上 下
45 / 99

王妃の裁き31

しおりを挟む
 ディアナに愛されるのは覚悟がいる事になるかもしれない。

 そう母から真剣な顔で言い渡されたのはアレスが襲われる事件があったすぐ後だった。

 彼女は己がディアナに長く片想いをし続けていた事を知っている。

 だからと言って友人夫婦の関係を壊してまで息子の想いを優先させる、そんな親ではマリア王妃はなかった。

 そしてアレス自身もディアナの不幸を望んではいなかった為、長くその恋は家族以外に知られずにいた。

 けれど彼女の夫であるロバート伯爵がある日突然その関係を一方的に破棄した。

 その時に積極的に息子の背を押したのはマリアだった。

 配偶者に屋敷を追い出され自尊心が傷つけられている今ならば年の離れた彼からの求愛を受け入れるかもしれない。

 そう母に告げられた時アレスは、そのような弱みにつけ込む真似はしたくないと断った。

 けれどマリアはそれをせせら笑った。傷心から回復したディアナは今後は自分の力だけで生きていくだろう。

 そしてもう二度と異性に心を開くことはない。臆病さと誇り高さ、それを奇妙に併せ持つそれがディアナなのだからと。

 何よりも、お前は傷ついた彼女に寄り添いその傷を癒したくはないのか?

 そう母に問われアレスは自らのプライドを捨てた。たとえ一時の気の迷いだとしても、彼女に近づきたい。

 そして貴女を捨てた伯爵よりもずっと今の貴女を愛している男はこの世界にいるのだと告げたいと思った。

 誇り高い淑女が傷を隠してしまう前にその想いだけは胸に届けたい、そうアレスは決心した。

 だが元々打ち明ける予定のなかった恋心、ディアナへのアプローチなど全く想定していない。

 母親の玩具にされているのではという疑念もあったが指示通りに強引な男を演じてディアナに迫った。

 文字通り手痛い反撃を受けてアレスは気絶した。けれど易々と男の思い通りにならない強さと気高さはアレスの憧れどおりだった。

 美しい、薔薇のような人。その刺々しさを奇妙な喜びとともに受け入れてアレスは激痛に意識を散らした。

 そして次に目覚めた時ディアナは大怪我を負って昏睡状態にあった。刃物を持った相手からアレスを庇って戦った結果だと説明された。

 愛する人がそのような目に遭っている時に眠り続けた自分の不甲斐なさに胸が張り裂けそうだった。

 彼女のすべすべした美しかった手が傷一つなく治癒されるようマルコー医師に必死に頭を下げた。

 そんな彼をマリア王妃は自室に呼んだ。そして真剣な顔でディアナへの恋についてどうするかを尋ねてきた。

 答えは一度逡巡した際に決まっている。アレスはディアナを愛したいと母に告げた。

 けれどマリアはその返答に対し思い悩むような表情を見せた。それは息子であるアレスも初めて見る表情だった。

 ディアナを愛することは許されるだろう。長い沈黙の後母はそう言った。

 許されるとは一体誰にだろう。ディアナ本人にだろうか。アレスが問うとマリアは首を振った。

 ロバートは契約する『前』だから許された。ただ今後の身の振り方で罰は受けるかもしれない。

 なぜか急にディアナの前夫の名前を出されアレスは困惑する。そんな息子にマリアは決心したように告げた。


「ディアナは厄介な存在に気に入られたわ。強くて我儘で一般常識など通用しない存在に」


 だから今後、彼女を手酷く傷つける人間が現れた場合天罰が下るかもしれない。

 そう重々しく告げられアレスが真っ先に浮かべたのは目の前の王妃の顔だった。

 強くて我儘で一般常識の通用しない存在。成程見事に当てはまる。

 それにそもそもアレスはディアナを傷つけるつもりなど毛頭なかった。当然だ彼女を愛しているのだから。

 けれどマリアは息子の力強い返答に少しだけ悲し気な目をした。


「昔のロバートなら同じようなことを言うかもしれない」


 人は変わるわ。そう寂し気に言う母に変わった時は滅ぼしてもらって構わないとアレスは告げる。

 ディアナを心変わりで傷つけるような己などこの世界に必要ないと、アレスは自らが庇護を受けている神の名に誓って宣言した。

 それでもマリアはアレスを試した。

 彼女の持つ魔法道具をアレスに渡し侍女の姿に化けさせるとディアナに無断で離婚騒動の場に居させた。

 ロバートの見苦しさはディアナはこの男のどこがよくて夫婦になったのだろうと思う程だった。

 そしてその中でディアナはロバートの連れてきた愛人の腹の子の父親が彼ではないと公開した。

 その時の彼女はアレスに見せたことのない刺々しく冷酷な表情をしていた。氷の女神が乗り移ったのかと思う程に。

 そしてシシリーの自傷により一旦場は解散された。その後にマリアは息子を再度呼び出した。


「貴方の知らなかったディアナを見てまだ愛せる?」


 アレスは迷いなく頷いた。そして今日マリアは再度アレスを呼び出した。

 貴方への確認はこれで最後になるかもしれない。けれどそうはならないかもしれない。

 すべてはあの男の愚かさ次第。そう言われた日、城に訪れたのはロバートだった。

 茶を用意するようにと言われて一旦彼やディアナから遠ざけられる。

 それはつまりアレスとしてではなく再度変装して戻って来いという意味なのだろう。

 元夫を前にしたディアナを息子に観察させる為に。

 しかし不思議なのはマリアがそうやってアレスを何度も試そうとすることだった。

 まるでディアナに対して幻滅してしまえばいいとでもいうように。それは当初の母の姿勢から酷く矛盾していた。

 いや違う。恐らくマリアはアレスの恋の炎を消そうとしているのではない。入念にその覚悟を試そうとしているのだ。

 しかし、何のために。

 そう何度目かの疑問をアレスが頭に浮かべた時それは起きた。

 城が揺れたと錯覚するほどの轟音、そして何よりも雷に打たれたようなこの凄まじい魔力の放出は。

 アレスは茶器を投げ捨て駆け出す。ディアナたちの部屋に近づけば近付く程足は竦みそうになる。鳥肌は立ちっぱなしだ。

 他人よりも魔力量の多いアレスだからこそわかる。これは人の持つ魔力ではないということを。


「強くて、我儘で、一般常識の通用しない存在ってこれかよ……!!」


 そんなのは当然だ。人外の存在に人の常識など通用しない。

 しかし何故。

 なぜ今この城に 神 が 降臨した?

 アレスはその疑問の答えを得る為、何よりも愛する人の安否を確認する為ディアナの元へ全速力で駆けた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

記憶喪失の令嬢は無自覚のうちに周囲をタラシ込む。

ゆらゆらぎ
恋愛
王国の筆頭公爵家であるヴェルガム家の長女であるティアルーナは食事に混ぜられていた遅延性の毒に苦しめられ、生死を彷徨い…そして目覚めた時には何もかもをキレイさっぱり忘れていた。 毒によって記憶を失った令嬢が使用人や両親、婚約者や兄を無自覚のうちにタラシ込むお話です。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】そんなに側妃を愛しているなら邪魔者のわたしは消えることにします。

たろ
恋愛
わたしの愛する人の隣には、わたしではない人がいる。………彼の横で彼を見て微笑んでいた。 わたしはそれを遠くからそっと見て、視線を逸らした。 ううん、もう見るのも嫌だった。 結婚して1年を過ぎた。 政略結婚でも、結婚してしまえばお互い寄り添い大事にして暮らしていけるだろうと思っていた。 なのに彼は婚約してからも結婚してからもわたしを見ない。 見ようとしない。 わたしたち夫婦には子どもが出来なかった。 義両親からの期待というプレッシャーにわたしは心が折れそうになった。 わたしは彼の姿を見るのも嫌で彼との時間を拒否するようになってしまった。 そして彼は側室を迎えた。 拗れた殿下が妻のオリエを愛する話です。 ただそれがオリエに伝わることは…… とても設定はゆるいお話です。 短編から長編へ変更しました。 すみません

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。

ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。 即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。 そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。 国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。 ⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎ ※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!

