3 / 5
第三集 青い空の下で
しおりを挟む
長安での戦から数年後、南匈奴の単于・於夫羅は病没。息子である多羅克がまだ若かった事もあり、於夫羅の弟で多羅克の叔父にあたる呼廚泉が新たな単于となり、多羅克は左賢王(第一王位継承者)となった。
そんな中で蔡琰は、多羅克と共に南匈奴の住む北地へと移り住む事になった。はじめ多羅克は蔡琰を正妻に迎えたいと申し出たのだが、戦利品の異民族を正妻に迎えるなど前代未聞であると周囲からの猛反対を受け、あくまでも妾という立場に落ち着く。
しかし正妻であろうと妾であろうと、蔡琰に対する多羅克の想いや態度が変わるわけでもない。
父から教わった琴を弾けなくなった事を残念に思うという蔡琰の言葉を聞いた多羅克は、琴という物がどういう物か知らなかったが、音楽を奏でる物と聞いて、蔡琰に葦笛の作り方を教えた。
「琴という物とは違うかもしれぬが、これで音を奏でる事はできる」
そうした多羅克の心遣いに、蔡琰も次第に心を開いていった。
自分の人生は長安でひとつの終わりを迎えたのだ。ならば拾った命、生まれ変わったつもりで新たな暮らしを送ろう。
どこまでも続く青い空、緑の草原、そして吹き抜ける風。それがこれから自分が生きていく世界なのだ。
蔡琰がそう決意するまでに長くはかからなかった。
蔡琰が匈奴の文化に心を開く一方で、多羅克もまた漢人の文化に強い興味を持った。元より博学多才な蔡琰が今まで学んできた多くの事を聞かせ、その度に目を輝かせる多羅克。
蔡琰にとって、初めは夫と言うより、少し年下の弟が出来たような、そんな愛おしさを感じていた。
そうして仲睦まじい二人の関係は、十数年にも及んだ。
だがそんな当人同士の想いとは別に、外から見た蔡琰の境遇は「戦火の中で誘拐され蛮族の妾にされた哀れな女」でしかなかったのだ。
中原での群雄割拠を制し、河北の雄である袁紹を打ち破って中華の北半分を手に入れた当代の覇者、曹操の耳にもその噂は聞こえていた。
特に曹操は若き頃、都で尉(警備責任者)をしていた頃に蔡邕と親交があり、汚職が横行していた後漢朝廷にあって、その高潔な人柄を大いに尊敬していたのである。
戦乱の中で無念の死を遂げた蔡邕。彼のたった一人の愛娘は行方知れず。ずっと気にかかっていた所に、その娘が実は誘拐されており、未開な蛮族の地で生き永らえていたと知れば、何としても連れ戻してやりたいと思うのが人情であろう。ましてや今の曹操にはそれを成すだけの力があるのである。
建安十二年(西暦二〇七年)、北地。
南匈奴は今や危機に瀕していた。
漢王朝の味方を標榜して傭兵稼業をしていた彼らであったが、中原の群雄割拠に於いて彼らが味方をした汝南袁氏である袁術、袁紹は共に曹操に敗れ去った。
幾度となく敵対した曹操が華北全土を手中に収めた事で、彼らは雇い主を失ったのである。今更に曹操に降った所で部族ごと滅ぼされるのではないか。この時期の彼らにはその恐怖が付きまとっていた。
さらに追い打ちをかけるように、北地一帯で異常気象や災害が多発し、狩りの獲物である動物たちが激減した。
漢人から穀物を買おうにも、彼らの持っている財宝は減っていくばかり。このままでは遠からず飢えに苦しむ事になる。
いっその事、漢人の村を略奪するしか手は無いのではないか。そう主張する者もいたが、多羅克はそれを必死に止めた。
漢人である蔡琰を悲しませたくない気持ちもあった。そして蔡琰から多くの話を聞かされ漢人に対する愛着も湧いていた。またそんな多羅克の個人的感情だけでなく、何世代も掛けて漢人から認めてもらおうとしてきた先祖の思いそのものを無にする事にもなる。
だがこのままでは、いずれ食糧も底を尽き、守るべき部族の民たちが次々と餓死していくであろう事も現実的な問題として立ち塞がっていた。
堂々巡りの議論の中で、単于である呼廚泉も、左賢王たる多羅克も頭を悩ませていた。
曹操からの使者が北地に訪れたのは、そんな時であった。
「当地に囚われている蔡家の娘、昭姫を漢地へと帰還させてほしい。応じてくれれば相応の対価を払う」
