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アイリスフィアの章

恋の毒薬

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「ば、馬鹿を言うな!アイリスフィアが勝手に僕に夢中になっているだけだ!正直迷惑していた!」


 ジルク王子はレノアの問いかけを大声で否定した。

 自分の存在が迷惑だと言われて胸が痛んだが、それは先程に比べればずっと軽い物だった。


「ならば何故、ジルク王子は兄君から縁談を奪うようにしてアイリ様と婚約関係になったのです?」

「そうだ。自分の方が彼女に相応しいと、絶対に幸せにするからとお前は私に泣きながら頼んだではないか」


 レノアの言葉を引き継ぐように、背の高い男性がジルク王子に話しかける。

 私より三歳年上のグラン王子だ。そうだ、今日は女神の式典。王族もこの場にいるのだ。

 王子たちだけでない、国王も王妃もいる。そして公爵家である私の両親も。

 けれど親たちは皆難しい顔をして口を噤んでいる。こちらに近寄ろうとしない。

 厳格な両親なら先程までの私の無礼な態度を強く叱りつけ退出させるぐらいしてもおかしくはないのに。


「アイリ様、ジルク王子と婚約が決まったと知らされた時、貴女は嬉しかったですか?」

「そ、それは、当然……」

「……喜んでは、いませんでした。聖女様」


 私の言葉を別の女性の声が遮る。それは青い顔をした母だった。

 まるで罪を告白するような苦し気な顔で彼女は聖女レノアに自らの知ることを伝えた。


「私の娘は、アイリスフィアは婚約に納得はしました。……政略結婚として、納得しているように私には思えました」


 しかしそれまでジルク王子をお慕いしていたとは思いません。

 そして嫉妬にかられて聖女様を罵るような娘に育てた覚えもありません。

 震える声でそこまで言い切って、よろめいた母は父に支えられた。


「それは貴方が娘に無関心で何も知らないだけだ公爵夫人!アイリスフィアは昔から私を愛していた!!」


 遠くからジルク王子が叫ぶ。そんなことはないと私は言い返したくなった。

 先程まであれほど絶対だった彼の言葉に反論したくて堪らない。


「確かに私たち二人は娘の事を知らなかった。まさか、いつも冷静なアイリスフィアがジルク王子が関わるとあのようになってしまうとは……」


 この目で見ても信じられん。そう父が呟く。両親は二人とも苦悩した顔をしていた。

 きっと私のことで苦しんでいる。申し訳なくて涙が出そうになった。

 婚姻についての情報は教会が管理している。だから簡単に異変へ気づいた。そうレノアは淡々と言う。



「美しいと評判のアイリ様に焦がれて強引に婚約を結んだのはジルク王子。政略結婚というよりも我儘結婚ですね」


 それとも、だだっこ結婚の方がらしいかしら。

 口元だけで笑ってレノアは冷たい目でジルク王子を見つめる。


「けれど親に甘やかされただだっこ王子は婚約だけでは満足しなかった。美しい婚約者が自分に夢中になることを望んだ」


 愛される為の努力など一切せずに。相手の心を操ることすら躊躇わずに。

 そう吐き捨てるように言いながらレノアは自らの服のポケットから小瓶を取り出す。


「これはセイレーンの涙と言われる魔物を材料にした魔法薬です。海に近い国では大抵販売や所持自体が禁止されている毒薬です」


 そしてこの国でも近い内にそうなるでしょう。

 静かに言いながらレノアは薄い桃色の液体がたゆたう小瓶を頭上に掲げた。大聖堂にいる人間の視線がそこに向けられる。


「この薬に自分の血を混ぜた物を飲ませると、相手は自分を視界に入れる度自動で魅了状態にかかるのです」


 ジルク王子は欲張ってかなりの量を婚約者に飲ませたのでしょう。

 結果アイリ様は彼の愛を独占したいと強く願う嫉妬深く攻撃的な女性の人格を持つようになってしまった。レノアは気の毒そうに私に告げた。

 聞いていた貴族たちからどよめきが広がる。可哀想にという声が聞こえた。

 先程私を狂女呼ばわりしたのと同じ声だった。

 己への評価が短時間でころころと変わることに関して私は何も感じなかった。

 そのような余裕などなかったのだ。

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