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2 箍とは、嵌める時点で外すことを前提としている

初めての電車

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 お迎えって、どういうことー!!なんなの、その、イケメンって言葉すら申し訳なくなるような王子!!



 と、我に返ったらしい友人からのメッセージに、栞里は少し考えて、「バイト仲間だよー」とだけ返す。余計な詮索は、面倒、と。まあ、嘘ではない。あそこに住み込んでいるのだから、同じような立場でいいだろう。


「シオリ?」
 急にスマホ、というものをいじり始めた栞里にヴィルが声をかけると、上の空で、うん?と言いながら栞里が見上げてくる。言いたいことは色々あったのだが。
「さっきの、恋人か?」
「…どれ?」
 思わず聞き返した栞里の思い切りしかめられた顔に、ヴィルは困惑する。どれ、と言われても、一緒にいた男は一人ではないか、と。後ろにもいたことには気づいていなかった。
「ああ…同性もありえるのか。じゃあ、あの中に恋人がいるのか?」
「…とりあえず、わたしの恋愛対象は多分、男性だと思うよ。女性に恋愛感情抱いたことはないから」
 なんか、変な話だなぁと思いながら答えられるところから答える。
「あと、恋人はいないよ。いたら、ヴィルを住まわせません…多分」
「多分」
 拾っちゃったら面倒見ないといけないしなぁ、とぶつぶつ言っているが、ヴィルはひとまず満足する。ただ、栞里の髪からいろいろな匂いがする。それは、学校、に行くと時折うっすらとする匂いで。よく一緒にいるのだろうと思えば面白くはない。



 そう思っていると、夜だというのに一際明るい建物に、次々と人が入っていく。ぽっかりと口を開けたそこに飲み込まれていくようだと思っていれば、栞里の足もそちらに向いていた。何やら、四角いものが並んだところに、人が列をなしていて、栞里はそこに進んでいく。
「ヴィル、ここまでどうやって来たの?薩来さんと何してたの?」
「体を動かしていた。オーナーが気を使ってくれたらしい。自動車、というものに乗った」
「…苦手そうだったけど。乗れた?」
「あいつが乗っていたものは大丈夫だった。大丈夫なようにしてあるようだったな」
「そうか。薩来さんが大丈夫なんだもんね」
 納得したように頷きながら、栞里は少し残念そうにしている。
「乗り物初体験は、薩来さんに持っていかれちゃったか。苦手そうだから誘わなかったしなぁ」
 何を、ぼそぼそと可愛いことを言っているんだ、この生き物は、とヴィルは呆れた目で見下ろす。内心の呟きが出てしまったのか、口に出している自覚はないらしいが。
 視線を感じて勘違いしたのか、四角い箱を示しながら栞里が説明してくれた。
「切符を買うの。ヴィルは、それがないと乗れないから。これから、電車に乗らないと帰れないんだけど、これも、大きい音がするよ。あと、人がたくさん乗るから、人が触れ合うような距離にいるの。時間によっては押しつぶされそうなくらいに人がぎゅうぎゅうになるし。覚悟してね?」
「覚悟が必要なほどなのか」
「しておいて損はないと思う」




 改札を通るときに、切符が吸い込まれて出てくる様にヴィルが一瞬毛をブワッとさせるような反応をした気がして、栞里は気遣うように見上げたのだけれど。持ち直した様子だからそっとしておいた。並んで歩きながら、ヴィルは栞里に合わせてくれている。コンパスが違いすぎて、そうでないと栞里は小走りというより、本当に走ってついて行っているような状態になってしまうだろうと思う。
 ホームで待っている間に、反対方向に向かう電車が先に来て、ヴィルの目が見開かれた。
 四角い箱が連なった、その中から人が吐き出されるように出てきて、その後で続々と乗り込んでいく。異様な光景に映るのだけれど、それを誰もが当たり前のように、気にする様子もなく周囲の者に気を配る様子もない。そこにいる多くが、スマホ、というものに目を向けている。
「うーん、結構混んでそうだねぇ。早く終わったから、通勤の人が多いんだなぁ」
 呟きながら栞里が見上げるけれど、多分、耳が見えていたら全方向に警戒を向けているのが分かりそうな様子で、しかも栞里を守るように立っているのだから困ってしまう。
 そうこうしている間にホームに入ってきた電車にヴィルを促して乗り込んだ。






