44 / 53
忘れ去られた隠れ里
しおりを挟む
ある午後、探偵社の扉が開き、鈴の音がかすかに響いた。訪れたのは、30代半ばの女性。落ち着いた雰囲気だが、どこか焦燥感を感じさせる目つきが印象的だった。
「実は、調べてほしいことがあるんです」と彼女は切り出した。「十年以上前のことなんですが、家族でとある集落に迷い込んだことがあります。でも、その話を家族にしても誰も覚えていないんです」
その話を聞いた瞬間、Mが眉をひそめた。「集落ですか? それは観光地とか、そういう場所ではなく?」
「いえ、違うんです。あの場所は、観光地でも地図に載っているような場所でもなかったんです。ひっそりとした山奥にあって、時間が止まったかのような場所でした。でも、なぜか帰り道の記憶もおぼろげで、最近では私自身もその体験が夢だったのか現実だったのか、自信が持てなくなってきて…」
依頼者の目はどこか遠くを見つめている。その瞳の奥には、言葉では説明できない恐れのようなものが宿っていた。
「探偵としてお力を借りたくて来ました」と彼女は続ける。「どうしても、あの場所の真相を知りたいんです」
僕とMはその日のうちに依頼者から話を聞き、彼女の記憶に残る断片的な情報を頼りに、山中の探索を始めた。彼女の話によると、その集落は人里離れた山道の奥にあるはずだった。
「記憶が曖昧すぎるな」とMがポケットから手帳を取り出し、地図を眺めながらつぶやく。「現実的に考えれば、何かの思い違いか幻覚かもしれないが…」
しかし、僕たちが山道を歩き続けると、次第に奇妙な違和感が募ってきた。まるで、同じ場所を何度も回っているかのように景色が繰り返されるのだ。
「この感覚、嫌な予感がするな」と僕が呟くと、Mは無言で頷いた。彼の表情は険しく、まるで何かに警戒しているようだった。
やがて、薄暗くなった山中に、ぽつんと小さな鳥居が現れた。その先には、ひっそりとした古びた集落が広がっていた。
集落に足を踏み入れると、時間が止まったかのような静寂が僕たちを包んだ。木造の古い家々はどれも廃墟のようだったが、不思議なことに中には新しい生活の痕跡が残っている。
「誰か、住んでいた…?」僕が問いかけると、Mは首をかしげた。「それにしては不自然だ。家具の配置も食器も、まるで昨日まで使っていたようだ」
しかし、住人の姿はどこにも見当たらない。集落を見渡すうちに、僕たちの頭には次第に霧がかかるような感覚が広がっていった。何をしていたのか、何を調べようとしていたのか、徐々に記憶がぼやけ始める。
「…ん?」Mが足を止めた。「おかしい、何を探していたのか、忘れそうになる」
その瞬間、僕たちは何かに気づいた。背後から、微かな足音が聞こえる。振り返ると、誰もいないはずの道に、小さな影が立っていた。目を細めて見ると、それは依頼者の顔に似た子供のようだった。しかし、その姿は一瞬で消え、僕たちの目にはただの暗闇しか映らなかった。
集落を離れ、なんとか山を下りた頃には、僕とMの記憶はすっかりぼやけていた。依頼者が語っていた集落についても、その詳細が思い出せなくなっていることに気づく。
事務所に戻り、報告書をまとめようとするが、何も具体的な情報が思い出せない。ただ、「何かがあった」という曖昧な感覚だけが残っていた。
数日後、再び依頼者が訪ねてきた。しかし、その表情は以前とは違い、無表情でどこか虚ろだった。「あの場所のこと、もういいんです。どうやら私も思い違いをしていたようで…」
彼女の言葉はどこか空虚で、何かを諦めたような響きを帯びていた。そして、僕たちが最後に目にした彼女の背中は、まるで誰かに操られているかのように不自然に動いていた。
その後、彼女がどうなったのか、僕たちの前に現れることは二度となかった。報告書には、ただ一言「隠れ里」とだけ書き残されているが、それを読んでも何の意味も思い出せない。
事務所の片隅に置かれた依頼者のファイルは、いつしか黄ばんだ紙となって埃を被っていた。僕がそれを手に取ると、なぜか背筋に寒気が走る。Mがぽつりと呟いた。
「結局、あの集落が何だったのか、もう知る術はないんだろうな」
僕は黙って頷く。何かが欠けているような、喪失感が胸の奥に広がっていくのを感じながら。
──記憶の中にある集落は、今もどこかで僕たちを待ち続けているのかもしれない。ただ、再びその場所を探す勇気は、僕たちにはもう残っていなかった。
「実は、調べてほしいことがあるんです」と彼女は切り出した。「十年以上前のことなんですが、家族でとある集落に迷い込んだことがあります。でも、その話を家族にしても誰も覚えていないんです」
その話を聞いた瞬間、Mが眉をひそめた。「集落ですか? それは観光地とか、そういう場所ではなく?」
「いえ、違うんです。あの場所は、観光地でも地図に載っているような場所でもなかったんです。ひっそりとした山奥にあって、時間が止まったかのような場所でした。でも、なぜか帰り道の記憶もおぼろげで、最近では私自身もその体験が夢だったのか現実だったのか、自信が持てなくなってきて…」
依頼者の目はどこか遠くを見つめている。その瞳の奥には、言葉では説明できない恐れのようなものが宿っていた。
「探偵としてお力を借りたくて来ました」と彼女は続ける。「どうしても、あの場所の真相を知りたいんです」
僕とMはその日のうちに依頼者から話を聞き、彼女の記憶に残る断片的な情報を頼りに、山中の探索を始めた。彼女の話によると、その集落は人里離れた山道の奥にあるはずだった。
「記憶が曖昧すぎるな」とMがポケットから手帳を取り出し、地図を眺めながらつぶやく。「現実的に考えれば、何かの思い違いか幻覚かもしれないが…」
しかし、僕たちが山道を歩き続けると、次第に奇妙な違和感が募ってきた。まるで、同じ場所を何度も回っているかのように景色が繰り返されるのだ。
「この感覚、嫌な予感がするな」と僕が呟くと、Mは無言で頷いた。彼の表情は険しく、まるで何かに警戒しているようだった。
やがて、薄暗くなった山中に、ぽつんと小さな鳥居が現れた。その先には、ひっそりとした古びた集落が広がっていた。
集落に足を踏み入れると、時間が止まったかのような静寂が僕たちを包んだ。木造の古い家々はどれも廃墟のようだったが、不思議なことに中には新しい生活の痕跡が残っている。
「誰か、住んでいた…?」僕が問いかけると、Mは首をかしげた。「それにしては不自然だ。家具の配置も食器も、まるで昨日まで使っていたようだ」
しかし、住人の姿はどこにも見当たらない。集落を見渡すうちに、僕たちの頭には次第に霧がかかるような感覚が広がっていった。何をしていたのか、何を調べようとしていたのか、徐々に記憶がぼやけ始める。
「…ん?」Mが足を止めた。「おかしい、何を探していたのか、忘れそうになる」
その瞬間、僕たちは何かに気づいた。背後から、微かな足音が聞こえる。振り返ると、誰もいないはずの道に、小さな影が立っていた。目を細めて見ると、それは依頼者の顔に似た子供のようだった。しかし、その姿は一瞬で消え、僕たちの目にはただの暗闇しか映らなかった。
集落を離れ、なんとか山を下りた頃には、僕とMの記憶はすっかりぼやけていた。依頼者が語っていた集落についても、その詳細が思い出せなくなっていることに気づく。
事務所に戻り、報告書をまとめようとするが、何も具体的な情報が思い出せない。ただ、「何かがあった」という曖昧な感覚だけが残っていた。
数日後、再び依頼者が訪ねてきた。しかし、その表情は以前とは違い、無表情でどこか虚ろだった。「あの場所のこと、もういいんです。どうやら私も思い違いをしていたようで…」
彼女の言葉はどこか空虚で、何かを諦めたような響きを帯びていた。そして、僕たちが最後に目にした彼女の背中は、まるで誰かに操られているかのように不自然に動いていた。
その後、彼女がどうなったのか、僕たちの前に現れることは二度となかった。報告書には、ただ一言「隠れ里」とだけ書き残されているが、それを読んでも何の意味も思い出せない。
事務所の片隅に置かれた依頼者のファイルは、いつしか黄ばんだ紙となって埃を被っていた。僕がそれを手に取ると、なぜか背筋に寒気が走る。Mがぽつりと呟いた。
「結局、あの集落が何だったのか、もう知る術はないんだろうな」
僕は黙って頷く。何かが欠けているような、喪失感が胸の奥に広がっていくのを感じながら。
──記憶の中にある集落は、今もどこかで僕たちを待ち続けているのかもしれない。ただ、再びその場所を探す勇気は、僕たちにはもう残っていなかった。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる