精霊たちの姫巫女

明日葉

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第3章 世界の姿

1 辺境の英雄

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  なし崩し的に、眠る時はセラフィナはシンに捕まることとなり、その辺りは諦めの良いセラフィナは、大きな動物と添い寝していると思うことにしていた。そうとは知らずシンの方はかつてない幸せな気分で、彼らの一族には珍しい熟睡を日々味わっている。そのおかげか、体力的にも気力的にも充実していた。

  そんな中、最初の目的地に近づきつつあった。最初にセラフィナが向かうと決めたのは、シンの国と、そして、セラフィナが生まれた国の国境付近。王子と王女を婚約させることで同盟関係を結んでいたその国境は平和なはずだった。それでも、どちらの国も国境付近には自国の力のある者を置いて守護させている。
  そして、まだ国境を越えていない、シンの国の中で思いがけない姿を目にし、シンが殺気立った。そこにいたのは、セラフィナが生まれた国の辺境伯。セラフィナの遠縁にあたる若き英雄だった。10年前のあの事件の時、当時まだ10代だった彼の率いる部隊だけが整然と事態を把握し、乱れることなくあるべき姿を貫いていた。民を守り、起こっている異常な事態についての情報を集め、可能であれば、セラフィナを救おうとしていた。
  こちらが気づくということは、向こうも気づくということ。このような地で旅をする者に警戒の色を露わにした従者たちが色めき立つが、囲まれるようにしていた貴人がまず、シンに気づき、それからクレイに気づいて目を見開いた。
「シン王子。このような場でお会いするとは」
  馬を寄せ、無礼に当たらない距離で馬を降りた辺境伯はシンに挨拶をする。だが、憮然とした顔でシンはその顔をきつく睨みつけた。あの時から、この国に無遠慮に足を踏み込まれることに抵抗がある。国境を断絶しているわけではない友好国なのだから、行き来はあって当然なのだが、感情はついていかない。そのような状況から、襲ってきた過去のある国だ。
「なぜお前がこの国にいる」
「正式な手順は踏んで、国境は越えておりますよ」
  言いながら、問うような視線をクレイに向けている。彼が近づいてくる前に、セラフィナはカナンの背中に身を隠していた。うまく隠れれば、セラフィナの姿は全く見えなくなる。
「王子、そちらの青年に、見覚えがあるのですが」
  言われるままに、シンはクレイを一瞥し、表情を緩めることなく厳しい視線を辺境伯に戻した。
「そう言っているけど?」
  答えるなら、自分の好きなように答えろとシンは答えをクレイに委ねる。国を離れているクレイやセラフィナがどう感じているのか、シンにはわからないし、もともとのこの男との関係もわからない以上、下手なことはできない。
  本当に、幼い子が様々なことを経験して吸収していくように、シンは数日のこの旅の中でそのような気遣いや配慮の類まで自然と身につけ始めていた。シンの世話係を途中で外される羽目になったカナンが、ここへきてさりげなく促しているからでもあり、セラフィナとの時間を楽しみたいというシンの自然な欲求の結果でもあった。
「まさか、辺境伯のご記憶にあるとは思えませんが。もともとは辺境伯の国の王都に住んでおりましたから、どこかでお会いしているかもしれません」
  しれっとクレイはそう応じるが、そのような、ただの市井の1人を記憶しているとも思えない。何か関係があったからこそ。そう思いながらまじまじとその顔を見れば、辺境伯の中でもっと幼い少年と面影が重なる。顔の傷痕がなければ、面差しはそのままだ。
「君は、クレイか」
  そっと目を伏せ、諦めだろうか。クレイが静かに息を吐き出す。
  だが、吐き切る前にその息が詰まった。隣国の王子がいる場だということも忘れたかのように、辺境伯がクレイに詰め寄り、その襟元を掴んだのだ。背の高い辺境伯に引き寄せられ、険しい目を向けられる。
「これまで、どこにいた。あの時、君とセラフィナが消えた。城では、君が隣国にセラフィナを売ったと言われたが」
  シンは驚いて目の前のやりとりを見つめる。
  それは、辺境伯の従者たちにしても同じだった。冷静沈着、どれほどの窮地にあっても、戦場においてもそれは変わらず、確実にことを進めていく。そして、誰よりも強い騎士でありながら、力で相手をねじ伏せることをしない。従者たちの知っている辺境伯はそういう人だった。