それが使者が伝えた曹操の言葉であった。そして同時に、何台もの馬車に満載された大量の財宝。更には食糧難を知っているかのように穀物まで大量に用意されていたのである。
呼廚泉を始め部族の長たちは、その申し出を大いに歓迎する風潮であったが、まさに件の昭姫、すなわち蔡琰の夫である多羅克は、すぐに受け入れる事は出来なかった。
この交渉を受け入れたとて、曹操と敵対したままの関係が解消されるわけではない。華北一帯を曹操が制した以上、匈奴は漢の都に入る事などできない。
それはこの十数年、互いに思いを寄せて愛し合った者との、或いは今生の別れを意味していたのだから。
天幕で二人きり、曹操からの申し出について、蔡琰本人にそのまま語って聞かせた多羅克。
蔡琰は押し黙ってしばらく考えた後、決意を固めたように言う。
「申し出を受けましょう」
心のどこかで或いはと覚悟していた多羅克であったが、本人の口から別れと同等の言葉を聞いて、悲しみが沸きあがる。歯を喰いしばって耐えようとしても、その両の瞳から涙が零れた。
それは蔡琰にとっても、また辛い決断であった。長安で出会ってからこの北地に移り住み、そこで生きると決めた。その期間は、漢地で過ごした時間と同等かそれ以上。
漢地で失った幸せを、この北地で新たに見いだし、この日まで生きてきたのである。それを捨て、知人もいない漢地へと再び戻れという。
曹操とは言わない。あの戦乱の長安で、多羅克と出会う前に、漢人の誰かがこの助けの手を差し伸べてくれていたのなら、お互いにこんな悲しみを負う事も無かったろうに……。
責めたところで仕方がないと理解しつつ、蔡琰は天を呪わずにはいられなかった。
だがそれも、多羅克と蔡琰たった二人の感情でしかない。この交渉に応じれば部族は救われる。その決断は蔡琰が握っていた。他の者には代われぬ役目。部族存亡の危機にあってようやく見えた一縷の望みを、断る事など蔡琰には出来ぬ事だった。
そうして別れの朝、十数年ぶりに見る漢の馬車の前に立った蔡琰は、背後に立つ多羅克を振り返る。
夜を通して互いに涙を流し、覚悟を決めての別れである。
「楽しかったよ……、本当に」
その多羅克の言葉に、十数年に渡る北地での暮らしが走馬灯のようによぎる。初めは慣れない匈奴の文化に戸惑いもしたが、いつでも傍で気にかけてくれた多羅克。思い出のほとんどは、その優しい笑顔と共にあった。
蔡琰は、今にも再び涙を流しそうな多羅克に言う。
「笑ってください、いつものように。私も死にに行くわけでは無いのですよ。もう会えないかも知れませんが、お互いに生きているのですから。この青い空の下で……」
蔡琰が北地を去った別れの日も、見上げれば美しい青い空が広がっていた。
そんな中で蔡琰は、多羅克と共に南匈奴の住む北地へと移り住む事になった。はじめ多羅克は蔡琰を正妻に迎えたいと申し出たのだが、戦利品の異民族を正妻に迎えるなど前代未聞であると周囲からの猛反対を受け、あくまでも妾という立場に落ち着く。
しかし正妻であろうと妾であろうと、蔡琰に対する多羅克の想いや態度が変わるわけでもない。
父から教わった琴を弾けなくなった事を残念に思うという蔡琰の言葉を聞いた多羅克は、琴という物がどういう物か知らなかったが、音楽を奏でる物と聞いて、蔡琰に葦笛の作り方を教えた。
「琴という物とは違うかもしれぬが、これで音を奏でる事はできる」
そうした多羅克の心遣いに、蔡琰も次第に心を開いていった。
自分の人生は長安でひとつの終わりを迎えたのだ。ならば拾った命、生まれ変わったつもりで新たな暮らしを送ろう。
どこまでも続く青い空、緑の草原、そして吹き抜ける風。それがこれから自分が生きていく世界なのだ。
蔡琰がそう決意するまでに長くはかからなかった。
蔡琰が匈奴の文化に心を開く一方で、多羅克もまた漢人の文化に強い興味を持った。元より博学多才な蔡琰が今まで学んできた多くの事を聞かせ、その度に目を輝かせる多羅克。
蔡琰にとって、初めは夫と言うより、少し年下の弟が出来たような、そんな愛おしさを感じていた。
