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きれいなお姉さんは、初々しい若者がお好き
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座席に狐火を座らせた自転車を押しながら、凛空と高校生が並んで歩く。
「申し遅れました。僕は葉暮と申します。あなたのお名前を伺っても?」
相変わらずキラキラと光の粒子を感じさせる、爽やかな空気を振りまく高校生こと葉暮が、丁寧に自己紹介をする。
「そんな敬語を使わなくてもいいよ。オレは唐津凛空。凛空って呼んでくれ。でもって、こっちがいなほって言うんだ。何でだか緊張しているみたいで静かだけど」
ハンドルを握る凛空の手に触れる狐火のいなほは、どこか不安そうにしている。
葉暮がふわっと優しそうに微笑みかけても、いなほの顔は緊張したままだ。
「やっぱり僕は嫌われちゃったみたいです」
「そんなことないと思うよ。どうしてかな、人見知りするタイプだったのか?」
凛空がからかい半分でいなほの丸い頬をつつく。今までの勢いはどこへやら、すがるように凛空を見上げるばかりだ。
(ほんと、どうしたんだろ)
隣を歩きながらそつなく会話を振ってくれる葉暮は、穏やかな空気を持っていて人に好かれるタイプだ。
危ない感じもしないし、笑顔の裏で何か考えていそうな感じもしない。
(うーん……オレが鈍いだけで、この子が実は危険人物だ……ってことはないよな?)
あまり人を見る目に自信がない凛空が胸の内で思い悩んでいる間に、葉暮が立ち止まる。
「ここです。どうぞお入りください」
爽やかに微笑み、葉暮は当たり前のようにさっさと入っていく。
「……は? こ、ここ?」
凛空が目を丸くして見上げた先には、立派な石造りの鳥居が立っていた。
「……通勤途中にいっつも通ってた神社じゃん、ここ……」
「……凛空さま、お待たせしては失礼ですよ。入りましょう」
ずっと静かだったいなほが、自ら自転車を降りて凛空を催促してくる。
「いや、でもさ……てか、さっきまで喋らなかったくせに。どうしたんだよ」
とりあえず鳥居手前に自転車を邪魔にならないように置かせてもらい、いなほと一緒に鳥居をくぐる。
寂れた町の片隅にある神社とは思えないほど広い境内は、丁寧に整えられていた。
石畳の道にゴミや落ち葉、雑草もなく、地面には美しい苔が広がっている。
太い幹の木々が生き生きと枝を頭上高く広げていて、厳かな雰囲気の拝殿とその奥に一回り大きな本殿が見えた。
凛空の手を握って、いなほは小さな声で応える。
「気付いておられないようでしたが、あの方も人ではありません。神仕えでございますよ」
「は? あの方って……葉暮が? 神仕え?」
「はい。新参者のわたしでは太刀打ちできぬほどの力をお持ちです」
つい緊張してしまいまして、といなほが硬い表情のまま打ち明ける。
凛空は衝撃発言に混乱するばかりだ。
(神仕えだって? ってことは、オレみたいな福の神とやらがいるってことか? でも待てよ……オレがあの子と会った時はまだ人間だったんだろ? 狐火いわく、神様は人間には見えないんじゃなかったっけ? あれ、神仕えなら見えるのか?)
混乱のあまり目を回しそうな凛空と強ばった表情のいなほが歩いていくと、手水舎で水を口から吐き出している竜の置物が、いきなり動いて話かけてきた。
「おーっ、めっずらしーい客がおいでなすったな! 葉暮ちゃんが連れてきた客ってのは、あんたかい? こっち来てよーく顔を見せてくれよ」
ぎょっと驚く凛空の背中にいなほが逃げ込んだ。
(り、竜が、水出しながら、しゃべってる……っ!?)
ふたりの様子に竜が目を細めて、ケケケッと意地悪そうに笑う。
「そぉーんなに驚いてくれると、いっそ清々しいな! おいらがただ水を吐き出すだけのお飾りだと思ってんなら、大間違いだぜ!」
長い爪を一本立てて、グッと突き出しながら自慢する竜を凛空は遠い目で眺める。
(……水吐きながら喋るとか、器用だなぁ……これからはこういうのがオレの日常になるのか……?)
ただの人間ではなくなった証拠のような水吐き竜は、ぎょろっと迫力がある両目を細めて楽しそうに話し続ける。
「おいらはここで、不釣り合いな輩が入って来ないか、しっかり見張ってんだぜ。入ってくんな、お断りだって奴らにはもれなくおいらの水で、盛大に押し流してやる! てか、そもそも人はこっちには入れないんだがな!」
「……こっちって?」
「んぁ? 神がいる神社ってのは鳥居をくぐる時に、自動的に神の領域と人の参拝場とに分かれるんだ。当然だーろ?」
「……へ、ヘぇ……」
当然と言われても、凛空にとっては初耳だ。
「で、あんたらは葉暮ちゃんの連れだろ? あの子が連れてきたんならこっちに入れても当然だーが、それだけじゃねーな……?」
竜がいきなり手水舎から身を乗り出し、ぐんぐん体を伸ばして凛空の眼前まで顔を近づけた。
「あーんたは、生まれたてだが神だな!」
「っ、ぶは……っ!」
眼前で水を吐きながら竜が得意げに言い当ててくれたのはいいが、凛空は顔面から大量の水を被るはめになった。
「うはっ……しまったぜーい! おいらとしたことが……悪りぃ、悪りーな旦那。エヘヘヘ……」
水は自在に調節できるらしく、吐くのをやめた竜が笑ってごまかそうとする。
軽く苛立つ凛空が口を開きかけた時、横から爽やかな声が聞こえた。
「蒼さん、なーにしてるのかな……?」