  辺境伯も、今口にした全てを信じているわけではない。その後国王夫妻が姿を消し、精霊たちが契約を中断した。隣国が攻め込んだのではなく、全ては国王夫妻が仕組んだことだということは分かっていた。だが、それを全てに知らしめれば国として崩壊してしまう。だから、多くの国民はそれを知らない。そして多くの国民が知らないこと。セラフィナの存在自体を。知らないのではなく、記憶にない。それほどに表に姿を出すことができない姫だったから。
  遠い親戚の、そんな姫を辺境伯はひどく可愛がっていた。その後ろ盾があったからこそ、下手な手は出せなかったという側面もある。それをクレイは知っていたけれど、長く離れている間に辺境伯がどのような立場になり、どのような考え方になっているか分からない。セラフィナを捕らえられるわけにはいかないのだ。
  だが、手加減する余裕のない剣幕に、隠れていたセラフィナの方が飛び出した。
「フィーナ!」
  止めようとして思わず、名前を呼んでしまった。
  その声に弾かれたように辺境伯はクレイの視線を追う。そこには、見慣れない髪色と瞳の娘が。しかし、面差しは
「セラフィナ…?」
「…アレフ兄様、やめてください。クレイを離して」
「どうして…」
  セラフィナなのだとしたら、なぜ自分の姿に気づいて姿を隠す。辺境伯の戸惑いは、哀しげな表情に現れる。感情を隠すことなく、素で向かい合う相手が自分に対して警戒している。
  辺境伯は昔と変わっていない。それを見てとりながら近づこうとしたセラフィナの腕を、シンが掴んで引き戻した。たしかにこの男は、セラフィナの敵ではない。でも、セラフィナの国の人間。セラフィナを迫害した国の人間だ。
  それを目にして辺境伯が焦ったように手を伸ばす。が、すぐに気づいて驚いた顔になった。
  隣国のシン王子は力の加減などできず、弱いものは彼が悪気なく触れたとしても危険を伴うと言われてきた。それほどに圧倒的な力を持つ戦士として辺境では恐れられている。その手がセラフィナを掴めば、セラフィナが壊れてしまうと思った。だが、そんなことはなく、逆にセラフィナに睨まれて慌てて手を話している様は、明らかにセラフィナに振り回されている1人の青年でしかない。
「本当にセラフィナなんだな?」
  だんだん、落ち着いてきた辺境伯がようやく力を抜いて、挙句彼らしくもなくその場に座り込んでしまった。何かあったのかと駆け寄ろうとする従者を制し、優しい目をセラフィナに向けた。
「すぐに分からなくて、悪かったな。無事で…元気そうでよかった」
  その目をそのままクレイに向け、穏やかな顔で頭を下げる。
「すまない。君が、守ってくれたんだな」
「いえ」
  それには、クレイもとっさに否定の言葉を口にする。守ったのは、守ってきたのは自分ではない。
「国には伝わっていないのですか?フィーナをずっと庇護してくださっていたのは、隣国です。王家だけではなく、国中で」
  昔話になりそうな気配を感じ取り、その前に、とシンが厳しい顔のまま口を挟んだ。それほどに、辺境伯が異国の地を踏んで歩いていることは異様なことなのだ。自国の領土を守るためにいるはずが、国境を超えてきているのだから。
「その前に、辺境伯。なぜここに」
「ああ、そうだった」
  事情を説明しようとした途中だったと、辺境伯は一変して厳しい顔になった。その気配に、再会に緩んでいたその場の空気が緊張する。
「この近くの町が襲われた。壊滅状態だ」
「俺の国がやったと?」
  またか、という思いを込めて言えば、辺境伯は表情を変えずに頷く。
「あの時とは違う。あの時は、精霊は違うと言っていた。今回、襲ったものがどちらに行ったのかを聞けば、こっちだという」
「なんだと?」
  あの事件の時、冷静な判断を下そうとしていた者がいたことにも驚いたが、精霊の声を聞いているというのに目を見開く。精霊に見放されたのではなかったか。
「アレフ兄様も、精霊の加護が強いから」
  国ではなく個人なのだとセラフィナが言えば、そういうものなのかと納得するしかない。そのやりとりの後ろで、それに、と辺境伯が続けていた。
「国境を越える際、そちらの国の者は、否定も止めもしなかった。町が襲われ、襲った者がこちらに逃げ込んだようだから調査して良いか、と問えば、目をそらされた」
  厳しい目を向けられ、シンはカナンと顔を見合わせる。
  嫌な予感が、した。



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