 本当に大きいんだなぁ、と栞里は見えないけれどもふもふの手触りを堪能しながら思う。つり革では腕が余ってしまって、その上の棒をつかんでもゆとりがあるのを見上げる。車両の隅で、壁際に立ち、栞里は完全に壁とヴィルの体に挟まれていた。電車のゆれに慣れているはずもないのに、驚くほどの安定感で立っているのは、あれだけ鍛えられていることを考えればすぐに対応するなど簡単だったのだろう。
「ヴィル、わたしがそっち側に行くよ?人と接触するの、いつものことだし」
「いつも…」
 なんとなく、声が不機嫌であれ?と栞里は手の中の尻尾をにぎにぎする。見えないまでも人に気づかれるのは困る、と思う以前に、ヴィルが触れられることを嫌がり、二人の体の間に尻尾を回して入れていた。ありがたく堪能する栞里に、正直今はやめてくれ、と言いたい。が、栞里に触れられるのは嫌ではないし、どうせ体が密着するのだから同じだと思い直す。
 少し背をかがめて、他の匂いがする栞里の頭に顎を乗せた。上書きするように引き寄せるけれど、栞里には揺れるから自分につかまっていればいい、と淡白に告げていた。
「お前はだめだ」
「だめだって…そんなに嫌そうなのに」
「お前がこっち側に来る方が、もっと嫌な気分になる」
「はあ…」
 全くわかっていない様子に、ヴィルはため息をついた。
「気にしてくれるなら、もっとしっかりつかまっていてくれ」
「うん…でもなぁ」
 ヴィルは目立つのだ。チラチラ、どころではなく他の乗客が目を奪われている。視線を集めていても無頓着なのは、慣れているせいなのか。ヴィルを見て、一緒にいる自分に目を移して、なんでこれ、という顔をされる。まあ、想定内なのだけれど。
 まあ、仕方ないか、と栞里がヴィルの服にでも捕まろうかと尻尾から手を話すと、尻尾が体の間から抜けて壁との間に滑り込み、尻尾でも体を引き寄せられた。器用だな、ほんと、と呆れる。
「付け根の辺りでも抑えていてくれ。見えなくても手触りはあるんだろう?」
「そんなとこ触ってたら、わたし痴女だよっ」
「ちじょ?」
「…わからないのね。なるほど」
 どんな試練だ、と思いながらも、ヴィルがいうこともわかるから仕方なしに手を伸ばす。うん。付け根の手触りも同じく素晴らしい。もふもふ感よりもすべすべツヤツヤ、の方が勝るか。
「薩来さんと、体動かすって、何してたの?」
「鍛錬だ。やはり、強いな。いい相手になった」
「…そういうものなのね。怪我、してない?」
「鍛錬での怪我など怪我のうちに入らない。動けなくなったら意味がないからな」
「基準がおかしい。まあいいけど。これからも行くの?」
「お前が学校の間に。どうせ暇なのだろうと言われた」
「お友達ができてよかったね」
「…違うぞ、それは」
 ものすごく嫌そうにそこは否定されて、栞里は首を傾げるけれど。わからないだろうからいい、とやや投げやりに言われる。

 電車が止まると中の人が降りていき、新しく人が乗ってくる。その流れがある度に、ヴィルは栞里をしっかりと抱え込みながら、周囲を警戒する。この距離で、警戒することなく自分だけの世界に入っているような多くの人。異様な光景なのだけれど、ただ移動速度が速いこともわかる。
「あとどのくらい乗っているんだ?」
「え?」
 不意に聞かれて、栞里が目をぱちくりとしている。立っているのだけれど、しっかりと支えられた安心感でうとうとしていたことに気づいて自分でも驚く。立ったまま寝るとか。お酒を飲んだにしても、なかなかない、と。
「眠いのか。このあとどうすれば良いか教えてくれれば寝て良いぞ」
「へ?いやいや、立ったままとか、ないから」
「今寝てただろう?」
「寝てない。3つ目の駅で降りるよ」
「駅」
「止まるところ」



 そんなやりとりの後、やはりまたうとうとし始めた栞里を見下ろして、ヴィルは目を細める。


 ただ。慣れた路線ではよくあることだけれど。


 不思議なことに、降りる駅に滑り込んだ瞬間、はっとしたように栞里が目を開けて、栞里を抱き上げて降りるつもりでいたヴィルは驚いて微かに肩を揺らしてしまう。そんなことに気づく様子もなく、明らかに寝ぼけた顔で、栞里はヴィルを見上げた。


「おりよ」
「お前…この状態で、一人でこれに乗って帰ってきて、家まで歩くつもりだったのか」
「?いつものことよ」




 ものすごく、イラッと、モヤッと、した。


 降りると、扉が閉じてまた滑り出していく電車は、四角い光が並んでいて、滑るように進んでいくのを眺めると、とても幻想的にも見えてくる。ただ、それぞれが視線を合わせることもなく乗り降りしている様は、ヴィルには何かに操られているようにも見えてしまい、進んで乗りたいとは、到底思えないことが分かったけれど。



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