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第三部
2,意見書
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「あうー、だぁ!!」
クリスとカミラの子のミモザが何かを叫んでいる。
今は4月でこの子は年明けに生まれた子だから、まだその視界にははっきりとした輪郭と与えられた意味と結びつけて捉えることはほとんどなく、ぼんやりと世界を見つめているのだろう。混沌とした世界を見る彼女が何をどこまで知覚しているのか、それは私たちにはわからないが、本人にもいまだ理解しえないあまたの想念の嵐の中にいる。
今は目に映るものが新鮮であり、手を伸ばせばそこにたどり着けて手に入れることができると考えているのかもしれない。
「あっ、やっと俺を見たぞ」
クリスがミモザを抱きながら視線が合ったことに喜びを感じている。
しかし、すぐにミモザは別のものを見ようとしていく。すると、クリスはしつこく顔を移動して邪魔をする。そしてまたミモザは視線をそらす。「馬鹿、やめなって。いやがってるだろう」としびれを切らしたカミラがクリスに注意をする。
「すまない」と謝るクリスだが、こういう光景を何度も見てきた。私も含めて、みなが笑い合っている。
子どもは最初から子どもだが、親は最初から親ではない。
この時期は一瞬の出来事も親としては見過ごせないし、目に入れたいと思う。その積み重ねが子を授かったという初期の感動から、やがて子を守る愛情へと変えていき、そして自分が間違いなくこの子の親なのだと再認識させられる。
その実感を得られないと、単に子を自分の自由と権利を妨げる魔物として見る。育児ノイローゼはこの世界にも共通して起きている。これは大変深刻で互いに不幸なことである。
クリスとカミラ、そしてミモザの3人は問題ないように思えるが、何が起こるかわからないのが人生だ。上り坂もあれば下り坂もある。そしてまさかもある。我が家もそうだった。
親の愛情があっても子がまともに育たないことはある。逆もある。子育ては政治並に難しい。
それでも、最適解を求めることに時間をかけるよりも、不器用ながらも手探りでじっくりと顔を見合わせて一つひとつを確認していくことが重要なのだと思う。
今朝はアリーシャが主に手入れをしている庭園の一角に私たちは来ている。
この庭園ではモグ子の収集してきた草花をアリーシャが季節に合うように配置して管理をしている。ここは来客用というよりは私的な場所で邸内の人間しか足を運ばない。
「この子のために、採ってきました」
モグ子はそう言うと、契約者であるミモザに合う花を持ってきた。それは2月頃のことで、すでに暖かな気候の地域にわざわざ行ってきたようだ。植物の中には手に触れると危ういものもあるが、そういうのとは無縁のものばかりである。それをアリーシャが育てていた。今度はカミラが抱きかかえてその花々をミモザに見せていた。
天気の良い日は外で食事をとることがある。日本では朝から外で何かを食べることはなかったが、こうしてみなで木々や花々を愛でながら食べるのも悪くない。その後に邸内の自然の移り変わりをみなとともに眺めるのである。今朝はまだ肌寒くて邸内での朝食だったが、今は外に出て観賞と歓談の時間である。
「やはり土魔法の使い手は植物を育てるのが上手なんでしょうね。土の配合も申し分ありません」
土研究者のレイトがアリーシャの庭園を感心しながら言った。
「しかし、私はあまり得意ではないんですが……」
カーティスがさみしそうに言った。アリーシャと同じ植物を育てたことがあったが、アリーシャの方が確実に上だった。端的に言ってカーティスの手際が悪い。
「カーティス様の場合は契約が遅かったという理由があるのではないでしょうか。アリーシャ様は幼い頃から土いじりをされてきたというお話ですから、年季の差と言いますか」
魔法の理論や使用についてはカーティスの方が深いのはいうまでもないが、植物を相手にすることはほとんどなかった。レイトの言う通り、単純に経験の差なのだと思う。
「お兄様も毎日お世話をなさればよいのに」
「……そうか、そうだな」
自分の仕事と研究に多忙なカーティスにどこまでその時間を捻出できるかは心許ないが、一日のわずかな時間を植物とともに過ごすことにも意味はあると思う。
土の精霊との契約者は植物をはじめとして建築や土木工事に関連した仕事に就くことが多い。せっかく使える魔法なのだから、特性に合ったことに使いたいという心理なのだと思う。
同じような傾向としては主に火は鍛冶、水はポーション、風については船乗りが使ったり、洞窟内の空間を把握することにも利用されている。
まあその精霊との契約の結果、そういう方面に活路を見いだす、つまりは資質ではなく本人の不断の努力のおかげなのか、実際に精霊との契約でそういう才能に目覚めるのか、実はよくわからない。あのモグラがソーランド領の土地を豊饒なものにしていっているのは事実なのだから、どちらもあるのだろう。
「それでは私は部屋に戻ろう」
みなが春の景色を楽しんでいるのを見届けて、自室に戻った。
入学式を終えて数日後、久しぶりに何もしなくてもよい休日である。先日の入学式、公務に加えてアベル王子の生誕祭の準備も重なっていたため、長い期間まとまった休日をなかなか取れずにいた。
余暇は肉体の休息日である。働きづめで身も心も壊した人間を何人も知っている。妻の職場もそうだったし、娘の同僚もそうだった。
だが、バカラの身体になってそういう休息はあまり必要がないというのが実情である。40手前のバカラの肉体、これは田中哲朗の40歳の時よりも遙かに動く肉体である。
田中哲朗の感覚では30代が乗りに乗った時代だったが、この世界では40代がピークのように思えてくる。
この世界での食物やポーション、魔法という現象がそうさせているのかもしれない。魔法を使える者は寿命が長いこととも関係しているのか、あるいは二度目の人生がそう思わせるのだろう。
「お、そうだ。ケビンに言われていたんだったな」
引き出しから紙の束をつかんで机に置く。ドン、バサバサと、それなりに量がありそうだ。
ドジャース商会の商品やサービスに対して苦情や要望、意見書を受け付けるシステムは当初から設置している。むろん全てが私のところに届くわけではない。現場で対応ができるものはそれで、責任を負えないものはさらに上の立場に回される。
私のところに届くのは100分の1もないように思える。
「それでもこの量だから、いったい全部合わせたらどのくらいあるものだろうか」
苦笑せざるをえない。ただしこれは期待の表れだろうと好意的に受け取ることにした。黙々と読んでいった。
今年のはじめにアリ商会がスポーツ用品を販売して人気になっているが、リバーシやチェスなどの室内遊戯にばかり手を伸ばして、室外での遊戯品のことを失念していたこともあった。
室内遊戯が流行った頃の要望や意見書を手つかずにしていた私の責任でもあるが、あの日からケビンには「もう少し私のところへ意見書を回してくれ」と伝えている。
そんなことがあり、意見書を持ってきたケビンがやってきてこう言った。
「あまり無理しないでくださいよ。旦那に倒れられたら商会が分裂しちまいますぜ」
これは半分は心配で、もう半分は冗談だ。ケビンはこういう時に、にやっとして左手でポリポリと頬を指で軽く二回ほどなぞる。
もはや私などいなくても隅々まで貫徹しているシステムはある程度機能するようになっている。自分がいつ倒れるのか、実はその恐怖は少しはあるのだが、私に頼らないような組織作りを最初の段階から計画してきた。
私はドジャース商会の心臓ではない。仮に心臓だとしても、代理の心臓を常に用意する。もちろん心臓以外もだ。
面白いことに、ケビンはまさかドジャース商会が短期間のうちにこれほどまでの大企業になるとは思っていなかったところもあって、最初はどうして私がこんなにやる気だったのか最近になって理解したようだ。
正確には私がドジャース商会のトップなのに、一方では「自分なんていない方がいい」という言い方から私にやる気がないように見えたという。やる気がないことにやる気がある、お貴族様の道楽かと。そうではないことはすぐに思い知ったようだ。
この世界ではある程度の大きな商会や組織もワンマン社長が多いというか、基本的にそういう人がトップになるので、私のようなことを言う人間は珍しいということだった。
しかし、それは企業を数十年は安泰させるかもしれないが、数百年も保てる仕組みではない。
同族企業は三代でつぶれるという有名な話があるが、身内だからといって安易に経営に携わらせることもなく、時代や社会の実情に鑑みながら先を見る目を養い、批判があろうが必要なことであれば決断するなど、様々なことに配慮をしながらバランスよく運営をしていかなければならないのだろう。
「普通は身内だけで固めていくもんですけどね。なるほど、そういうお考えがありましたか。」
「まあな。身内が裏切ることだってあるさ。これは商会にだけ通じる話でもないが……」
もちろん国家運営における王族にも言えることだが、うかつには言えない。アベル王子ではなくあの馬鹿王子が仮に王位に就いたら、この国がどういうことになるのか、考えたら容易に未来は想像できるはずだ。
田中哲朗のようにポストが人を育てることはある。
しかし、その一例を他の人間に当てはめることは、特にあの王子にも当てはまるはずだと考えることは地球で魔法が使えるようにと切に願うことよりも愚かしい。権力の使いどころを間違えると圧政という帰結しか導かない。苛政も虎も同居しているような国に未来はない。
従業員にしても国民にしても自分の寿命が尽きるまでなんとか生活ができればよいという考えが多い人間ばかりだと、ツケは若い世代に回されていく。
田中哲朗の会社でも終わりが近づく50代は会社を変革することよりも保守的になってしまいがちだった。定年を無事に迎えられればいい、もちろんそういう気持ちだけではない。変化に対応する気力や体力も落ちてくるものだ。
会社内の改革はだいたい40歳前後の部下たちの方が乗り気だった。変化を嫌い、何かと理由をつけて先延ばしにする。私が入社した時の50代にもそういうところがあった。
守りの姿勢になっていく一面があったことは否定できない。事実、私の中にもそういう側面があったのだと思う。
「跡継ぎというのは難しいものだなあ」
つい口をついて出てきてしまった言葉だったが、ケビンは絶妙な勘違いをした。
「それはカーティス様のことですか?」
「ははっ、そうだなあ」
ケビンの言葉は勘違いではないな。曖昧にごまかしてしまった。ケビンは「それでは」と言って出て行った。
バカラの跡を誰が継ぐか、そのことも考えなければならない事項の一つである。
カーティスがバラード学園で講師をすることを認めたのは私だし、アリーシャがアベル王子と婚約することを認めたのは私だ。子の人生なのだから、最終的には子の判断に従うというか、従いたい。
私の娘の場合にも、妻とはそういうことにしようと決めていた。なぜなら、それが責任というものだ。特に重大な決断については、私や妻が最終責任者になってしまったら、いつの日にか娘の中にも「本当に私がやりたかったことは」と、その責任の所在は当の本人ではなく、私や妻に襲いかかる。
本音を言えば子の責任を一緒に背負ってやりたいが、どんな不幸な目に遭ったとしても、その選択は自分がしたのだという事実を認識させることはある面で冷たくもあり、じれったくもあるが、必要なことなのだ。
同じことがカーティスとアリーシャにも言える。
ただ、世界が違う。そして、カーティスはまだしも、十代半ばのアリーシャに責任者として判断をさせていいのかという不安も実はある。一度目の婚約破棄の時にも我が身を犠牲にしようと思っていたアリーシャだ。アベル王子との深い関係が築ければ……そんな風に状況を慮って判断をした可能性はゼロではない。あの子の脳裏にちらりとかすめたことはあったように思う。
いやいや、暗い結末ばかりを考えてしまっても詮のないことだ。だいたい、一つの思いだけで好きなことをするわけではなく、渾然とした理由があるのが普通だろう。その選択がやはり正しかったのだと思えるように支援をしていくしかない。
それにしても跡継ぎ問題はどうしようか。カーティスが心変わりをする日を待つか、養子をとるか、私が新たな妻を娶って……そんなことは考えてみるもどれも実感がない。当面は大丈夫そうだが、その時が近づかないとやはりわからないか。
ケビンが来た時のことを思い出しながら書類を整理していると、ふいに目にとまる意見書があった。
「何々……ほう、いや、ああ、そうかもしれないな」
意見書にはおおむね好意的な評価や要望、そして些末な苦情を述べたものが多かったが、カメラ・メメントとして書いた『人を動かす珠玉の言葉たち』の中の文言について、やんわりと批判しているものがあった。
この本は田中哲朗時代に読んだビジネス本や有名な古典からの引用が多かったが、たとえば「猫に小判」「釈迦に説法」のようなものは載せていない。「小判」に当たるものがこの世界にはないし、当然「釈迦」もいない。したがって、基本的にこの世界にはあるものの中で思いつく限りを書き並べたものが多い。
幸いにしてそこまで外れた翻訳はなく、以前に私が宰相になる際に王が引用した「綸言汗の如し」も、漢字はないがそれに近い文言になっている。この点の翻訳はバカラの言語能力が高かったことに大いに助けられた。
この本は他の言語にも翻訳されているのだが、すべてバカラの力でできるわけではないので、その際には翻訳者の選定も慎重に行った。一語一語、語と語とのつながりを大切にする。全体は部分の総和ではないのだから、ただ訳せばいいわけではない。
優れた翻訳とは別の言語に訳されたらいっそう内容が豊かになるものだろうし、広く定評のある名作はそういう萌芽が多く存在する作品のことなのだと思う。
『人を動かす珠玉の言葉たち』の中の考え方はわりと初めて知るものが多かったので、読者にはかなりうけた。
興味深かったのは「情けは人のためならず」が日本でも誤用があったが、それに近いことがこの世界でも起きていることだ。読み手の勘違いや知識不足だけではなくて、言葉そのものに読み誤りを含む可能性があるのだろうと思う。
今回は「時に及びて当に勉励すべし、歳月人を待たず」を、私はこの言葉通りに書いた、つまり、年月は人を待ってくれないから、勉強に励むべきだ、そういう意図で書いた。
ところが、意見書には、「本当にそういう意味になるのでしょうか」と綺麗な字であった。綺麗な字だけに、どこか私の方が間違っているように思えたし、これはもともと漢詩の一節だからもしかすると私の方が勘違いをしている可能性はあるようにも思えてきた。
要は「歳月は人を待ってくれない」ということだけが勉学を励むことの理由になるのかどうかということであった。
他にもこの意見者はいくつかの文言の中から、これは本当にそうなのかという疑義を述べている。もし田中哲朗と一緒に電子辞書の一つでも持ってこれていたら本来の意味がわかったのだが、それはできない。私の記憶だけが頼りなのだから。
この記憶については、私がバカラになってから忘れないうちに書きとどめていた膨大なメモがある。年代や物質の質量などの数字、日本やそれ以外の国々の歴史、物語、発明やその原理、法則や言葉、それらをまだ覚えているうちに書いていた。
最初は日本語だらけだったが、徐々にこの国の言葉も入り込んでいる。この世界の人間が読んだら摩訶不思議な言葉だっただろう。今でも折に触れてふっと記憶が蘇ってきて、それを書くように努めている。
もう10年以上も前のことだが、妻が「一番古い記憶は何だ」ということを職場で訊いたことがあったらしい。たいていは4、5歳前後でとりとめのないものばかりだったらしいが、胎内の時のことを覚えていると言っている子もいたようだ。その真偽は不明だが、記憶とは私が私であることを証明してくれるものの中でもとりわけ重要なものである。昨日までの記憶が抜け落ちてしまったら、今日の私はいったい誰なのだろうか、そういう存在に関わる問題が生じる。
田中哲朗をベースにしているので、バカラの記憶が蘇ったとしても私は田中哲朗の要素が多い人間になるのだろうと推測している。
バカラは物覚えが悪い人間ではなかったようだが、そのわりに重要な記憶がいくつか欠落しているのは最初から気になっていたことだった。たとえば、妻オリービアのことや先代たちの死の一件については霧がかかっているかのようである。アリーシャやカーティスに対する記憶もところどころが欠けている。
バカラの記憶はすべて私の中にあるわけではなく、閉ざされた扉のようなものがいくつもあるように思える。何かの折に胸元からにじみ出てくるように私には体感されている。おそらくこれから先もこのようなことが続いていくのだろう。
あるいはこれはバカラの記憶力の問題ではなく、人間一人の中に二人分の記憶が収まることができないという理由からバカラの記憶が抜け落ちている、その可能性はあるようにも思える。
さて、肝心の意見書だが、いろいろと意見の述べた後に、「以上指摘した文には、どこかそれだけには留まらない意味があるように感じられましたので」と付け加えられてあった。
実際この指摘はすこぶる正しい。
なるほど、古典や人口に膾炙した表現というのは読む者が見ればそういう深いところまで読み取れるものだということか。意見者は匿名だったのでこちらから接触することができないのが残念である。
こうしていくつかの意見書に目を通し、次に出版する場合にはわずかな訂正と補足を付け足すことにし、キャリアに言い付けてケビンに行き届くように手配をした。
「今日はこのくらいにしよう。続きはまた時間がある時でいいだろう。今の時間は……」
時間を見るとまだ正午にも達していなかったので、護衛のハートを連れて町に出て行くことにした。
クリスが「私も参ります」と言ってきたのだが、「家族サービスをせよ」とだけ言って、退けた。不本意な表情を浮かべたが、きつく言ったら諦めた。
昔の友人に仕事人間がいたが、ある時、自分の子どもから「誰?」と言われてショックを受けていた。子どもに顔を覚えられないくらい家を空けるのは感心しない。
クリスにはまだその心配はないように思えるが、会える時に、一緒に過ごせる時には目一杯時間を共有した方がいい。いつ家族と会えなくなるかなんて誰にもわからないのだから。
「そうですよ、家族サービスしないと駄目ですよ。ミモザに嫌われますよ」
ミモザはハートの髪の毛をひっぱたり、わがままを言ったりして、どちらかといえばクリスよりもハートの方に懐いているところがある。ハートは小さい子をあやすのが上手なようだ。そのことをカミラがクリスに言ったところ、へそを曲げたことがあったという。
「いいか、ハート、絶対にお守りするんだぞ」
へいへいとハートはクリスに返事をすると、溜め息とともに「気にかけてくださりありがとうございます」と言った。
この世界に有給休暇制度はない。
一週間という単位はあるが、学校は平日5日、休日2日となっていて日本の学校システムを踏襲している。
ただ、仕事の場合は2週間か3週間おきに1日の休日が標準的である。残業代なんてものも発生しないというか、そういう発想がほとんどなく、時間給という概念もない。せいぜい午前か午後の半日が細かいものになる。
ソーランド領の店では、この世界で初めて有給休暇を取り入れていた。どのくらいが妥当かは難しかったが、年間10日ほど私用で休んでも給与が発生する。身内の者が亡くなった場合にも特別休暇を与えてある。それをモデルにして王都の店でも少しずつ導入している。
普通に休んだら毎月の給料が下がるというのがこの世界の常識なので、少々怪しい制度に映ったようだ。勝手に天引きでもされているんじゃないかと。正しい理解がすぐに広まるわけではないが、少しずつ利用をされ始めている。
なお、余った有休はまとめて金に換えるか、その金額に相当するドジャース商会の商品にするか、次年度に加えるか、どれかを選択するようにしてもらっている。
とはいえ、持ち越される有休の限界日数は30日までである。
だから、1年目、2年目にため込んだら3年目は30日あるわけだが、この状態で4年目に突入しても30日であり、40日にはならない。
あまり有休を溜め込むのも良くないので、原則として5日間はその年に消化しなければならない、そう伝えている。
金に換えるのもかまわないが、ある程度の休みを自分から取得してほしいと思ったからだった。
ドジャース商会の商品に換える場合は、少しばかりお得になるようにしている。これは店側としては在庫がはけることにもなるし、当人としてはお金を支払って買うよりも安く入手できるので、お互いのメリットになる。
労働組合というのはおそらくこの世界にはないが、まだ導入すべきではないだろう。もう少しこういう組織ができるには時間を要するので、安易に導入してしまったら徒に混乱の種をまくことになる。
学校で支給したり店で売っている教科書には、法律や政治に関わる分野のものもある。日本でいえば公民という教科になるだろうか。この国の法律に基づいているが、この教科書には労働者の権利という項目も挙げてある。
法律用語も法令も読むのはとても至難なことであり、この専門家を見つけ出していくのは大変なことだったし、それをみなが読んでも腑に落ちるように落とし込むのも苦労をしたものだった。
それにしても労働組合というのを私が率先して導入するというのも変な話であって、そういうのは従業員たちが自発的に行うことだろう。
まぁできれば従業員の不満が表面化する前にそれぞれの責任者がまっとうな運営をしてくれればと思う。
他には、カミラに育児休暇ということで給与は発生している。
クリスもカミラも固辞しようとしたが、私も譲らず、結局妥協点として半分の給与にした。カミラは完全に休暇ではなく、時折ミモザを抱えながら邸の私兵団たちの訓練を見学している。毎日ではなく週に2回程度である。
この休暇についてはおそらくほとんど他では導入されづらいような空気がある。従業員の確保と生活の安定は重要なことなので、これは当然のようにも思えるが、休んでいるのに給与が発生するということに理解を及ぼすのは難しいだろう。
邸内に働く者たちにも同様の制度を取り入れているが、護衛についてはやはり特殊な仕事なので、たとえばクリスとハートがどちらも休むことになったら外に出るのはためらわれてしまうところはある。
まあ、王都の主要な通りは物騒ではないところが多いし、警察組織に似たものも王都にはあるから滅多なことでは大きな事件は起こられない。ハートを拾った時のように自分からトラブルに巻き込まれない限りは何も起こらない程度には安全だと思う。
それでも役職の都合上、二人同時に有休を使われてしまうと少しだけ困る程度のものだ。
邸内にいる私兵団の者たちもいるが、家のように建物を守ることに特化されていても、人から人を守るというのはまた別の力が必要である。こればかりは優秀な人間を雇うか、育てるかしか方法はない。よそから掠め取るというのもあまりやりすぎると問題が起きるので、育成という方法をとっているが時間がかかりそうだ。
「よし、それでは行くぞ」
ハートとともに邸を出発した。
そういえば、休暇のことを考えていたら、私が高校1年生の時の担任のことをふいに思い出した。
その人は50歳前後の人だったが、化学の先生だった。
入学式には私たちを「入学おめでとう」と笑顔で迎え入れ、一日だけいなかった日を除いて、それからの1週間は高校に不慣れな私たちにいろいろと世話をしてくれていたと記憶している。私たちは十兵衛先生と呼んでいた。
「高校は義務教育ではない」と常日頃から言っていて、優しいというよりはかなり厳格な人だった。
80年代だったが、日本の高校は荒れていた時代で、私が通っていた高校も例外ではなかった。
それでも先生は生徒に対しては分け隔てなく、褒めるべきところは的確に褒めてくれたし、叱るべきところは鬼のように叱った。
何よりも特筆すべきは他の男性の教員とは違い、生徒に問答無用に手をあげることは絶対にしなかった。あの当時を振り返るとみな教員も体罰、生徒も暴行が多い、日常茶飯事だと言われることもあるけれど、決してそれに与しない人たちだって生きていた。
特に先生の場合はそのような暴力行為が何を生むのか、若い頃にたくさんその目で見てきたはずである。
なお、体罰を振るう教員に対しては、私の先輩たちはお礼参りと称してそういう教員の車に10円傷を付けた人もいるようだ。だから、自然とそういう教員の車はそういう仕返しをされる前提の車に乗っていたらしい。
個人的な交流としては「田中、面白い雑誌があるぞ」と言って、その頃に発売された科学雑誌を貸してくれることもあった。先生は定期購読をしていたようで、先生が読み終えた後に私が借りることが続いた。酒やたばこではないが、大人が読むべきだと考えられている本を「お前にはその資格がある」と認められたようで当時とても嬉しく思ったものだった。
私が高校三年生になると、その先生は転勤して違う学校へと異動した。
離任式では「身近にある大切なものを決して取りこぼさないように」という言葉が印象的だった。
成人式の日に同じ高校のクラスの友人たちと集まった時に、この先生の話題になった。
私はあまり話さなかった同級生だが、先生と隣近所に住んでいた子がいた。その子の情報によれば、「今だから言えるけど、先生って俺たちの入学式の日にお父さんが亡くなってたんだよ」ということだった。先生は長男でもあるらしかった。その同級生の母親が先生と縁があって通夜に行ったようで、先生は「このことは生徒たちには内密に」と釘を刺されたようだった。事実、そのことを知る生徒はほとんどいなかったという話だ。
職責や先生の世代や性格や意志、様々なことが去来したのだろうが、先生は当時そういう選択をしていた。
その話を聞いた時、「あー、わかる」「そういうことしそうだよね」と賑やかに話す友人たちとは裏腹に、私は妙にせつない思いを抱いたことを覚えている。
いつの間にか私はあの先生の年齢を追い越してしまったのだなと思うと不思議な気持ちである。
40歳の時の同窓会でその先生が亡くなったことを伝え聞いた。教員を辞めてから急に老け込んだという。
先生の墓は夏頃にはさわやかな潮風の薫る、見晴らしの良い場所にあるということである。
クリスとカミラの子のミモザが何かを叫んでいる。
今は4月でこの子は年明けに生まれた子だから、まだその視界にははっきりとした輪郭と与えられた意味と結びつけて捉えることはほとんどなく、ぼんやりと世界を見つめているのだろう。混沌とした世界を見る彼女が何をどこまで知覚しているのか、それは私たちにはわからないが、本人にもいまだ理解しえないあまたの想念の嵐の中にいる。
今は目に映るものが新鮮であり、手を伸ばせばそこにたどり着けて手に入れることができると考えているのかもしれない。
「あっ、やっと俺を見たぞ」
クリスがミモザを抱きながら視線が合ったことに喜びを感じている。
しかし、すぐにミモザは別のものを見ようとしていく。すると、クリスはしつこく顔を移動して邪魔をする。そしてまたミモザは視線をそらす。「馬鹿、やめなって。いやがってるだろう」としびれを切らしたカミラがクリスに注意をする。
「すまない」と謝るクリスだが、こういう光景を何度も見てきた。私も含めて、みなが笑い合っている。
子どもは最初から子どもだが、親は最初から親ではない。
この時期は一瞬の出来事も親としては見過ごせないし、目に入れたいと思う。その積み重ねが子を授かったという初期の感動から、やがて子を守る愛情へと変えていき、そして自分が間違いなくこの子の親なのだと再認識させられる。
その実感を得られないと、単に子を自分の自由と権利を妨げる魔物として見る。育児ノイローゼはこの世界にも共通して起きている。これは大変深刻で互いに不幸なことである。
クリスとカミラ、そしてミモザの3人は問題ないように思えるが、何が起こるかわからないのが人生だ。上り坂もあれば下り坂もある。そしてまさかもある。我が家もそうだった。
親の愛情があっても子がまともに育たないことはある。逆もある。子育ては政治並に難しい。
それでも、最適解を求めることに時間をかけるよりも、不器用ながらも手探りでじっくりと顔を見合わせて一つひとつを確認していくことが重要なのだと思う。
今朝はアリーシャが主に手入れをしている庭園の一角に私たちは来ている。
この庭園ではモグ子の収集してきた草花をアリーシャが季節に合うように配置して管理をしている。ここは来客用というよりは私的な場所で邸内の人間しか足を運ばない。
「この子のために、採ってきました」
モグ子はそう言うと、契約者であるミモザに合う花を持ってきた。それは2月頃のことで、すでに暖かな気候の地域にわざわざ行ってきたようだ。植物の中には手に触れると危ういものもあるが、そういうのとは無縁のものばかりである。それをアリーシャが育てていた。今度はカミラが抱きかかえてその花々をミモザに見せていた。
天気の良い日は外で食事をとることがある。日本では朝から外で何かを食べることはなかったが、こうしてみなで木々や花々を愛でながら食べるのも悪くない。その後に邸内の自然の移り変わりをみなとともに眺めるのである。今朝はまだ肌寒くて邸内での朝食だったが、今は外に出て観賞と歓談の時間である。
「やはり土魔法の使い手は植物を育てるのが上手なんでしょうね。土の配合も申し分ありません」
土研究者のレイトがアリーシャの庭園を感心しながら言った。
「しかし、私はあまり得意ではないんですが……」
カーティスがさみしそうに言った。アリーシャと同じ植物を育てたことがあったが、アリーシャの方が確実に上だった。端的に言ってカーティスの手際が悪い。
「カーティス様の場合は契約が遅かったという理由があるのではないでしょうか。アリーシャ様は幼い頃から土いじりをされてきたというお話ですから、年季の差と言いますか」
魔法の理論や使用についてはカーティスの方が深いのはいうまでもないが、植物を相手にすることはほとんどなかった。レイトの言う通り、単純に経験の差なのだと思う。
「お兄様も毎日お世話をなさればよいのに」
「……そうか、そうだな」
自分の仕事と研究に多忙なカーティスにどこまでその時間を捻出できるかは心許ないが、一日のわずかな時間を植物とともに過ごすことにも意味はあると思う。
土の精霊との契約者は植物をはじめとして建築や土木工事に関連した仕事に就くことが多い。せっかく使える魔法なのだから、特性に合ったことに使いたいという心理なのだと思う。
同じような傾向としては主に火は鍛冶、水はポーション、風については船乗りが使ったり、洞窟内の空間を把握することにも利用されている。
まあその精霊との契約の結果、そういう方面に活路を見いだす、つまりは資質ではなく本人の不断の努力のおかげなのか、実際に精霊との契約でそういう才能に目覚めるのか、実はよくわからない。あのモグラがソーランド領の土地を豊饒なものにしていっているのは事実なのだから、どちらもあるのだろう。
「それでは私は部屋に戻ろう」
みなが春の景色を楽しんでいるのを見届けて、自室に戻った。
入学式を終えて数日後、久しぶりに何もしなくてもよい休日である。先日の入学式、公務に加えてアベル王子の生誕祭の準備も重なっていたため、長い期間まとまった休日をなかなか取れずにいた。
余暇は肉体の休息日である。働きづめで身も心も壊した人間を何人も知っている。妻の職場もそうだったし、娘の同僚もそうだった。
だが、バカラの身体になってそういう休息はあまり必要がないというのが実情である。40手前のバカラの肉体、これは田中哲朗の40歳の時よりも遙かに動く肉体である。
田中哲朗の感覚では30代が乗りに乗った時代だったが、この世界では40代がピークのように思えてくる。
この世界での食物やポーション、魔法という現象がそうさせているのかもしれない。魔法を使える者は寿命が長いこととも関係しているのか、あるいは二度目の人生がそう思わせるのだろう。
「お、そうだ。ケビンに言われていたんだったな」
引き出しから紙の束をつかんで机に置く。ドン、バサバサと、それなりに量がありそうだ。
ドジャース商会の商品やサービスに対して苦情や要望、意見書を受け付けるシステムは当初から設置している。むろん全てが私のところに届くわけではない。現場で対応ができるものはそれで、責任を負えないものはさらに上の立場に回される。
私のところに届くのは100分の1もないように思える。
「それでもこの量だから、いったい全部合わせたらどのくらいあるものだろうか」
苦笑せざるをえない。ただしこれは期待の表れだろうと好意的に受け取ることにした。黙々と読んでいった。
今年のはじめにアリ商会がスポーツ用品を販売して人気になっているが、リバーシやチェスなどの室内遊戯にばかり手を伸ばして、室外での遊戯品のことを失念していたこともあった。
室内遊戯が流行った頃の要望や意見書を手つかずにしていた私の責任でもあるが、あの日からケビンには「もう少し私のところへ意見書を回してくれ」と伝えている。
そんなことがあり、意見書を持ってきたケビンがやってきてこう言った。
「あまり無理しないでくださいよ。旦那に倒れられたら商会が分裂しちまいますぜ」
これは半分は心配で、もう半分は冗談だ。ケビンはこういう時に、にやっとして左手でポリポリと頬を指で軽く二回ほどなぞる。
もはや私などいなくても隅々まで貫徹しているシステムはある程度機能するようになっている。自分がいつ倒れるのか、実はその恐怖は少しはあるのだが、私に頼らないような組織作りを最初の段階から計画してきた。
私はドジャース商会の心臓ではない。仮に心臓だとしても、代理の心臓を常に用意する。もちろん心臓以外もだ。
面白いことに、ケビンはまさかドジャース商会が短期間のうちにこれほどまでの大企業になるとは思っていなかったところもあって、最初はどうして私がこんなにやる気だったのか最近になって理解したようだ。
正確には私がドジャース商会のトップなのに、一方では「自分なんていない方がいい」という言い方から私にやる気がないように見えたという。やる気がないことにやる気がある、お貴族様の道楽かと。そうではないことはすぐに思い知ったようだ。
この世界ではある程度の大きな商会や組織もワンマン社長が多いというか、基本的にそういう人がトップになるので、私のようなことを言う人間は珍しいということだった。
しかし、それは企業を数十年は安泰させるかもしれないが、数百年も保てる仕組みではない。
同族企業は三代でつぶれるという有名な話があるが、身内だからといって安易に経営に携わらせることもなく、時代や社会の実情に鑑みながら先を見る目を養い、批判があろうが必要なことであれば決断するなど、様々なことに配慮をしながらバランスよく運営をしていかなければならないのだろう。
「普通は身内だけで固めていくもんですけどね。なるほど、そういうお考えがありましたか。」
「まあな。身内が裏切ることだってあるさ。これは商会にだけ通じる話でもないが……」
もちろん国家運営における王族にも言えることだが、うかつには言えない。アベル王子ではなくあの馬鹿王子が仮に王位に就いたら、この国がどういうことになるのか、考えたら容易に未来は想像できるはずだ。
田中哲朗のようにポストが人を育てることはある。
しかし、その一例を他の人間に当てはめることは、特にあの王子にも当てはまるはずだと考えることは地球で魔法が使えるようにと切に願うことよりも愚かしい。権力の使いどころを間違えると圧政という帰結しか導かない。苛政も虎も同居しているような国に未来はない。
従業員にしても国民にしても自分の寿命が尽きるまでなんとか生活ができればよいという考えが多い人間ばかりだと、ツケは若い世代に回されていく。
田中哲朗の会社でも終わりが近づく50代は会社を変革することよりも保守的になってしまいがちだった。定年を無事に迎えられればいい、もちろんそういう気持ちだけではない。変化に対応する気力や体力も落ちてくるものだ。
会社内の改革はだいたい40歳前後の部下たちの方が乗り気だった。変化を嫌い、何かと理由をつけて先延ばしにする。私が入社した時の50代にもそういうところがあった。
守りの姿勢になっていく一面があったことは否定できない。事実、私の中にもそういう側面があったのだと思う。
「跡継ぎというのは難しいものだなあ」
つい口をついて出てきてしまった言葉だったが、ケビンは絶妙な勘違いをした。
「それはカーティス様のことですか?」
「ははっ、そうだなあ」
ケビンの言葉は勘違いではないな。曖昧にごまかしてしまった。ケビンは「それでは」と言って出て行った。
バカラの跡を誰が継ぐか、そのことも考えなければならない事項の一つである。
カーティスがバラード学園で講師をすることを認めたのは私だし、アリーシャがアベル王子と婚約することを認めたのは私だ。子の人生なのだから、最終的には子の判断に従うというか、従いたい。
私の娘の場合にも、妻とはそういうことにしようと決めていた。なぜなら、それが責任というものだ。特に重大な決断については、私や妻が最終責任者になってしまったら、いつの日にか娘の中にも「本当に私がやりたかったことは」と、その責任の所在は当の本人ではなく、私や妻に襲いかかる。
本音を言えば子の責任を一緒に背負ってやりたいが、どんな不幸な目に遭ったとしても、その選択は自分がしたのだという事実を認識させることはある面で冷たくもあり、じれったくもあるが、必要なことなのだ。
同じことがカーティスとアリーシャにも言える。
ただ、世界が違う。そして、カーティスはまだしも、十代半ばのアリーシャに責任者として判断をさせていいのかという不安も実はある。一度目の婚約破棄の時にも我が身を犠牲にしようと思っていたアリーシャだ。アベル王子との深い関係が築ければ……そんな風に状況を慮って判断をした可能性はゼロではない。あの子の脳裏にちらりとかすめたことはあったように思う。
いやいや、暗い結末ばかりを考えてしまっても詮のないことだ。だいたい、一つの思いだけで好きなことをするわけではなく、渾然とした理由があるのが普通だろう。その選択がやはり正しかったのだと思えるように支援をしていくしかない。
それにしても跡継ぎ問題はどうしようか。カーティスが心変わりをする日を待つか、養子をとるか、私が新たな妻を娶って……そんなことは考えてみるもどれも実感がない。当面は大丈夫そうだが、その時が近づかないとやはりわからないか。
ケビンが来た時のことを思い出しながら書類を整理していると、ふいに目にとまる意見書があった。
「何々……ほう、いや、ああ、そうかもしれないな」
意見書にはおおむね好意的な評価や要望、そして些末な苦情を述べたものが多かったが、カメラ・メメントとして書いた『人を動かす珠玉の言葉たち』の中の文言について、やんわりと批判しているものがあった。
この本は田中哲朗時代に読んだビジネス本や有名な古典からの引用が多かったが、たとえば「猫に小判」「釈迦に説法」のようなものは載せていない。「小判」に当たるものがこの世界にはないし、当然「釈迦」もいない。したがって、基本的にこの世界にはあるものの中で思いつく限りを書き並べたものが多い。
幸いにしてそこまで外れた翻訳はなく、以前に私が宰相になる際に王が引用した「綸言汗の如し」も、漢字はないがそれに近い文言になっている。この点の翻訳はバカラの言語能力が高かったことに大いに助けられた。
この本は他の言語にも翻訳されているのだが、すべてバカラの力でできるわけではないので、その際には翻訳者の選定も慎重に行った。一語一語、語と語とのつながりを大切にする。全体は部分の総和ではないのだから、ただ訳せばいいわけではない。
優れた翻訳とは別の言語に訳されたらいっそう内容が豊かになるものだろうし、広く定評のある名作はそういう萌芽が多く存在する作品のことなのだと思う。
『人を動かす珠玉の言葉たち』の中の考え方はわりと初めて知るものが多かったので、読者にはかなりうけた。
興味深かったのは「情けは人のためならず」が日本でも誤用があったが、それに近いことがこの世界でも起きていることだ。読み手の勘違いや知識不足だけではなくて、言葉そのものに読み誤りを含む可能性があるのだろうと思う。
今回は「時に及びて当に勉励すべし、歳月人を待たず」を、私はこの言葉通りに書いた、つまり、年月は人を待ってくれないから、勉強に励むべきだ、そういう意図で書いた。
ところが、意見書には、「本当にそういう意味になるのでしょうか」と綺麗な字であった。綺麗な字だけに、どこか私の方が間違っているように思えたし、これはもともと漢詩の一節だからもしかすると私の方が勘違いをしている可能性はあるようにも思えてきた。
要は「歳月は人を待ってくれない」ということだけが勉学を励むことの理由になるのかどうかということであった。
他にもこの意見者はいくつかの文言の中から、これは本当にそうなのかという疑義を述べている。もし田中哲朗と一緒に電子辞書の一つでも持ってこれていたら本来の意味がわかったのだが、それはできない。私の記憶だけが頼りなのだから。
この記憶については、私がバカラになってから忘れないうちに書きとどめていた膨大なメモがある。年代や物質の質量などの数字、日本やそれ以外の国々の歴史、物語、発明やその原理、法則や言葉、それらをまだ覚えているうちに書いていた。
最初は日本語だらけだったが、徐々にこの国の言葉も入り込んでいる。この世界の人間が読んだら摩訶不思議な言葉だっただろう。今でも折に触れてふっと記憶が蘇ってきて、それを書くように努めている。
もう10年以上も前のことだが、妻が「一番古い記憶は何だ」ということを職場で訊いたことがあったらしい。たいていは4、5歳前後でとりとめのないものばかりだったらしいが、胎内の時のことを覚えていると言っている子もいたようだ。その真偽は不明だが、記憶とは私が私であることを証明してくれるものの中でもとりわけ重要なものである。昨日までの記憶が抜け落ちてしまったら、今日の私はいったい誰なのだろうか、そういう存在に関わる問題が生じる。
田中哲朗をベースにしているので、バカラの記憶が蘇ったとしても私は田中哲朗の要素が多い人間になるのだろうと推測している。
バカラは物覚えが悪い人間ではなかったようだが、そのわりに重要な記憶がいくつか欠落しているのは最初から気になっていたことだった。たとえば、妻オリービアのことや先代たちの死の一件については霧がかかっているかのようである。アリーシャやカーティスに対する記憶もところどころが欠けている。
バカラの記憶はすべて私の中にあるわけではなく、閉ざされた扉のようなものがいくつもあるように思える。何かの折に胸元からにじみ出てくるように私には体感されている。おそらくこれから先もこのようなことが続いていくのだろう。
あるいはこれはバカラの記憶力の問題ではなく、人間一人の中に二人分の記憶が収まることができないという理由からバカラの記憶が抜け落ちている、その可能性はあるようにも思える。
さて、肝心の意見書だが、いろいろと意見の述べた後に、「以上指摘した文には、どこかそれだけには留まらない意味があるように感じられましたので」と付け加えられてあった。
実際この指摘はすこぶる正しい。
なるほど、古典や人口に膾炙した表現というのは読む者が見ればそういう深いところまで読み取れるものだということか。意見者は匿名だったのでこちらから接触することができないのが残念である。
こうしていくつかの意見書に目を通し、次に出版する場合にはわずかな訂正と補足を付け足すことにし、キャリアに言い付けてケビンに行き届くように手配をした。
「今日はこのくらいにしよう。続きはまた時間がある時でいいだろう。今の時間は……」
時間を見るとまだ正午にも達していなかったので、護衛のハートを連れて町に出て行くことにした。
クリスが「私も参ります」と言ってきたのだが、「家族サービスをせよ」とだけ言って、退けた。不本意な表情を浮かべたが、きつく言ったら諦めた。
昔の友人に仕事人間がいたが、ある時、自分の子どもから「誰?」と言われてショックを受けていた。子どもに顔を覚えられないくらい家を空けるのは感心しない。
クリスにはまだその心配はないように思えるが、会える時に、一緒に過ごせる時には目一杯時間を共有した方がいい。いつ家族と会えなくなるかなんて誰にもわからないのだから。
「そうですよ、家族サービスしないと駄目ですよ。ミモザに嫌われますよ」
ミモザはハートの髪の毛をひっぱたり、わがままを言ったりして、どちらかといえばクリスよりもハートの方に懐いているところがある。ハートは小さい子をあやすのが上手なようだ。そのことをカミラがクリスに言ったところ、へそを曲げたことがあったという。
「いいか、ハート、絶対にお守りするんだぞ」
へいへいとハートはクリスに返事をすると、溜め息とともに「気にかけてくださりありがとうございます」と言った。
この世界に有給休暇制度はない。
一週間という単位はあるが、学校は平日5日、休日2日となっていて日本の学校システムを踏襲している。
ただ、仕事の場合は2週間か3週間おきに1日の休日が標準的である。残業代なんてものも発生しないというか、そういう発想がほとんどなく、時間給という概念もない。せいぜい午前か午後の半日が細かいものになる。
ソーランド領の店では、この世界で初めて有給休暇を取り入れていた。どのくらいが妥当かは難しかったが、年間10日ほど私用で休んでも給与が発生する。身内の者が亡くなった場合にも特別休暇を与えてある。それをモデルにして王都の店でも少しずつ導入している。
普通に休んだら毎月の給料が下がるというのがこの世界の常識なので、少々怪しい制度に映ったようだ。勝手に天引きでもされているんじゃないかと。正しい理解がすぐに広まるわけではないが、少しずつ利用をされ始めている。
なお、余った有休はまとめて金に換えるか、その金額に相当するドジャース商会の商品にするか、次年度に加えるか、どれかを選択するようにしてもらっている。
とはいえ、持ち越される有休の限界日数は30日までである。
だから、1年目、2年目にため込んだら3年目は30日あるわけだが、この状態で4年目に突入しても30日であり、40日にはならない。
あまり有休を溜め込むのも良くないので、原則として5日間はその年に消化しなければならない、そう伝えている。
金に換えるのもかまわないが、ある程度の休みを自分から取得してほしいと思ったからだった。
ドジャース商会の商品に換える場合は、少しばかりお得になるようにしている。これは店側としては在庫がはけることにもなるし、当人としてはお金を支払って買うよりも安く入手できるので、お互いのメリットになる。
労働組合というのはおそらくこの世界にはないが、まだ導入すべきではないだろう。もう少しこういう組織ができるには時間を要するので、安易に導入してしまったら徒に混乱の種をまくことになる。
学校で支給したり店で売っている教科書には、法律や政治に関わる分野のものもある。日本でいえば公民という教科になるだろうか。この国の法律に基づいているが、この教科書には労働者の権利という項目も挙げてある。
法律用語も法令も読むのはとても至難なことであり、この専門家を見つけ出していくのは大変なことだったし、それをみなが読んでも腑に落ちるように落とし込むのも苦労をしたものだった。
それにしても労働組合というのを私が率先して導入するというのも変な話であって、そういうのは従業員たちが自発的に行うことだろう。
まぁできれば従業員の不満が表面化する前にそれぞれの責任者がまっとうな運営をしてくれればと思う。
他には、カミラに育児休暇ということで給与は発生している。
クリスもカミラも固辞しようとしたが、私も譲らず、結局妥協点として半分の給与にした。カミラは完全に休暇ではなく、時折ミモザを抱えながら邸の私兵団たちの訓練を見学している。毎日ではなく週に2回程度である。
この休暇についてはおそらくほとんど他では導入されづらいような空気がある。従業員の確保と生活の安定は重要なことなので、これは当然のようにも思えるが、休んでいるのに給与が発生するということに理解を及ぼすのは難しいだろう。
邸内に働く者たちにも同様の制度を取り入れているが、護衛についてはやはり特殊な仕事なので、たとえばクリスとハートがどちらも休むことになったら外に出るのはためらわれてしまうところはある。
まあ、王都の主要な通りは物騒ではないところが多いし、警察組織に似たものも王都にはあるから滅多なことでは大きな事件は起こられない。ハートを拾った時のように自分からトラブルに巻き込まれない限りは何も起こらない程度には安全だと思う。
それでも役職の都合上、二人同時に有休を使われてしまうと少しだけ困る程度のものだ。
邸内にいる私兵団の者たちもいるが、家のように建物を守ることに特化されていても、人から人を守るというのはまた別の力が必要である。こればかりは優秀な人間を雇うか、育てるかしか方法はない。よそから掠め取るというのもあまりやりすぎると問題が起きるので、育成という方法をとっているが時間がかかりそうだ。
「よし、それでは行くぞ」
ハートとともに邸を出発した。
そういえば、休暇のことを考えていたら、私が高校1年生の時の担任のことをふいに思い出した。
その人は50歳前後の人だったが、化学の先生だった。
入学式には私たちを「入学おめでとう」と笑顔で迎え入れ、一日だけいなかった日を除いて、それからの1週間は高校に不慣れな私たちにいろいろと世話をしてくれていたと記憶している。私たちは十兵衛先生と呼んでいた。
「高校は義務教育ではない」と常日頃から言っていて、優しいというよりはかなり厳格な人だった。
80年代だったが、日本の高校は荒れていた時代で、私が通っていた高校も例外ではなかった。
それでも先生は生徒に対しては分け隔てなく、褒めるべきところは的確に褒めてくれたし、叱るべきところは鬼のように叱った。
何よりも特筆すべきは他の男性の教員とは違い、生徒に問答無用に手をあげることは絶対にしなかった。あの当時を振り返るとみな教員も体罰、生徒も暴行が多い、日常茶飯事だと言われることもあるけれど、決してそれに与しない人たちだって生きていた。
特に先生の場合はそのような暴力行為が何を生むのか、若い頃にたくさんその目で見てきたはずである。
なお、体罰を振るう教員に対しては、私の先輩たちはお礼参りと称してそういう教員の車に10円傷を付けた人もいるようだ。だから、自然とそういう教員の車はそういう仕返しをされる前提の車に乗っていたらしい。
個人的な交流としては「田中、面白い雑誌があるぞ」と言って、その頃に発売された科学雑誌を貸してくれることもあった。先生は定期購読をしていたようで、先生が読み終えた後に私が借りることが続いた。酒やたばこではないが、大人が読むべきだと考えられている本を「お前にはその資格がある」と認められたようで当時とても嬉しく思ったものだった。
私が高校三年生になると、その先生は転勤して違う学校へと異動した。
離任式では「身近にある大切なものを決して取りこぼさないように」という言葉が印象的だった。
成人式の日に同じ高校のクラスの友人たちと集まった時に、この先生の話題になった。
私はあまり話さなかった同級生だが、先生と隣近所に住んでいた子がいた。その子の情報によれば、「今だから言えるけど、先生って俺たちの入学式の日にお父さんが亡くなってたんだよ」ということだった。先生は長男でもあるらしかった。その同級生の母親が先生と縁があって通夜に行ったようで、先生は「このことは生徒たちには内密に」と釘を刺されたようだった。事実、そのことを知る生徒はほとんどいなかったという話だ。
職責や先生の世代や性格や意志、様々なことが去来したのだろうが、先生は当時そういう選択をしていた。
その話を聞いた時、「あー、わかる」「そういうことしそうだよね」と賑やかに話す友人たちとは裏腹に、私は妙にせつない思いを抱いたことを覚えている。
いつの間にか私はあの先生の年齢を追い越してしまったのだなと思うと不思議な気持ちである。
40歳の時の同窓会でその先生が亡くなったことを伝え聞いた。教員を辞めてから急に老け込んだという。
先生の墓は夏頃にはさわやかな潮風の薫る、見晴らしの良い場所にあるということである。
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