君の瞳が映す華

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18.兆候

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「ソウ、ちょっと出かけよう」
 起きて早々、センが笑顔で言った。庭で小鳥たちに餌をあげていたソウは、キョトンとした顔で後ろを振り返った。
「出かける?」
「今日から祭りだよ? 忘れてたろう」
「あ……そんな時期なんだ……」
 言われてソウは気付く。煌華の街が年に一度、最も活気付く時が始まった。


 織物と花の栽培が盛んな街は、一年のうち三日だけそれを祝い、祭りが開かれる。そのときは普段高価な品も値引きされ、手ごろな値段で取引されることから地方からの客も増える。花も普段以上に店に並び、そして街の住人上げて客をもてなし店も流行る。
 外出が久しぶりにといえるほど引きこもっていたソウも、センに連れ出され、見物を兼ねて散歩に行くことにした。気分が塞ぎこむのは変わらないが、あまり心配ばかりかけてもいられない。店番もろくにしていなかったし、ここはセンに付き合うことに決めたソウは、いつもより少しだけ華やかな色の装束を身に纏い、そして以前頂いた花の刺繍の施された布で獣の耳とうなじに彫り込まれた蘭を隠して出かけた。
 細い路地の中にある、センの店の周りはそれほど祭りという感覚はないが、やはり大きな通りに出ると違った雰囲気を感じた。
 通りにはいつもの店のほかに露店が並び、一層雑多な雰囲気が増していた。どの店にも花が飾られ、そしてそこを行きかう人間や亜人の胸元や髪、どこかしらに花がある。特産の絨毯や刺繍の施された装束もいつもよりずっと数が多く扱われ、皆がそれを求めて集まっているので、人ごみが通り全体を埋め尽くしていた。
 この街で三年目だが、毎年それには、ソウは目を丸くしてしまうのをとめられなかった。なにせこれだけ多くの人間と亜人を見るのは滅多にないし、何度見ても圧倒される。
 しかしまだこのあたりはましな方だとセンは言う。いや正直もう充分だと、路地から出た所で思うのも三年目だが。
 だが浮ついた喧騒が、沈み込んでいた心を少しだが浮上させてくれるような気がした。家の中で、殆ど自室で過ごしたこの数日、考えるのはアマネのことばかりだったし、食欲がなくてセンが心配するほど痩せてしまったようだ。しかしそれも何を食べても味がなく、水分を取るだけでソウは精一杯だったのだから仕方ないのだけれど。
「相変わらずすごい人だね……」
 親子連れや数人が連れ立って歩く姿。人間も亜人も笑顔だ。明るい声がそこかしこから聞こえる。センと二人で道の端でそれを眺めていたソウの表情も、様子を伺うだけで綻んだ。
「今日は、ソウの好きなものを買うと良いよ」
 小柄なセンがソウを見上げて笑う。えくぼの浮き上がった年よりも若く見える笑顔は愛情を湛え、それがソウの心に深く沁みこんでいく。
「好きなものって言っても……思いつかないよ」
「じゃあ色々見て、そのとき欲しいものを言えば良いじゃないさ」
「でも……」
「心配は無用だよ。私だって働いてるんだから、たまには贅沢したいときもある。ソウが少しでも気が晴れるならそれも良しだ」
 決して裕福とはいえない生活の中で、ソウにも賃金を払ってくれるセンの心遣いは普段からあった。ソウがセンから離れて暮らすことがあったとき、無一文だと困るだろうという考えだが、ソウからすればそれだけでありがたいことなのに。センが祭りに行こうと言ったのも、今の言葉も、申し訳ないくらいほどだ。
 ソウは潤んだ亜麻色の瞳を嬉しそうに細めてセンに頭を下げた。
「セン、いつもありがとう」
「なに改まってるんだよこの子は。せっかくだし美味しいものも食べて笑って過ごそう」
 まるで子供にするようにセンはソウの頭を撫でる。温かで柔らかな手でそのままソウの細い手を握り、センは歩き出した。ソウはそれが自分の年を考えると恥ずかしかったが、手を取って笑ってくれているセンを見ることが、それより遥かに嬉しかった。だから解かずに笑顔で歩き出した。
 三年も住めば、それなりに顔見知りもできる。誰もが目を奪われるほどに美麗な外見を持つソウは目立つし、性格も穏やかで皆から好かれている。それは亜人も人間も関係なかった。話しかけてくれるもの、笑顔で見守ってくれるもの。対応は様々だがソウにとって不快なことは一切なく、それに一つ一つ応えていくうちに、いつもの笑顔が自然と浮かんでいた。
 露店では遠くから行商に来ている店が開かれ、この街であまり食べられないような珍しい食べ物が売っていたり、とれたての野菜や果物が多い。歩きながら食べやすいようにと、小さく切ってくれた黄色と赤い果物をセンと分け合いながらつまみつつ、他の店にも視線を配る。通りの両端に隙間もないほど店があるために、一日ではとてもじゃないが回ることはできないだろう。
 勿論、織物が有名な街だからこの祭りのために作られた品もたくさんあった。ソウは普段着飾ることをしないけど、見ることも楽しいし、気に入ったものがあればだが、実際着てみたいと思うこともある。だが目立つことを恐れてそれをしないだけだ。色彩豊かな衣装を眺めながら、しかし自分が逃げ出してきたことを思うと、どうしてもそれを身につけてみようとは思えなかった。
 そんなソウの視線の先をおったセンが、声をかけた。
