無駄に消耗しそうだ」
 ぶつくさと、と言う表現がぴったりな言い方に栞里はつい笑みを浮かべながら、どうしても撫でる手を止められない。小さな体で背伸びしたような口調が可愛い。妖魔、などと言う不穏な響きも気にならない。何せ、怖くないのだ。きっとこの子が向けている感情が好意とかだから。

「ノインは何歳なの?随分と口調が…」


「お前、子供だと思っているだろう。歳など数えるだけ無駄だから知らん」



 もっとも、なのだろうなと頷きながらルーシェを見上げると、不意にルーシェが栞里が起き上がったまま座っているベッドの端に腰を下ろした。
「だいたい、分かった。シオリ、帰ったら、フェンリルに伝えろ。次はない、と」
「?帰ったら?次?帰れるの?」
「いずれ帰れる。お前は今は、ここで預かっているだけだ。だが、次に一人でふらふらしていたら厄介な匂いをつけた獣人の代わりに庇護するのではなく、ここの住人にする」
「うん?」



 ルーシェは全く理解していない娘を見下ろして、そして。
 ノインが毛を逆立てる間もないほどの素早い動きでしっかりと胸に抱き込んだ。




 その、美しい見た目から想像するよりも硬い胸の中で栞里は大きな音を聞く。
 何か衝撃のようなものがあった気がしたが、ルーシェの腕の中では感じない。どうやら庇ってもらったようだが。いかんせん、恥ずかしい。ヴィルもそうだが、距離が近い。ここの人、と悪態をつきたくなる。
 しかも、いい匂いするし、と思っていたら、栞里が抵抗するより先に、一緒に抱え込まれたノインが毛を逆立ててルーシェに牙を剥こうとした。
 途端、またもや首根っこを掴まれ、今度はどこかに放り投げられる。
「狐、お前には躾が必要だ。ここに出入りするには、行儀が悪すぎる」
「お前にとってだろう」
 果敢にも言い返しているが、どうやら投げられた先から戻ってこられないようだ、と無理やりルーシェの腕の中から身をよじって覗くと、思いの外近い場所に目を疑うような綺麗な女性が二人いる。


 これは、浮気現場抑えました、的なやつ?と一気に青ざめる。
 ルーシェのこの容姿、女性が侍っていて当たり前、と思っていると、考えを読んだのか、頭の上から迷惑そうな声がする。
「ありえない想像をするのではない。お前たち、何の用だ」

 柔らかな、花のように美しい女性と、澄んだ月のように美しい女性。二人が覗き込んでいる。
 まさか、先ほどの衝撃も、ルーシェが抱え込んで栞里を庇わなければならなかった原因もこの二人にあるとは思い至らないほどに儚げな美しさで。
 目を奪われていると、ほっそりとした腕が遠慮なく伸びてきて、ルーシェの腕の中から栞里を奪い取る。



「おかしな気配がしたので。獣人のような、人間のような。人間がこのような場所にと思いルシエール様にお聞きしようと思いましたが」
「この子からは、面倒で忌々しい人間の思惑が感じられません」


 当たり前だ、とルーシェはため息をつく。この世界の存在ではない栞里が、この女たちが嫌悪する人間の考え方をするわけがないのだ。他の種族は己たちのために利用するもの、強すぎる種族に対しては押さえ込む術を見つけ出し、当たり前のような顔で虐げる。崇拝の対象であるはずの精霊ですら、利用しようとする。利用するために、崇拝するか虐げるかの違いでしかない。



「森で転んだの?土がついているわ。お風呂に入りましょう?」


 そんなことを言いながら、話について行けていない栞里を運んでいく女たちを、ルーシェは諦めの面持ちで見送った。


 見送りはしたが。





 あの女たちの方が、下手をすれば狐より危なっかしい、とため息をつき、気配を追い続けた。






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