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第二章
意地悪な視線【2】
しおりを挟む「あー、味噌カツ丼、美味しかったぁ。満足、満足ー。でも鮎佳、せっかくの天ぷら蕎麦なのに麺しか食べてなかったよね。帰り、ドーナツショップでも寄る?」
「ううん、いい。今日は真っ直ぐ帰るわ」
両手を上に上げ、うーんと伸びをしながらのひかるからの誘いに、緩く首を振った。とてもじゃないけど、今日は寄り道する気分にはなれない。
小さく溜め息をついて俯いたけれど、すぐにそこから目を逸らした。窓から射し込んだ午後の陽射しが床に反射し、その目映さで私たちの足元を白く光らせていたから。
そうして、眩しさから視線を逸らせば、さっき見た中庭のベンチが再び目に入る。
けれど、そこにはもう、あのふたりの姿はない。
良かった。
ひかるに気づかれないよう、口元だけでホッと息をつく。私の胸を常に重苦しく軋ませるあの光景は、見なくて済むなら、それに越したことはない。
見かける度、去年の春、教室に飛び込んできたひかるの叫びが脳裏をよぎる。
『――大ニュースなのよぅ。聞いて! 今朝、隣のクラスに来た編入生の女子に、なんと土岐くんが! あの土岐くんが! ひとめ惚れ! したんだってーっ!』
私に突きつけられた、最後通牒。ずっと見つめるだけだった日々が、彼を諦めなければという葛藤の始まりに変わったあの日の胸の痛みが、きりきりと蘇るから。
思い出すつもりなんか、全然ないのに。
「ねぇ! そういえば私、この前、歌鈴の夢、見たんだよねぇ」
「へぇ……どんな夢?」
カフェテリアから売店前を通り過ぎ、教室棟へと向かう途中。パンっと両手を打ち合わせたひかるの声に、少なからずドキッとした。
ひかるがいつも唐突に会話を始めるのには慣れっこになってる私でも、この話題転換には驚いたし、そのため反応も少し遅れてしまった。
今、話題に出てきた人物――――歌鈴のことを、ちょうど私も脳裏に思い浮かべていたからだ。
「えーと、どんな夢って……小さい頃の私らの夢よ? 歌鈴と鮎佳と私と、土岐くんの四人が出てきた」
「そう、小さい頃の……」
「うん。私と歌鈴が公園の遊具で無茶な遊びしてるのを鮎佳と土岐くんが止めにきて真顔でガンガン叱るって夢よ。なんなの、あんたら。人の夢の中に出てきてガンガンな説教とか、ありえなーい! マジできつかったわ」
いや、私こそ勝手に説教キャラで出演とか、やめてほしい。
「でもさぁ、土岐くんは夢の中でも歌鈴には甘かったわよぉ。彼、表情が硬くて滅多に笑わないストイックさんだけど、歌鈴だけにはめちゃ甘いお兄ちゃんだったもんね」
「そうね。すごく大事にしてたものね。本当に優しかった。歌鈴もお兄ちゃん思いの良い子だったけど」
ひかるとふたり、揃って窓から空を見上げる。
「もうすぐ三年、だね」
「……そうね」
ついさっきまで『ありえなーい!』と唇を尖らせ、賑やかに文句を言っていたひかるが、急にしんみりとした口調に変わった。
それに短く応え、窓の向こう、どこまでも蒼い空に、ただ目を凝らす。
夏の空の色がそこかしこに残る光景の中に、茶目っ気たっぷりの明るい笑顔が鮮やかに蘇る。
『あーちゃん! ひーちゃんっ』
その名の通り、澄んだ鈴の音のような歌鈴の声。私とひかるを呼ぶ朗らかな声も聞こえてくるような気がした。
かーくんの双子の妹。土岐歌鈴。私とひかるの親友、歌鈴は、三年前の冬に血液の病気で帰らぬ人となった。まだ、中学一年生だった。
何年にも及ぶつらい闘病生活を、持ち前の明るさと前向きさで懸命に耐える歌鈴を皆でかばい、支えていた、あの頃。そんな私たちの筆頭に立って常に歌鈴に気を配り、励まし支え、誰よりも大切にする彼の姿も、傍でずっと見ていた。
そのうち、幼なじみとしての『大切』と『好き』が、恋愛感情に変わっていった。
どうしようもなかった。止められなかった。妹思いのあの真摯な姿を見て、好きにならないわけがない。
「ねぇ、鮎佳? 私ね、ひさびさに夢に出てきてくれたことで、歌鈴が後押ししてくれてるような気がするんだぁ」
「何の?」
「あんたのことよ。あと、土岐くんね」
「は? 何、言って……ちょっと、ひかる? その顔、何か企んでるでしょ。余計なことするのはやめてよ」
「えー? なぁんにも企んでないよ? 〝余計なこと〟は、ねっ」
「ひかるっ? ちょっ、ほんとにっ……」
「都築先輩」
滅多に人前で晒すことのない、取り乱した姿。廊下だということをうっかり忘れて大声をあげた瞬間、背後から聞き覚えのある声が届いてきた。
「あ……宇佐美、くん? どうしたの?」
すぐさま振り向き、予想していた人物だと確認して表情を取り繕う。
「今から部室に行かれるなら、ご一緒してもいいですか? 僕、今日の部室当番なので」
「えぇ、いいわよ」
私たちの背後にいた人物は、中学バスケ部の部員だった。
中等科三年の宇佐美柊。今日の部室当番は、この子か。
「僕、顧問の先生から、部室の鍵も預かってきてます」
「そう、気が利くわね。じゃあ行きましょうか」
手に持った鍵を掲げて見せてきた宇佐美くんに頷き、気持ちを切り替えた私は、「あとで」と手を振るひかると別れ、グラウンド横にある部室棟へと足を向けた。
バスケ部マネージャーとしての日課を行うために。
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