「あれがほしいの?」
 言われてハッと気付く。そんなに物ほしそうに見ていたのだろうか。恥ずかしくなって思わず頬が赤くなる。
「い、いいよ……綺麗だなぁって思っただけだし」
 ソウがじっと見つめていたのは、白の装束に赤と青の花をあしらったものだった。透明感のある色彩と丁寧な造りのそれは、ふわりと風が吹くだけでたおやかに揺れるほど柔らかかった。通気性も良さそうな極上の生地で作られていることは、素人目に見ても明らかなほどで、実際値段はソウが普段着ているものが軽く5着は買えるくらいだった。
 そんな高いものを買う勇気もないし、まして買ってもらうだなんて出来るはずもなかった。
「いつか、あんなのが着れたらいいなって。楽しみしておく」
 にっこりと笑ったソウにセンは呆れたように笑い返して、高い位置にあるソウの頭を撫でた。
「なにを気遣ってくれてるのか分からないけど、あれくらい買っても今晩のご飯に困りはしないさ」
「え……? セン?」
「あんたはせっかく綺麗な姿で生まれてきたんだ。たまには着飾ってみな。私も見てみたいしね」
 戸惑うソウの手をひっぱり、センはその店の中に入っていく。特別高価すぎて手が出ないわけではないが、安くもない。まして自分のお金で買うならともかく。
 ソウがセンに、必死で断っているのを完全に無視して、ものの五分もかからずにそれは店先から外され、ソウの身にまとわれていた。
 色白のソウに、それはとてもよく似合った。華やいで見えるだけでなく、品のようなものをソウに与えている装束はやはり手にとってみれば生地の柔らかさ、縫製の丁寧さがよく分かる。するりと肌に馴染みそれでいて重たくなく、ソウが少し動くだけで計算されて裁断された裾が踊った。
「よく似合うねぇ」
 センは上から下まで見つめ、感心したようにため息を零した。それは店の人間と亜人も同じ気持ちだったようで、皆が今までにないくらいソウを褒めてくれた。あまり褒められることに慣れていないソウは、それが嬉しいのだが次第に恥ずかしさの方が勝ってしまい、最後はセンがお金を払うのを待ちきれないように外に飛び出した。
 外は陽射しに溢れ風が舞い踊る。その風に装束の裾を靡かせて、ソウはふと目の前にある一軒の露店に視線を流した。
 そこは小さくあまり目立たないが、糸を扱っているようだ。脳裏にアマネが過ぎり、無意識に行きかう人の間を縫うように道を渡り、並んでいる糸を見つめた。
 置かれている糸は暖色系のものが多く、どれも質が良さそうだった。今まで糸にまで興味を持つことがなかったけれど、アマネに出会って本を読めるようになって、またアマネのことを好きになったからこそここまで気づくことができるようになった。そう思うと胸の奥がずきりと痛んだ。先ほどまで楽しかった気持ちがすうと吸い取られていくような気がした。
 視界の端に瑞々しい緑色の糸が入り込み、亜麻色の瞳がそこにひきつけられた。芽吹く深緑のその糸は金糸がまじり、まるで陽光を蓄えた葉を思わせる。同時に、金色の髪に緑の瞳を持つ、あの盲目の男のようにも思えた。
「綺麗……」
「何かお作りになるときにでもどうですか?挿し色としても充分使えますよ」
 店を出している亜人がにこにことソウに声をかけてきた。見た目は完全に人間とは異なる種類の亜人だ。黒い体毛に覆われて、明らかに獣の容貌に肢体。赤い瞳は邪気なく微笑んでいるが、かなり異質に見えた。
 だが、人間と同じように振る舞い同じ言葉を話し、何も臆していない姿は、よほどソウよりも馴染んでいる。
 それがとてもうらやましかったのと、同じ亜人としてこの亜人がこうして生きている姿が誇らしかった。
「じゃあ、もらいます。いくらですか?」
 ソウは綺麗な深緑の糸を買った。頑張っている亜人に対するささやかな応援の気持ちと、もう一つは、お礼としてあげるためだ。
 アマネに、今までお世話になってお礼をしていない。それが頭を過ぎった。文字が読めるようになったのも、今胸の中に刻まれている感情も、アマネがいてくれたからだ。特別な感情を教えてくれて、苦しくて辛いけど、ありがとうという思いは溢れんばかりにある。
 アマネが作り手として今何かをすることはないのかもしれないが、糸を集めていたあの部屋のことが思い出された。
 あの中に、たくさんのあの部屋の糸の中に、自分が買ったものを混ぜてほしい。そうしたらアマネも、たまには自分のことを思い出してくれるのではないだろうか。掠めるように、そんなよこしまなことを考えた。
 持っていていたお金でその糸を買い、ソウは大切そうに懐にしまいこんだ。
「ソウ? 何してるんだい?」
 後ろからセンに声をかけられて、ソウは店の亜人に深く頭を下げて踵を返した。はじめて人のために何かを買った。それもアマネがいたからだ。妙に嬉しかった。
 センの元に駆け寄り、長い睫毛に陽光をまといながらソウはまた歩き出した。
 これで、最後にしよう。そんなことを思う。喉がひりついて渇いてくる心が悲鳴を上げそうになるが、それを笑顔で押さえ込み、祭りの喧騒の中を渡る。
 きっとまた沈んでしまってセンに心配をかけることになる。だから今だけでも笑っていよう。懸命に自分に言い聞かせて、買ってもらった装束を軽やかに翻して歩いた。
 その姿を、じっと見つめる目があることも知らないで。
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