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終章 花のもとにて

【一】

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 砲撃音が鳴った。
 五月十五日。ぬくい雨が振りしきる早朝、六ツ半。宣戦布告から間もなく、寛永寺黒門口に向けて銃砲撃が開始された。
 彰義隊と、彰義隊討伐を掲げた薩長の連合軍との戦いの火蓋がついに切られたのだ。
「黒門口を守れ! 死守しろ!」
 隊長の命令に諸隊士が応え、東叡山の正門、黒門口はたちまち激烈な戦闘の場となった。
「撃て! 撃て! 撃てーっ!」
 押し寄せる連合軍の大砲隊と小銃隊。一斉銃撃が浴びせかけられる中、寺の諸門を守るため、僕たち隊士も必死で応戦する。いずれは討伐軍がやってくると聞かされていたが、およそ三倍の兵力差での銃砲撃戦は想像以上の苛烈さだ。
「十蔵! いったん左後方に下がるぞ。山王台からの砲撃が敵方に通用しなくなってる」
「はい!」
 砲撃と雨の中でも良く通る声に、即座に応えた。ありがたいことに同隊に配属されたことで、原田様の傍らで戦える。甲賀様が、推薦状にその旨も書き添えてくださったのだ。

「やはり、四斤山砲よんきんさんぽうでは、最新鋭の大砲には敵わないのでしょうか」 
「敵方よりも性能が劣ってるのは否めねぇな」
 雨とともに降り注ぐ砲弾が頭上を越えていくのを見ながらの会話。戦闘中とは思えないが、だからこそ、尋ねても詮ないことと承知していても、つい聞いてしまった。
 目が痛い。もう、ずっと目が痛い。それだけで、こちらの劣勢が明らかだとわかってしまっているのに。
 僕ら彰義隊に撃ち込まれ続ける銃砲弾の数はおびただしく、吹き飛ぶ木片や砂塵、立ち込める硝煙で視界が利かない。雨中での戦闘なのだから雨が流してくれるはずなのに、降り続く雨でも追いつかないほど、文字通りの銃弾の雨が浴びせられている証拠だ。
 戦闘が始まってから、どれくらい経ったのだろう。止まない雨のせいで時刻もわからない。かなり経ったようでもあり、まだ一刻しか経っていない気もする。
「清水門が破られた! 敵が押し寄せてくる前に迎え撃て!」
 伝令の声に小隊二個が呼応する。僕らの隊だ。
「遅れるなよ、十蔵」
「はいっ」

 乱戦。乱戦。乱戦。敵味方入り乱れての激烈な戦闘が続く。雨と火薬よりも、もっとむっとする臭い、酷い血臭の中で。
 進んでは後退し、後退してはまた進む。それを繰り返す僕らの周囲には、吹き飛んだ伽藍と、欠損した遺体が転がっている。降雨が、血溜まりをさらに拡げていく。
 戦場では、こんなに血が流れるのか。僕も、いつまで戦えるだろう。
 体力には自信があったはずなのに、腕が、足が……だんだんと、力が入らな……。
「十蔵っ!」
 え?
「馬鹿野郎。伏せろって言ったろう。聞こえてなかったのか?」
「……原田、様?」
「どこも撃たれてないか?」
「は、はい。ですが、あの、僕などより、は、はら……原田様のほうがっ」
「あぁ、気にすんな。ちょっとしくじっただけだ」
 ちょっと? そんなわけは無い。脇腹から、こんなに血が流れているのに。ふらふらと歩くだけだった僕を庇ったせいだ。足手まといの僕のせいで!