そうして仲睦まじい二人の関係は、十数年にも及んだ。
だがそんな当人同士の想いとは別に、外から見た蔡琰の境遇は「戦火の中で誘拐され蛮族の妾にされた哀れな女」でしかなかったのだ。
中原での群雄割拠を制し、河北の雄である袁紹を打ち破って中華の北半分を手に入れた当代の覇者、曹操の耳にもその噂は聞こえていた。
特に曹操は若き頃、都で尉(警備責任者)をしていた頃に蔡邕と親交があり、汚職が横行していた後漢朝廷にあって、その高潔な人柄を大いに尊敬していたのである。
戦乱の中で無念の死を遂げた蔡邕。彼のたった一人の愛娘は行方知れず。ずっと気にかかっていた所に、その娘が実は誘拐されており、未開な蛮族の地で生き永らえていたと知れば、何としても連れ戻してやりたいと思うのが人情であろう。ましてや今の曹操にはそれを成すだけの力があるのである。
建安十二年(西暦二〇七年)、北地。
南匈奴は今や危機に瀕していた。
漢王朝の味方を標榜して傭兵稼業をしていた彼らであったが、中原の群雄割拠に於いて彼らが味方をした汝南袁氏である袁術、袁紹は共に曹操に敗れ去った。
幾度となく敵対した曹操が華北全土を手中に収めた事で、彼らは雇い主を失ったのである。今更に曹操に降った所で部族ごと滅ぼされるのではないか。この時期の彼らにはその恐怖が付きまとっていた。
さらに追い打ちをかけるように、北地一帯で異常気象や災害が多発し、狩りの獲物である動物たちが激減した。
漢人から穀物を買おうにも、彼らの持っている財宝は減っていくばかり。このままでは遠からず飢えに苦しむ事になる。
いっその事、漢人の村を略奪するしか手は無いのではないか。そう主張する者もいたが、多羅克はそれを必死に止めた。
漢人である蔡琰を悲しませたくない気持ちもあった。そして蔡琰から多くの話を聞かされ漢人に対する愛着も湧いていた。またそんな多羅克の個人的感情だけでなく、何世代も掛けて漢人から認めてもらおうとしてきた先祖の思いそのものを無にする事にもなる。
だがこのままでは、いずれ食糧も底を尽き、守るべき部族の民たちが次々と餓死していくであろう事も現実的な問題として立ち塞がっていた。
堂々巡りの議論の中で、単于である呼廚泉も、左賢王たる多羅克も頭を悩ませていた。
曹操からの使者が北地に訪れたのは、そんな時であった。
「当地に囚われている蔡家の娘、昭姫を漢地へと帰還させてほしい。応じてくれれば相応の対価を払う」
それが使者が伝えた曹操の言葉であった。そして同時に、何台もの馬車に満載された大量の財宝。更には食糧難を知っているかのように穀物まで大量に用意されていたのである。
呼廚泉を始め部族の長たちは、その申し出を大いに歓迎する風潮であったが、まさに件の昭姫、すなわち蔡琰の夫である多羅克は、すぐに受け入れる事は出来なかった。
この交渉を受け入れたとて、曹操と敵対したままの関係が解消されるわけではない。華北一帯を曹操が制した以上、匈奴は漢の都に入る事などできない。
それはこの十数年、互いに思いを寄せて愛し合った者との、或いは今生の別れを意味していたのだから。
天幕で二人きり、曹操からの申し出について、蔡琰本人にそのまま語って聞かせた多羅克。
蔡琰は押し黙ってしばらく考えた後、決意を固めたように言う。
「申し出を受けましょう」
心のどこかで或いはと覚悟していた多羅克であったが、本人の口から別れと同等の言葉を聞いて、悲しみが沸きあがる。歯を喰いしばって耐えようとしても、その両の瞳から涙が零れた。
それは蔡琰にとっても、また辛い決断であった。長安で出会ってからこの北地に移り住み、そこで生きると決めた。その期間は、漢地で過ごした時間と同等かそれ以上。
漢地で失った幸せを、この北地で新たに見いだし、この日まで生きてきたのである。それを捨て、知人もいない漢地へと再び戻れという。
曹操とは言わない。あの戦乱の長安で、多羅克と出会う前に、漢人の誰かがこの助けの手を差し伸べてくれていたのなら、お互いにこんな悲しみを負う事も無かったろうに……。
責めたところで仕方がないと理解しつつ、蔡琰は天を呪わずにはいられなかった。
だがそれも、多羅克と蔡琰たった二人の感情でしかない。この交渉に応じれば部族は救われる。その決断は蔡琰が握っていた。他の者には代われぬ役目。部族存亡の危機にあってようやく見えた一縷の望みを、断る事など蔡琰には出来ぬ事だった。
そうして別れの朝、十数年ぶりに見る漢の馬車の前に立った蔡琰は、背後に立つ多羅克を振り返る。
夜を通して互いに涙を流し、覚悟を決めての別れである。
「楽しかったよ……、本当に」
その多羅克の言葉に、十数年に渡る北地での暮らしが走馬灯のようによぎる。初めは慣れない匈奴の文化に戸惑いもしたが、いつでも傍で気にかけてくれた多羅克。思い出のほとんどは、その優しい笑顔と共にあった。
蔡琰は、今にも再び涙を流しそうな多羅克に言う。
「笑ってください、いつものように。私も死にに行くわけでは無いのですよ。もう会えないかも知れませんが、お互いに生きているのですから。この青い空の下で……」
蔡琰が北地を去った別れの日も、見上げれば美しい青い空が広がっていた。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
永遠なる花苑~異聞枕草子
鶏林書笈
歴史・時代
宮仕えを退いた清少納言のもとに再出仕の依頼が来た。今更、後宮勤めをする気にならなかった彼女は娘を代わりに出仕させた。彼女の出仕を望んだ中宮彰子にはある目的があった。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
「死の力学」の兵法家・呉起
城 作也
歴史・時代
呉起は、呉子とも呼ばれ、孫子と並んで中国古代の兵法家として名高い。
しかし誰も、彼のように生きたいとは思わないであろう。
生まれるのが早すぎた天才と、世は彼を評す。
ラスト・シャーマン
長緒 鬼無里
歴史・時代
中国でいう三国時代、倭国(日本)は、巫女の占いによって統治されていた。
しかしそれは、巫女の自己犠牲の上に成り立つ危ういものだった。
そのことに疑問を抱いた邪馬台国の皇子月読(つくよみ)は、占いに頼らない統一国家を目指し、西へと旅立つ。
一方、彼の留守中、女大王(ひめのおおきみ)となって国を守ることを決意した姪の壹与(いよ)は、占いに不可欠な霊力を失い絶望感に伏していた。
そんな彼女の前に、一人の聡明な少年が現れた。
沈黙に積雪 ~河北の劉秀~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
前漢末、皇帝の外戚・王莽は帝位を簒奪し、「新」という王朝の皇帝を称した。これに対して、中国の全土で叛乱、自立が相次ぎ、その中でも最も天下に近かった勢力・平林軍の更始帝は長安と洛陽を陥落し、ついに王莽を斃した。
しかし天下は未だ定まらず、更始帝は、不安定は河北に誰を差し向けるか悩んでいたが、少数により王莽の軍を撃破した実績を持つ、劉秀に白羽の矢を立てた。
劉秀――のちの後漢の光武帝である。
【登場人物】
劉秀:のちの後漢の初代皇帝・光武帝。
馮異:劉秀の部下。大樹将軍の異名を持つ。
王郎:河北の邯鄲(かんたん)にて、漢の皇族を称し、自立。
奴国の大夫:倭の諸国の内、奴国(なこく)からの使節。後漢より「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の金印を賜る。
【表紙画像】
「ぐったりにゃんこのホームページ」様より
荒野の復讐剣
水城洋臣
歴史・時代
「人を殺めました……」血塗れの生首を持って自首した娘が語った復讐の物語
生首を片手に「人を殺した」と自首してきた若い娘がいた。
平穏だった辺境の砂漠の街で、白昼堂々起こった殺人。
投獄された彼女が語った復讐の物語とは……。
人生の半分をただ復讐の為に生き、『後漢書』にその名を刻んだ烈女・趙娥の逸話を元に武侠小説テイストで肉付けした短編です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる