君の瞳が映す華

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20.呪縛

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 自分の唇が誰かのそれに塞がれる感触は初めてだった。勿論そういった行為があるのは知っているが、今までそんなことをしたこともしたいとも思っていなかったので、ソウは自分の身に起きていることが信じられなかった。
 ミカゲの顔が視界を埋め尽くし、暖かくて柔らかいモノが触れている。なにが起きているのか、ソウの脳がそれを理解したのは、一瞬間をおいた時だった。
 大きな手で頭を掴まれ、まるで持ち上げようとしているようだ。ぎりぎりと締めつけてくる痛みと、不意に襲ってきたおぞましさにソウは眉間に皺を刻み、小さく呻き声を上げた。
 痺れている両手でミカゲの手を払いのけようとするが、元々過酷な労働を強いられていたミカゲの腕はソウより一回りも大きく、非力なソウでは払いのけることは愚か、揺らすこともできない。締め付けられた頭が痛み、額に冷や汗が浮かぶ。呼吸もままならず、意識が揺れてしまいそうになるが、それでもソウは懸命に抵抗した。
 ミカゲはそんなソウを薄く目を開けて嬲るように楽しんだ。唇を噛み、血を滲ませるとそれを舌で嘗めとる。痛みにますますソウがくぐもった声を上げるが、ミカゲは喉の奥でくつくつと笑いを零しながら、温かい舌を這い出させた。
「ッ……!?」
 不快な生き物が歯列を割って入り込んだようで、ソウが戦慄いた。必死で手を伸ばし、ミカゲの鈍い金色の髪を鷲掴みにして引っ張る。身体も何もかもがソウに比べると出来上がりしっかりとしているミカゲは、まるで壁のように微動だにしなかった。
「い……やだ……はなし……」
 何とか顔を少しだけ叛け唇を解放させたソウは、震えてしまっている喉から言葉を押し出した。怖くて怖くて、自分が立っているのかも分からないほど混乱して、逃げようにも脚がすくんで全く使い物にならなかった。震える手がミカゲの髪と肩のあたりの装束を掴んでいるが、それも抵抗しているからなのか、縋り付いているからなのか、ソウには分からなかった。
「そういえばさぁ」
 ミカゲは恐怖で動けなくなったソウの頬を両手で包み込むように――決して優しい手つきではなく――しながらのんきな声音で言う。涙が浮かび彷徨う亜麻色の瞳が穢れないものを犯しているような背徳感を抱かせる。蒼白になって唇を震えさせたソウの顔は、昔覗き見た、人間に虐げられて泣き叫ぶあの頃のようだと、ミカゲは楽しそうに言った。その後ミカゲが言った言葉は、ソウにとって信じられないものだった。奇妙なほど優しさを滲ませた言葉がミカゲの口から吐き出された。
「俺、お前が好きだったんだよな」
「……は……? なに、言って……」
「だからさぁ。お前のこと好きだったんだよ。お前がいつかご主人に飽きられて捨てられたら、俺がもらいたいって思ってたくらいだ」
 劣情を滲ませた黄金色の瞳が、一際陰惨に色づいたような気がした。今ソウに触れていた唇をぺろりと嘗めたミカゲは、無骨な指でソウの震えるきめ細かい頬を撫でる。それが怖くてソウがまた震えた。
「俺と一緒に来るなら、お前がここにいることは黙っといてやる。俺ちょうどご主人と一緒に来てるんだよ、この街に」
「え……」
 なんでもないようにミカゲは言ったが、ソウの思考は混乱を振り切った。震えていた脚から完全に力がぬけ、ずるりと座り込もうとした。しかしそれをミカゲがソウの腰に手を回したおかげで阻まれ、その代わりにミカゲの身体に自身を密着させる羽目になる。逞しく大きな体はソウをなんなく支えた。
「あの人が、いる……?」
 贅肉にまみれた見苦しい身体をした下品な人間。ソウを痛めつけることで自尊心を保つことしかできなかった愚かな人間。自分を買い付けた、亜人をまるで虫けらみたいに扱ったかつての呪縛の根源。
「なんで、あの人が……なんで……ここにいる……」
 壊れたように涙が溢れてきたが、それを拭えないままミカゲにしがみついてソウは訴えた。
「祭りだからだよ。それにお前が逃げるならこの街しかないって、馬鹿でも見当がつくだろ」
 ミカゲはまたなんでもないように言い、面白そうに笑った。ソウが逃げ出してから思い当たる所を探したが見つからず、この街しかないと、祭りのたびにやってきていたことをミカゲは話した。亜人に対して寛容な街は、この国ではここしかない。だが広い街の中でたった一人の亜人を探し出すのは簡単ではなかった。しかも奴隷として連れ帰ることを目的にしているならば、公に捜索することはこの街では憚れたからだ。
 ソウが気付いていなかっただけで、まだ呪縛は消えていなかっただけだった。
「それで今日、偶然お前を見かけたんだ。俺はあいつに取り入って信用されてるから、こうして自由にできる。あぁそうだ。お前の事を見つけたけどまだ言ってないぜ」
「い、言わない、で……おねが、い……だから……」
 縋る手に力をこめて、泣きじゃくりながらソウは言った。抵抗するはずだった手は完全に縋りつくものに変わる。
 もう二度とあそこには戻りたくない。あんな思いはしたくない。この自由を手放したくない。アマネと会うことはなかなかできなくても、せめてあの人の近くにいたい。偶然会って、なんでもない挨拶をするだけでいい。気持ちを捨てきれないけれど、それでアマネを困らせたりしないから。だからどうかこの街にいさせてください。心に溢れ出た懇願を、ソウは祈るように口にした。
 しかし泣いているソウの前で、ミカゲは意地悪く口を歪めた。腰にまわした手でソウの薄い尻を緩やかになぞりながらとぼけたように言う。
「それはどうするかまだ決めてねぇけど……お前しだいってところだな」
「わ、私……?」
「そうだ。お前が俺と一緒になるなら、俺もこの町の片隅ででも暮らすさ」
「それって……ミカゲも、逃げ出すって……こと……?」
「そういうことになるか。この街は逃げ出してきた亜人にも優しいらしいしなぁ。お前が証拠だろう。三年前、お前が一人で逃げ出したおかげで、何人もの亜人が拷問まがいに痛めつけられて死んだよ。俺も相当やられて、本当にお前には文句の一つの言ってやりたいって思ってたわ」
 言葉とは裏腹な、大きな手が腰から尻に這い回る感覚が怖い。ミカゲがなにを自分に求めているかそれで理解したソウは、にじり寄ってくる恐怖に抵抗しミカゲの腕から抜け出そうと暴れ始めた。
「いやだ……そんなこと、したくない。ミカゲと一緒なんて……いきたくないッ!」
 手足をばたつかせて逃げようとするソウを、ミカゲは力づくで押さえ込もうとした。ソウの白くたおやかな手ではミカゲを振り切ることはやはり叶わなかったが、腕から何とか、転がるように地面に蹲ることはできた。瞬時に身体を起こして逃げなければいけないのに、しかし全身が震えてろくに動けず、情けなく泣きながらミカゲを見上げるしかできなかった。また捕まえられたら、もう終わりだ。砂利道に装束が汚れるのもかまわず蹲るソウは、嗚咽をこらえることでもできないでミカゲを見返した。
 そんなソウをミカゲは逆上した目で睨みつけた。
「お前、自分の立場が分かってるのか? お前を助けてやれるのは俺しかいないってこと分かってるのか!?」
 興奮したミカゲは声を荒げてソウに掴みかかった。頭を庇うように両手をあげたソウに大きな手が掴みかかり、頭を覆っていた布を剥ぎ取った。普段外で晒されることがない亜麻色の艶やな髪が零れ、獣の耳も露わになった。外気に触れた耳がミカゲの大声にびくりと震えた。
 今度こそ、恐怖のあまり悲鳴を上げたつもりのソウだったが、まくし立てるミカゲの怒声にかき消されてしまった。
