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第三部

10,妖精のレシピ

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 迷いの森から戻ってきた後、すぐに妖精が教えてくれたレシピを再現しようと思ったのだが、いくつかの点で困難だった。

「うーん、ちょっと難しいですね。今回は時間がかかりそうです。すみません」

「そうか。まあすぐにできるとは思ってなかったさ。無理をせずに気長にやってくれ」

 頭を悩ましているのは土研究者のレイトである。

 まず薬草が稀少である。
 例によってモグ子にはレシピに使う薬草のいくつかを採取してきてもらったのだが、「ここじゃ、育たない」と言った。どうやらかなり特殊な環境下でなければ育たない薬草である。
 ドジャース商会から出しているポーションの薬草類はモグ子が集めてきてくれて、それらを栽培して増やしていった。
 だが、この妖精のレシピはそうはいかない。いくつかの薬草がこの王都の土では育たないのである。
 ポーションの場合にそういう薬草があってレイトの改良した土で無事に増やすことができた。しかし、今回はよほど特殊なのだろう、移し替えてもすぐに枯れてしまった。それが1つだけならまだしも、4、5種類の薬草がそうである。
 これまでにもいくつかの植物には難儀したが、レイトとモグ子が協力して育成させることに成功していた。しかし、レイトの見立てもそうだが、モグ子が育たないと言ったのであれば、やはり高難度のことなのだろうと思う。
 これは土だけの問題ではないはずなので、湿度や光や室温などの調整にも時間がかかるだろう。
 他にもレイトは他の分野の研究者からの助言を得て開発を進めているが、これは突破口を見いだせないからなのだろう。この手のことは私にはわからないので任せるしかない。モグ子が採ってきた薬草の気候や条件などを一つひとつ洗い出しているところである。


 もう一つの問題は精製過程における魔法である。
 従来のポーションは水魔法なのであるが、どうやらいくつかのレシピでは水魔法以外の魔法の介在が必要だった。
 たとえば、ある薬では土と水の複合魔法で作成した水が必要となる。栽培しなくてもとりあえず水だけでも作ってみようと思っていたが、これにはカーティスが苦戦していた。

「私もずっと試してはいるのですが、申し訳ございません」

「いや、気にするな。複合魔法は歴史的にも珍しい魔法だ。カーティス、いくらお前でもすぐに出来てしまったら私の立つ瀬がなくなるじゃないか」

 レイトたちが苦戦している薬草で作れる薬のレシピとは別に、あの妖精がカーティスを見てこのレシピを渡したが、このポーションでは土と水の複合魔法で作った液体が必須である。
 カーティスは学生時代から複合魔法の理論やその発動を試して、いくつかの魔法は使えるが、今回はまだ手応えのあるものには辿り着いていない。あきらかに難度が高い。

 これはまだ明らかではないので何とも言えないが、たとえばカーティスが生み出した水魔法の水には、カーティスの魔法の素が材料になっている。これまでのポーションに使う水だったら水の魔法の素が入っていると考える。
 だが、今回必要となるのは、水の魔法の素と土の魔法の素が入っている特殊な水が必要となる、たぶんそういうことなんじゃないかと思う。二属性魔法は私にはわからない感覚だが、右を見ながら左を見る、そんな感覚なのだろう。

 妖精が水の精霊や土の精霊と仲が良いと昔モグラや白蛇が言っていたが、おそらくこのあたりにも関係があるのだろうと思う。妖精も精霊との契約者なのかもしれないが、モグラたちの話からすればどうもそういう様子はない。対等とは言わないにしても、明確な上下関係はないように感じる。もしかしたら彼らは精霊を介さずとも魔法の行使が可能なのかもしれない。妖精の実態も謎に包まれている。他国には妖精が多く住んでいる集落があるというが、その方面から調査してもいいだろう。