お飾り王妃の受難〜陛下からの溺愛?!ちょっと意味がわからないのですが〜

湊未来
恋愛
 王に見捨てられた王妃。それが、貴族社会の認識だった。  二脚並べられた玉座に座る王と王妃は、微笑み合う事も、会話を交わす事もなければ、目を合わす事すらしない。そんな二人の様子に王妃ティアナは、いつしか『お飾り王妃』と呼ばれるようになっていた。  そんな中、暗躍する貴族達。彼らの行動は徐々にエスカレートして行き、王妃が参加する夜会であろうとお構いなしに娘を王に、けしかける。  王の周りに沢山の美しい蝶が群がる様子を見つめ、ティアナは考えていた。 『よっしゃ‼︎ お飾り王妃なら、何したって良いわよね。だって、私の存在は空気みたいなものだから………』  1年後……  王宮で働く侍女達の間で囁かれるある噂。 『王妃の間には恋のキューピッドがいる』  王妃付き侍女の間に届けられる大量の手紙を前に侍女頭は頭を抱えていた。 「ティアナ様!この手紙の山どうするんですか⁈ 流石に、さばききれませんよ‼︎」 「まぁまぁ。そんなに怒らないの。皆様、色々とお悩みがあるようだし、昔も今も恋愛事は有益な情報を得る糧よ。あと、ここでは王妃ティアナではなく新人侍女ティナでしょ」 ……あら?   この筆跡、陛下のものではなくって?  まさかね……  一通の手紙から始まる恋物語。いや、違う……  お飾り王妃による無自覚プチざまぁが始まる。  愛しい王妃を前にすると無口になってしまう王と、お飾り王妃と勘違いしたティアナのすれ違いラブコメディ&ミステリー

【完結】公女が死んだ、その後のこと

杜野秋人
恋愛
【第17回恋愛小説大賞 奨励賞受賞しました!】 「お母様……」 冷たく薄暗く、不潔で不快な地下の罪人牢で、彼女は独り、亡き母に語りかける。その掌の中には、ひと粒の小さな白い錠剤。 古ぼけた簡易寝台に座り、彼女はそのままゆっくりと、覚悟を決めたように横たわる。 「言いつけを、守ります」 最期にそう呟いて、彼女は震える手で錠剤を口に含み、そのまま飲み下した。 こうして、第二王子ボアネルジェスの婚約者でありカストリア公爵家の次期女公爵でもある公女オフィーリアは、獄中にて自ら命を断った。 そして彼女の死後、その影響はマケダニア王国の王宮内外の至るところで噴出した。 「ええい、公務が回らん!オフィーリアは何をやっている!?」 「殿下は何を仰せか!すでに公女は儚くなられたでしょうが!」 「くっ……、な、ならば蘇生させ」 「あれから何日経つとお思いで!?お気は確かか!」 「何故だ!何故この私が裁かれねばならん!」 「そうよ!お父様も私も何も悪くないわ!悪いのは全部お義姉さまよ!」 「…………申し開きがあるのなら、今ここではなく取り調べと裁判の場で存分に申すがよいわ。⸺連れて行け」 「まっ、待て!話を」 「嫌ぁ〜!」 「今さら何しに戻ってきたかね先々代様。わしらはもう、公女さま以外にお仕えする気も従う気もないんじゃがな?」 「なっ……貴様!領主たる儂の言うことが聞けんと」 「領主だったのは亡くなった女公さまとその娘の公女さまじゃ。あの方らはあんたと違って、わしら領民を第一に考えて下さった。あんたと違ってな!」 「くっ……!」 「なっ、譲位せよだと!?」 「本国の決定にございます。これ以上の混迷は連邦友邦にまで悪影響を与えかねないと。⸺潔く観念なさいませ。さあ、ご署名を」 「おのれ、謀りおったか!」 「…………父上が悪いのですよ。あの時止めてさえいれば、彼女は死なずに済んだのに」 ◆人が亡くなる描写、及びベッドシーンがあるのでR15で。生々しい表現は避けています。 ◆公女が亡くなってからが本番。なので最初の方、恋愛要素はほぼありません。最後はちゃんとジャンル:恋愛です。 ◆ドアマットヒロインを書こうとしたはずが。どうしてこうなった? ◆作中の演出として自死のシーンがありますが、決して推奨し助長するものではありません。早まっちゃう前に然るべき窓口に一言相談を。 ◆作者の作品は特に断りなき場合、基本的に同一の世界観に基づいています。が、他作品とリンクする予定は特にありません。本作単品でお楽しみ頂けます。 ◆この作品は小説家になろうでも公開します。 ◆24/2/17、HOTランキング女性向け1位!?1位は初ですありがとうございます!

処理中です...