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愛情と思慕の狭間で 【6】
しおりを挟む「――兄上? お疲れ様でした。あの、大丈夫ですか?」
「ん? あぁ。あ、いや……少々、気疲れしたようだ。身体は疲れていないが、しばし休憩することにしよう」
気遣いを込めた視線で見上げてくるカルスに、いったんは『大丈夫だ』と返しかけたが、思い直して正直に気持ちを吐露することにした。
カルスがこのようなことを尋ねてくるということは、この子にも気づかれているのだ。私の疲弊が。
それほどに、私は表情に出してしまっているのだろう。
自室に引き上げてきた安心感から大きく溜め息をつき、ロキが差し出してきた冷水に口をつけた。きんっと冷えた杯に入ったハーブ水が胃に染み込み、気持ちを落ち着けてくれる。
「あー、冷たくて美味しい。――それにしても兄上。昨日からずっと宴続きで、本当に疲れちゃいますね」
隣で同じように椅子に掛け、上機嫌でハーブ水を飲んでいたはずのカルスが苦笑しながら同意を求めてくるものだから、同じく苦笑を返した。
「あぁ。まさか、このように立て続けに予定が組まれているとはな」
徐々に気持ちが落ち着いてきたものの、カルスの言う通り、気疲れからくる疲弊は抜けてくれない。
「シュギル様。この後は、王妃様主催の祭祀とお茶会の御予定でございます。尚、このお茶会で本日の御予定は全て終了となりますが、シュギル様のお相手の姫様方、皆様がお揃いになられるとのことです。お疲れとは存じますが、こちらの装にお召し替えくださいませ」
「……わかった」
祭祀のための着替えを手にしているロキに頷き、立ち上がった。
父上との謁見から二日。否応もなく、妃候補の姫君たちとの顔合わせと称した宴が、ずっと続いている。
疲れた。女人を相手に会話するという、それだけのことが、これほど精神的疲弊をともなうとは……。四方を敵の大軍に囲まれた戦場に身を置いている時のほうが、何倍も気が楽だ。
「――シュギル様。あと少しの辛抱ですよ。我慢なされてください」
「あぁ、わかっている」
身支度を終えた私に、新たに入れたハーブ水を差し出してきたロキからの、いたわりの視線。それに、短い応えを返した。
今、室内には、ロキと私のふたりきりだ。カルスは迎えにきたユミルとともに自室に着替えに戻っている。
「シュギル様? お顔に『疲れた』と書いてありますよ。ここを出る時には、それは胸にお秘めくださいね」
「……それも、わかっている」
からかいを込めた言葉が追加され、これには早口で返した。女人たちとの会話に難渋している私の疲弊を、確実に面白がっているからだ。
「ふふっ。よろしくお願いいたします。ですが、まさか国王陛下の御指示で組まれた宴がこれほどひっきりなしとは思いもしませんでしたねぇ」
「全くだ」
「今まで浮いた噂ひとつなく、女官にすら手を出さなかったシュギル様に親として業を煮やされたのか。それとも、中原の制覇に関わる新たな戦略のためか……。陛下の御心の内は、どちらでしょうか」
「九割の確率で、後者だろう」
礼装用の飾り剣の宝玉を磨きながらのロキの問いに、即答した。
考えずとも、わかる。というより、宴に出てみれば、すぐに理解できた。妃候補として引き合わされた三名の女人たちの顔ぶれを知って。皆が揃って、沿海の国の姫たちばかりであったのだから。
二日前、父上から向けられた鋭い視線と冷たい物言いが思い出される。
『観念して、国のため、妻を娶れ』
私のためにと昼夜分かたず催されているこの妃選びの宴は、父上が海の要衝を押さえるための、覇王としての段階のひとつに過ぎない。
「ところでシュギル様。お茶会が終了したのちの手筈については、打ち合わせした通りということでよろしいでしょうか」
「あぁ、変更はない。ロキは、当初の指示通りに動いてくれ」
飾り剣を受け取り、身につけながら、王宮からの脱出についての段取りの確認を行う。これが、ロキとの最後の打ち合わせだ。
ここ数日、どんな突発的な事象が起ころうが対処できるよう数通りの策を練り、神殿へと向かう手筈は整えた。
が、ここにきて新たな懸念材料もあるにはある。
「ただ、この後の茶会が延長になった場合だけが問題だ」
「左様でございますね。予定通りに終了しても、脱出の予定時刻と重なってきますからね。まぁ、私の一番の懸念は、昨日から慣れない姫様方の相手で疲弊しきっているシュギル様に、果たして神殿へと向かう体力が残っているかどうかですが」
「ロキ……私で面白がるのは、もうやめろ」
私の衣服を整えながらのからかいの言葉に、眉をしかめて不平を露わにした。確かに、この後のことを思うと気力がそがれていくが、それはそれだ。
「ふふっ。失礼いたしました。疲弊しているのは精神的部分だけでしたね。では話を戻しますが、不測の事態でお茶会が延長になることもおありでしょう。その場合は――」
「――それで、兄上はどの姫がお好みなのですか?」
「……何?」
王妃宮の祭壇室で祭祀の開始を待つ間、隣に座したカルスが私の耳に唇を寄せ、小声で尋ねてきた。
が、尋ねられた内容に対しての反応が、少し遅れた。カルスの問いが意外だったのもあるが、私の意識は別のところに向いていたからだ。
祭祀の主催者、ミネア様と並び立っている痩身の黒衣の男。神官レイドの茶色の短髪がミネア様と全く同じ色だということに、今更ながらに気づいたのだ。
……あぁ、そうか。ミネア様とレイド。祭壇前で並び立つふたりを交互に見ているうちに、唐突に納得した。
そうだ。フードだ。今、レイドは黒衣のフードを上げている。だから、髪の色に気づけたのだな。
「カルス。悪いが、先にこちらを確認させてくれ」
カルスからの問いに、まだ答えていないことは承知している。が、私にとっては好みの女人の話題よりも、こちらが優先順位は上だ。
「レイドのことなんだが。以前、彼はミネア様の縁戚に連なる者だと言っていたな。とすると、ユミルやトールと同様、ご実家の家令の血筋に当たるのか?」
「レイドですか? いいえ。彼は、ユミルたちとは血筋が違います。レイドは、先代の大臣の子です。先代が壮年で亡くなった後、その弟、つまり母上の父が大臣になりました。ですから、母上とレイドは、従兄妹同士なんですよ」
「従兄妹、か……。それは、初耳だ」
ミネア様のご実家は、代々、大臣を務めている、国の有力者の家柄だ。
なればこそ、隣国の姫であった私の母上亡き後、側妃から正妃に上られるのに、反対の声は上がらなかったと聞いた。
まぁ、既に第二王子であるカルスをお産みになられていたのだから、当たり前だが。
しかし、問題はレイドだ。先代とはいえ、その大臣家の血筋であるレイドが、なぜ神殿に入り、神官になっているのだろう。
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