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探偵の理由【M】
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時計の針が、静かに時間を刻んでいた。昼下がりの休憩時間、探偵事務所の休憩室は穏やかな空気に包まれていた。僕たちは、それぞれ昼食を片手に、いつものように雑談を交わしている。
窓から差し込む陽の光がテーブルに柔らかく広がり、外から聞こえてくる車の音もどこか遠く感じられた。Tが何か冗談を言い、僕がそれに笑い、Mはいつものように冷静な表情を崩さず、ただ軽く肩をすくめた。
そのとき、ふと僕の口から、唐突な問いがこぼれ出た。
「そういえば、Mさんってどうして探偵になったんですか?」
自分でも不思議な質問だと思った。普段から冷静で頼りがいのあるMについて、仕事の話はよくするものの、彼のプライベートについてはあまり聞いたことがなかった。探偵という職業に就く理由は人それぞれだが、Mのように理知的で、感情を抑えたような性格の人がどうしてこの仕事を選んだのか、急に興味が湧いたのだ。
Mは箸を持ったまま、ふと動きを止めた。その顔には、一瞬の驚きが見て取れた。
「…どうして、って?」
Mが視線を僕に向ける。その目は、少しだけ戸惑っているように見えた。
「いや、なんとなく気になって。普段、あまりそういう話しないじゃないですか」
僕は軽く笑いながら言ったが、Mは表情を変えずにこちらを見つめていた。いつものクールで控えめな態度とは違う、ほんの少しの動揺がその視線の奥に感じられた。
「まあ…特に理由なんてないよ」
Mは軽くため息をついて、冗談めかして言ったが、その言葉にはどこか重みがあった。流すような口調にしては、どこか心に引っかかるものがある。僕はさらに食い下がってみることにした。
「本当に?」
Mは少し考え込むように、テーブルの上の食事に目をやり、そして静かに言った。
「…そうだな。正直言うと、理由はある。話すことでもないと思ってたけど…まぁ、別に隠すつもりもないんだ」
その言葉に、僕とTは自然と姿勢を正し、耳を傾けた。Mがこうして自分の過去を話すことは珍しい。Tも興味を示し、彼の方をじっと見つめていた。
「俺には、従兄弟がいたんだよ。彼は俺より年上で、俺にとっては兄みたいな存在だった。裕福な家庭で育った俺は、子供の頃から色んな期待を背負わされていた。良い学校に通って、良い成績を取って、親の期待に応えるっていう…まあ、ありがちな話だよな」
Mは自嘲気味に微笑んだ。その表情にはどこか諦めの色が感じられた。
「でも、従兄弟はそんな俺に、別の生き方を教えてくれた。彼は自由で、冒険心に満ちていて、親の期待なんかに縛られずに生きていた。彼と過ごす時間は、俺にとって唯一の救いだった。彼の背中を追いかけることで、俺も自分を見失わずにいられたんだ」
その言葉には、どこか懐かしさと悲しみが混じっていた。Mが語る従兄弟は、彼にとって大きな存在だったことが、僕にもはっきりと伝わってくる。
「だけど、彼が突然、いなくなったんだ。ある日、何の前触れもなく、失踪してしまった。警察も家族も、何があったのか全くわからないままだった。親は詳しく話してくれなかったし、俺も当時はただ戸惑っていただけで、何もできなかった」
Mの語るその瞬間、彼の瞳の奥に深い暗い影が差したように感じた。静かな怒りや悲しみが、そこに隠されているかのようだった。彼の失踪は、Mにとってただの家族の一員を失った出来事ではなく、自分自身の一部を失ったようなものだったのだろう。
「それ以来、彼がどこに行ったのか、何があったのか知りたくて、探偵の仕事を選んだんだ。もし彼がどこかで生きているなら、いつかその手がかりを掴むために。でも、今のところ大きな進展はないままだ」
Mは静かに話を終えると、再び箸を手に取った。普段通りの冷静な表情に戻り、再び黙々と昼食を口に運んだ。
僕はしばらくその場に沈黙を感じた。Mの背負う過去の重みが、今までの彼の態度とは裏腹に、深く彼の心に影響を与えていることを知り、言葉が出なかった。
Tがその沈黙を感じ取ったのか、突然大きな声で笑いながら言った。
「まあ、でもさ、探偵やってればいろんなことに出会うし、Mもいつかその手がかり見つけるんじゃない?それに、俺たちみたいな面倒な同僚もいて、探偵の仕事も悪くないだろ?」
彼の冗談混じりの言葉に、僕も思わず笑ってしまった。Mも肩をすくめ、少しだけ微笑んだ。
「まあ、そうだな」と彼は静かに答えた。その言葉には、少しだけ温かみが戻っていた。
昼食は再び穏やかな空気に包まれ、いつもの日常が流れ出した。だけど、僕の中ではMが語った話が頭から離れなかった。彼が探偵という仕事を選んだ背景には、そんな深い理由があったのだ。そして、その従兄弟が今もどこかでMを待っているのかもしれないという思いが、僕の胸に広がっていた。
彼の探偵としての冷静さや強さの裏には、見えない傷跡があった。その傷が癒える日は、まだ遠いのかもしれない。
休憩が終わりに近づき、僕たちはそれぞれの席に戻る準備を始めた。
Tが軽口を叩きながら立ち上がり、Mも普段通りの冷静な顔で書類に目を通している。僕も、そんな日常の一コマに戻るべく、静かに席を立った。
だが、Mが話してくれたその過去は、僕にとって忘れられないものになった。
その日の夕方、僕たちはいつも通りの仕事に戻っていた。電話が鳴り、依頼者からの連絡を受け、次の調査について話し合う。休憩時間にMが語った過去の話は、頭の片隅に残りながらも、日常の雑事がその上に重なっていく。
しかし、ふとした瞬間に、Mがいつも通り冷静に振る舞っている姿を見て、僕はその背後に隠されたものを思い出してしまう。彼が抱える深い感情は、普段の彼からは想像もつかないが、確かにそこにあるのだと感じていた。
夕方も過ぎ、仕事が一区切りついた頃、僕はまたMに声をかけたくなった。
「Mさん、その…従兄弟さんのこと、今でも探してるんですよね?」
Mは書類から顔を上げ、僕を見つめる。少し驚いた表情だったが、すぐに穏やかに微笑んだ。
「まあ、そうだな。今は仕事に集中してるけど、心のどこかではずっと探しているつもりだよ」
その言葉には、どこか安堵感があった。あの時話したことで、少しは気持ちが軽くなったのだろうか。
「何か、手伝えることがあったら言ってください」
僕の言葉に、Mは軽く頷いた。
「ありがとう。でも、俺は大丈夫だ。これは俺自身の問題だからな」
それでも、僕にはわかっていた。Mはこれからも冷静に仕事をこなし続けるだろうが、その心の中にはずっと、従兄弟を探すという使命感が残っているのだろう。彼が探偵として成長し、そしてその先に何を見つけるのか――それを知るのは、まだ先の話だ。
僕たちは事務所の片隅で、静かに夕暮れを迎えていた。外の街は、夜の気配を漂わせ始め、遠くから車のライトが交差点を照らす。探偵としての日々は続き、その中でMもまた、自分の答えを見つける時が来るのかもしれない。
だが、今はそのことを深く追求する必要はない。僕たちは、互いに支え合いながら、今日という日を生きているのだから。
窓から差し込む陽の光がテーブルに柔らかく広がり、外から聞こえてくる車の音もどこか遠く感じられた。Tが何か冗談を言い、僕がそれに笑い、Mはいつものように冷静な表情を崩さず、ただ軽く肩をすくめた。
そのとき、ふと僕の口から、唐突な問いがこぼれ出た。
「そういえば、Mさんってどうして探偵になったんですか?」
自分でも不思議な質問だと思った。普段から冷静で頼りがいのあるMについて、仕事の話はよくするものの、彼のプライベートについてはあまり聞いたことがなかった。探偵という職業に就く理由は人それぞれだが、Mのように理知的で、感情を抑えたような性格の人がどうしてこの仕事を選んだのか、急に興味が湧いたのだ。
Mは箸を持ったまま、ふと動きを止めた。その顔には、一瞬の驚きが見て取れた。
「…どうして、って?」
Mが視線を僕に向ける。その目は、少しだけ戸惑っているように見えた。
「いや、なんとなく気になって。普段、あまりそういう話しないじゃないですか」
僕は軽く笑いながら言ったが、Mは表情を変えずにこちらを見つめていた。いつものクールで控えめな態度とは違う、ほんの少しの動揺がその視線の奥に感じられた。
「まあ…特に理由なんてないよ」
Mは軽くため息をついて、冗談めかして言ったが、その言葉にはどこか重みがあった。流すような口調にしては、どこか心に引っかかるものがある。僕はさらに食い下がってみることにした。
「本当に?」
Mは少し考え込むように、テーブルの上の食事に目をやり、そして静かに言った。
「…そうだな。正直言うと、理由はある。話すことでもないと思ってたけど…まぁ、別に隠すつもりもないんだ」
その言葉に、僕とTは自然と姿勢を正し、耳を傾けた。Mがこうして自分の過去を話すことは珍しい。Tも興味を示し、彼の方をじっと見つめていた。
「俺には、従兄弟がいたんだよ。彼は俺より年上で、俺にとっては兄みたいな存在だった。裕福な家庭で育った俺は、子供の頃から色んな期待を背負わされていた。良い学校に通って、良い成績を取って、親の期待に応えるっていう…まあ、ありがちな話だよな」
Mは自嘲気味に微笑んだ。その表情にはどこか諦めの色が感じられた。
