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見えぬものと、見えるもの 【1】

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 ――風が、変わった。

 吹く風に乗っているのは、人の声と……それから、何の音だろう。木々の葉ずれの音だろうか。

 いや、もう色のない季節に入っているのだ。木々の葉は、このように間断なく、さざめきを届けてきたりはしまい。とすれば――。

「シュギル様。起きておられて大丈夫なのですか?」

「あぁ」

「今朝は少し冷え込んでおりますよ。何も羽織らず窓際に立たれて、また熱が出たらどうされます?」

 扉が開く音と同時に飛んできた声の主は、足早に私のもとまで駆けてくる。

「心配が過ぎるぞ、ロキ。調子が良いから、こうしていたのだ」

 肩に、上着の感触が乗った。

 隣に立ち、私を見つめているであろう相手に笑ってみせる。

 心配症の、私の乳兄弟――――ロキに。

「目覚めたら、喉の痛みが綺麗に消え去っていた。頭痛もない。だから、少し風に当たってみようと思っただけだ」

「左様でしたか。痛みが全て……。それは、良うございました」

 ほっとした表情をしているに違いない声色を聞き、私も静かに微笑む。

 聖水を飲んだ後、いったん目覚めて失明したことを女神様に告げた私は、その後、祈りの場でまた気を失った。薬の副作用の高熱のためだった。

 三日間、高熱にうなされたのだが、最初に意識を取り戻した時には、もう枕元にロキがいた。

 私がレイドと脱出した後、悪臭騒ぎに便乗して王宮から抜け出し、神殿へと追いかけてきていたのだ。

 それに気づいた女神様が、意識を失った私をロキに運ばせ、その時に私の世話役として神殿にとどまることを御許可なされたらしい。

 その時に運ばれたここは、神殿の敷地の奥まった位置にある、小さな祭殿。歴代の、神殿のげきが住まいとしていた場所だという。

 正式な任命はまだであるが、光を失った私はもう王太子ではなく。創造神に仕える覡としての立場に、既になっているということだ。

「食前の薬湯やくとうです。先ほど、もう疼痛は消えたとお聞きしましたが、まだ体力は戻っておられないでしょう? どうぞお飲みください」

「ん」

 私の手を取ったロキによって、薬湯が入った容器が手のひらにそっと乗せられた。

 目が見えなくなった私でも飲みやすいよう、少し大ぶりの物が選ばれている。

 独特の苦味を持つこの薬湯も、私のためにロキが煎じたものだ。

 三日間続いた熱が下がったのちも身体の激しい疼痛は続き、ろくに起き上がれないまま十日が過ぎていた。

 こんなに寝込んだのは生まれて初めてだが、ロキが傍らについてくれていたおかげで本当に助かった。

「粥をどうぞ。今朝は、レンズ豆と炒り麦の粥にしました」

「ありがとう」

 いきなり暗闇の世界に放り込まれても、こうして世話を焼き、助けてくれるロキがいる。私は、なんと幸せ者なのか。

「ロキ。そういえば、先ほど窓の外から何かの音が聞こえてきていた。人の声も入り混じっていたのだが。お前、知っているか?」

 粥をゆっくりと咀嚼しながら、そういえばと、風の音に乗って聞こえていたもののことを思い出した。

「はい。この祭殿の敷地は、神殿の農地と隣接しているのですが。その農地で、下働きの者たちが牛革のなめし作業をしておりましたよ」

「なめし作業の音だったのか。冬支度の一環だろうか。ルリーシェもそこにいたのか?」

「いいえ。お嬢様のお姿は、お見かけしておりません」

「……そうか」

 いなかったのか。

 ルリーシェは、どうしているだろう。

 ザライアとして私の見舞いに来てくださった女神様のげんによれば、満月の夜に行われた儀式に、生贄として呼ばれることはなかったとか。

 それどころか、生贄として捧げられたのは牛と羊で。人間の生贄は誰ひとり選ばれていなかったという。

 私が、神殿のげきとなったからだ。それは、わかる。

 が、ルリーシェの今後については、「まだ言えぬ」と何も教えてはくださらなかった。『まだ』とおっしゃった以上、その時が来るのを待つしかないのだが……。

 それに、もうひとつ、気がかりなことがある。

 父上だ。


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