最後の記憶

だすびだ

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店内に静寂が戻り、少年はしばらくその場に立ち尽くしていた。少女が去った後の空気は重く、胸の中で妙な感覚が渦巻いていた。彼女が去る瞬間、自分の中に何かが変わったような気がした。何かを忘れたわけではないが、心に微かな痛みが残っている。

「カギを使うたびに、何かが削り取られていくのかもしれない……」

少年はカギをそっと握りしめた。彼女が支払った対価、それはただ「時間」という形で彼女から奪われたわけではなく、どこか自分にも影響を与えているように思えた。しかし、それが何なのか、まだはっきりと分からない。ただ確かなことは、彼がカギを使うたびに何かを感じ取っていることだ。

少年は深く息を吐き、もう一度自分の周囲を見渡した。客は一人去り、再び静けさが戻った。しかし、その静けさがかえって少年の心を不安にさせる。次に現れる客は、何を望むのだろうか? 彼らの記憶を消すことで、また何かを失うのではないか。

ふと、少年の耳に足音が聞こえた。ゆっくりと近づくその音に、彼は背筋を伸ばし、次の客を迎える準備をした。扉が開き、入ってきたのは初老の男性だった。深いしわが刻まれた顔には、長年の苦労がにじみ出ている。彼の手には古びた杖があり、それを頼りにゆっくりと店の中に入ってきた。

「失礼します……ここで記憶を、売ることができると聞いたんだが……」

彼の声は低く、穏やかだが、その裏には何かを諦めたような悲壮感が漂っている。少年は静かにうなずき、いつものように淡々と応対を始めた。

「はい、ここでは記憶を売ることができます。ただし、その対価として何かを失うことになります。それでもよろしいでしょうか?」

老人はしばらく黙っていた。何かを深く考えているようで、その顔には過去の多くの苦しみが影を落としている。しかし、やがて小さくうなずき、つぶやくように答えた。

「記憶なんてものは、もともと重荷なんだよ。特に、これから先の時間が少ない者にとってはな……」

その言葉に、少年は一瞬胸がざわついた。これまで多くの人が記憶を売りにやってきたが、老人のように「時間が少ない」と自覚しながら記憶を手放す者は少なかった。彼にとって、時間と記憶の関係はどう映っているのか――その思いが少年の心を揺さぶった。

「どんな記憶を消したいのですか?」

少年は慎重に問いかけた。老人は目を閉じ、深い息をつきながら過去を振り返るように語り始めた。

「若い頃、私はとても大切な人を失った。その記憶がずっと私を縛り付けてきた。愛する人を救えなかったという後悔が、私の中に重くのしかかっている。もう、そんな過去に囚われるのは嫌なんだ……」

彼の声には長年積み重ねてきた悲しみと、解放を望む切実な願いが込められていた。少年はその言葉に耳を傾けながら、老人が抱える記憶の重さを感じ取った。彼が手放そうとしている記憶は、単なる過去の一部ではなく、彼の人生そのものを形作ってきたものだった。

「その記憶を消すことで、あなたは本当に自由になれると思いますか?」

少年はあえて質問を投げかけた。記憶を消すことが、必ずしも解放につながるわけではないことを知っていたからだ。だが、老人はその問いに迷うことなく答えた。

「自由かどうかなんて、もう関係ない。ただ、もうその記憶を背負い続けることができないんだ。それだけなんだよ。」

その言葉を聞いた少年は、再びカギを取り出した。彼は老人の言葉に納得しつつも、どこか引っかかるものを感じていた。記憶を消すという行為が本当に彼にとって最善の選択なのか――その答えはまだ見えない。しかし、少年は商人としての役目を果たすしかなかった。

「わかりました。このカギを使えば、あなたの記憶は消えます。ただ、その対価として……」

「対価なんて構わないよ。もう、私には失うものなんてないんだ。」

老人はそう言い切り、少年の手からカギを受け取った。そして、震える手でゆっくりとカギを回し始めた。
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