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決意の示し方 【1】

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「シュギル様。ユミルが参っております」

 ルリーシェとの邂逅から数日後。隣国に接する砦の視察から戻った私のもとに、カルスの側近のひとり、ユミルが面会を求めてきた。

 カルスには側近がふたり付いている。このユミルと、その従兄弟、トール。ふたりともミネア様の縁戚の者だ。

 ユミルの用向きは、カルスからの伝言だった。カルス率いる凱旋軍は今夕こんゆう、王都に到着する。国王御夫妻への凱旋の報告ののち、私と食事をともにしたいという、カルスの希望を伝えにきてくれたのだ。

「シュギル様、嬉しそうですね」

 もちろん『行く』と返事をし、カルスへのねぎらいの言葉を預けたユミルが下がっていくのを見送った私に、ロキから声がかかった。

「当たり前だ。カルスは、よくやった。初陣で勝利を収め、さらに凱旋軍の引き上げまでも見事にこなしている。そんな頼もしい弟に会えるのに嬉しくないわけがない」

「では、その頼もしい弟君とのお食事のために、こちらでの執務に励んでいただきましょうか」

「あぁ、夕刻には王宮に行かねばならないからな。励むとするか」

 目元を緩ませ、いたずらめいた口調で話すロキに、私もにやりと笑って返す。軍務や雑務に追われ、多忙を極める日々だが、可愛い弟と過ごせる時間は何よりの癒やしだ。

 そして、その多忙のために、あの邂逅からまだ一度も神殿に行くことができないでいる。


『私、泣いたりしません。決して』


 そう言い放ち、毅然と背筋を伸ばしていた彼女は、本当に泣いてはいないのだろうか……。





「――まぁ、シュギル様。ようこそおいでくださいました」

 夕刻、王宮内にある王妃宮へと出向いた私を一番に出迎えてくれたのは、なんとミネア様だった。

「ミネア様。本日はカルスの凱旋、おめでとうございます」

「そのような仰々しい礼など不要ですわ。さ、どうぞお入りくださいまし」

 正妃自らの出迎えにその場に片膝をつき、礼をした私に、あたたかな言葉と白い手が差し伸べられる。

 この王妃宮は、初陣に臨んだ十四の年まで私も暮らしていた宮だ。もうここに戻るつもりはないのだが、その部屋は今も当時のままにしてあると以前ミネア様がおっしゃっておられた。

「カルスは所用を済ませるために兵舎に行っておりますが、すぐに戻ると言っておりました。それまで私におつき合いくださいませ」

「もちろんです。ミネア様の焼かれた焼き菓子をいただくのは、ひさしぶりですね。懐かしくて、美味しい」

 幼少時によく作ってもらったことのある、木の実を使った焼き菓子。それと葡萄酒をいただきながら、ひさしぶりの義母との語らいを楽しんでいたが、その途中、私の手が止まった。

 ミネア様が、父王から聞かされたという神殿絡みの話題を口にされたから。

「今朝、陛下からお聞きしたのですが、近日また多頭竜召喚の儀式を執り行うことになったそうですよ。それで、新しい生贄をいま探している最中なのだとか。けれど、それがもし間に合わなければ、ザライア様のもとに預けている娘を再び生贄として使うとおっしゃられてましたわ」


――ガチャッ

「……っ、申し訳ありません!」

 葡萄酒の杯が手から滑り落ち、慌てて掴もうとしたが、間に合わずに卓上にこぼしてしまった。

「まぁ、大変! 早く拭いて差し上げて」

「あ、いや。これは自分で……」

 ミネア様の声で外に控えていた女官が私のもとへ駆け寄ってきたが、それを断り、こぼした葡萄酒を拭く布だけを受け取った。

「申し訳ありません。正妃様の御前で大変な粗相を」

 卓上を拭き、謝罪しながらも、脳内では素早く考えを巡らせていく。

 今、ミネア様が口にされたことの内容について。

 多頭竜召喚の儀式のために必要な、新しい生贄。その者が儀式までに見つからなければ、再びルリーシェが祭壇にのぼることになる。そう、父上がおっしゃられたということだが。

 どういうことだ? ザライアの話では、父上は『一度、儀式に失敗した生贄など要らぬ』と言って、ルリーシェに見切りをつけたはずだ。

 しかし、独善的で苛烈な気性の父上のことだ。突然、気が変わられたのやもしれぬ。とすれば、早急に御前に参り、父上のお考えを確認せねば……。

「シュギル様でも杯を取り落とすことがおありなのですね。ところでシュギル様。先ほど私が申しあげたことは、どうぞご内密にお願いいたしますね。口の堅いシュギル様だからこそお話しましたが、他に漏らしたことが陛下に知れれば、また酷いお叱りを受けてしまいますわ。もうあのように折檻されるのは……」

 あ……。

 怯えた表情で一度身震いされたミネア様を見て、『そうか』と納得した。

 父上は、気に入らないことをした者には容赦がない。それは妃も例外ではなく、ミネア様も以前はよく王笏おうしゃくでぶたれたと顔を腫らしておいでだった。

 仕方がない。では、ザライアのもとへ出向くとしよう。



「――兄上。お戻りの前に、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」

 その後、兵舎から戻ったカルスを交え、凱旋行軍の話を聞きながら食事を楽しんだが、夜も更けてきたところで王妃宮を辞することにした。

 が、その前にと、カルスが「話したいことがある」と耳打ちをしてきた。

 何だろう。ミネア様の前では話せないことか?

「テラスに行きましょう」

 気になったが、誘われるままテラスへと出た。今宵も月が美しい。

 ルリーシェと同じ白銀色を放つ月を見上げ、知らず、口元が緩んでいく。

 かの人も、同じ風に吹かれながら、この月を見上げているだろうか。

「お引き留めして申し訳ありません。実は、凱旋軍と一緒に連れ戻ってきた今回の捕虜をブランダル将軍が検分に来たのです。もしかして、また多頭竜召喚の儀式があるのではないですか?」

 ブランダル将軍が、捕虜の検分を……そうか。

「僕、そんな気がしたので将軍にお聞きしてみたんです。でも、何も教えてはもらえなくて。だから兄上に報告をと」

「カルス。ブランダル将軍は、捕虜の中から誰か連れ出したのか?」

「いえ、ただ検分されただけでした」

 カルスの返答に、爪が食い込むほどに強く拳を握り込んだ。

 居なかったのだ。捕虜の中には。

 吹きつけてくる涼風が、私たちふたりの髪を後ろへ跳ね上げるように梳き流していく。

 ざあっと音を立て、強さを増していく風にさらされながら、胸中を塗りつぶすように黒く膨らんでいく不安を、私はどうすることもできないでいた。


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