上 下
80 / 88

80話 鮮血の夢

しおりを挟む
 最初は父上かと思った。

 けれど彼にしては随分と弱気な表情をしていたので別人だとすぐに気づいた。

 片方だけが不自然に長い前髪は金色をしていて、一つだけ見える瞳は青だった。

 がっしりとした体格に白銀の鎧とワインレッドのマントを身に着けていて帯剣もしている。

 それでも戦士に見えないのは、その表情のせいだろう。彼は豪奢な椅子に腰掛けながら困り切った顔を浮かべ続けている。

 確実に成人済みであるとわかるのに迷子になった子供のような頼りなさだ。

 その足元には黒い鎧の騎士が傅いている。そのマントも主君と同じ赤色だった。

 その男の影も赤い色をしている。マントよりも濃く、暗い赤だ。

 こちらからは背中しか見えないのに、黒い騎士が満たされた気持ちでいるのだけはわかる。

 そして満足しているのは彼だけだということも。

 弟から血生臭い忠誠を捧げられた男はひたすら困惑している。逃げ出すこともできないだろう。

 彼は皇帝という見えない鎖で玉座に縛り付けられている。簒奪されるか死ぬまでその椅子に座り続ける定めだ。

 権力はあっても自由は存在しない。けれど男が困り果てているのは籠の鳥の立場ではない。


「……フラヴ国王だけでなく、その娘たちも殺したのか」

「はい、兄上」

「姫たちは父王の計画を知らなかったと聞いた。 ……同盟者として余を歓待する、それだけを聞かされていたと」

「そうですね。だから晒し者にはせず俺が直々に斬り捨てました」


 それが一番楽に死ねると思ったので。

 彼の言葉に娘たちに対する慈悲はない。ただ目の前の存在への無邪気な媚だけがある。

 善意の行動なのだ。敵国の姫を殺すと言う選択肢の中で最良のものを選んだと思っている。

 そのことを黒騎士の兄は知っていた。だからこそ溜息すら吐けないのだろう。

 実際、殺すしかない相手だった。同盟を持ち掛けた上に酒宴の席で騙し討ちにしようとする王と、それに連なる者は悉く。

 けれど白い鎧の皇帝の表情は煮え切らない。きっと顔合わせの際に花を渡してきた末姫のことでも思い浮かべているのだ。

 まだ六歳だったか。下手糞な笑みを浮かべ童女から南国の花を受け取っていた彼の姿に威厳などなかった。

 子供の扱いを知らぬ独身男の情けなさでなく、周囲を凍てつかせるような冷徹さを男が身に纏っていたなら今頃大広間は血に染まっていなかったかもしれない。

 そう口に出したなら次に床へ落ちるのは己の首だろう。だから代わりの言葉を吐き出す。


「……辱めも拷問も受けず姫として死ねたのは幸せだと思うけど。自分に置き換えてみなよ、皇帝陛下」


 奴隷として飼い殺しにされあらゆる尊厳さえ奪われた末にやっと死ぬよりもずっとましだ。

 だからあんたは、あの日それを選んだのだろう?その台詞は噛み殺す。

 
「俺たちは誰も悪くない。フラヴ国王が悪い。あの世で娘たちに詫びるのも悔いるのも全部あのおっさんの役目だ」


 今頃兵士たちによって城壁に磔にされ、臓物さえも見世物にされている筈だ。

 自業自得でしかないその末路さえこの男は憂うのだろう。そして黒騎士が慰めるのだ。それは完全に逆効果でしかないけれど。

 疲れ切った口調で皇帝は言葉を吐き出す。


「……フラヴ国が、敵に回るなんて考えたことはなかった。いや、違う。周辺国がここまで敵ばかりになるとは……」


 子供の頃の安穏な暮らしが嘘のようだ。そう顔を覆い逃避する彼を黒騎士が抱きしめた。白い鎧が赤く汚れた。

 髪も鎧も黒いから目立たないが、滴る程に血を浴びている。

 兄を避難させた後、王を含め数十人を殺したから仕方ない。王族だけでなく広間にいた使用人さえ皆殺しにした。

 その凄惨さは他国への見せしめとしては有効だ。二度とこのような裏切りが軽はずみになされないように。

 彼がそこまで計算して殺戮を行ったかは分からないけれど。 


「大丈夫ですよ、兄上。全ての国が敵に回っても勝者は貴男ただ一人です」 

「カイン……」

「逆らう者を全て殺し尽くせばこのように辛い思いをしなくてよくなります。御身を傷つけない世界だけが残る」


 もうすぐですよ。

 微笑む弟の抱擁で血に染められた皇帝は心底疲れ切った表情をしていた。

 黒騎士は己を忠犬だと思っているが、彼以外の人間は狂犬だと認識している。けれどそれを指摘する人間はいなかった。

 皇帝の青い目が離れた場所にいる俺を見ている。淡い期待を俺は感じ取った。

 歯に衣着せぬ物言いの俺ならこの黒い男へ真実を告げてくれるかもしれない。そんな期待だ。俺は無視をする。

 お前の為にそんなことをしてやる義理は無い。本当にない。恨みしかない。 

 俺はお前が闇に堕としたその男が嬉しそうに笑っていればそれでいいんだ。たとえ、狂気の笑みだとしても。

 救われたいなら、別の道を選びたいなら自分自身でそれをやるべきだ。


「ネクロマンサーに悪用されない内に姫たちの死体焼いとくね」


 そう言って姿を消す。二人だけが残った血生臭い部屋でその後何が起きるかなんて興味ない。

 もやもやとした感情は罪悪感ではない。後悔でもない。

 失敗したなんて、俺は思っていない……。


 □■□■



「……は?」


 薄暗い室内で俺は呟く。喉がからからに乾いていた。空気だけは朝だがカーテンに覆われた部屋は明るくない。

 起床するには早すぎる時間に目が覚めてしまった。しかも今まで眠っていたとは思えないぐらい疲れ切っている。

 随分と長く、重苦しい夢を見ていた気がする。その癖内容は思い出せない、損をした気分だ。

 自分で自分を見ているような、けれど途中で他人の視点に切り替わるような、そんな気持ちの悪さは覚えていた。 

 ディストに体を奪われた際のトピアの意識について考えたりしたからだろうか。頭痛を感じて身を起こした。

