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初恋がこじれにこじれて困ってます.16

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 瞬ちゃんとは学年が違うこともあり、ついに顔を合わすこともなく高校受験の時期を迎えていた。

 長男の受験ということで、母親たちはちょくちょく情報交換をしている。沙耶は、何気ない感じを装ってそれとなく瞬ちゃんの動向を聞いてみた。

「ねえ、お母さん。お兄ちゃんは港南高校にするんでしょ?」

「うん、そうよ。」

「だよね。港南高校は陸上強いもんね。じゃあ、やっぱり瞬ちゃんも同じなのかな?」

 仲のいい二人だ、部活動も一緒で、そのまま同じ高校を目指してもおかしくはない。

「それがね、お隣の奥さんもちょっとびっくりしてるんだけど、旭高校にするらしいのよ。」

「ええー、旭高校ってあの旭高校!」

「そう、あの旭高校。」

 旭高校というのは、学力は全国でもトップクラスの全寮制の男子校だ。
 
 しかし、陸上部が特に強いという訳ではない。

 旭高校よりもうんと近いところに、学力レベルも割と高く、陸上をやるには申し分ない港南高校があるというのに、なぜわざわざ他県の旭高校に行く必要があるのだろうか。

 確かに学力では全国レベルではあるのだが…。

「そ、そうなんだ。瞬ちゃん、そんな遠いところに行っちゃうんだ。」

「うん。奥さんも港南に行くとばかり思ってたからって、ちょっと複雑そうだったわ。まあ、でも本人が行きたいって言うんだから仕方がないわよね。」

「そ、そうだね。瞬ちゃんだったら、頭いいからきっと受かるよね。」

 沙耶は瞬ちゃんがますます手の届かないところに行ってしまうという現実に、まだ合格してもいないというのに、ひどく打ちのめされた気持ちになった。

「ねえ、直、瞬ちゃんが遠くに行っちゃうのってやっぱり寂しい?」

 沙耶は、学期末試験中で部活動が休みのため久しぶりに帰りが一緒になった直を捕まえる。

「はあ?べつに寂しくなんかねえよ。」

「うそー、ふたり兄弟なんだからちょっとは寂しいでしょ?」

 みんなの予想通り、瞬ちゃんは無事旭高校に合格した。春からは遠くへ行ってしまうのだ。

「お前なー、男兄弟なんて家にいたって口もきかねえし、いるのかいないのかそんなの気にしたことねえから、別に高校どこに行こうと何にも変わんねえよ。」

 直はあっさりと言い放つ。

 自分も兄である一樹とそんなに仲良しこよしではないけれど、一緒にテレビを見たり、他愛もない話をしたりはする。

 もし一樹がこれから先、大学なり就職なりで遠くに行くことになれば、それなりに寂しい。男と女でこんなにも感じ方が違うものなのだろうか、それとも直が鈍感すぎるだけなのか、本当のところは分からない。