 カーティスが生み出した水魔法の水に、たとえば私が土魔法で何かしてもそれは水に変化を与えないし、私が持っている土の魔法の素が混ざるわけではない。ただの泥水にしかならない。
 特定の武器に魔法の素を流すこともできるのだが、威力が通常の数倍になる。魔法剣という呼び方をされているが、使い手の力量によって大きく異なる。私の持っている武器は特別に作ってもらったものであるが、この武器に魔法の素を流すと岩が豆腐のように切れる。土は堅固さを増加させると言われているが、切れ味も鋭くなる。土の場合はよく鎧や靴に流すことをやっているようである。
 ただ、この魔法の素は水に混ぜてもすぐに霧散してしまう。発動時に二つを混ぜなければならないのだ。
 だから、これは2つの契約をしているカーティスか、アリーシャにしかできないということだ。

 どうやって妖精たちがこのレシピを再現できるのかは気になるが、「人間、意地を見せろ」とそこは教えてくれなかった。これも乗り越えなければならない試練である。妖精も多くは二属性の魔法を使えないのだとしたら、もしかすると抜け道のようなものはありそうだ。あるいはこれはかなり秘匿されている技術の一つなのかもしれない。
 レイトもカーティスも新しい課題ができたようで、また違った角度からそれぞれ研究をするだろう。ひゅっと裏技を教えてもらうことができたとしても、それの過程を検証することが必要だから、これは必要な苦労である。
 妖精のレシピはその苦労をかけるだけの価値ある効果のポーションである。

 というわけで、妖精のレシピはそのほとんどが当面再現できることはない。もっと早くに入手できていたら、カーサイト公爵家の新作ポーションを売りに出せたが、まあこればかりは今さらである。
 中級ポーションをアリ商会から買うのは高価なので、内々に使用する場合のポーションとして同じものを作ることにした。売り物にしなければギャランティーは発生しないのだから、病院などで使うこともできよう。初級ポーションでは癒やすことのできない傷などを治している。これは確かに上級ポーションと見まがってもおかしくない効果だ。


 ちなみに一人で二つの魔法を合わせるものを複合魔法というが、二人がそれぞれ別の魔法を合わせるものも複合魔法という。
 前者は人族においてはあまり記録に残っていないが、だからこそカーティスが注目されたわけである。
 後者は簡単にいえば、二人以上の使い手が協力して発動させる魔法である。水と風だったら雷が発生する、火と風だったら業火となる。もちろん、火と火、水と水という組み合わせもある。
 こういう二重の契約をする人間は人族とは違う種族に多いとされている。カーティスやアリーシャのような人間は稀で、だから通常「複合魔法」という言葉は後者の意味で使用されることが多く、協力魔法という意味である。


 なぜこの世界には電気を用いた電灯がすでにあったのか、それは当初から疑問だった。
 最初は灯りのない世界だとゲームだと不便だからだと思っていたがそうではなさそうだ。もちろん、そのご都合主義とでもいうべきことは多少はあったように思う。
 しかし、空の雷だけではなく、この水と風との複合魔法で発生する雷という現象に目を付けたのだろうと甘く推測していたら実際それが事実であるようだ。
 一瞬ではなく、数十秒間、場合によっては数分程度連続的に雷を発生させることができるのだから、この雷に着目した人間は大したものだと思う。しびれる感動があっただろう。
 まあ、電気の存在を認識していても電球のようなものを発明したのは誰だったのかは記録に残っていない。ロストテクノロジーのあった時代の名残の一つなのだろう。
 とはいえ、電気の利用は電灯のみであり、冷蔵庫やスポットライトのようなものをドジャース商会では開発している。まことにいびつな世界の知識だが、ここ数年で電気の利用法も多方面にわたっているため、この分野はいま熱い。

 なお、二人以上が協力してかけあわせる複合魔法は、互いの魔法の操作が重要なため、少なくともどちらか一方の魔法使いはかなりのバランサーでなければ上手くいかない。ハートとカーティスなら複合魔法は使えるそうで、学園にいた時に練習もしたことがあるようだ。ハートはファラとも協力して魔法も使えるが、二人の性格ゆえか、成功率は低めのようである。
 カーティスとファラは水と火なので相性が悪いと決めつけられていて実行しなかったようだ。
 土と火だと、燃える隕石だったり、堅い壁だったり、そういうものが作れる。こちらは試してみたそうだ。


 ところで、土魔法の土の成分はかなり偏った成分である。
 どこの土を分析するかで異なるが、地球の場合は通常の土壌にはケイ素、アルミニウム、鉄、ナトリウム、マグネシウムなどがあり、それと酸素が結合した化合物もあり、湿った場合は水分も含まれる。植物を構成する窒素やリンやカリウムなどもある。

 一方、土魔法はそれらがまばらであり、つまり個々の土魔法の使用者が生み出した土にも違いがある。私が作った土とカーティスやアリーシャが作った土は、同じ分量では成分は異なる。
 ただ、同一の使用者が使用する土魔法ではほぼ同じ土の成分だと考えられている。
 私が再び土魔法を使ったら、最初の1回目に出来た土の方がカーティスやアリーシャが生み出した土よりも成分は似ている。

 その全てを解析することができていないのだろうが、同じではない可能性が強いとすると、一度として同じ土は作成されていないと考えられるし、その違いは一回一回の魔法操作と呼ばれるものとの関連があるのだろう。
 練習することによってその一回一回の微妙な違いを差を無くしていく、魔法の練習とはたぶんそういうことなのだと思う。そして、ある程度基準や力加減の魔法ができた後に、調整によって限りなく水に近い泥水を生み出すこともできるし、堅い壁も作ることができるようになる。

 土魔法というのは、もしかしたら元素を生み出す魔法として理解をしてもいいのかもしれない。あるいは水魔法もそう捉えてもいいかもしれない。

 この世界の魔法研究にはいろいろとあるが、魔法を使用した時の原子や分子の結合の強弱によって生み出せる物質が異なる、そういうのを研究しているものがある。
 私の考えでは理論上、土魔法はダイヤモンドとか金の延べ棒とか鉄の塊も生み出せるはずである。また、酸素とオゾン、黒鉛とダイヤモンドのような同素体をそれぞれ生み出せると思う。理論上といったが、実際にそれに近い物質を生成できている。ただ、私以外の土魔法の使い手にはできないようである。

 水魔法では氷も出せる。バカラの記憶にはあったけれど、最初それを見た時は驚いたものだ。
 氷は水分子が水素結合をして他の水分子と結びついて正四面体の連なった構造になったものだが、水はそれが緩い。
 だから、おそらく魔法の発動というのはこの結合の有無なども操作しているのだと考えられる。
 カーティスやアリーシャは最初は水しか出せなかったが、私が物質の構造について話をすると数日後には二人とも氷を作り出せるようになっていた。我が子たちながら恐ろしい才能である。とともに、この仮説は蓋然性が高いのだろうと確信した瞬間だった。

 土魔法がもし元素を生み出し、さらに原子や分子同士のつながりも操作できるのならば、水素分子と酸素分子で水分子、つまり土魔法で水が出せるのではないかとも思えるが、土なら土、水なら水で生み出せる元素に制限があるのかどうか、これはまだ明らかにされていない。

 しかし、もしこれらの仮説がすべて正しかったとしたら、やりようによっては水と火の複合魔法で大爆発が起こせるということになる。
 水を水素と酸素に分解して空気中の構成比を変えて燃えやすい環境にすると、敵どころかそれこそ障壁で守られている魔法使いごと焼き尽くすものになる可能性は高い。水素の同位体である重水素や三重水素が人工的に作れたら、また違う魔法にもなるだろう。
 当然ながら、水と火の複合魔法の存在は確認されていない。水と火は誰しもが相性が悪いと考えたからだろう。カーティスとファラが水と火とで複合魔法に挑戦しなかったのは、ある面では良かったことなのかもしれない。
 ただ、今はもうカーティスもその原理を知ってしまっているから、油断はできない。この扱いについてはカーティスには厳しく言ったことの一つである。

 魔法という現象を合理的に考えるのもナンセンスな気がするが、ある程度の魔法体系があるということは一定の法則があるはずであり、カーティスはこのあたりの研究を学園では行っている。
 はじめはカーティスが学園に残ったのは学園の風通しをよくするためだと思ったが、最近では二属性魔法の可能性について解き明かしたい、その思いが一番にあったのではないかと思い直している。元々勤勉家だったのだ。

 この世界では魔法は習うより慣れよという意識が強いが、理屈抜きで使えるようになったらもう魔法については考える必要はなく、使えるという事実に重きを置いてきたのだろう。だから、この魔法研究はまだまだ発展の余地はありそうである。


 さて、ずっと気になっていたマナポーションのレシピも妖精は教えてくれた。少し材料集めに手間取ったが、レシピ通りに作ってみた。
 まずい。とてつもなくまずい。これは売りに出してはいけないレベルだ。脳髄が腐る。
 だから、さすがにこれは商品化にはほど遠いと思って、マナポーションは販売はしていない。味の改良に時間がかかりそうである。妖精はこの味で満足できているんだろうか。

 もう一つ、これが完成したらとんでもないことなのだが、妖精はソーマと呼ばれる霊薬のレシピについても教えてくれた。これもエリクサー同様に一部しかレシピはないのだが、伝説では不老長寿や不老不死の効果があるのだという。
 ただ、原材料を見ると、エリクサーの方が十分に希望が持てるくらいである。これについては開発は不可能だと思う。


 妖精の話の中に気になるものがあった。

「人間、変な薬を作っているな。よくないぞ」

 愛らしい表情がムスッとしていて、少しだけリスに似ていた。

「変な薬?」

「ああ、心が潰れるぞ」

 それがどういうことなのかは今ひとつわからなかったが、ただ昨年から確かに薬が問題となっていた。
 王都内に麻薬のようなものが出回っている、そういう話である。

 昨年の11月あたりだったか、アーノルドたちのところに患者がやってきた。ちょうど王都ではカレー騒動があった時期である。
 30代くらいの男だったが、正気を保っているとは言えないようだった。麻薬中毒者を私は見たことはないが、なんらかの薬をやっているのではないかと言われたらそうだとしか思えないような患者である。
 数日かかって、やっと男とまともな会話をすることができた。

「気持ちのよくなれる薬があるからって安くもらったんです」

 男の話はそうだったのだが、実は男と同じような患者がこの時期に何名か現れた。私は煙草や酒などの嗜好品を否定はしないけれど、あきらかにこの薬はそういうレベルではないものだと思った。
 それで誰がこの薬を売っているのかの正体を突き止めたかったが、いまだに尻尾がつかめていない。
 幸いにして薬は入手できて、時間をかけて成分を分析しているところである。
 ただ、毒薬研究者のドリーが「これはたぶんビーストン国で流行ってた薬じゃないかと思います」と言った。

「そんな薬があるのか?」

「結構前の話なんですが、ビーストン国に幻覚作用を与える植物があったんです。それはなんといいますか、いわゆる末期の人間に嗅がせて気持ちを落ち着かせるものとして使用されてきました」

「それが末期の人間以外にも使用されるようになったと?」

「その通りです。一部のお貴族様たちが愛好していたともっぱらの噂です。おそらく分量も増えているんだと思います。事態を重くみたビーストン国は使用を禁止したんですが、今でも栽培されて薬になっていると言われています」

 この世界でもそういう薬があることは知っていたが、隣国ビーストン国にそういうことが起きていたことは知らなかった。明らかに誰かが意図的にばらまいているのだろう。
 末期患者に対するこの種の薬は試験的に導入されている。あの狂犬病の時もそうだったが、死の世界に身体の半分以上を持って行かれている患者には、せめて痛みだけでも軽減させることは行っていた。

「なぜそんな薬が王都内で広まっているんだ?」

「私にはわかりかねますが、やはり金になるのでしょうか」

 気になることとしては、日本だと末端価格が、ということになるが、どうやら安価で入手ができることだ。少なくともこの国に流行っているのは金目当てではない、そんな予感がする。事実、ドリーが知っている情報によれば貴族たちが愛用していた時にはそれこそ末端価格がいくらという法外な値段だったようだ。
 こうしてドリーにはずっとこの薬の薬効や、ビーストン国でかつて売られていたものかどうかを分析してもらっていた。
 薬に詳しい妖精が警告をするくらいなのだから、世に出してはならない薬なのだろう。
 
 一応、王都内にはそういう薬については多くの人々に注意を喚起したが、それでもぽつぽつと患者が現れている。王もただ事ではないと考えていたのか、この薬を取り締まるように厳命が下されたが、何も掴めずに今に至っている。いまいましいことである。


 さて、アリ商会から一時期初級ポーションが出されたことがあった。中級ポーションが出てから一か月くらい経った時のことだった。
 これは中級ポーションを薄めたものらしく、価格もドジャース商会のものに合わせてきた。ただし、本数は少なかった。

 というのは、その効果はドジャース商会のポーションよりも劣っているのが明らかだったからである。
 私たちも妖精のレシピをもとにしてアリ商会と同じ中級ポーションを作り、そこから初級ポーションとなるように薄めてみたのだが、かなり調整が難しかった。

 どういうことなのか、数値で説明すると、ドジャース商会のポーションが20回復し、アリ商会の中級ポーションが60回復するとしたら、中級ポーションを薄めたポーションは10しか回復しない。
 ある濃度を超えると60になり、そこに達しない場合は10である、こういうことである。さらに薄めすぎてしまったら効果が0となる。つまり、単なる水である。
 0と10の間、10と60の間の幅は広く、狙って10や60の効果を出すのはなかなか難しい。
 したがって、薄めて売りに出すとしても、あまり経済的でも効率的でもないことが明らかになった。

 それでも効果はあるのだから売れても良さそうだが、これについてはドジャース商会のポーションの方が売れ行きは良かった。
 味である。この味に関してはドジャース商会のポーションの方が圧倒的だった。妖精のお墨付きをもらったようなものなのだから、いっそう自信がついた。

 そして、もともと中級ポーションは大量に作れるわけではないので、自然とアリ商会から初級ポーションは消えていった。中級を薄めるよりも中級は中級ポーションで売った方がいいという判断なのだろう。その判断は正しいと思う。
 そんなに本数も売りに出していなかったので、単に顧客の反応を確認するだけで、おそらく最初から撤退の可能性はあったのだろう。

 ここに来て、初級ポーションはドジャース商会、中級ポーションはアリ商会という明確な違いが人々の間にも浸透していった。
 中級よりも初級のポーションの方が使い勝手が良いというか、護衛や冒険者のように大怪我をする危険性の低い人々以外の人間には中級ポーションはそこまで需要はない。だから、利益としては初級ポーションの方が断然上である。

 ただ、現在ドジャース商会で販売しているポーションも、アリ商会のポーションも元を辿れば妖精のレシピであり、その妖精のレシピには改善できる点はないのか、それについてはずっと考えている。
 妖精は案外長生きする生き物のようで、長い時間をかけて生み出したのだろうし、薬草などの知識も相当なものだろうが、ポーション学会の会長としては是非とも挑戦をしてみたいと考えている。シーサスがアベル王子の生誕祭で私に向けた気持ちが今ならよくわかる。私は待つ側ではない、挑む側としてありたいと思う。


 そういえば、当のザマスは王宮内で会ったらまた嫌みや皮肉を言うかと思いきや、そういうわけではなかった。ドジャース商会でポーションを売りに出した時こそ敵対心を剥き出しにしていたのだが、どうも静かである。
 王宮内でも時折虚ろな目をして思案しているようだった。こんな男にも悩みくらいあるのだろうか。

「ザマス殿、何か心配なことでも?」

 私に気づくと気怠そうにこっちを見てきた。

「ああ、あなたですか。いつも元気でいいことですねぇ」

 嫌みな言い方は残っているが、やはり元気がない。新作のポーションで自慢をしてくるかと思っていたが、肩すかしをくらった感じだ。

「いやあ、息子というのがわからなくなってしまいましてねぇ」

「シーサスが? 彼は精力的にポーションを作っていると聞いたが」

 おそらくザマスではなくシーサスが中心になって作ったのだろう。その息子の手柄を祝うようなことがあってもいいはずだ。

「精力的か。あの子はいつからあんなにポーション作りに躍起になっていたんでしょうねぇ」

 そんなの私が知るわけがなく、一緒に住んでいるお前の方が知っているだろうと言いたくなったが、どうやら話を聞く内にザマスにも知られないように新作ポーションを作成していたようである。

 初めて親として悩むザマスを見たような思いだった。傲慢な感じがなくなっているというのか、カーサイト公爵家の当主だと言わんばかりの態度を私に対して向けることが少なくなっていった。
 娘が大学進学の際に、進路選択で相談を受けたことがあった。1度だけだった。妻とは何度かあったのかもしれない。
 これまで自分の進路について話したこともなかったので私も妻も多少は驚いたが、子どもの人生を私たち夫婦に縛り付ける必要はないというか、そんなことはしたくないという点で一致していたので、特に何も言わなかった。

「本当に、私たちって理解のある保護者だよね」

 妻は冗談を言いながら笑っていたが、そうではない親の方が多いのかもしれない。同僚にも子どもの進路で喧嘩をした人間がいた。妻の方でもそうだった。子どもが何をしているのか、何を考えているのかわからないのはこの世界でも同じなのだ。ザマスの方が一般的な親のように思えた。

「ははっ、私もカーティスには驚かされるばかりだ。子どもというのは目を離したすきに勝手に成長していくものだ」

 娘もアリーシャもカーティスも、みなそうだ。クリスとカミラの娘のミモザなど、目を離したすきに私の腕の中でお漏らしをしていた。

「あなたに慰められるとは思ってもみませんでしたが……。そうか、勝手に成長をするのか」

 最後は私にではなく自分に言っているようだった。今頃気づいたのかと言いたくもなるが、まあ親は子ができたから親であるわけではなく、親になっていくものである。
 嫌みや皮肉のないザマスに気持ち悪さを覚えたが、こうしてみるとやっとこのザマスに人間らしい顔を見つけることができた。

 ザマスは性格が大きく変わったというが、以前のザマスはこんな人間だったのかもしれない。うっすらと残っているバカラの記憶を覗いてみても、10年くらい前のザマスの姿は今見ている姿と重なるところがあるような気がする。

 この男はこの男で、カーサイト公爵家のことを考えているのだろう。私と同じく早くに先代を亡くしたので苦労してきたに違いない。
 ただ守銭奴は変わらないようである。
 しかし、バーミヤン公爵領ほどに高い税率でもなく、他領と比べても穏当なものである。もう少しインフラ整備はしろよと言いたいが、カーサイト領の民たちが困窮しているという話はそんなに聞かない。領民からの批判の声もそんなにあるわけでもない。ここ数年で何度かカーサイト領にも足を運んだが、素朴だが悪くはない街だった。シーサスは言うまでもないが、ザマスもそれなりに評価されている領主のようである。

 そんなことを考えてたらザマスからカーサイト領のいくつかの設備についての相談をされ、何人かの土魔法を使える人間や私自身が時間のある時に向かうことを約束した。
 ソーランド領だけが私の仕事ではない。宰相になる以前からも他領にも行くことがあったが、それぞれの領の運営に特徴があって興味深い。
 それでもゲスの所轄のバーミヤン領にはあまり近づきたくないものである。バーミヤン領は領民が年々他領に移っているということである。あんなのが領主だと未来はないだろう。

「ふっふーん、あなたも良いポーションを作れるようになればいいですねぇ。高みから見物しておきますよ」

 去り際にザマスが言ってきた。
 憎々しいが、いつもの嫌みのザマスに戻ったことに安心した。
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