「原田様、こちらへ」
 すごいな、僕。手足に力が入らないと弱音を吐いていたのに、僕より長身の相手を支えてごうまで走っている。
「ふくらはぎも撃たれてる。これでは戦闘継続は無理です。今すぐ、本所ほんじょに向かいましょう」
 霞がかかったように頭がぼうっとしていたのに、適切な判断も即座に下せている。原田様は重症者。朦朧としている場合ではない。予め定められた救護所へお連れしなくては。
「本所? 必要ねぇ。俺はここにとどまる。ここで最後まで戦う。じゃなきゃ、こんなざまを晒してまで彰義隊に入った意味が……」
「意味ならありますよ!」
 最後まで言わせない。非礼を承知で怒鳴った。その間も止血帯で傷を覆う手は止めない。
「こんなざまって何ですか。今日の原田様の奮戦ぶりを僕は見てます。利き手に障害があっても、凄い戦いぶりでした。ですから、今は手当てしに行きますよ! あなた様の死に場所は、ここじゃありません!」
 応急処置は済んだ。お師匠の身を支えて立ち上がる。
 行き先は、本所猿江町。彰義隊の支援をしてくれている旗本屋敷だ。朝のうちに僕は既に、腕を吹っ飛ばされた隊長をそこへお運びしている。御屋敷のお医者様に原田様を診ていただくのだ!

「強引だなぁ。おめぇは。男がまだ戦えると言ってるのに」
「恨んでいいですよ」
 朝と同じ門からの脱出は難しいかと思ったが、砲撃の残骸のおかげで、却って敵に見つかりにくくなっている。火炎を噴き上げる長屋の脇を抜けつつ、恨みがましい口調に、どうぞ恨んでと返した。本音だ。
 本当なら、僕は地に頭を擦りつけて謝罪せねばならない。原田様が撃たれたのは、僕のせい。そんなことをしている時間が惜しいから、本所へ急いでいるだけだ。
「いーや、恨むわけない。逆だ。感謝してる」
「え?」
「言ってくれたじゃねぇか。さっき。俺が今の自分の身体を『こんなざま』呼ばわりしたら、それを否定してくれたろ? あれ、嬉しかったぜ」
「原田様……」
 まない雨でぬかるんだ道に足を取られるも、僕に協力して片足を動かしてくれるおかげで歩き続けていられる。その人が零した言葉が、自責の念でいっぱいの僕の心に沁み込んできた。
「自分の身体だ。戦闘中は強気でいられるが、もう昔のようには戦えねぇって現実が腕を振り上げるだけでわかるから、つい、『こんなざまになっちまって』と、自分を卑下しちまってた。その歯痒さを、お前がさっきはらってくれた」
「僕は、本当のことを申し上げただけです」
 砲撃音は少し遠くなった。だから、僕の声が震えてることに気づかれたかもしれない。
「遊撃の兵が突入してきた時も、槍を振るって応戦されるお姿に、戦闘中にもかかわらず、見惚れました。凄いお方です。僕のお師匠様は」
 気づかれていてもいい。伝えなければ。

「不肖の弟子の命も助けてくださいました。あなた様の手助けをしたくて入隊したはずが、足を引っ張ることしか出来ていない僕の命を、守ってくださった」
 涙は雨が隠してくれる。
「原田様……さ、先ほどは、お救いくださり、ありがとうございましたっ」
 この声だけが届けばいい。僕のために傷を負われたのに、そのことには一言も触れず。ご自分の不甲斐なさだけを口にされる、この見事なお方に。

「そうか。見惚れたか……ははっ。だろうなぁ」
「はい」
「そうか、そうか。じゃあ、お前、俺の弟子になれて良かったな」
「はい」
「槍術に剣術、用兵のいろはから、女遊びの極意まで。手厚く教えてやったもんなぁ。俺って、良い師匠だよな」
「はい。この上なく」
「惚れてもいいぜ」
「それはもう、とっくに」
「だろうな。知ってて言った」
「そう思っておりました。『原田左之助は、男が惚れる男前』でしょう?」
「ははっ。その通りだ」

 軽い口調で言葉を交わす。戦場から離脱してきた者とは思えない、呑気なやり取りだ。
 僕に恩を着せない、原田様の気遣い。僕はその優しさに甘える。甘えている。
 ——ここぞというところで、この命を使いたい。使える者でありたい。
 あの覚悟は何だったのかと、歯噛みしながらも甘えている。僕は、いつになったら一人前の弟子になれるのだろう。


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