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第一章

25 セオドアの気付き

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「無理……?」

 前に突き出した腕を下ろすのも忘れて固まった男セオドア・ヘンドリックスは思いもかけないショックを受けていた。
 散々妄想で口にはできないあれこれをされたのに、いざ少し触れただけで無理などと言われたからだ。
 セオドア的にあれが少しと言うと語弊があるが、少なくとも脳内が色々とヤバいアリエル的にはレベルゼロのスキンシップではないのだろうか……と彼はたったの今まで疑いなくそう思っていた。

 だが、違った。アリエルは経験者のように激しく妄想する割にまさかまさかのウブさを露呈させた。

 実際にセオドアの方から触れられるなどとは微塵も本気で考えていなかったのだ。
 だとしても、完全想定外だったとしても「無理」は酷い言い種だろうと訴えたい彼だった。

(他者からの批判や非難、侮蔑さえ、何度も受けてきてとっくに慣れたと思っていたのに。どうして……)

 中途半端な姿勢のまま突っ立っていた彼はようやく体の脇に腕を下ろすと手指を強く握り込んだ。

(どうも私を空想小説の同名の登場人物になぞらえていて、真面目だと思われているのは決してマイナス点じゃない。しかし)

 プラスマイナス両面から国王セオドアへ勝手なイメージを持たれるのは何もアリエルに限った事ではない。ないのだが……それでも彼は前々から彼女から真実の自分を蔑ろにされているようで面白くないと感じてもいた。
 ちゃんと目の前にいるセオドア・ヘンドリックスを見ろ、と勝手に抱くその思い込みを無性に砕いてやりたくて少し彼女の煩悩の中の自分に倣って動いてみたという次第だった。意地が悪かったと言われれば反論できない。
 言い訳をすれば、彼としてはあれでも自分感覚で過度にならないように抑えたつもりだったのだ。

「あんな反応、私は露出狂か何かか? あんな風に逃げる必要があったのか?」

 しかもまだアリエルからは無理無理無理と思考されている。いつまで連呼するつもりなのか。
 無理というのは生理的に無理の無理なのかもしれない。そういう流れだった。セオドアは愕然とした。無理という言葉一つが重ねられるごとにどこか大事な部分が抉られる気がする。
 こんな複雑な気分を味わう羽目になるなどと彼は少しも予想していなかった。
 正直に言えば結婚の提案に彼女はまさにレアな限定商品を手に入れたような満足顔で二つ返事で了承してくれると考えていた。それこそ推しを愛でられるとか何とかはしゃいで。しかし実際の彼女は了承はして頭の中では激しかったものの、いざ彼が現実のスキンシップをほんの少し深めただけで、逃げた。
 因みに彼には推しとか沼とか、当初は不可解だったアリエルの用語の意味が今では大体わかる。

(これは私が見誤ったと言うか、自意識過剰だった。咄嗟に契約結婚という流れにして正解だったかもな。そうでなければ彼女から不信感を買ったかもしれない。私が何の感情も抱いていないと当たり前のように口にしたしな。……だが、近いうち必ず契約抜きなものにしてやる)

 セオドアは池での一件で自覚していた。
 アリエルを失えない、失いたくないと。
 彼女が聖女だからではない。無論、聖女の重要性はわかっているしこの国に聖女は必要だと思っているが、それは聖女個人ではなく公人としての聖女に対するものだ。故に聖女がアリエルかどうかは関係ない。
 反対に、彼の抱くこの切ない気持ちはアリエルが聖女かどうかは関係ない。アリエルはアリエルだからこそ大事だと思うのだ。
 時々、いや、よく変な女だと思うのに無視できない。気になるのだから最早どうにもならない。

 いつかは世継ぎを設ける国王の責務でどうかご結婚をと臣下達に押し切られてしまうだろうと、彼は王宮で暮らしながら薄々そう思って覚悟すらしていた。特に結婚したい娘もいなかったので臣下の提示する最も好条件の娘を選んで王妃に据えるのは仕方がないと。

 だがここに来てそのどこか茫漠とした展望が激変した。

 どうせ誰かと結婚するなら、彼女がいい。

 ――アリエル・ベルしかいない、と。

 どんな感情なのかは、語るまでもない。

 とにかくまあ複雑な心境の彼自身、明日からは攻めの姿勢でいこうと決めた。関係の進展を望むならアリエルとのスキンシップが必要だろうとは疑いの余地はない。

 ただ、昨夜急遽叩き起こした高官達は聖女アリエルと結婚するのを承認させただけなので、彼らはアリエル本人が契約結婚だと認識してしまったとは想像もしていないだろう。
 セオドアは両者へその点をどう巧妙に伏せるかの舵取りをもしなければならないとも思い至って多少辟易としたものを感じ、きっぱり男らしく告白の一つもできず、契約の結婚をなどと告げた自らの逃げ腰に情けなくて嘆息した。
 どうしてこうもややこしくしてしまったのか。

 アリエルが現れて以来、王宮の大半の高官達は聖女を王妃候補の筆頭とするのがベストだと口にしていたが、アリエルは王都の令嬢達のように王妃の座を狙うガチ勢でもない。

 彼女は決して本気の恋愛相手としてセオドアを見てもいない。

 本当のセオドア・ヘンドリックスを見ていない。

 ドキドキと興奮してもそれは結局セオドアが推しだからなのだ。

 いつからだろう、本当の自分を求められていない事に都合がいいと安心するどころか悔しさにも似た思いに駆られてしまっていたのは。無性に子供のように駄々をこねたい気分になったのはどうしてなのか。今までぞんざいにして距離を置いていたのは自分なのに、何故近くで本質を見ようとしないのかと彼女を責めてしまう矛盾を彼は感じていた。
 当初は彼女の過度の煩悩が確かに煩わしかった。

 聖女仕事への一生懸命さに見直したりしていたが、あくまでも聖女は王宮安定のための歯車の一つだった。

 そこに個人の感情は持ち込まず、国王として節度を守って接していくつもりだった。

 しかし王宮池で失いそうになって、無茶をするくらいには彼女が大事な存在になっていた。

 聖女は最早、露呈したその能力故に安全ではいられない。その力欲しさに彼女を我が物としようとする善からぬ輩や国が将来皆無とは言えない。彼女をこの先も無理なく傍に留め置くための最善を考えるちょうど良い機会と捉え、そのために思い付いたものが結婚だった。

 結婚すれば公私共のパートナーとしてアリエルへと目を掛けて何らおかしくないし、誰に文句を言われる筋合いなく彼女を護れる。
 他の側面もある。聖女とは言え平民出の彼女に密かに身分の優越を抱く貴族は多い。彼女に箔を付ける点からも有効だ。

 ……しかし、この恋は前途多難かもしれない。

 何分唐突過ぎた、と反省しつつ彼はまだ何となくその場に佇む。

(しかし何が無理なんだ? 外見も含めてクールとか何とか称賛していたくせに、無理って何だよ?)

 アリエルがもしまだ目の前にいたら問い詰めていたに違いない。
 気掛かりそうにアリエルが半開きにしていった扉から使用人達がセオドアを窺っていたが、彼はそんな視線には頓着せずに不貞腐れた気分で傍の椅子に腰を下ろすと際限なくぐるぐると考え込み続ける。

 ――しかし、駄々漏れ思考の利点はこんな時に発揮された。

 彼はアリエルの気持ちを誰よりも先に理解できるのだ。

 しばらくして自室に戻ったのか望まずも聞こえてくる心の声に、曇り空だったセオドアの胸中に天使の梯子が現れる中、彼はくっきりはっきり寄せていた眉間のしわをようやく消した。

「…………ははっ、は、何だよ全く……。無理って、そういう意味……」

 カオス過ぎて無理以外ほとんど読み取れなかった真意が、程なくしてやっとわかるようになったのだ。彼女もやっと冷静さを取り戻したのだろう。
 セオドアは心底ホッとしていた。
 恥ずかしくて限界、故に面と向き合えないという意での無理。

「まさかそんな風に思って照れていたとはな……」

 ただし筒抜け思考に今だけはちょっと後ろめたさを感じた。秘密を覗き見ているような居心地の悪さがある。
 反面では気持ちが浮上して擽ったさが込み上げてふっと自然に顔が綻んだ。
 アリエルが見ていたらきっとこう叫んだだろう。

 ――恋人に向けるやつ!

 らしくない気の緩みに彼はハッとして打ち消すように頭を振って、ふと残されたケーキに目を向ける。
 アリエルには食べ物を粗末にするなと注意したばかりだ。
 仕方なし彼は新たなフォークを給仕の一人に持って来させると、律儀に全部を平らげた。

「甘いな……」

 けれど、程良い。ラズベリーの酸味のおかげだろう。
 ラズベリーを押し込んだ際のアリエルのびっくり顔を思い出し、今更ながら自分がした大胆な行動への気恥ずかしさが込み上げたセオドアなのだった。
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