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3 森でした

1日目 昼

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 腕に抱え込んだもふもふとした尻尾。ただ、なんとなく、触り慣れたものじゃない気がしてくると、意識が覚醒してくる。一度気づくと、明らかにそれは違う。もふもふはしているのだが。

 そして、なんだかうるさい。
 うるさいっ、と思って、手を振ると、不意に激痛が走った。痛みに覚醒した意識が、そのまま、今度は激痛のために手放させようとする。ただ、反射的に見開いた目は、霞んでいたけれどこちらに振り下ろされようとする鋭い爪を捕らえる。その向こうに、まだ生えそろわない鬣。

 そして、遮るように、真っ白な何かが間に割って入る。







 意識を手放した娘を背にして、小さな毛玉が立ち塞がった。嘲るような顔をする大型の獣人。
 だが、奴らはここに入れない。目と鼻の先にいると言うのに。この娘が手を振りなどしなければ、怪我をしなかったのに。際にいた娘の振った手が、境界を越えた。
 いや、そもそも。無意識におかしな娘なのだ。本来であれば、毛玉。いや、ノインもこちら側には入れない。それなのに。
 倒れている、というよりも明らかによく眠っている娘から目が離せず、境界で眺めていた。うっかり越えてきたら食ってやろう、と思う気にはならない程度に、厄介な匂いのする娘。
 その手が不意に伸びてきたと思えば、何かを探るように動き、そして尻尾の1本に触れた。途端、引き寄せられる。
 気がつけば、胸の中にしっかりと抱え込まれていた。




 懐くようにくっつく娘に抵抗できずにいると、匂いに誘われたように、奴らがきた。来るのではないか、と思っていた。
 一番後ろにいる淡い毛色の獅子が、眉間にシワを寄せる。
「人の娘だ。手を出すな」
「狼の匂いをさせている。ここにいるのかと思わせるほどに。これを餌にすれば、狼が釣れる」
「死んだんだろう?」
 口々に、境界で言葉を交わす後ろで、1匹だけ目を伏せている。
「誰も死体を見ていない。こんなに強い匂いをさせている人間がいるんだ。その辺に生きているんだろう」

 何の話をしているのか、ノインにはすぐわかる。ただ、あんなのに、喧嘩を売るなんてやめておけと言いたいが。これが弱点だとわかるほどのものを一人で放っておく狼の神経も疑う。

 獅子達のやりとりに煩わしげに顔をしかめた娘が、半覚醒状態で雑音を振り払うような手の動きをして。
 まさか、それが境界を越えるとは。
 掴んで引き摺り出そうとする獅子達を阻もうと身を乗り出したが、一呼吸はやく、伸ばされた手の鋭い爪が柔らかな肌を裂いた。潜血が飛び、反射で娘が腕を引っ込める。
 結果的には良いが。血の匂いに自我が変質しそうになるのを堪えながらノインは間に割って入る。

 冷え切った声が降ってきたのはその時。




「入る資格のない者は去れ。消されたいか」




 地を這うような声音に獅子達が固まる。それを無視するように声の主はノインの側に立つ。
 冷え冷えとした目に見下ろされ、ノインも竦む。が、なぜか体が動いた。普段であれば、金縛りにあったようになることが目に見えている威圧を前に。
 娘に思い入れも何もない。ただ、抱かれただけだ。温もりが物珍しかっただけ。


「なんだ、これは。ここで血を流した上にこんなのを引っ張り込むとは。どういう娘だ」

 先ほどまでの穏やかな眠りではない。怪我で意識を失っている娘の腕を引き上げ、興味深げに覗き込むのはハイエルフ。完成された美貌が覗き込みながら、煩わしげに血を流す腕に触れる。
「ふん。消えていた公爵の気配がこんな場所からするから何かと思えば。…なんだ、この娘は」
 言っていたその眼差しをそのまま、ノインに向ける。
「…もう毒されたか。まあ、成獣でないならそれも仕方ないか…」
 言っていたと思うと、ノインの体が不意に浮き上がる。









 栞里は次に目覚めると、見覚えのあるようなでも少し違う場所にいた。
 喫茶店の中のような雰囲気なのだけれど。遥かに本が多くて。そしてそこにはないはずのベッドに寝ている。


 目を開けて見回すと、ヴィルではない、けれど遜色しないほどの美しい顔を見つけて息を飲んだ。目を開けた気配を察して近づいてきたその人は、尖った耳を持ち、輝きを変える銀の髪を背中に流し、そして神秘的なアースアイを静かに注いでくる。


「あの」
「お前はなんだ?ここで何をしていた。いや、どうやって来た」
「…ここ…はどこなんでしょう?」


 言葉が通じることにホッとしながら、栞里は聞かれたことに答えようにも自分の方こそ聞きたいことだらけで問いかけに問いで返してしまう。


「なぜお前から獣人公爵の気配がする。…胎に宿しているのか」
「へ…え!?」


 言われたことを咀嚼して、慌てて栞里は首を振る。そんな疑いを抱きようもない。キスはされたけれどそこまでだ。きっとそんな対象には見られていない。あんな綺麗な人に、そんな認識されるわけがない。



 あ、でも、と首を振りながら困惑顔を向ける。


「あの。それってヴィルのこと、ですよね。獣人だし、公爵だって言ってたし。ってことはここはヴィルの国?ここでは、キスでも子供できるの?」






 今度は、ハイエルフの方が固まった。
 なんだかわからんが、おかしなものを拾ったことだけは、分かった。そして、どうやら何が起きているか本人も認識していない、ということも。




 顔を逸らしてしまうが、自然と肩が揺れる。いや、笑うとか、記憶にない。言葉を二言三言発しただけで笑わせるとか、なんだこの娘は。しかも、獰猛な狐まで手懐けている。獅子に襲われたのは、間違いなく狼…いや、フェンリルのせいだ。


「なるほど、キスまではする仲、ということか。気配の原因はその辺りだな」

「はっ」



 図らずも余計なことを自ら白状したことに思い至って栞里が力尽きたように項垂れるのを眺め、絡まる黒髪を長い指先でハイエルフは解した。


「わたしはハイエルフ。獣人公爵はお前がヴィルと呼ぶフェンリルのことで間違いない。逸れたか?」
「逸れた…つもりはないんですけど」

 あえていうなら間違えた?帰ってくるべき人がここにいない。逸れてどこかに帰ってこられているのならいいけれど。

 ヴィルが不意に現れた時、やっぱりヴィルにとって自分も、このハイエルフだという人のようなものだったのだろうと思うと、なんだか冷静になる。ヴィルが冷静に自分という存在を受け入れて話を聞いてくれて、良かったから。

「胆が据わっているのか、冷静だな。名はなんという。わたしはルシエール。ルーシェと呼べ」

「は…栞里、です」


「ふむ。シオリ。それで、その狐はどうしたんだ?」





 言われてようやく、栞里は自分が先ほどから気を落ち着かせようと触れている毛並みの存在に気づく。毛並みが身近にあることへの慣れと無意識って怖い、と。
 思いながら目を向けた先に、真っ白で小さな、毛玉がいた。




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