「はっ、葉暮ちゃん……えっとー、これはー、そのー……あー……」
ペラペラとよく動いていた舌が、急に錆びついてしまったようだ。
目をさまよわせながら、手をあっちこっちに動かして言い訳を考えている竜を、笑顔なんだけど怒りのオーラを漂わせる葉暮がじっと眺めている。
(……あの怒り方、かなりこわい……)
しっとり濡れたままの凛空にしがみついているいなほも、葉暮を恐る恐る覗いている。
恐縮して縮んだように見える竜に対して、葉暮は盛大なため息をついて手水舎を指さした。
「もう……いいから、蒼さんは持ち場に戻って!」
「はいっ、承知ですぜ、葉暮ちゃん!」
「ちゃん付けしないの!」
「へーいっ!」
反省しているんだかしてないんだか。蒼さんはしゅるしゅると持ち場に戻りつつ、凛空といなほに手を振る。
「帰りにまた寄りな! 詫びも込めて、お土産やるからなっ」
蒼さんを見送っていた葉暮がずぶ濡れの凛空を振り向いて、表情を曇らせて深く頭を下げた。
「恩ある方に、大変失礼をいたしました! ごめんなさいっ」
「い、いや……葉暮くんがしたことじゃないし……」
絶対的にやらかしちゃったのは蒼さんであって、葉暮は何も悪くない。
凛空が苦笑しつつ答えると、葉暮は困ったように凛空を見ながら両手を伸ばして触れるような仕草をした。
「すぐに乾かしますので、そのままで動かないでください」
服のすぐそばで掲げられた両手の周囲に、キラキラ光る粒子が集まってきたように見える。
ほんわか温かさを感じたところで、遠くから女性の声が聞こえてきた。
『葉暮。そのままお連れしなさい』
「し、しかし……」
『あたしがやるわ。早く連れてきてちょうだい』
「……わ、わかりました」
姿が見えない声に動じることもなく、当然のように会話をした葉暮が両手を下ろして凛空にもう一度頭を下げる。
「本当にごめんなさい。ご不快だとは思いますがこのまま主のところまでご案内させてください」
「へ……? あ、さっきの声は葉暮くんのご主人だったんだ?」
「はい。僕の主が早くあなたに会いたいみたいです」
顔を上げた葉暮は少し困っている様子だけど、主に対する敬愛が感じられた。
(困った主人だけど愛おしいってやつ? なんかいいね)
ほのぼのしかけた凛空の手をいなほが引っ張る。
「凛空さま、早く参りましょう。いくら福の神は病にならないとはいえ、濡れたままでは神の気が減りますよ」
「へ? 神の気って……何?」
いなほが凛空の疑問に応えるよりも、葉暮の方が先に口を開く。
「凛空様の狐火さまがおっしゃる通りです。さぁ、こちらに。お話は後ほどに。主が嫌というほどに話してくれましょう」
葉暮の案内で石畳を歩いて行く。蒼さんいわく、神の領域だからか空気が澄んでいて呼吸がしやすかった。
「それにしても立派な神社だよなー。オレ、毎朝この前を通ってたけど、中に入ったことはなかったんだよ。こんなに広くてきれいなところだったんだな」
「気に入っていただけてうれしいです」
本当にうれしそうに葉暮がにっこり微笑む。
「ここは元々、別の神が住まう社でした。我が主がここを譲り受けたのですが、蒼さんはその前からここを守っていた付喪神なんです。僕たちは主が代わってからこの神社にお世話になっているので、蒼さんは先輩なのですけど……」
その先をどう言っていいのか思い悩む葉暮の様子からして、蒼さんはいつも何かやらかしているようだ。
「ははっ……付喪神ってのがいるんだな。ところでさ、葉暮くんは学生じゃないんだって? その制服は?」
葉暮のために凛空が話題を変えると、自分の姿を見て、葉暮は困ったように笑う。
今日もはじめて会った時と同じ、詰襟タイプの学生服を着ている。
「これは、我が主の希望なので」
「な、なるほど……」
学生服を着せたがる主人とやらについてコメントできる器用さを凛空は持ち合わせていない。
「……葉暮くんの主ってことは、やっぱり福の神……?」
「はい。我が主は福の神、紫雨と申します」
いなほが言っていたのは正しかった。
(にしても、神仕えに学生服を着せたがる福の神……お知り合いにならない方が良かったかも……?)
葉暮についてきたことを少し後悔しながら凛空は頭をかく。
「オレが葉暮くんと会った時、まだ人間だったはずだから、見えるわけないのになぁ……」
「僕はあの時、この方は間もなく神になる方だとわかりましたよ。僕を助けなかったとしても、あまり日を置かずに神になれたのではないでしょうか。それほど徳高い方だったからこそ、僕が見えたのでしょう。自転車に乗っていた人は見えなかったみたいですけど」
ふわっと微笑む葉暮に何と言っていいのかわからず、照れくさくなった凛空は視線を反らした。
(なるほど、あの時、自転車に乗ってた奴が気付かずに走って行ったのは見えなかったからか)
面と向かって徳高いとか言われても、自分のことのように思えなくてムズムズする。
落ち着かない凛空を気にすることなく、葉暮は先を歩いていく。
すると境内の木から、鳩が一斉に集まってきた。
「いやーっ、新入りじゃないのー」
「めっずらしい!」
「しかも葉暮ちゃんが連れてきたんでしょ?」
「間違いなく新入りだのぉ」
「君、生まれてどのくらい?」
「まだ浅いでしょ? 気配がまだ薄いもの」
「でもでも、久しぶりの新入りよ。しかも可愛いっ」
「ねぇねぇ、あそぼうよ~」
四方八方から鳩が話しかけてくる。
(り、竜に続いて、鳩まで話してる内容がわかるっ。なんでだっ!)
