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繋ぐ絆、燃え立つ恋歌 #3

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 さやかな風が、頬を撫でゆく。

 初琉の柔らかな髪が薄い肩の上でさらりと揺れ、背後にいる俺を誘うように甘い薫りが広がる。その薫りは、抱き込んだ温もりが与えてくる愛しい疼きをさらに助長させたが、いくら俺でも自重という言葉は知っている。

 この辺で切り替えるか。

 眼下に広がる山の稜線を目線でなぞりつつ、同じ景色を見ている相手に語りかける。疼く胸の内を誤魔化すように、たいして眩しくもない冬の陽射しに目を細めてみせながら。

「そう、大和三山。畝傍山うねびやま耳成山みみなしやま天香具山あまのかぐやまだな。この大和三山をんだ、万葉集の歌は知ってるか?」

「うん。中大兄皇子なかのおおえのみこの歌でしょ? うろ覚えやけど、恋の歌ってことは知ってる」

 は? うろ覚えって、マジかよ。

 一瞬そう思ったが、古代史や万葉集に興味がないなら、普通の反応。中大兄皇子――――天智てんじ天皇の歌だと知ってるだけでも、なかなかのものだ。だが――。

「おいおい。お前、本当に榊教授のお嬢さんか?」

 取りあえず、ニヤリと笑って、からかうことは忘れない。

「悪かったわね! 額田王ぬかたのおおきみ関連なのは知ってるもん! そう言う零央は暗唱出来るん?」

 お、元気のいい切り返しがきた。初琉は、こうでなくちゃな。

 俺のからかいに可愛らしく唇を尖らせ、真っ直ぐに睨みつけてくる反応が嬉しい。

 大満足の俺からのお返しは、ふてぶてしいほどに自信満々の笑みだ。

「はっ、当然! では、みましょうか。
香具山かぐやまは 畝傍うねびしと 耳成みみなしと 相あらそひき 神代かみよより かくにあるらし 古昔いにしへも しかにあれこそ うつせみも つまをあらそふらしき』
ざっくり訳すと、香具山は、畝傍山を愛しいものとして耳成山と争った。神代からそうであるからこそ、今の世の人も妻を取りあって争うらしい――――ということだ」

「ふーん。畝傍山が女性で、男性の耳成山と天香具山が取り合いをしたってことやね」

「そう。中大兄皇子自身が、弟の大海人皇子おおあまのみこと奪い合った額田王との関係になぞらえてるんだ」

 兄弟で、ひとりの女性を奪い合い、それが歌となって残る。

 遠く万葉の時代に繰り広げられた恋の駆け引きを物語る歌は、現代の俺たちにもリンクしていることに、俺は気づかざるを得ない。

 俺と初琉。そして十束の想い。

 千余年を経ても尚、胸を焦がす熱情と、愛する人の幸福を願う真心は、何も変わらないのだと――。

 俺が引き合いに出した歌が、初琉の胸中にどんな思いを呼び覚ましたのか。俺の腕に囲われたまま、何とも言えない切なげな表情で、目線を景色にさまよわせている。

 が、突然、何かを振り払うように勢いよく空を仰いだかと思えば、明るい声が、きんと冷えた空気の中に響いていった。

「いいお天気やねぇ。大和三山だけやなくて、他の山々までよう見えるわ。あっ! ねぇ、あの雲見て! 山におっきいシュークリームが乗っかってるみたいに見えるっ」

「ははっ、シュークリームって! 雲に形をなぞらえる行為って、願望が表れてる場合がほとんどなんだぜ。お前の脳内は本当にわかりやすいな」

「どうせ、私の脳内は食い気だけですぅ。そんなこと言うなら、もう零央にはお菓子作らへんわ」

「あ、悪かったよ。俺、お前の作るものは全部好き。シュークリームもパイもケーキも……だから、また作ってくれよ。なっ?」

 これは、本当だ。甘い物を好んで食う俺じゃないが、初琉が俺のために作ってくれるものは全部、大好物だ。

「しゃあないねー。ほな、気が向いたら作ったげるわ」

「ふはっ! うん、気が向いたらでいいから作ってくれな?」

「覚えてたらねー!」

「出来れば、来週中には作ってくれるとありがたいかな」

 しまった。終始、軽い口調で話すつもりだったのに、ここにきて感情が抜け落ちた声になってしまった。

「え、来週中って……」

 しかし、今更、後には引けない。用意していた言葉を、続けて紡ぐことにした。

 今日、初琉に告げると心に決めてきた言葉を。

「俺、再来週、東京に戻るんだ」

「……っ」


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