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9章 久世長澄

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 徒手空拳なんの門閥も持たぬ彼の活躍は、多くの嫉妬の的にもなった。時に家柄の無さを蔑まれることもあった。
 彼は、津田家に仕えるまで、まともに元服もしていなかった。諱も無かった。彼の身の上はそうだった。
 その彼に、久世の家名を与えたのが、お香の方だった。
 久世家は、お香の母親の実家の家名だった。美濃では古くからある由緒正しい家柄だったが、お家争いの煽りを受けて滅んでいた。
 家名を継ぐ者がいない久世家の名跡を、継いで欲しいと言うお香の方に、彼は驚いた。
「そうのような由緒ある名跡を、私などが継ぐわけにはいきませぬ。余りに畏れ多いことでございます」
「なぜじゃ、わらわはそなたにこそ継いで欲しいのじゃ。そなたこそ、久世を継ぐにふさわしいと見込んだからこそ、この話をするのじゃ」
「お方様の仰せは、まことありがたいことなれど、私のような家の無いものが、相応しいとは思えませんが……」
「そなたに家が無いからじゃ。家の無いそなたと、人の絶えた家が一緒になる。これほど理にかなった話はなかろう。母の無い子と、子の無い母が一緒になると同じじゃと思うのじゃ」
 お香の方の気持ちは、涙が出るほどありがたいことだった。
 彼は、なんの家名もない己を恥じたことはないが、何かとそのことが付いて回るのも事実だった。
 お香の方の気持ちに、感激のため身が震える。しかし、同時に望外過ぎて、戸惑いの方も大きかった。
 そして、このような重要事。いくらお香の方の母の家名と言えど、朝頼の許しなくばいけないのは、当然だった。
「……殿はご承知で」
「勿論じゃ。殿のお許しなくて、このような話は出来ぬ。つまりな、この話、殿からの話でもあるのじゃぞ。それを受けねば、殿に対しても不敬になるのじゃ」
 そこまで言われれば、断ることはできない。彼は、意を決して、謹んで受けることにした。
「承知つかまつりました。お受けさせていただきます。若輩の身ながら、久世の名に恥じぬように、今まで以上に、誠心誠意尽くす所存にございます」
 彼の力強い言葉に、お香の方は、満足気に頷いた。
 以来彼は、久世長澄を名乗るようになった。
 お香は、粉骨砕身で働く、彼の後ろ盾になってやりたかったのだ。己が見出した者という思いもある。
 同時に、久世の家名がこのまま消えていくことに、淋しさもあった。彼なら、家名に恥じぬ活躍を、今後もなすだろうとの信頼があった。

 お香の方の、信頼と期待は彼にも十分すぎるほど伝わり、ありがたかった。
 思えば、津田家に仕官するきっかけもお香の方だった。そして、今また家名を与えられた。強く繋がっている何かを感じた。
 彼は、益々津田家のために尽くす思いを、深くした。

 その名に、津田家正室の後ろ盾と期待を感じさせる、久世長澄を、表立って蔑む者はいなくなった。
 そして何より、久世と言えば、美濃の名門と知れているため、対外的にも利が多かった。地位が上がるにつれ、対外的な折衝も増えてきた彼に、久世の名は大いに役立った。
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