怪奇探偵社の報告書

だすびだ

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忘れ去られた隠れ里

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ある午後、探偵社の扉が開き、鈴の音がかすかに響いた。訪れたのは、30代半ばの女性。落ち着いた雰囲気だが、どこか焦燥感を感じさせる目つきが印象的だった。

「実は、調べてほしいことがあるんです」と彼女は切り出した。「十年以上前のことなんですが、家族でとある集落に迷い込んだことがあります。でも、その話を家族にしても誰も覚えていないんです」

その話を聞いた瞬間、Mが眉をひそめた。「集落ですか? それは観光地とか、そういう場所ではなく?」

「いえ、違うんです。あの場所は、観光地でも地図に載っているような場所でもなかったんです。ひっそりとした山奥にあって、時間が止まったかのような場所でした。でも、なぜか帰り道の記憶もおぼろげで、最近では私自身もその体験が夢だったのか現実だったのか、自信が持てなくなってきて…」

依頼者の目はどこか遠くを見つめている。その瞳の奥には、言葉では説明できない恐れのようなものが宿っていた。

「探偵としてお力を借りたくて来ました」と彼女は続ける。「どうしても、あの場所の真相を知りたいんです」

僕とMはその日のうちに依頼者から話を聞き、彼女の記憶に残る断片的な情報を頼りに、山中の探索を始めた。彼女の話によると、その集落は人里離れた山道の奥にあるはずだった。

「記憶が曖昧すぎるな」とMがポケットから手帳を取り出し、地図を眺めながらつぶやく。「現実的に考えれば、何かの思い違いか幻覚かもしれないが…」

しかし、僕たちが山道を歩き続けると、次第に奇妙な違和感が募ってきた。まるで、同じ場所を何度も回っているかのように景色が繰り返されるのだ。

「この感覚、嫌な予感がするな」と僕が呟くと、Mは無言で頷いた。彼の表情は険しく、まるで何かに警戒しているようだった。

やがて、薄暗くなった山中に、ぽつんと小さな鳥居が現れた。その先には、ひっそりとした古びた集落が広がっていた。

集落に足を踏み入れると、時間が止まったかのような静寂が僕たちを包んだ。木造の古い家々はどれも廃墟のようだったが、不思議なことに中には新しい生活の痕跡が残っている。

「誰か、住んでいた…?」僕が問いかけると、Mは首をかしげた。「それにしては不自然だ。家具の配置も食器も、まるで昨日まで使っていたようだ」

しかし、住人の姿はどこにも見当たらない。集落を見渡すうちに、僕たちの頭には次第に霧がかかるような感覚が広がっていった。何をしていたのか、何を調べようとしていたのか、徐々に記憶がぼやけ始める。

「…ん?」Mが足を止めた。「おかしい、何を探していたのか、忘れそうになる」

その瞬間、僕たちは何かに気づいた。背後から、微かな足音が聞こえる。振り返ると、誰もいないはずの道に、小さな影が立っていた。目を細めて見ると、それは依頼者の顔に似た子供のようだった。しかし、その姿は一瞬で消え、僕たちの目にはただの暗闇しか映らなかった。

集落を離れ、なんとか山を下りた頃には、僕とMの記憶はすっかりぼやけていた。依頼者が語っていた集落についても、その詳細が思い出せなくなっていることに気づく。

事務所に戻り、報告書をまとめようとするが、何も具体的な情報が思い出せない。ただ、「何かがあった」という曖昧な感覚だけが残っていた。

数日後、再び依頼者が訪ねてきた。しかし、その表情は以前とは違い、無表情でどこか虚ろだった。「あの場所のこと、もういいんです。どうやら私も思い違いをしていたようで…」

彼女の言葉はどこか空虚で、何かを諦めたような響きを帯びていた。そして、僕たちが最後に目にした彼女の背中は、まるで誰かに操られているかのように不自然に動いていた。

その後、彼女がどうなったのか、僕たちの前に現れることは二度となかった。報告書には、ただ一言「隠れ里」とだけ書き残されているが、それを読んでも何の意味も思い出せない。


事務所の片隅に置かれた依頼者のファイルは、いつしか黄ばんだ紙となって埃を被っていた。僕がそれを手に取ると、なぜか背筋に寒気が走る。Mがぽつりと呟いた。

「結局、あの集落が何だったのか、もう知る術はないんだろうな」

僕は黙って頷く。何かが欠けているような、喪失感が胸の奥に広がっていくのを感じながら。

──記憶の中にある集落は、今もどこかで僕たちを待ち続けているのかもしれない。ただ、再びその場所を探す勇気は、僕たちにはもう残っていなかった。
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