目を丸くする凛空にすがりつくいなほを、ぐるっと鳩が囲ってしまう。
凛空も歩きにくいし、背丈が低いいなほは埋もれてしまいそうだ。
「蒼さんに続いて、おまえたちまで……。この方たちは僕の恩人なんだから、失礼のないようにしてよ」
一斉に鳩が葉暮を見て、ばっと飛び立つ。
「やーねー、挨拶してただけなのに怒られちゃったわ」
「でもでも、初心な子は見るだけでも愛らしくて癒されるわー」
木の上に逃げても凛空たちを見て、さかんに噂をし合っている鳩たちに面食らう凛空たち。
恥ずかしそうに顔を手で覆った葉暮が、はぁと息を吐きだす。
「すみません、みんな興奮しておりまして」
「い、いや……ちょっと驚いたけど。もしかして、あの鳩たちも付喪神かなにかなの?」
「いいえ。神社に住む鳩たちは生まれつき神が大好きなんです。彼らは神の気配に敏感なので、よく神同士の連絡手段に使われるほどですが、神ではありません。もちろん昇格して神仕えになる鳩もいますけど、この神社にはいませんね」
「……へぇ、神社ってのも奥が深いんだなぁ」
感心しながら凛空が一対の狛犬のそばを通り過ぎる時、左側の狛犬から声が聞こえた。
「帰ったか、葉暮」
「ただいまー、黒羽」
ぎょっと立ち止まる凛空といなほを背に、葉暮はのんびりと狛犬に片手を上げて挨拶している。
軽く伸びをしてから台座を降りてきた狛犬が、ぼふっと白煙を上げると、一瞬で人の形に変わった。
葉暮とよく似た年恰好と顔立ち、ブレザータイプの学生服を着ている。
黒羽は凛々しいと言うか、立ち姿がピンとしていてまるで武士みたいな落ち着いた風情がある。
立ち尽くす凛空たちを、黒羽が見てくる。
涼しげな目元の黒羽は睨んでいるわけでもないのに、目力が強いから睨まれているようだ。
「こちらの凛空様が僕を助けてくれた方で、今日も紫雨様が望まれていたスイーツを譲ってくださったんだ」
黒羽がじっと見てくる視線に耐え切れなくなりそうだったが、葉暮の説明を聞いてふっと視線の圧力が和らいだ。
「……そうか、貴殿が片割れを助けてくださった方。その節は誠にお世話になりました」
姿勢を崩さず、きっちり頭を下げる黒羽にたじろぎながら、凛空が何かを言う前に神社の拝殿の奥から光が溢れだした。
突然の光りに反射的に目を閉じた凛空たちと違って、葉暮と黒羽は平然と拝殿を見上げ、すぐに頭を下げて膝をついた。
「いつまでお客を独占して、あたしを待たせるつもり?」
神々しい光の中から女性の声が聞こえて、光が消えると拝殿の階段上に女性がいた。
蝶と花模様の着物を着た妙齢の女性で、腰まで届く長い黒髪、甘さと凛々しさが同居する、国民的美人女優と紹介されても納得できるほどの美しさと存在感があった。
「待ちくたびれたわ。それに、大切なお客人をこんなに濡らしちゃって」
階段をゆっくり降りてくる女性は紫色の着物の胸元を、半分ほど見えるくらいに着崩していて、乱れた裾から動くたびに際どいところまで見えそうになる。
(あれ、わざとやってるのかな……でも似合ってる。てか、ヤバいくらいに色っぽい)
女性の背後には銀色の髪をした白装束の男性がいる。よく見るといなほと同じような獣耳が付いていた。
長い睫毛を持つ目を細めて女性が妖艶に微笑んだ。
「はじめまして、あたしが紫雨。そこにいる狛犬、葉暮の主よ。あなたが唐津凛空ね? 葉暮を助けてくれたと聞いたわ、あたしからもお礼を言わせて」
動けないでいた凛空の目前に立つと、紫雨と目線の高さがほぼ同じだった。
凛空は長身な方ではないものの、紫雨も女性としては背が高い部類のようだ。
(……ヤバい、この距離で見ると、マジでヤバいっ)
神になっても男は男なのだろう。あざとく見える胸の谷間に目が吸い寄せられてしまう。
慌てて視線を上げる凛空を紫雨もわかっているようで、すいっと指を伸ばして凛空の頬に触れてくる。
「ふぅ~ん……なかなか、イイ男じゃないの。ちょうどいいわ、服も濡れてしまったことだし……着替えついでに、あたしと遊ばない?」
抱きつくように凛空に両腕を回して、顔を覗きこむ紫雨に、ドキドキしすぎて何も言えなくなる。
「……紫雨様」
銀髪の男性が短く名前を呼ぶ。咎めるような声に、紫雨は唇を尖らせて子どもみたいにすねた。
「やぁーね、冗談でしょ。あたしの狐火は本当に堅物なんだからー。でも着替えて欲しいのは本当よ。さ、先に中に入って着替えてちょうだい。服は用意しておいたから。狐火ちゃんも一緒にね」
やっぱり銀髪の男性は紫雨の狐火だった。
凛空の狐火と違って銀髪銀目で、成人した人間のように背が高く、体格も立派だ。顔立ちも整っていてモデルみたいな狐火だ。
銀髪の狐火が無言で凛空といなほを拝殿の奥に連れていく。
スイーツが山盛りに詰まっていたビニール袋は葉暮と黒羽が引き受けてくれた。
木造建築の独特の匂いを満喫していた凛空たちを和室に案内して、銀髪の狐火が無言でふたつの服を取り出して見せた。
「……もしかして、どっちか選べっていいたいの?」
じっと無言で見てくる狐火に根負けして凛空が確認すると、こくんと頷く。
(こりゃ、またいなほと違うタイプの狐火だなぁ~)
同じ狐火でもいろんな性格があるらしい。
あらためて銀髪狐火が持つ服を見て、凛空は盛大にため息をつく。
「……それしか選択肢はないわけ……」
またこくん、と狐火が頷く。今度は少しだけためらったような気がする。ちょっと申し訳ないと思っているのかもしれない。
(ひっじょーにわかりにくいですけどね……てか、紫雨さん、自分の好みに忠実すぎない?)
着替えはどちらも学生服で、葉暮くんと同じ詰襟タイプか、黒羽と同じブレザータイプかの違いがあるだけだった。
葉暮くんが学生服を着ていたのは主である紫雨の好みだと言っていたので、着替えを指定したのも紫雨だろう。
(三十路近くのオジサンだったオレが、いまさら学生服を着るなんて……見たがる方もイタいですよ、紫雨さーん!)
心の中で泣きながら、渋々凛空が学生服を受け取って着替える。
濡れた髪は学生服と一緒に手渡されたタオルで拭きとると、あっという間に乾いてしまった。
(すっげー吸収力。これもただのタオルじゃないな……)
ほとんど濡れなかったいなほも銀髪の狐火が同じタオルでさっさと拭いて、着替えを手渡していた。
(オレが学生服なら、いなほは幼稚園の制服かな……?)
