幸せが壊れる伏線みたい

今宵恋世

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キミと生きる未来

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 麻衣は恐る恐る目を開けた。
 そこは見渡す限り暗闇が広がっている空間。
 とにかく遠くの方まで、暗闇で何も見えない。だけど自分自身の体だけはかろうじて見えていた。でもぼんやりと、だ。
 時期にこの体も暗闇に包まれる。
 直感がそう言っているようだった。

 麻衣は1度目のあの時と全く同じ状況に置かれていた。ここは麻衣の2度目が始まった場所。

 「あっ…」

 どこか夢見心地でボー、としていた頭が一気に正常に戻っていく。
 脳裏で麻衣の大好きな声が静かに再生された。

 ーー僕は、麻衣が好き。
 だから僕ともう1度付き合っ───────

 続きが聞けなかった寂しさもあったけど、
 少し頬を赤らめて、伝えてくれた”好き‪”が今でも鮮明に麻衣の心に響いている事が何よりも嬉しかった。

 ーーっていうか、あんな…行動力ある人だっけ?

 唯斗を思い出したら途端に口角が緩んだ。
 きっと学校をほったらかしてわざわざ麻衣を探して《恋ノ浜》に来てきてくれた。1人で迎えようと思っていたラストにそっと寄り添ってくれた。そんな結末ゆえの今だから。1度目と違い、今の麻衣はどこか感情が落ち着いているように思う。

 「もっと生きたい…っ!」と泣き叫んだり、懇願する訳でもなく、とにかく穏やかで居られた。
 こんなフィクションじみた麻衣の話を真剣に聞いてくれて、信じてくれて、抱き締めてくれた。手を握ってくれた。

 手を繋いだりは何回かしたけど、恋人繋ぎをしたのは初めてだった。‪”恋人‪”という響きがどこまでも優しく甘く、麻衣の心を溶かすようだった。

 麻衣は天を仰ぐ。
 きっともうすぐ落ちてくるはずだ。
 模範解答じゃないか、と思った ‪”あれ‪”が。
 麻衣の生涯について記された1枚が。

 ーーほら。落ちてきた。

 淡い光を放つ1枚の紙がペラペラ、と麻衣の元に落ちてこようとしていた。背伸びをして手を伸ばす。伸ばした手に、ヒラリ、と紙が当たる。

 目をつぶって深呼吸をする。
 通知表を貰った時のようなそんな気持ちが走った。ゆっくりと涙で染まった視線を紙に当て、
 どこか懐かしい文面を辿った。

 ​───────​───────​──────────​────
【茅野麻衣】│  2008年 12月8日生まれ
 ​───────​───────​──────────​────
 2015年 4月10日 │ 歩森小学校 入学……
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 1度目同様記された字を順に追っていく。

 「…っ」

 ‪”‬その文字‪”‬を、見た瞬間。
 麻衣は口元を強く押えた。頬に涙が伝う。
 咽び泣くようにその場にペタリ、と膝を着いた。
 倉ヶ丘高校過ごした最後の
 数ヶ月付近が記されている箇所だ。

 ───────​───────​──────────​────
 2024年 4月15日 │ 倉ヶ丘高等学校 入学
 2024年 4月15日 │ 「​栗原唯斗」と交際
 2024年 7月17日 │  死亡 (享年15)
 ​───────​───────​──────────​────

 唯斗の言ってくれた「大丈夫」も虚しく、
 麻衣が死ぬ運命は変わらなかった。けど……
 ちゃんと空欄は埋まっていた。

 それだけで麻衣は胸がいっぱいだった。
 自己満、だと罵ったりもしたけど、2度目の麻衣の人生に確実に暖かさをもたらした彼の名が。ここに。

 麻衣の人生に綴られている。

 国語の先生みたいなツン、とした字だったけど。確かに暖かいものがあった。
 麻衣は紙を胸に抱き抱える。

 クシャッと、少し折り曲がる音が聞こえたけれど構わずギュゥッ…、と。強く。抱きしめた。
 麻衣は感じていた。

 自分が自分で居られる、最後の時間を。

 目をつぶれば、
 彼との思い出がいっぱいで、
 それだけで…心が埋め尽くされていった。

 長きに渡り、
 麻衣が寄せ続けた彼への想いを軸に
 暖かくて優しい日々が。記憶が。
 熱湯に投げ込まれた氷が素早く姿を消すかの如く、胸に素早く馴染み、広がっていく。

 彼の横顔。しばらく見ていると「ん?」と言って首を傾げる。そして「なんか付いてる?」って言って照れくさそうに笑う。‪”かわいい‪”と何度も思った。もちろん、消しカスを2時間おきにゴミ箱に捨ていくあのお決まりの行動もバッチリ健在だった。あの頃1度目と変わらないままだ。……男の子なのに、なんか女の子みたいだ、と何度思った事か。

 他にも。
 笑うと目の横がクシャ、ってなるとこ。

 1度だけしてくれたナルシスト発言。

 「”‬繋ぎたい‪”」と。
 わざわざ言葉のニュアンスを変えてくれた事。

 寄せてくれた麻衣への好意。

 些細な事が嬉しかった。

 全てが今。麻衣の胸に大切な思い出として漂っていた。

 ‪”‪ 2024年 7月17日 │  死亡 (享年15)”‬

 覚悟はしてた。
 そもそも2度目があっただけ、自分はやはりラッキーガールなのかもしれない。

 「うぅ……っ」

 だけど……。やっぱり唯斗とはもう2度と会う事が出来ないのだと、そう思ったら込み上げる涙を堪える事など到底出来なかった。

 だって唯斗は麻衣に抱え切れない程の愛をくれた。唯斗と過ごした日々は、この世の幸せが全て濃縮ぎょうしゅくされたような時間だった。

 生まれてこの方、恋愛経験などまるでない麻衣にとって、知らない感情ばかり湧き上がる一時だった。愛おしくて。愛おしくて。友情と恋愛はどちらも麻衣にとって大切だけど、やはりどこかが大きく違うな、と。日々感じていたのだ。

 ーー……最終回はハッピーエンド。
 絶対そう決まってるから大丈夫

 彼にとってのハッピーエンドはきっと
 ‪”‬生きるルート‪”を想像していたんだろう‬けど。

 ‪”‬死んだルート‪”‬を辿る今……。
 麻衣は思うのであった。


 これは私的に…
 最っ高のハッピーエンドだな。と。


 とめどなく落ちる涙が1粒1粒。
 ポタリ、と紙に落ちていく。
 徐々に水気を帯びていく紙を……
 麻衣は何度も目で追うのであった。特に……

 ​
 ‪”‬2024年 4月15日 │ 「栗原唯斗」と交際‪”‬
 ​

 夢のようなあの時間の全てが綴られているかのようなこの1文を。

 一際キラキラと輝いて
 麻衣の目に飛び込んでくるこの1文を。

 「ありがとう。唯斗……」

 もう、十分。神様、ありがとう。
 自分の体が闇に呑まれていくのを感じて、
 なんの悔いも。未練もなく。
 噛み締めるように口にした。その時だった。

 不意に自分に問い掛けてしまった。

 本当に、なんの悔いもなく、未練もないの?

 と。

 どうしては分からない。だけど何度も問い掛けていた。まるで人見知りの幼児に話し掛けるようだった。素直になれない世のツンデレをデレにいざなうかのようだった。

 胸元で光り輝くネックレスを手で優しく丁寧に掴みながら麻衣が口にした言葉は「…違う」だった。

 違う……。違う。

 誰に話し掛けたらいいか分からず、とりあえず神様がそこにいる前提で麻衣は口を開く。
 さっき、麻衣はこの結末を最っ高のハッピーエンドだと思った。いや。思い込もうと必死だった。……ちょっと強がった。

 本当は……

 「神様……っ」

 恋に溺れた末路まつろ、本音は別にあった。体の芯から湧き上がるその願望を‪”一生のお願い‪”と称し叫ぼうと腹に力を込める。しかし急ブレーキを掛けられたように麻衣は思い出す。

 一生のお願い……は、そういえばあの時使ってしまったな、と。意に反して律儀にそんな事を思う。

 「あ…」

 ふと、声が漏れる。
 それはめちゃくちゃずるい抜け道を見つけた気分だった。火事場の馬鹿力かのように、最後の悪足掻きかのように思考がひねくり回る。そう。麻衣は何を隠そう二生目を生きたのだ。といっても既に死んでいる事には変わりないのだが。

 でも​───────

 ーーこの空欄を埋めさせて下さい!!

 神様の情けかもしれないし、単なる気まぐれかもしれないけど、あそこで願った自分が居たから2度目があったのかもしれない。

 何で今……私は本音を押し殺そうとしているのだろう。遠慮?悲劇のヒロインでも演じているつもりなのだろうか?何がもう十分なの?
 悔いがない?未練がない?生ききった感を出すのも大概にしろ、と声にならない怒鳴り声が頭に響く。

 ーー僕は、麻衣が好き。

 こんなに好きな人がいるのに?
 好いてくれる人がいるのに?

 え、バカ……なの?
 無論、否定はない。
 なんてったって、
 倉ヶ丘高等学校・高校1年茅野麻衣の
 記念すべき中間テスト学年順位は230人中221位の隣の席の男子生徒には劣るが割とそこそこ普通のバカなのだから。

 手に、グッ、と力を込めた。
 死んでいる癖に藁にもすがる思いで叫ぶ。
 ‪”‬一生のお願い‪”‬、と称し力いっぱい叫んだ。

 ずるくてもいい。ただ私は今……
 隣の席の消しカスを熱心に集め、それをせっせと2時間おきにゴミ箱に運ぶ男子が猛烈に大好きなのだから。

 「私まだ……唯斗と、生きていたい…っ!!」

 まだ諦めたくない。
 欲張りだ、って怒られてもいい。
 でも…っ、だけど……!

 ‪”‬生きていたい‪”‬を遠慮するほど私は……

 すたれてない……!!!!

 その時だった。

 ーーピッ……ピッ……ピッ……ピッ……

 規則正しい機械音が麻衣の鼓膜に届いたのだ。
 立て続けに、今度は抱き締めるように持っていた紙が淡い光を発し始めた。

 「え……っ」

 やがて光は大きくなり、
 暗闇だったこの空間の全てを真っ白に染めた。
 あまりの眩しさに目が眩んで、麻衣は紙を手放してしまった。

 しかしその紙に重力などまるでなかった。
 次の瞬間、ふわり、と舞い上がったのだ。
 桜の花びらのように不規則にヒラヒラと辺りを彷徨う。それを合図に風が麻衣の頬を撫でた。

 「まって…っ」

 反射的に麻衣は跳ねるようにその紙を掴んで、再び自分の元に引き寄せた。

 ーーピッ……ピッ……ピッ……ピッ……

 先程までうっすらと聞こえていた機械音が徐々に大きくなっていく。忙しない謎の音は止まらない。どんどん大きくなっていくばかり。
 と、その時だった。

 ーードクン……ッ!!!!!

 止まっているはずの心臓が……
 大きく跳ねた気がした。
 いや。

 案外気のせいでもないのかもしれない。

 ───────​───────​──────────​────
 2024年 7月17日 │  ‪”‬生存‪”‬
 ​───────​───────​──────────​────

 あまりの眩しさで見えなかった。

 「享年15」の文字が消えている事など。
 「死亡」の文字が「生存」に書き換えられている事など。

 それは少し前に麻衣が見出そうとしたなんとも素敵な可能性だった。

 それからどれくらい時間が経ったのかは分からない。麻衣は、ここではない別の場所で。
 瞼をそっと、開けるのであった。


 ***

 ーーピッ……ピッ……ピッ……ピッ……

 そこは……、
 消灯時間寸前の病院の一室であった。
 真っ白な天井。
 仰向けになっている彼女の
 耳元では‪心電図モニター‪が動いていた。

 彼女は包帯が巻かれた右腕をゆっくりと胸に近付ける。ドクン、ドクン、という振動が
 手のひらに優しく走った。
 彼女の心臓は、動いていた。
 ちゃんと……動いていたのだ。

 「麻衣っ!麻衣!!」

 その時だ。病室の外からなんだか騒がしい彼の声が聞こえた。彼女が大好きな声だ。

 「あのっ……受付をお済みになられてない方は……っ」

 会いたい……。

 「いいから教えて下さい!どこの病室ですか!?」

 ここにいる!ここだよ!
 彼女は酸素マスクを外し、はやる気持ちでベッドから立ち上がった。なんだ…。意外と軽傷なんじゃん、と思うのは二の次。今は彼の事で頭がいっぱいだった。

 ガラー!!と猛スピードで扉が開く。視界が大きく揺らぐ。思わず「唯斗…っ」と涙を零しながら声を上げた。そこには彼の姿があった。
 まだズキズキとする頭を無視して彼女はゆっくりと立ち上がり、彼の元へ歩み寄る。

 「麻衣…、生きてる……っ、良かっ​────…おっと……っ」

 いても立ってもいられなかった。入院着姿の彼女を心配と安堵が混ざりあった表情で見つめる彼に飛びかかる勢いで彼女は抱きつき、わぁわぁと咽び泣く。

 「ゆいと……っ、ゆいとだーっ、……っ」

 幾度となく何度も。何度も。
 涙混じりに気が済むまで彼の名を呼んだ。
 彼の温もりをこの体が感じていられている事が嬉しくて、たまらなかった。

 「唯斗だよ」

 「うん…っ、ゆいと……っ」

 小さく頷く麻衣を抱き締め返し、
 彼は得意げに眉を上げ、言うのだった。

 「ほら。言ったでしょ」

 「何を…っ?」

 「愛の力は結構やばい、って」

 「もうっ、なんなのそれ…どこ情報よ…」

 彼は彼女の首元に手を伸ばす。
 そして
 彼女も彼の首元に手を伸ばした。
 引き寄せられるみたいに2人は互いにそれを近付け、ピタリ、とハートを作った。とてつもない逆境を乗り越えた2人にベタが襲い掛かる。
 彼は優しく声を落とす。

 「大好きだよ。麻衣」

 ずっと知っていた。
 この人生の結末なんて。

 「うん…っ」

 知らない結末がある事など…
 誰が予想したものか。

 彼の肩に顔を埋めた彼女は
 暖かな気持ちで彼の名を呼ぶのだった。

 「私も大好きっ…!唯斗───────…」

 待ち焦がれていた言葉がやってくる。

 雨でぺったんこになった前髪に隠れた目を少し狭めた栗原唯斗はそっと告げた。

 「僕ともう1度、付き合って下さい」


 もちろん、即答であった。

 2人が織り成す……幸せが今にも壊されてしまいそうな伏線は、これからも巧妙に張り巡らされていくのだろう。

 時に回収される日があるかもしれない。

 でもそれまでは、より多くの幸せを吸収して大切な人と、笑いあっていけばきっと結末は…

 ハッピーエンドで覆われる事だろう。


【終】
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