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第八集 帰る場所
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さて、永嘉の乱にて洛陽、長安を立て続けに落とし、晋を事実上壊滅させた匈奴漢であったが、そこに至って漢帝・劉聡はすっかりと慢心し、酒と女にうつつを抜かすようになってしまった。
都である平陽に豪華な宮殿を造営しようとした際、父帝・劉淵の頃からの配下であった陳元達に諫められた。天下は未だ収まっておらず、民は貧困に喘いでいると。
しかし劉聡はこれに激怒。
「余は皇帝になったというのに、宮殿のひとつも建ててはならぬのか? 貴様如き老耄ネズミに、何故いちいち指図されねばならぬ!」
そうして老臣・陳元達は処刑された。この後も建国に功のあった忠臣たちがたびたび諫めたが、劉聡の反応は同じような物ばかりで、一向に態度を改めようとはしなかった。
こうしていつしか諫言する者はいなくなり、劉聡の周囲には機嫌を取る佞臣ばかりが侍る事となってしまったのである。
中でも娘を劉聡に嫁がせた外戚の靳準が着々とその派閥を広げており、そう遠くない内に都周辺は実質的に靳準が牛耳るであろう事は誰の目にも明らかであった。
そうした漢の内部の乱れを察知し、中原を任され青州にいた王弥は、先の永嘉の乱以来、皇族の劉曜と険悪になったままだった事もあり、自立を考えるようになった。そして冀州にいる石勒に接近する事になる。
だが石勒の方は、王弥が自分を利用しようとしている事を察し、酒宴の席で自ら王弥を殺害した。酒杯を傾け豪快に笑う王弥の脳天に対し、石勒の巨大な手斧がおもむろに振り下ろされたのである。
反乱軍の頭領として晋朝を乱した王弥は、こうして断末魔の悲鳴を上げる暇もなく、血飛沫を上げて肉塊と化した。
王弥の率いていた青州兵は、そのまま石勒が吸収。河北一帯から中原にかけて広範囲の土地を有した匈奴漢最強の将は、いつしか本国すらも凌駕する国力を手にしていたのである。
こうした石勒の動向を耳にしても、漢帝・劉聡は何も咎めようとしなかった。
劉聡自身も王弥を始末しようと考えていたからなのか、膨れ上がった石勒の勢力を前に何も言えなくなっていたのか、それとも本当に政治に興味を失って気にも留めなかったのか、その心は分からぬままである。
そんな最中、漢によって拉致されていた晋帝・司馬熾が、劉聡によって処刑される事になる。当初は手元に置いて利用しようとしていた劉聡であったが、投降した晋の将たちが司馬熾を担いで内乱を計画している事を察知し、その首謀者もろとも見せしめに処刑したという流れであった。
未だに抵抗勢力が残っていた関中では、司馬熾が処刑された事に憤り、亡き司馬模の息子・司馬保が挙兵して長安を奪還。晋の初代皇帝・司馬炎の直系の孫である秦王・司馬鄴を第四代晋帝として擁立し、匈奴漢に対して徹底抗戦の構えを見せていた。
これに対し関中の統治を任されていた劉曜は再び長安に出兵し、一進一退の攻防を繰り広げていたのである。
前線で戦い続ける劉曜も、都での劉聡の堕落ぶりは耳にしていた。だがその生まれついての奇異な容姿のせいで幼い頃より周囲から迫害を受けていた劉曜は、そんな彼をずっと庇《かば》い続けてくれていた族兄を信じ続けていたかった。むしろ国の命運を、劉聡の分まで自分で背負い込んでしまっていた向きもある。
こうして匈奴漢は、酒と女におぼれた劉聡とその取り巻きの靳準が領土の真ん中に控え、王弥の軍を吸収して本国を超える広範囲の領土と軍事力を保持した東の石勒。そして忠誠心の高い前線部隊を率いて関中平定に精を出す西の劉曜。
そんな三つの内部勢力へと分かれてしまっていたわけだ。
「晋も大概だったが、漢も駄目かもな……」
北宮純は思わずそう呟いた。
下邽にて匈奴漢に投降した彼は、命を取られる事は無かった。だが彼の存在を危険視した劉聡は、尚書(文書管理官)の役職に就けると、生かさず殺さず、まさに飼い殺しのような形で都である平陽に置いていたのである。
別に晋朝への忠義があるわけでもない北宮純は、先の司馬熾擁立の反乱計画には加担しておらず、また劉聡が堕落していく様を諫める義理もない。ただ情勢の流れを冷静な目で傍観していた。
それゆえに都での政争には距離を取り、また何もかもを忘れて戦場を駆ける事すら封じられた状況の中、尚書の職を淡々とこなしていた。
そうなると自分の人生を嫌でも振り返って深く考えてしまう。己の身の振り方に最も悩んでいた時期であると言える。
涼州刺史・張軌の事は気に入っているが、もう年齢も年齢であり、先年に病に倒れてもいる。恐らく長くはないだろう。そうなると彼の息子たちの代になるわけだが、北宮純と良好な関係にあるのはあくまでも張軌個人であって、息子たちからは好かれているわけではない。
結局は涼州に戻った所で、漢人特有の儒教的礼節に縛られた中に身を置く事になり、前と変わらず邪魔者扱いされるだろう。
また彼はもうずっと独りで家族もない。
故郷である涼州にも、晋にも、漢にも、どこにも彼の祖国は無かったのである。
「北宮尚書ですか?」
そう声をかけられ、北宮純は声の主へと振り向いた。
着古した農民のような服に、砂除けの外套を羽織った旅人のような風体。年齢は恐らく三十前後で北宮純と同世代。細身だがよく鍛えられている事が服の上からでも分かる、武人然とした男である。だが何よりも重要なのは、漢語ではなく羌語で話しかけられた事であった。
北宮純が誰何すると、相手は笑みを浮かべて名乗る。
「姚柯迴の息子、姚弋仲と言います」
羌族の部族のひとつ、姚一族の族長・姚柯迴は、元々は秦州に住んでいたのだが、そこは漢の劉曜軍と涼州の張軌軍が激突する場所となった。
戦乱を避けて一族郎党を引き連れ、関中の北方にある安定の辺りに移り住んだが、戦いの帰趨が漢に傾いた事を知ると、漢の内情を探る為に息子を情報収集に送ったという事だった。あるいは匈奴漢に降るべきかどうか検討しているという。
その話を聞いた北宮純は苦笑しながら即答する。
「やめとけ。今降ったら余計な争いに巻き込まれる」
酒と女に溺れている漢帝・劉聡は、既に体を壊して寝込む事も増えてきた。そう遠くない内に崩御するだろう。そうなれば、靳準、石勒、劉曜の三つの派閥に別れて内乱が起こるだろうと北宮純は踏んでいた。
降るのなら、その内乱の結果を見極めてからでも遅くはない。北宮純は姚弋仲の肩を叩いてそう諭した。
そんな北宮純の助言に感謝の言葉を述べ、父にそう伝えると言った姚弋仲は、次いで北宮純に言う。
「あなたはここに満足していないとお見受けしましたが、もしその時が来たら、我らの所に来てはくださいませぬか?」
北宮純にとって、それは予想もしていなかった言葉であり、目を丸くしたまま反応に苦慮していた。姚弋仲は笑顔で続ける。
「あなたの活躍は、我らの所にも聞こえております。同じ羌族として誇らしいと父も言っておりますし、幼い息子たちもあなたの武勇伝に聞きほれています。何よりも、共に轡を並べられるなら、これ以上に心強い味方はおりません」
その言葉には何の偏見や嫌味もない。そんな言葉をかけてくれた者は、少年時代に親兄弟を亡くして以来、北宮純の人生にほとんどいなかった。
嬉しいという感情があったのは間違いないのだが、その感情の表出に全く慣れていなかった北宮純は、どう答えたらいいか迷った。そして一言だけ返す。
「もし内乱が収束して、その時に生きていたら……、是非に」
「その日が来るのを、我らも楽しみにしておりますぞ」
そうして同族とのやりとりを終えた北宮純は、先の見えなかった闇の中に、小さな光を見つけたような気がした。いつか自分が帰る場所が見つかったような暖かな気持ち。
それはもう何年も忘れていた心持ちであった。
都である平陽に豪華な宮殿を造営しようとした際、父帝・劉淵の頃からの配下であった陳元達に諫められた。天下は未だ収まっておらず、民は貧困に喘いでいると。
しかし劉聡はこれに激怒。
「余は皇帝になったというのに、宮殿のひとつも建ててはならぬのか? 貴様如き老耄ネズミに、何故いちいち指図されねばならぬ!」
そうして老臣・陳元達は処刑された。この後も建国に功のあった忠臣たちがたびたび諫めたが、劉聡の反応は同じような物ばかりで、一向に態度を改めようとはしなかった。
こうしていつしか諫言する者はいなくなり、劉聡の周囲には機嫌を取る佞臣ばかりが侍る事となってしまったのである。
中でも娘を劉聡に嫁がせた外戚の靳準が着々とその派閥を広げており、そう遠くない内に都周辺は実質的に靳準が牛耳るであろう事は誰の目にも明らかであった。
そうした漢の内部の乱れを察知し、中原を任され青州にいた王弥は、先の永嘉の乱以来、皇族の劉曜と険悪になったままだった事もあり、自立を考えるようになった。そして冀州にいる石勒に接近する事になる。
だが石勒の方は、王弥が自分を利用しようとしている事を察し、酒宴の席で自ら王弥を殺害した。酒杯を傾け豪快に笑う王弥の脳天に対し、石勒の巨大な手斧がおもむろに振り下ろされたのである。
反乱軍の頭領として晋朝を乱した王弥は、こうして断末魔の悲鳴を上げる暇もなく、血飛沫を上げて肉塊と化した。
王弥の率いていた青州兵は、そのまま石勒が吸収。河北一帯から中原にかけて広範囲の土地を有した匈奴漢最強の将は、いつしか本国すらも凌駕する国力を手にしていたのである。
こうした石勒の動向を耳にしても、漢帝・劉聡は何も咎めようとしなかった。
劉聡自身も王弥を始末しようと考えていたからなのか、膨れ上がった石勒の勢力を前に何も言えなくなっていたのか、それとも本当に政治に興味を失って気にも留めなかったのか、その心は分からぬままである。
そんな最中、漢によって拉致されていた晋帝・司馬熾が、劉聡によって処刑される事になる。当初は手元に置いて利用しようとしていた劉聡であったが、投降した晋の将たちが司馬熾を担いで内乱を計画している事を察知し、その首謀者もろとも見せしめに処刑したという流れであった。
未だに抵抗勢力が残っていた関中では、司馬熾が処刑された事に憤り、亡き司馬模の息子・司馬保が挙兵して長安を奪還。晋の初代皇帝・司馬炎の直系の孫である秦王・司馬鄴を第四代晋帝として擁立し、匈奴漢に対して徹底抗戦の構えを見せていた。
これに対し関中の統治を任されていた劉曜は再び長安に出兵し、一進一退の攻防を繰り広げていたのである。
前線で戦い続ける劉曜も、都での劉聡の堕落ぶりは耳にしていた。だがその生まれついての奇異な容姿のせいで幼い頃より周囲から迫害を受けていた劉曜は、そんな彼をずっと庇《かば》い続けてくれていた族兄を信じ続けていたかった。むしろ国の命運を、劉聡の分まで自分で背負い込んでしまっていた向きもある。
こうして匈奴漢は、酒と女におぼれた劉聡とその取り巻きの靳準が領土の真ん中に控え、王弥の軍を吸収して本国を超える広範囲の領土と軍事力を保持した東の石勒。そして忠誠心の高い前線部隊を率いて関中平定に精を出す西の劉曜。
そんな三つの内部勢力へと分かれてしまっていたわけだ。
「晋も大概だったが、漢も駄目かもな……」
北宮純は思わずそう呟いた。
下邽にて匈奴漢に投降した彼は、命を取られる事は無かった。だが彼の存在を危険視した劉聡は、尚書(文書管理官)の役職に就けると、生かさず殺さず、まさに飼い殺しのような形で都である平陽に置いていたのである。
別に晋朝への忠義があるわけでもない北宮純は、先の司馬熾擁立の反乱計画には加担しておらず、また劉聡が堕落していく様を諫める義理もない。ただ情勢の流れを冷静な目で傍観していた。
それゆえに都での政争には距離を取り、また何もかもを忘れて戦場を駆ける事すら封じられた状況の中、尚書の職を淡々とこなしていた。
そうなると自分の人生を嫌でも振り返って深く考えてしまう。己の身の振り方に最も悩んでいた時期であると言える。
涼州刺史・張軌の事は気に入っているが、もう年齢も年齢であり、先年に病に倒れてもいる。恐らく長くはないだろう。そうなると彼の息子たちの代になるわけだが、北宮純と良好な関係にあるのはあくまでも張軌個人であって、息子たちからは好かれているわけではない。
結局は涼州に戻った所で、漢人特有の儒教的礼節に縛られた中に身を置く事になり、前と変わらず邪魔者扱いされるだろう。
また彼はもうずっと独りで家族もない。
故郷である涼州にも、晋にも、漢にも、どこにも彼の祖国は無かったのである。
「北宮尚書ですか?」
そう声をかけられ、北宮純は声の主へと振り向いた。
着古した農民のような服に、砂除けの外套を羽織った旅人のような風体。年齢は恐らく三十前後で北宮純と同世代。細身だがよく鍛えられている事が服の上からでも分かる、武人然とした男である。だが何よりも重要なのは、漢語ではなく羌語で話しかけられた事であった。
北宮純が誰何すると、相手は笑みを浮かべて名乗る。
「姚柯迴の息子、姚弋仲と言います」
羌族の部族のひとつ、姚一族の族長・姚柯迴は、元々は秦州に住んでいたのだが、そこは漢の劉曜軍と涼州の張軌軍が激突する場所となった。
戦乱を避けて一族郎党を引き連れ、関中の北方にある安定の辺りに移り住んだが、戦いの帰趨が漢に傾いた事を知ると、漢の内情を探る為に息子を情報収集に送ったという事だった。あるいは匈奴漢に降るべきかどうか検討しているという。
その話を聞いた北宮純は苦笑しながら即答する。
「やめとけ。今降ったら余計な争いに巻き込まれる」
酒と女に溺れている漢帝・劉聡は、既に体を壊して寝込む事も増えてきた。そう遠くない内に崩御するだろう。そうなれば、靳準、石勒、劉曜の三つの派閥に別れて内乱が起こるだろうと北宮純は踏んでいた。
降るのなら、その内乱の結果を見極めてからでも遅くはない。北宮純は姚弋仲の肩を叩いてそう諭した。
そんな北宮純の助言に感謝の言葉を述べ、父にそう伝えると言った姚弋仲は、次いで北宮純に言う。
「あなたはここに満足していないとお見受けしましたが、もしその時が来たら、我らの所に来てはくださいませぬか?」
北宮純にとって、それは予想もしていなかった言葉であり、目を丸くしたまま反応に苦慮していた。姚弋仲は笑顔で続ける。
「あなたの活躍は、我らの所にも聞こえております。同じ羌族として誇らしいと父も言っておりますし、幼い息子たちもあなたの武勇伝に聞きほれています。何よりも、共に轡を並べられるなら、これ以上に心強い味方はおりません」
その言葉には何の偏見や嫌味もない。そんな言葉をかけてくれた者は、少年時代に親兄弟を亡くして以来、北宮純の人生にほとんどいなかった。
嬉しいという感情があったのは間違いないのだが、その感情の表出に全く慣れていなかった北宮純は、どう答えたらいいか迷った。そして一言だけ返す。
「もし内乱が収束して、その時に生きていたら……、是非に」
「その日が来るのを、我らも楽しみにしておりますぞ」
そうして同族とのやりとりを終えた北宮純は、先の見えなかった闇の中に、小さな光を見つけたような気がした。いつか自分が帰る場所が見つかったような暖かな気持ち。
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