「そ、そうなんだ。でも、今更だけど、どうして瞬ちゃん港南に行かなかったんだろうね。」

 沙耶は前から気になっていた疑問を直にぶつけてみる。

「はあ?お前ほんとオバサンみたくなってきたな。そんなのひとの勝手だろ。兄貴には兄貴のこだわりがあるんだろ。知らねえけど。」

「うう、ごめん。だけど、近くに港南があるのに、わざわざ遠くの高校に行くなんてどうしてかなって思うじゃん。」

「俺はそんなこと思わねえよ。俺も近いとか遠いとかそんなこと全く気にしねえよ。自分の行きたいところに行く、それがどんなに遠いところでもな。」

 そう言い放つ直が久々にカッコよくて、沙耶はしばらくその横顔にボーっと見とれてしまった。

「な、なんだよ、急に黙って。お前、今日何だかおかしくないか。」

 顔を覗き込むように近づけてきた直に、沙耶の胸はドキンと跳ねる。

「そ、そんなことない。」

 これ以上話したら、余計なことまで言ってしまいそうで沙耶は口を閉ざした。

 直のこともちゃんと諦めなければと思ってはいる。最近になって知ったのだ。

 直がバスケ部の例の骨折したマネージャーと付き合っているということを。

 人気者の直が付き合ったというニュースはあっという間に広まり、密かに直に思いを寄せていた女子をどん底に突き落とした。

 隠し事など出来ない性格の直は、彼女との交際を全く隠す様子はなく、そのあっぱれな程のオープンさがかえってみんなの反感を買わずに済んだほどだ。

 そうして、沙耶の初恋も木っ端みじんに吹っ飛んだのだった。

 直のことを好きな気持ちはそんなにすぐに消えてなくなる訳ではなかったけれど、彼女が出来たのを知ったとき自分が思っていた程ショックを受けなかったのはなぜだろうか。

 春休みは先生たちの移動などがある関係で、部活動は他の長期休暇よりも少ない。

 自主練を行う部もあるがそれも一部の強い部だけだ。テニス部はもちろんそっち側ではない。

 そんな訳で、沙耶はあいかわらず自堕落な生活を送っていた。

 お母さんから瞬ちゃんが明日旅立つと聞いていた。

 とっても気になる。勇気を出してお隣を訪ねてみようかと何度も思った。

 しかし、また前回のように拒絶されたら…、そしてそのまま遠くへ行ってしまうことになったら…。

 そう考えると、急に気が重くなる。

 カーテンを少し開けてお隣を覗き見た。

 おじさんもおばさんも仕事で、直は当然のごとく朝から部活に行っているだろう。

 瞬ちゃんは居るのだろうか。そのままお隣のリビングに視線を移した瞬間、誰かの影が動くのが見えた。

 はっきりとは見えなかったけれど、きっと瞬ちゃんだ。

 今日を逃したら次は一体いつ瞬ちゃんに会えるのだろう。このままじゃダメだ。沙耶部屋を飛び出した。

 沙耶はお隣の玄関の前で、やはりこの前の様に立ち尽くしていた。

 前回訪問したときはおばさんがいることが分かっていた。しかし、今日はいるとしたら瞬ちゃん一人だ。

 否が応でも緊張が増してくる。

 しかし、いつまでもひとの家の前で立ち尽くしていては、変な人だと思われかねない。

 既にさっきから、道行く人の視線が痛い。沙耶は勢いに任せてチャイムを押した。

「…はい。」

 しばらくして応答があった。瞬ちゃんだ。

「…沙耶です。」

「…ちょっと待ってて。」

 うわーっ、うわーっ、瞬ちゃんだ。ど、どうしよう、やっぱり家に帰っちゃおうかな。いまさらだけど、沙耶は焦る。ガチャと玄関のドアが開いた。

「どうぞ。」

 どうぞ、と言ってくれてはいるけれど、その表情は硬いままだった。

「お、お邪魔します。」

 以前毎日の様に来ていたはずの一ノ瀬家なのに、ひどく居心地が悪い。

「そこ座って。何か飲む?」

 沙耶は促されるままにソファに腰掛けた。

「い、いらない。」

 今すぐにでも帰って欲しいと思っているであろう瞬ちゃんの手を煩わせるわけにはいかない。

「どうした。何か用があったの?」

 瞬ちゃんは沙耶の方を見ない。

「しゅ、瞬ちゃん、明日行っちゃうんだよね。」

 瞬ちゃんの肩がピクッと動いた様に感じたのは気のせいだろうか…。瞬ちゃんはゆっくりと答えた。

「そうだけど、それが何か?」

 その言葉を聞いて、沙耶は次の言葉が出て来なかった。かわりに涙が溢れてくるのが分かる。

「ご、ごめんなさい。お邪魔しました。」

 沙耶はそのまま一ノ瀬家を飛び出した。自分の部屋に駆け込むとベッドに突っ伏した。

 後から後から溢れて来る涙を枕で受け止めた。

 どうして?私、そんなに嫌われる様なことしたのかな?瞬ちゃん、瞬ちゃん、どうして…?
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