「でも、従兄弟はそんな俺に、別の生き方を教えてくれた。彼は自由で、冒険心に満ちていて、親の期待なんかに縛られずに生きていた。彼と過ごす時間は、俺にとって唯一の救いだった。彼の背中を追いかけることで、俺も自分を見失わずにいられたんだ」
その言葉には、どこか懐かしさと悲しみが混じっていた。Mが語る従兄弟は、彼にとって大きな存在だったことが、僕にもはっきりと伝わってくる。
「だけど、彼が突然、いなくなったんだ。ある日、何の前触れもなく、失踪してしまった。警察も家族も、何があったのか全くわからないままだった。親は詳しく話してくれなかったし、俺も当時はただ戸惑っていただけで、何もできなかった」
Mの語るその瞬間、彼の瞳の奥に深い暗い影が差したように感じた。静かな怒りや悲しみが、そこに隠されているかのようだった。彼の失踪は、Mにとってただの家族の一員を失った出来事ではなく、自分自身の一部を失ったようなものだったのだろう。
「それ以来、彼がどこに行ったのか、何があったのか知りたくて、探偵の仕事を選んだんだ。もし彼がどこかで生きているなら、いつかその手がかりを掴むために。でも、今のところ大きな進展はないままだ」
Mは静かに話を終えると、再び箸を手に取った。普段通りの冷静な表情に戻り、再び黙々と昼食を口に運んだ。
僕はしばらくその場に沈黙を感じた。Mの背負う過去の重みが、今までの彼の態度とは裏腹に、深く彼の心に影響を与えていることを知り、言葉が出なかった。
Tがその沈黙を感じ取ったのか、突然大きな声で笑いながら言った。
「まあ、でもさ、探偵やってればいろんなことに出会うし、Mもいつかその手がかり見つけるんじゃない?それに、俺たちみたいな面倒な同僚もいて、探偵の仕事も悪くないだろ?」
彼の冗談混じりの言葉に、僕も思わず笑ってしまった。Mも肩をすくめ、少しだけ微笑んだ。
「まあ、そうだな」と彼は静かに答えた。その言葉には、少しだけ温かみが戻っていた。
昼食は再び穏やかな空気に包まれ、いつもの日常が流れ出した。だけど、僕の中ではMが語った話が頭から離れなかった。彼が探偵という仕事を選んだ背景には、そんな深い理由があったのだ。そして、その従兄弟が今もどこかでMを待っているのかもしれないという思いが、僕の胸に広がっていた。
彼の探偵としての冷静さや強さの裏には、見えない傷跡があった。その傷が癒える日は、まだ遠いのかもしれない。
休憩が終わりに近づき、僕たちはそれぞれの席に戻る準備を始めた。
Tが軽口を叩きながら立ち上がり、Mも普段通りの冷静な顔で書類に目を通している。僕も、そんな日常の一コマに戻るべく、静かに席を立った。
だが、Mが話してくれたその過去は、僕にとって忘れられないものになった。
その日の夕方、僕たちはいつも通りの仕事に戻っていた。電話が鳴り、依頼者からの連絡を受け、次の調査について話し合う。休憩時間にMが語った過去の話は、頭の片隅に残りながらも、日常の雑事がその上に重なっていく。
しかし、ふとした瞬間に、Mがいつも通り冷静に振る舞っている姿を見て、僕はその背後に隠されたものを思い出してしまう。彼が抱える深い感情は、普段の彼からは想像もつかないが、確かにそこにあるのだと感じていた。
夕方も過ぎ、仕事が一区切りついた頃、僕はまたMに声をかけたくなった。
「Mさん、その…従兄弟さんのこと、今でも探してるんですよね?」
Mは書類から顔を上げ、僕を見つめる。少し驚いた表情だったが、すぐに穏やかに微笑んだ。
「まあ、そうだな。今は仕事に集中してるけど、心のどこかではずっと探しているつもりだよ」
その言葉には、どこか安堵感があった。あの時話したことで、少しは気持ちが軽くなったのだろうか。
「何か、手伝えることがあったら言ってください」
僕の言葉に、Mは軽く頷いた。
「ありがとう。でも、俺は大丈夫だ。これは俺自身の問題だからな」
それでも、僕にはわかっていた。Mはこれからも冷静に仕事をこなし続けるだろうが、その心の中にはずっと、従兄弟を探すという使命感が残っているのだろう。彼が探偵として成長し、そしてその先に何を見つけるのか――それを知るのは、まだ先の話だ。
僕たちは事務所の片隅で、静かに夕暮れを迎えていた。外の街は、夜の気配を漂わせ始め、遠くから車のライトが交差点を照らす。探偵としての日々は続き、その中でMもまた、自分の答えを見つける時が来るのかもしれない。
だが、今はそのことを深く追求する必要はない。僕たちは、互いに支え合いながら、今日という日を生きているのだから。
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