着替えながら横目で見てみると、腰を屈めた銀髪狐火からいなほが受け取った服は、セーラー服風デザインの上着と半ズボンに紺色ソックスだった。
部屋の隅にご丁寧に身長と同じくらいの大きさの姿見が置いてあり、そこに映った自分自身の姿を見た凛空は、がくりと肩を落とす。
(福の神状態だったからよかったけど……中身はオジサンだから、痛いな~コレ)
もう似合わない年齢なのに、若い子の真似してコスプレしているような気分だ。
着替えを終わった凛空たちが次に案内されたのは、長い廊下を歩いて角を二つほど曲がった先。
高級な和風旅館のような和室で、高い天井と立派な梁、畳のいい匂いがする。
すぅっと息を吸い込んだ凛空といなほの目の前を、無言で銀髪の狐火が通り過ぎる。
中央にある四角い飴色テーブルの周りに、銀髪の狐火がふかふかの座布団を並べていく。
最奥には紫雨がすでに座っていて、凛空たちを見つけて目を輝かせた。
「いや~っ! やっぱり、あたしの見立ては確かだったわ! ふたりともかわいい~っ」
両手を握りしめ、キラキラ輝く目で見つめられる凛空は心中複雑だ。
結局、学生時代と同じブレザータイプの制服を選んだ凛空は当時と同じように、シャツの一番上のボタンを外して、エンジ色のネクタイを少し緩めに結んでいる。
さっと立ち上がった紫雨は凛空に近づいて、ネクタイをいじりながら全身を眺めまわす。
「うふふ~っ、凛空ちゃん、イイわね! すっごく似合ってる~っ! ちょっと不真面目そうな感じがいいじゃない~」
「……ど、どーも……」
着替えを貸してもらえた礼を言うべきなんだろうが、素直に言えない気分だ。
棒読みの凛空の足元にちょこんと立っていたいなほを見つけ、紫雨はまた歓声を上げる。
「狐火ちゃんもイイわ~っ! 純粋そうな感じが激カワ~っ」
「……紫雨さん、最近はそんな言い方しないっスよー」
遠い目をしつつ凛空が突っ込むと、キリッと紫雨が睨む。
「いついかなる時であろうと、可愛いものは可愛いのっ!」
「……そーですねー……」
「ねぇねぇ、ふたりとも、このままここで一緒に暮らさない?」
「はぁ? そ、それは、だめでしょ~!?」
「だめじゃないわ~。だって凛空は福の神、同じ神社に神が何人いたって構わないのよ。もちろん狐火ちゃんが一緒でも問題なし!」
「し、しかしですね、紫雨さん……同じ屋根の下に年頃の男女が暮らすとデスネ、いろいろと問題が起こりやすくなるのデスヨ」
しどろもどろな凛空を、興奮しまくりの紫雨が遠慮なく撫で回す。
(オレが本当にお年頃の男の子だったら、マジで危ないからね! あなた、きれいなお姉さまなんですよ、もっと自粛してっ! てか、狐火さん、止めてください!)
相変わらず無表情の冬月は支度をするばかり。
葉暮と黒羽が茶器を持って入ってきて、凛空たちを見ても顔色を変えず、葉暮はにこりと笑う。
「あ、凛空様もお揃いですね」
「我らよりお似合いです」
にこにこ葉暮と、少しだけ凛々しい顔を微笑ませる黒羽とに褒められても、凛空にはうれしくもなんともない。
引きつった笑顔を浮かべる凛空と、葉暮と黒羽を並べて見た紫雨が飛び上がりそうな勢いで喜ぶ。
「きゃ~っ! いいわ~、これぞ絶景ね~!」
「……絶景って……」
どっと疲れた気分になる凛空に紫雨が力説する。
「思春期の男の子こそ、愛らしいじゃな~い! 完全には大人になりきれてないけど、子どもっぽくもなくて。この年頃ならではの微妙な感じがそそるのよ~っ! そして、欠かせないのが制服よね~」
紫雨に抱きつかれて、頬を撫で撫でされる葉暮は慣れているのか、苦笑しながら好きにさせている。
その隣で黒羽も気に留めることなく、運んできた飲み物をテーブルに並べていく。
お茶やコーヒー、ジュースになんとお酒まで運んでくれた。
袋に入ったままのスイーツがその間に置かれていた。
「それにしても……紫雨さん、こんなにたくさんの制服をどうしたの?」
久々に着たブレザーに困惑しながら気になっていたことを聞く。
葉暮たちや凛空、三人が三人とも違うデザインの制服だった。
「買ったに決まってるでしょ。最近は架空の学校制服まであって、その他にもいろいろあるのよ。気に入らなかったなら他のにする?」
「い、いいえ……お気遣いなく」
違うものと言ったって、結局は学校制服なのだ。凛空は片手を上げて丁重にお断りさせていただいた。
紫雨は赤い唇をちらっと舐めてから、両手を握りしめる。
「あたしは、十代の男の子姿の神仕えたちを可愛がって可愛がって、他の神仕えたちに嫉妬させることが望みなの。そして主の寵愛をめぐって、神仕え同士が泥沼の争いをする! それが見たいの! それなのに、この子たちときたら」
紫雨は心底悔しそうに、文字通り地団駄を踏む。
いつものことなのか、黒羽は涼しい顔のまま目を閉じる。
葉暮は苦笑して両手を降参、と言いたそうに上げている。
冬月にいたっては目を閉じて微動だにしない。
「だぁ~れも嫉妬してくれないんだもの! おもしろくな~いっ!」
(……苦労してんだな、みんな)
つい凛空が同情の目で葉暮たちを見ると、彼らも気付いて苦笑していた。
「あ~ぁ、いっそ本当に男子高校の教員に潜り込もうかしら……」
紫雨が頬に手を当てて、物憂げな様子でとんでもないことを言い出した。
「やめよう、ぜひやめよう! 男子高校生たちがかわいそうだから!」
いなほ以外の全員が、示し合わせたかのように同じ言葉を叫ぶと、紫雨は小さく舌打ちした。
「申し遅れました。僕は葉暮と申します。あなたのお名前を伺っても?」
相変わらずキラキラと光の粒子を感じさせる、爽やかな空気を振りまく高校生こと葉暮が、丁寧に自己紹介をする。
「そんな敬語を使わなくてもいいよ。オレは唐津凛空。凛空って呼んでくれ。でもって、こっちがいなほって言うんだ。何でだか緊張しているみたいで静かだけど」
ハンドルを握る凛空の手に触れる狐火のいなほは、どこか不安そうにしている。
葉暮がふわっと優しそうに微笑みかけても、いなほの顔は緊張したままだ。
「やっぱり僕は嫌われちゃったみたいです」
「そんなことないと思うよ。どうしてかな、人見知りするタイプだったのか?」
凛空がからかい半分でいなほの丸い頬をつつく。今までの勢いはどこへやら、すがるように凛空を見上げるばかりだ。
(ほんと、どうしたんだろ)
隣を歩きながらそつなく会話を振ってくれる葉暮は、穏やかな空気を持っていて人に好かれるタイプだ。
危ない感じもしないし、笑顔の裏で何か考えていそうな感じもしない。
(うーん……オレが鈍いだけで、この子が実は危険人物だ……ってことはないよな?)
