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愛情と思慕の狭間で 【1】
しおりを挟む――濃藍に染まった夜空に、星々が煌めく。
いつの間にか冷たさを孕むようになった風に吹かれ、白く明滅を繰り返す星々を、言葉もなく、ただ見上げていた。
まだ、夜明けには早い時刻。だが、星空に浮かぶ膨らみを増した弦月は、いまだその存在を見せつけるように白銀に輝きながらも、地平の向こうにその姿を隠そうとしていた。
「――あと三日、か」
ぽつりと零れ落ちた呟きが、風の音にまぎれていった。
早いような、遅いような。そんな矛盾した感慨が、じわりと胸中に湧き上がってくる。
次の満月まで、あと四日。つまり、私が神殿へと出向く夜は、三日後になる。そして、あの夜から、ちょうど三つめの月が過ぎ去ることにもなるわけだ。
神の贄となることが決まっている『白の少女』を初めて目の当たりにした、あの日――――ルリーシェとの出逢いの夜。あの運命の出逢いから三月が過ぎ去り、季節がまた移り変わろうとしている。
ティグリスが氾濫し、多頭竜を遣わしてくださった創造神に国民が救われたあの日から後、私の身辺は多忙を極めていた。
『為すべきことを為せ』
大地の女神様よりの恩情の御言葉を実践するべく、各地を廻り、あれこれと手配を済ませているうちにあっという間に時は過ぎ去り、約束の日が残り三日と迫ってきている。
昨日、国境の要塞の見回りを終えたことで、軍の雑務は、ほとんど終えた。あとは、王太子としての財産と権利の返還を済ませるのみ。
まずは、王太子の身分を表す私専用の印章だが、これはロキが保管している物を火に投じて溶かすだけでよいのだから、問題ない。
問題は、代々の王太子に受け継がれている竜頭の装飾を施した三日月刀。さらに、軍の最高司令官の証であるギルトゥカス英雄王伝来の宝剣。この二振りの譲渡と返還だ。
私が王位継承権を放棄すれば、三日月刀はカルスへと渡り、ギルトゥカス英雄王の宝剣は父上のもとへ戻る。
が、どちらも二つ返事で叶う相手ではないとわかっている。カルスは兄弟としての情ゆえ。父上は、非情な王としての独善ゆえ。私の王位継承権放棄の望みを知れば、必ずそれを阻もうとしてくるはずだ。
なれば、当日まで秘匿し、私が聖水を飲んだのちに、私の王子宮ごと返還すればよい。父上はともかく、カルスに事後承諾となるのは申し訳ないが、そうするしかない。
その際には、私の鎧も忘れずにカルスに残してやらなければ。王家の紋章である竜の意匠を施し、青金石を埋め込んだ私の鎧。それを憧れだと言ってくれた弟に、三日月刀とともにその手に渡るよう、手紙を書き残してやらなければいけない。
――更けゆく夜。庭の木々が風に遊ばれる葉ずれの音が、耳に届いてくる。
カサカサと優しく奏でられる控えめなそれだけが、黙々と身辺を整理する私の友であった。
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