 すると枕の横で黒猫が丸まっていることに気づく。珍しい位置で寝ている。まじまじと見ているとあることに気づいた。

 柔らかな腹に包まれ埋もれるように眼球が鎮座している。二度見したがそれは確かに眼球だった。


「あっ」


 彼の本来の居場所である机に視線を移した後、俺は小さく声を上げる。

 眼球の寝室である引き出しが開いていたのだ。俺は子猫と眼球を交互に見つめた後溜息を吐いた。

 どちらの仕業かわからないが、机には鍵をつける必要がある。

 そして今日は使用人たちが起こしに来る前に目を覚まさなければいけない。眼球を引き出しに戻す為に。

 俺は二度寝をすべく枕に頭を乗せた。片方の手で何となく猫を撫でる。

 すっかり相棒となった眼球を取り上げなかったことに免じてかムクロは俺の行動を黙認した。単に寝ているのかもしれない。

 暖かで滑らかな毛並みの心地よい感触に先程までの憂鬱な気持ちが霧散していく。睡魔の訪れを感じ俺は目を閉じた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

強制結婚させられた相手がすきすぎる

よる
BL
※妊娠表現、性行為の描写を含みます。

地味で冴えない俺の最高なポディション。

どらやき
BL
前髪は目までかかり、身長は160cm台。 オマケに丸い伊達メガネ。 高校2年生になった今でも俺は立派な陰キャとしてクラスの片隅にいる。 そして、今日も相変わらずクラスのイケメン男子達は尊い。 あぁ。やばい。イケメン×イケメンって最高。 俺のポディションは片隅に限るな。

誓いのような、そんな囁き

涼雅
BL
浮気なんてものとは程遠い存在のはずだった 俺とお前の関係でそんなこと、ありはしないと思っていた それはもう過去のこと。 今はもう違うんだ

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!

たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった! せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。 失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。 「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」 アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。 でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。 ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!? 完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ! ※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※ pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。 https://www.pixiv.net/artworks/105819552

男装の麗人と呼ばれる俺は正真正銘の男なのだが~双子の姉のせいでややこしい事態になっている~

さいはて旅行社
BL
双子の姉が失踪した。 そのせいで、弟である俺が騎士学校を休学して、姉の通っている貴族学校に姉として通うことになってしまった。 姉は男子の制服を着ていたため、服装に違和感はない。 だが、姉は男装の麗人として女子生徒に恐ろしいほど大人気だった。 その女子生徒たちは今、何も知らずに俺を囲んでいる。 女性に囲まれて嬉しい、わけもなく、彼女たちの理想の王子様像を演技しなければならない上に、男性が女子寮の部屋に一歩入っただけでも騒ぎになる貴族学校。 もしこの事実がバレたら退学ぐらいで済むわけがない。。。 周辺国家の情勢がキナ臭くなっていくなかで、俺は双子の姉が戻って来るまで、協力してくれる仲間たちに笑われながらでも、無事にバレずに女子生徒たちの理想の王子様像を演じ切れるのか? 侯爵家の命令でそんなことまでやらないといけない自分を救ってくれるヒロインでもヒーローでも現れるのか?

【完結済み】乙男な僕はモブらしく生きる

木嶋うめ香
BL
本編完結済み(2021.3.8) 和の国の貴族の子息が通う華学園の食堂で、僕こと鈴森千晴(すずもりちはる)は前世の記憶を思い出した。 この世界、前世の僕がやっていたBLゲーム「華乙男のラブ日和」じゃないか? 鈴森千晴なんて登場人物、ゲームには居なかったから僕のポジションはモブなんだろう。 もうすぐ主人公が転校してくる。 僕の片思いの相手山城雅(やましろみやび)も攻略対象者の一人だ。 これから僕は主人公と雅が仲良くなっていくのを見てなきゃいけないのか。 片思いだって分ってるから、諦めなきゃいけないのは分ってるけど、やっぱり辛いよどうしたらいいんだろう。

俺の親友がモテ過ぎて困る

くるむ
BL
☆完結済みです☆ 番外編として短い話を追加しました。 男子校なのに、当たり前のように毎日誰かに「好きだ」とか「付き合ってくれ」とか言われている俺の親友、結城陽翔(ゆうきはるひ) 中学の時も全く同じ状況で、女子からも男子からも追い掛け回されていたらしい。 一時は断るのも面倒くさくて、誰とも付き合っていなければそのままOKしていたらしいのだけど、それはそれでまた面倒くさくて仕方がなかったのだそうだ(ソリャソウダロ) ……と言う訳で、何を考えたのか陽翔の奴、俺に恋人のフリをしてくれと言う。 て、お前何考えてんの? 何しようとしてんの? ……てなわけで、俺は今日もこいつに振り回されています……。 美形策士×純情平凡♪

処理中です...