あまり人を見る目に自信がない凛空が胸の内で思い悩んでいる間に、葉暮が立ち止まる。
「ここです。どうぞお入りください」
爽やかに微笑み、葉暮は当たり前のようにさっさと入っていく。
「……は? こ、ここ?」
凛空が目を丸くして見上げた先には、立派な石造りの鳥居が立っていた。
「……通勤途中にいっつも通ってた神社じゃん、ここ……」
「……凛空さま、お待たせしては失礼ですよ。入りましょう」
ずっと静かだったいなほが、自ら自転車を降りて凛空を催促してくる。
「いや、でもさ……てか、さっきまで喋らなかったくせに。どうしたんだよ」
とりあえず鳥居手前に自転車を邪魔にならないように置かせてもらい、いなほと一緒に鳥居をくぐる。
寂れた町の片隅にある神社とは思えないほど広い境内は、丁寧に整えられていた。
石畳の道にゴミや落ち葉、雑草もなく、地面には美しい苔が広がっている。
太い幹の木々が生き生きと枝を頭上高く広げていて、厳かな雰囲気の拝殿とその奥に一回り大きな本殿が見えた。
凛空の手を握って、いなほは小さな声で応える。
「気付いておられないようでしたが、あの方も人ではありません。神仕えでございますよ」
「は? あの方って……葉暮が? 神仕え?」
「はい。新参者のわたしでは太刀打ちできぬほどの力をお持ちです」
つい緊張してしまいまして、といなほが硬い表情のまま打ち明ける。
凛空は衝撃発言に混乱するばかりだ。
(神仕えだって? ってことは、オレみたいな福の神とやらがいるってことか? でも待てよ……オレがあの子と会った時はまだ人間だったんだろ? 狐火いわく、神様は人間には見えないんじゃなかったっけ? あれ、神仕えなら見えるのか?)
混乱のあまり目を回しそうな凛空と強ばった表情のいなほが歩いていくと、手水舎で水を口から吐き出している竜の置物が、いきなり動いて話かけてきた。
「おーっ、めっずらしーい客がおいでなすったな! 葉暮ちゃんが連れてきた客ってのは、あんたかい? こっち来てよーく顔を見せてくれよ」
ぎょっと驚く凛空の背中にいなほが逃げ込んだ。
(り、竜が、水出しながら、しゃべってる……っ!?)
ふたりの様子に竜が目を細めて、ケケケッと意地悪そうに笑う。
「そぉーんなに驚いてくれると、いっそ清々しいな! おいらがただ水を吐き出すだけのお飾りだと思ってんなら、大間違いだぜ!」
長い爪を一本立てて、グッと突き出しながら自慢する竜を凛空は遠い目で眺める。
(……水吐きながら喋るとか、器用だなぁ……これからはこういうのがオレの日常になるのか……?)
ただの人間ではなくなった証拠のような水吐き竜は、ぎょろっと迫力がある両目を細めて楽しそうに話し続ける。
「おいらはここで、不釣り合いな輩が入って来ないか、しっかり見張ってんだぜ。入ってくんな、お断りだって奴らにはもれなくおいらの水で、盛大に押し流してやる! てか、そもそも人はこっちには入れないんだがな!」
「……こっちって?」
「んぁ? 神がいる神社ってのは鳥居をくぐる時に、自動的に神の領域と人の参拝場とに分かれるんだ。当然だーろ?」
「……へ、ヘぇ……」
当然と言われても、凛空にとっては初耳だ。
「で、あんたらは葉暮ちゃんの連れだろ? あの子が連れてきたんならこっちに入れても当然だーが、それだけじゃねーな……?」
竜がいきなり手水舎から身を乗り出し、ぐんぐん体を伸ばして凛空の眼前まで顔を近づけた。
「あーんたは、生まれたてだが神だな!」
「っ、ぶは……っ!」
眼前で水を吐きながら竜が得意げに言い当ててくれたのはいいが、凛空は顔面から大量の水を被るはめになった。
「うはっ……しまったぜーい! おいらとしたことが……悪りぃ、悪りーな旦那。エヘヘヘ……」
水は自在に調節できるらしく、吐くのをやめた竜が笑ってごまかそうとする。
軽く苛立つ凛空が口を開きかけた時、横から爽やかな声が聞こえた。
「蒼さん、なーにしてるのかな……?」
「はっ、葉暮ちゃん……えっとー、これはー、そのー……あー……」
ペラペラとよく動いていた舌が、急に錆びついてしまったようだ。
目をさまよわせながら、手をあっちこっちに動かして言い訳を考えている竜を、笑顔なんだけど怒りのオーラを漂わせる葉暮がじっと眺めている。
(……あの怒り方、かなりこわい……)
しっとり濡れたままの凛空にしがみついているいなほも、葉暮を恐る恐る覗いている。
恐縮して縮んだように見える竜に対して、葉暮は盛大なため息をついて手水舎を指さした。
「もう……いいから、蒼さんは持ち場に戻って!」
「はいっ、承知ですぜ、葉暮ちゃん!」
「ちゃん付けしないの!」
「へーいっ!」
反省しているんだかしてないんだか。蒼さんはしゅるしゅると持ち場に戻りつつ、凛空といなほに手を振る。
「帰りにまた寄りな! 詫びも込めて、お土産やるからなっ」
蒼さんを見送っていた葉暮がずぶ濡れの凛空を振り向いて、表情を曇らせて深く頭を下げた。
「恩ある方に、大変失礼をいたしました! ごめんなさいっ」
「い、いや……葉暮くんがしたことじゃないし……」
絶対的にやらかしちゃったのは蒼さんであって、葉暮は何も悪くない。
凛空が苦笑しつつ答えると、葉暮は困ったように凛空を見ながら両手を伸ばして触れるような仕草をした。
「すぐに乾かしますので、そのままで動かないでください」
服のすぐそばで掲げられた両手の周囲に、キラキラ光る粒子が集まってきたように見える。
ほんわか温かさを感じたところで、遠くから女性の声が聞こえてきた。
『葉暮。そのままお連れしなさい』
「し、しかし……」
『あたしがやるわ。早く連れてきてちょうだい』
「……わ、わかりました」
姿が見えない声に動じることもなく、当然のように会話をした葉暮が両手を下ろして凛空にもう一度頭を下げる。
「本当にごめんなさい。ご不快だとは思いますがこのまま主のところまでご案内させてください」
「へ……? あ、さっきの声は葉暮くんのご主人だったんだ?」
「はい。僕の主が早くあなたに会いたいみたいです」
顔を上げた葉暮は少し困っている様子だけど、主に対する敬愛が感じられた。
(困った主人だけど愛おしいってやつ? なんかいいね)
ほのぼのしかけた凛空の手をいなほが引っ張る。
「凛空さま、早く参りましょう。いくら福の神は病にならないとはいえ、濡れたままでは神の気が減りますよ」
「へ? 神の気って……何?」
いなほが凛空の疑問に応えるよりも、葉暮の方が先に口を開く。
「凛空様の狐火さまがおっしゃる通りです。さぁ、こちらに。お話は後ほどに。主が嫌というほどに話してくれましょう」
葉暮の案内で石畳を歩いて行く。蒼さんいわく、神の領域だからか空気が澄んでいて呼吸がしやすかった。
「それにしても立派な神社だよなー。オレ、毎朝この前を通ってたけど、中に入ったことはなかったんだよ。こんなに広くてきれいなところだったんだな」
「気に入っていただけてうれしいです」
本当にうれしそうに葉暮がにっこり微笑む。
「ここは元々、別の神が住まう社でした。我が主がここを譲り受けたのですが、蒼さんはその前からここを守っていた付喪神なんです。僕たちは主が代わってからこの神社にお世話になっているので、蒼さんは先輩なのですけど……」
その先をどう言っていいのか思い悩む葉暮の様子からして、蒼さんはいつも何かやらかしているようだ。
「ははっ……付喪神ってのがいるんだな。ところでさ、葉暮くんは学生じゃないんだって? その制服は?」
葉暮のために凛空が話題を変えると、自分の姿を見て、葉暮は困ったように笑う。
今日もはじめて会った時と同じ、詰襟タイプの学生服を着ている。
「これは、我が主の希望なので」
「な、なるほど……」
学生服を着せたがる主人とやらについてコメントできる器用さを凛空は持ち合わせていない。
「……葉暮くんの主ってことは、やっぱり福の神……?」
「はい。我が主は福の神、紫雨と申します」
いなほが言っていたのは正しかった。
(にしても、神仕えに学生服を着せたがる福の神……お知り合いにならない方が良かったかも……?)
葉暮についてきたことを少し後悔しながら凛空は頭をかく。
「オレが葉暮くんと会った時、まだ人間だったはずだから、見えるわけないのになぁ……」
「僕はあの時、この方は間もなく神になる方だとわかりましたよ。僕を助けなかったとしても、あまり日を置かずに神になれたのではないでしょうか。それほど徳高い方だったからこそ、僕が見えたのでしょう。自転車に乗っていた人は見えなかったみたいですけど」
ふわっと微笑む葉暮に何と言っていいのかわからず、照れくさくなった凛空は視線を反らした。
(なるほど、あの時、自転車に乗ってた奴が気付かずに走って行ったのは見えなかったからか)
面と向かって徳高いとか言われても、自分のことのように思えなくてムズムズする。
落ち着かない凛空を気にすることなく、葉暮は先を歩いていく。
すると境内の木から、鳩が一斉に集まってきた。
「いやーっ、新入りじゃないのー」
「めっずらしい!」
「しかも葉暮ちゃんが連れてきたんでしょ?」
「間違いなく新入りだのぉ」
「君、生まれてどのくらい?」
「まだ浅いでしょ? 気配がまだ薄いもの」
「でもでも、久しぶりの新入りよ。しかも可愛いっ」
「ねぇねぇ、あそぼうよ~」
四方八方から鳩が話しかけてくる。
(り、竜に続いて、鳩まで話してる内容がわかるっ。なんでだっ!)
目を丸くする凛空にすがりつくいなほを、ぐるっと鳩が囲ってしまう。
凛空も歩きにくいし、背丈が低いいなほは埋もれてしまいそうだ。
「蒼さんに続いて、おまえたちまで……。この方たちは僕の恩人なんだから、失礼のないようにしてよ」
一斉に鳩が葉暮を見て、ばっと飛び立つ。
「やーねー、挨拶してただけなのに怒られちゃったわ」
「でもでも、初心な子は見るだけでも愛らしくて癒されるわー」
木の上に逃げても凛空たちを見て、さかんに噂をし合っている鳩たちに面食らう凛空たち。
恥ずかしそうに顔を手で覆った葉暮が、はぁと息を吐きだす。
「すみません、みんな興奮しておりまして」
「い、いや……ちょっと驚いたけど。もしかして、あの鳩たちも付喪神かなにかなの?」
「いいえ。神社に住む鳩たちは生まれつき神が大好きなんです。彼らは神の気配に敏感なので、よく神同士の連絡手段に使われるほどですが、神ではありません。もちろん昇格して神仕えになる鳩もいますけど、この神社にはいませんね」
「……へぇ、神社ってのも奥が深いんだなぁ」
感心しながら凛空が一対の狛犬のそばを通り過ぎる時、左側の狛犬から声が聞こえた。
「帰ったか、葉暮」
「ただいまー、黒羽」
ぎょっと立ち止まる凛空といなほを背に、葉暮はのんびりと狛犬に片手を上げて挨拶している。
軽く伸びをしてから台座を降りてきた狛犬が、ぼふっと白煙を上げると、一瞬で人の形に変わった。
葉暮とよく似た年恰好と顔立ち、ブレザータイプの学生服を着ている。
黒羽は凛々しいと言うか、立ち姿がピンとしていてまるで武士みたいな落ち着いた風情がある。
立ち尽くす凛空たちを、黒羽が見てくる。
涼しげな目元の黒羽は睨んでいるわけでもないのに、目力が強いから睨まれているようだ。
「こちらの凛空様が僕を助けてくれた方で、今日も紫雨様が望まれていたスイーツを譲ってくださったんだ」
黒羽がじっと見てくる視線に耐え切れなくなりそうだったが、葉暮の説明を聞いてふっと視線の圧力が和らいだ。
「……そうか、貴殿が片割れを助けてくださった方。その節は誠にお世話になりました」
姿勢を崩さず、きっちり頭を下げる黒羽にたじろぎながら、凛空が何かを言う前に神社の拝殿の奥から光が溢れだした。
突然の光りに反射的に目を閉じた凛空たちと違って、葉暮と黒羽は平然と拝殿を見上げ、すぐに頭を下げて膝をついた。
「いつまでお客を独占して、あたしを待たせるつもり?」
神々しい光の中から女性の声が聞こえて、光が消えると拝殿の階段上に女性がいた。
蝶と花模様の着物を着た妙齢の女性で、腰まで届く長い黒髪、甘さと凛々しさが同居する、国民的美人女優と紹介されても納得できるほどの美しさと存在感があった。
「待ちくたびれたわ。それに、大切なお客人をこんなに濡らしちゃって」
階段をゆっくり降りてくる女性は紫色の着物の胸元を、半分ほど見えるくらいに着崩していて、乱れた裾から動くたびに際どいところまで見えそうになる。
(あれ、わざとやってるのかな……でも似合ってる。てか、ヤバいくらいに色っぽい)
女性の背後には銀色の髪をした白装束の男性がいる。よく見るといなほと同じような獣耳が付いていた。
長い睫毛を持つ目を細めて女性が妖艶に微笑んだ。
「はじめまして、あたしが紫雨。そこにいる狛犬、葉暮の主よ。あなたが唐津凛空ね? 葉暮を助けてくれたと聞いたわ、あたしからもお礼を言わせて」
動けないでいた凛空の目前に立つと、紫雨と目線の高さがほぼ同じだった。
凛空は長身な方ではないものの、紫雨も女性としては背が高い部類のようだ。
(……ヤバい、この距離で見ると、マジでヤバいっ)
神になっても男は男なのだろう。あざとく見える胸の谷間に目が吸い寄せられてしまう。
慌てて視線を上げる凛空を紫雨もわかっているようで、すいっと指を伸ばして凛空の頬に触れてくる。
「ふぅ~ん……なかなか、イイ男じゃないの。ちょうどいいわ、服も濡れてしまったことだし……着替えついでに、あたしと遊ばない?」
抱きつくように凛空に両腕を回して、顔を覗きこむ紫雨に、ドキドキしすぎて何も言えなくなる。
「……紫雨様」
銀髪の男性が短く名前を呼ぶ。咎めるような声に、紫雨は唇を尖らせて子どもみたいにすねた。
「やぁーね、冗談でしょ。あたしの狐火は本当に堅物なんだからー。でも着替えて欲しいのは本当よ。さ、先に中に入って着替えてちょうだい。服は用意しておいたから。狐火ちゃんも一緒にね」
やっぱり銀髪の男性は紫雨の狐火だった。
凛空の狐火と違って銀髪銀目で、成人した人間のように背が高く、体格も立派だ。顔立ちも整っていてモデルみたいな狐火だ。
銀髪の狐火が無言で凛空といなほを拝殿の奥に連れていく。
スイーツが山盛りに詰まっていたビニール袋は葉暮と黒羽が引き受けてくれた。
木造建築の独特の匂いを満喫していた凛空たちを和室に案内して、銀髪の狐火が無言でふたつの服を取り出して見せた。
「……もしかして、どっちか選べっていいたいの?」
じっと無言で見てくる狐火に根負けして凛空が確認すると、こくんと頷く。
(こりゃ、またいなほと違うタイプの狐火だなぁ~)
同じ狐火でもいろんな性格があるらしい。
あらためて銀髪狐火が持つ服を見て、凛空は盛大にため息をつく。
「……それしか選択肢はないわけ……」
またこくん、と狐火が頷く。今度は少しだけためらったような気がする。ちょっと申し訳ないと思っているのかもしれない。
(ひっじょーにわかりにくいですけどね……てか、紫雨さん、自分の好みに忠実すぎない?)
着替えはどちらも学生服で、葉暮くんと同じ詰襟タイプか、黒羽と同じブレザータイプかの違いがあるだけだった。
葉暮くんが学生服を着ていたのは主である紫雨の好みだと言っていたので、着替えを指定したのも紫雨だろう。
(三十路近くのオジサンだったオレが、いまさら学生服を着るなんて……見たがる方もイタいですよ、紫雨さーん!)
心の中で泣きながら、渋々凛空が学生服を受け取って着替える。
濡れた髪は学生服と一緒に手渡されたタオルで拭きとると、あっという間に乾いてしまった。
(すっげー吸収力。これもただのタオルじゃないな……)
ほとんど濡れなかったいなほも銀髪の狐火が同じタオルでさっさと拭いて、着替えを手渡していた。
(オレが学生服なら、いなほは幼稚園の制服かな……?)
着替えながら横目で見てみると、腰を屈めた銀髪狐火からいなほが受け取った服は、セーラー服風デザインの上着と半ズボンに紺色ソックスだった。
部屋の隅にご丁寧に身長と同じくらいの大きさの姿見が置いてあり、そこに映った自分自身の姿を見た凛空は、がくりと肩を落とす。
(福の神状態だったからよかったけど……中身はオジサンだから、痛いな~コレ)
もう似合わない年齢なのに、若い子の真似してコスプレしているような気分だ。
着替えを終わった凛空たちが次に案内されたのは、長い廊下を歩いて角を二つほど曲がった先。
高級な和風旅館のような和室で、高い天井と立派な梁、畳のいい匂いがする。
すぅっと息を吸い込んだ凛空といなほの目の前を、無言で銀髪の狐火が通り過ぎる。
中央にある四角い飴色テーブルの周りに、銀髪の狐火がふかふかの座布団を並べていく。
最奥には紫雨がすでに座っていて、凛空たちを見つけて目を輝かせた。
「いや~っ! やっぱり、あたしの見立ては確かだったわ! ふたりともかわいい~っ」
両手を握りしめ、キラキラ輝く目で見つめられる凛空は心中複雑だ。
結局、学生時代と同じブレザータイプの制服を選んだ凛空は当時と同じように、シャツの一番上のボタンを外して、エンジ色のネクタイを少し緩めに結んでいる。
さっと立ち上がった紫雨は凛空に近づいて、ネクタイをいじりながら全身を眺めまわす。
「うふふ~っ、凛空ちゃん、イイわね! すっごく似合ってる~っ! ちょっと不真面目そうな感じがいいじゃない~」
「……ど、どーも……」
着替えを貸してもらえた礼を言うべきなんだろうが、素直に言えない気分だ。
棒読みの凛空の足元にちょこんと立っていたいなほを見つけ、紫雨はまた歓声を上げる。
「狐火ちゃんもイイわ~っ! 純粋そうな感じが激カワ~っ」
「……紫雨さん、最近はそんな言い方しないっスよー」
遠い目をしつつ凛空が突っ込むと、キリッと紫雨が睨む。
「いついかなる時であろうと、可愛いものは可愛いのっ!」
「……そーですねー……」
「ねぇねぇ、ふたりとも、このままここで一緒に暮らさない?」
「はぁ? そ、それは、だめでしょ~!?」
「だめじゃないわ~。だって凛空は福の神、同じ神社に神が何人いたって構わないのよ。もちろん狐火ちゃんが一緒でも問題なし!」
「し、しかしですね、紫雨さん……同じ屋根の下に年頃の男女が暮らすとデスネ、いろいろと問題が起こりやすくなるのデスヨ」
しどろもどろな凛空を、興奮しまくりの紫雨が遠慮なく撫で回す。
(オレが本当にお年頃の男の子だったら、マジで危ないからね! あなた、きれいなお姉さまなんですよ、もっと自粛してっ! てか、狐火さん、止めてください!)
相変わらず無表情の冬月は支度をするばかり。
葉暮と黒羽が茶器を持って入ってきて、凛空たちを見ても顔色を変えず、葉暮はにこりと笑う。
「あ、凛空様もお揃いですね」
「我らよりお似合いです」
にこにこ葉暮と、少しだけ凛々しい顔を微笑ませる黒羽とに褒められても、凛空にはうれしくもなんともない。
引きつった笑顔を浮かべる凛空と、葉暮と黒羽を並べて見た紫雨が飛び上がりそうな勢いで喜ぶ。
「きゃ~っ! いいわ~、これぞ絶景ね~!」
「……絶景って……」
どっと疲れた気分になる凛空に紫雨が力説する。
「思春期の男の子こそ、愛らしいじゃな~い! 完全には大人になりきれてないけど、子どもっぽくもなくて。この年頃ならではの微妙な感じがそそるのよ~っ! そして、欠かせないのが制服よね~」
紫雨に抱きつかれて、頬を撫で撫でされる葉暮は慣れているのか、苦笑しながら好きにさせている。
その隣で黒羽も気に留めることなく、運んできた飲み物をテーブルに並べていく。
お茶やコーヒー、ジュースになんとお酒まで運んでくれた。
袋に入ったままのスイーツがその間に置かれていた。
「それにしても……紫雨さん、こんなにたくさんの制服をどうしたの?」
久々に着たブレザーに困惑しながら気になっていたことを聞く。
葉暮たちや凛空、三人が三人とも違うデザインの制服だった。
「買ったに決まってるでしょ。最近は架空の学校制服まであって、その他にもいろいろあるのよ。気に入らなかったなら他のにする?」
「い、いいえ……お気遣いなく」
違うものと言ったって、結局は学校制服なのだ。凛空は片手を上げて丁重にお断りさせていただいた。
紫雨は赤い唇をちらっと舐めてから、両手を握りしめる。
「あたしは、十代の男の子姿の神仕えたちを可愛がって可愛がって、他の神仕えたちに嫉妬させることが望みなの。そして主の寵愛をめぐって、神仕え同士が泥沼の争いをする! それが見たいの! それなのに、この子たちときたら」
紫雨は心底悔しそうに、文字通り地団駄を踏む。
いつものことなのか、黒羽は涼しい顔のまま目を閉じる。
葉暮は苦笑して両手を降参、と言いたそうに上げている。
冬月にいたっては目を閉じて微動だにしない。
「だぁ~れも嫉妬してくれないんだもの! おもしろくな~いっ!」
(……苦労してんだな、みんな)
つい凛空が同情の目で葉暮たちを見ると、彼らも気付いて苦笑していた。
「あ~ぁ、いっそ本当に男子高校の教員に潜り込もうかしら……」
紫雨が頬に手を当てて、物憂げな様子でとんでもないことを言い出した。
「やめよう、ぜひやめよう! 男子高校生たちがかわいそうだから!」
いなほ以外の全員が、示し合わせたかのように同じ言葉を叫ぶと、紫雨は小さく舌打ちした。
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