59 / 87
8
見えぬものと、見えるもの 【1】
しおりを挟む――風が、変わった。
吹く風に乗っているのは、人の声と……それから、何の音だろう。木々の葉ずれの音だろうか。
いや、もう色のない季節に入っているのだ。木々の葉は、このように間断なく、さざめきを届けてきたりはしまい。とすれば――。
「シュギル様。起きておられて大丈夫なのですか?」
「あぁ」
「今朝は少し冷え込んでおりますよ。何も羽織らず窓際に立たれて、また熱が出たらどうされます?」
扉が開く音と同時に飛んできた声の主は、足早に私のもとまで駆けてくる。
「心配が過ぎるぞ、ロキ。調子が良いから、こうしていたのだ」
肩に、上着の感触が乗った。
隣に立ち、私を見つめているであろう相手に笑ってみせる。
心配症の、私の乳兄弟――――ロキに。
「目覚めたら、喉の痛みが綺麗に消え去っていた。頭痛もない。だから、少し風に当たってみようと思っただけだ」
「左様でしたか。痛みが全て……。それは、良うございました」
ほっとした表情をしているに違いない声色を聞き、私も静かに微笑む。
聖水を飲んだ後、いったん目覚めて失明したことを女神様に告げた私は、その後、祈りの場でまた気を失った。薬の副作用の高熱のためだった。
三日間、高熱にうなされたのだが、最初に意識を取り戻した時には、もう枕元にロキがいた。
私がレイドと脱出した後、悪臭騒ぎに便乗して王宮から抜け出し、神殿へと追いかけてきていたのだ。
それに気づいた女神様が、意識を失った私をロキに運ばせ、その時に私の世話役として神殿にとどまることを御許可なされたらしい。
その時に運ばれたここは、神殿の敷地の奥まった位置にある、小さな祭殿。歴代の、神殿の覡が住まいとしていた場所だという。
正式な任命はまだであるが、光を失った私はもう王太子ではなく。創造神に仕える覡としての立場に、既になっているということだ。
「食前の薬湯です。先ほど、もう疼痛は消えたとお聞きしましたが、まだ体力は戻っておられないでしょう? どうぞお飲みください」
「ん」
私の手を取ったロキによって、薬湯が入った容器が手のひらにそっと乗せられた。
目が見えなくなった私でも飲みやすいよう、少し大ぶりの物が選ばれている。
独特の苦味を持つこの薬湯も、私のためにロキが煎じたものだ。
三日間続いた熱が下がったのちも身体の激しい疼痛は続き、ろくに起き上がれないまま十日が過ぎていた。
こんなに寝込んだのは生まれて初めてだが、ロキが傍らについてくれていたおかげで本当に助かった。
「粥をどうぞ。今朝は、レンズ豆と炒り麦の粥にしました」
「ありがとう」
いきなり暗闇の世界に放り込まれても、こうして世話を焼き、助けてくれるロキがいる。私は、なんと幸せ者なのか。
「ロキ。そういえば、先ほど窓の外から何かの音が聞こえてきていた。人の声も入り混じっていたのだが。お前、知っているか?」
粥をゆっくりと咀嚼しながら、そういえばと、風の音に乗って聞こえていたもののことを思い出した。
「はい。この祭殿の敷地は、神殿の農地と隣接しているのですが。その農地で、下働きの者たちが牛革のなめし作業をしておりましたよ」
「なめし作業の音だったのか。冬支度の一環だろうか。ルリーシェもそこにいたのか?」
「いいえ。お嬢様のお姿は、お見かけしておりません」
「……そうか」
いなかったのか。
ルリーシェは、どうしているだろう。
ザライアとして私の見舞いに来てくださった女神様の言によれば、満月の夜に行われた儀式に、生贄として呼ばれることはなかったとか。
それどころか、生贄として捧げられたのは牛と羊で。人間の生贄は誰ひとり選ばれていなかったという。
私が、神殿の覡となったからだ。それは、わかる。
が、ルリーシェの今後については、「まだ言えぬ」と何も教えてはくださらなかった。『まだ』とおっしゃった以上、その時が来るのを待つしかないのだが……。
それに、もうひとつ、気がかりなことがある。
父上だ。
10
お気に入りに追加
60
あなたにおすすめの小説
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。
因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。
そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。
彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。
晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。
それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。
幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。
二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。
カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。
こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。
【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!
ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、
1年以内に妊娠そして出産。
跡継ぎを産んで女主人以上の
役割を果たしていたし、
円満だと思っていた。
夫の本音を聞くまでは。
そして息子が他人に思えた。
いてもいなくてもいい存在?萎んだ花?
分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。
* 作り話です
* 完結保証付き
* 暇つぶしにどうぞ
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。
木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。
そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。
ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。
そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。
こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。
【完結】婚約者に忘れられていた私
稲垣桜
恋愛
「やっぱり帰ってきてた」
「そのようだね。あれが問題の彼女?アシュリーの方が綺麗なのにな」
私は夜会の会場で、間違うことなく自身の婚約者が、栗毛の令嬢を愛しそうな瞳で見つめながら腰を抱き寄せて、それはそれは親しそうに見つめ合ってダンスをする姿を視線の先にとらえていた。
エスコートを申し出てくれた令息は私の横に立って、そんな冗談を口にしながら二人に視線を向けていた。
ここはベイモント侯爵家の夜会の会場。
私はとある方から国境の騎士団に所属している婚約者が『もう二か月前に帰ってきてる』という話を聞いて、ちょっとは驚いたけど「やっぱりか」と思った。
あれだけ出し続けた手紙の返事がないんだもん。そう思っても仕方ないよでしょ?
まあ、帰ってきているのはいいけど、女も一緒?
誰?
あれ?
せめて婚約者の私に『もうすぐ戻れる』とか、『もう帰ってきた』の一言ぐらいあってもいいんじゃない?
もうあなたなんてポイよポイッ。
※ゆる~い設定です。
※ご都合主義です。そんなものかと思ってください。
※視点が一話一話変わる場面もあります。
妻のち愛人。
ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。
「ねーねー、ロナぁー」
甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。
そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる