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多頭竜顕現 【1】

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 ――濃藍こあいの空に、月が昇る。

 今宵は、円月。神への捧げものの儀式には、うってつけの夜になろう。

「シュギル様、いかがなされました?」

「……いや、なんでもない」

 神殿の祭祀場。おびただしい数の篝火が焚かれているそこに足を踏み入れ、王族の席に向かう通路の道すがら、正面に見える円月に、つい、足を止めて見入ってしまっていた。

「もしや、お身体の具合でもお悪いのですか? 凱旋式からお戻りになられてから、お元気がないようにお見受けしておりますが……」

 なんでもないと告げたにもかかわらず、ロキが心配顔を向けてくる。相変わらず心配性というか、鋭いというか……いや、確実に後者だな。

「たいしたことではない。心配は要らぬ。ただ、美しい月を足を止めて眺めてみたかっただけだ」

 そう、眺めていただけ。昇る月の美しさを。

 もう幾ばくもせぬうちに、白の少女の身を包むであろう月光に、思いを馳せていただけだ。

「あぁ、そろそろ始まりますね。では、私はあちらにて控えさせていただきます」

「ん、では後で」

 カルスが既に待ちかまえていた王族の席についた、ちょうどその時。神官たちが、神殿前に姿を現し始めた。

 まだ位を持たぬ灰色の衣を着た神官たちが篝火を囲うようにずらりと立ち並ぶのを見て、ロキが傍らから離れていった。

 隣に座るカルスが、「いよいよですね」と、興奮気味に話しかけてくる。それに、硬い笑みだけを返した、その時。フードを目深まぶかにかぶった黒衣の神官が、姿を現した。ザライアだ。

 その後ろに、同じく黒衣をまとった高位の神官たちが続く。

 そうして、その列がとぎれた。

 その途端、黒衣の列にざわめいていた祭祀場が、しんと静まり返る。

 黒衣の列の最後に、“白”が見えたからだ。

 月光を受けて眩く輝く、白銀の姿が――。

 誰も、声を発しない。それまで興奮気味に身を乗り出していた、カルスでさえ。

 誰もが、魅入られたように、たったひとりを見つめている。

 創造神への生贄――――白の少女を。

「……なんて、美しい」

 カルスの喉が動き、その呟きが空気をかすかに震わせ、隣に座す私の元へと届いてきた。

 きらきらと、月光をはじくように輝く白き姿が、私たちの眼前を通っていった瞬間だった。

 カルスが先に声を上げなければ、私もうっかり感嘆の声を漏らしていたろう。

 膝までを覆う、うねりを帯びた白金髪。無数の篝火に照らされた、透き通るように真っ白な肌と、細い手足。

 昨夜、見知ってはいたが、溜め息が出るほどの美しさだ。

 が、少女の神々しさは、それだけではなかった。

 白金色の髪に縁取られ、露わにされた白皙はくせきの額のすぐ下、そこで輝く蒼き瞳のなんと神秘的だったことか。

 そして、感嘆と同時に襲ってくる、堪えようのない絶望。わかってしまったのだ。この少女が、生贄に選ばれた理由が。

 多頭竜の鱗と同じ白銀色を身に纏っている、というだけではなかった。

 その輝く双眸そうぼうもまた、竜のものと全く同じ、晴れやかな蒼天の色を帯びていた。

 ――かの少女は、まさに神の使いの現身うつしみそのもの。

 しんと静まった空間の中。衣擦れの音だけを立てて、少女が進んでいく。

 列の先頭にいたザライアが、設えられた階段をのぼり、祭壇上にその痩身を見せた。

 続いて黒衣の神官たちが祭壇を取り囲むように列をなし、開けられた中央から、少女がザライアと同じく階段をのぼっていく。

 祭壇の上に立った小柄な姿。その肩に、ザライアの手でケープが掛けられた。

 サフランで染めた絹糸なのだろう。もともと少女が身に纏っている白銀色にケープの黄金色こがねいろが合わさって、目に眩しい。

 次いで、額に大きな青金石ラピスラズリを金鎖でつり提げた額飾りが装着された。

 黄金のケープも青金石の額飾りも、生贄の身を飾るために、古来より定められた装飾品だ。

 しかし、白皙の額を飾る石の色までもが少女の瞳と相まっており、生贄であるはずのその姿は、畏れ多くもまるで第三の目を持つ創造神にも等しいとさえ錯覚してしまう。


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