「お前のことをこれだけ心配してやってるのに、なんでそれが分からねーんだよッ! お前がいなくなって、俺たちがどんな思いをさせられてきたのかしらねーくせにお前だけ幸せになれるとでも思ってるのかッ」
 ミカゲの言葉は支離滅裂だったが、それすらもソウには分からなかった。ただ怖くて、ミカゲも怖かったが、呪縛をかける人間がこの街にいることも怖かった。四つん這いのまま這うようにミカゲの怒鳴り声と手から逃げようと、声を上げて泣きながらソウは身体を動かした。
 なぜこんなことになったのか。先ほどアマネに家に行っただけなのに。悲しかった気持ちも何もかも吹き飛んで、今自分の置かれている状況が理解できない。
 狭い路地で大声を張り上げる亜人と、それから逃げようと這い蹲る亜人。ソウの姿は暗さのおかげで周りからすぐには見当がつかなかった。声を聞きつけてちらほら集まり始めようとしている者のことにまで考えが及ばないソウは、耳を曝け出したままであることにも気が回らない。ずるずると白い装束が砂にまみれ汚れていくまま逃げようとしていると、ミカゲが勢い良く手をソウに伸ばして来た。それを視界の端に見つけたソウは、何もできないまま頭を抱え込むしかできなかった。
「いやだぁッ」
 滅多に声を荒げないソウが、喉から搾り出すように叫んだ。だがミカゲの手がソウに届くことはなかった。その代わり、ミカゲの声と、もう一人の声が鼓膜を打った。
「いい加減にしろ。近所迷惑だ」
 淡々とした物言いと、その声に覚えがあり、それが誰のものであるか分かったソウは、声のほうを振り仰いだ。
 周りの建物から漏れる灯りのおかげで薄暗い路地に立っているのは、宵闇の瞳を持つ長身の男だった。
「カグラ……さま……」
 ミカゲの腕を捻り上げているカグラが、ちらりとソウを見下ろした。長い睫毛の下の宵闇の瞳にも、形のいい唇にも、何の感情も浮かんでいない。ただ長い指を持つ手が、いとも簡単にミカゲの腕を持ち、痛みを与えるために捻りあげていた。緩やかに抜けた風に、カグラの纏う装束と肩から羽織った上着がさらりと踊った。
「ソウ」
「は、はい……」
「これは、お前の連れか?」
 聞かれたことが一瞬理解できず、ソウはぽかんとすると、カグラはもう一度同じ言葉を重ねた。余計な言葉は一切なく、淡々と。
「返事をしろ」
「あ、あの……ちがい、ます……」
「そうか」
 ソウの言葉を聞くが早いか、カグラはミカゲの腕を背中に回すようにして更に捻る。ミカゲは情けなくその場に蹲り呻くだけしかできなくなった。
「どこの誰かは知らんが、祭りだからといって何をしていいわけでもない。わきまえろ」
 そう言うと、あいている手で急所を一発で突きミカゲの意識を落とした。簡単そうにあっという間にやってしまったカグラに、ソウはなにが起こったのかも分からなかった。ぐったりと倒れたままのミカゲがピクリとも動かないのが信じられず、まだ震えは治まらない。
 カグラはミカゲのすぐ傍に落ちていた、ソウが頭に巻きつけていた布を拾い上げ軽く埃を払うと、無言のままソウの亜麻色の髪と耳を隠すようにぐるりと巻いた。
「野次馬が集まってきた。行くぞ」
「え……」
「皆に知られたいのか。お前が亜人だということを」
 目線を合わせるようにしてしゃがみ込んだカグラが、ソウを返事も待たずふわりと抱き上げた。
「え、あ、あの……カグラ様!?」
「ここで私の名を呼ぶな。誰かに聞かれたらどうする」
 肩に担ぎ上げるようにしてソウを抱えて、カグラは何もなかった顔で歩き出した。遠巻きにできた野次馬を避けるように。幸いにしてここは細い路地が入り組んでいる。灯りのあまりない暗闇を選び、カグラはその場から離れた。
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