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第二十話 追跡と逃走1

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「おじさん、この方向だとあの馬車はもしかして貴族街に?」
「おそらくね」

 エレノアの問いに辻馬車の中年の御者は何とはなしに答えてくれる。
 しかしそれだけで無用な詮索はしてこない。職業柄気軽に踏み込んでいいものとそうでないものの線引きができているのだろう。
 とりわけ、貴族に関わるような問題にはとばっちりを孕んでいるケースも少なくないので、用心しているのかもしれない。
 現在エレノアはとある一台の大型馬車の追跡をしていた。
 石畳の夜の大通りはまだ多くの店が開いていて、窓から店内の喧騒と明かりが漏れている。馬車もまだ多く通っている時間だ。
 エレノアは正直街中にまだ人通りが多くて助かったと思った。そうでなければ追跡は目立っただろう。
 この先は貴族のタウンハウスが密集している界隈に通じている。

(ジャスティンたちの推理通り、私を狙う人の仲間には上流階級の人間もいるってことね)

 おそらく男たちを匿っているのはその人間だ。

(貴族の屋敷にまでは確証もなしに警察だって手を出しにくいもの。どこの屋敷かを突きとめたら戻って皆とミレーユさんを救出よ)

 他の馬車を間に挟み、先を走る黒塗りの大きな箱馬車を視界に捉える。
 ピンカートン家の屋敷は大きいとは言え都会にあるので敷地面積はやはりある程度限られる。門から屋敷まで馬車でしばらく走らなければならない貴族のカントリーハウスのような広さはない。
 屋敷自体は商館も兼ねているためやや標準よりは大きいが、庭自体は人の足でも楽に回れて都会の標準を超えなかった。
 アメリアと別れミレーユを追いかけてそんな庭を走ったエレノアは、屋敷の門近くに停められた一台の馬車へとクマ男が乗り込んだのを目にしたのだ。門衛に馬車を止めてくれるよう叫んだが休憩中なのか不在だった。ジャスティンが協力を要請した私服警官共々屋敷内で起きた紛失物騒動に人手として駆り出されていたせいだ。
 馬車はすぐに発車し屋敷の門を出て行く。
 見失っては困ると焦り息を切らせて屋敷を出たエレノアは、幸運にも夜会客の需要を見込んで路上に停まっていた辻馬車を見つけ乗り込んだ……というわけだった。
 そうして付かず離れずの現状に至っている。

 とうとうミレーユの乗る馬車がとある屋敷前で停車した。
 貴族街に入って割とすぐの所だ。
 エレノアは手前の道を曲がってもらうと見えない位置で辻馬車を降りた。
 貴族街やその周辺は外灯も多く比較的明るいので手元の明かりはいらないだろう。現に通行人たちも持っていない。
 急ぎ曲がった道を戻って見つからないよう陰から例の馬車を窺った。
 既に馬車を降りたミレーユと三人の男たちの姿が確認できる。クマ男はちょうど降りている所だった。

(ここがアジトね。でも一体誰の屋敷なのかしら?)

 確かめたいが今出て行けば見つかるのでそれもできない。
 すると屋敷の方から悠然とした足取りで誰か歩いてきた。
 この屋敷の主人のような登場の仕方だった。上等そうなスーツは彼を上流の人間のように見せている。上辺だけは。

(あっ! 狐顔の男!)

「あ~あ~ようやくお帰りかよ。首尾良くいったようだな~――って、はあ? 誰だよその女は?」

 彼が非難にも似た頓狂な声を出す。

「誰ってエレノア嬢だろ。フォックスお前そいつから写真見せられて顔知ってるんじゃねえのかよ」

 そいつ、とはクマ男の事だ。彼は何故かフォックス以外には写真を見せる気はないようだったので、結局他の男たちはこの夜会では名前と髪の色で判断していた。

「知ってる。だから訊いてるんだろ、誰だって」
「はあ?」
「だぁからー、ああくそ呑み込みが悪いな。この女は伯爵令嬢じゃないんだよ」

 男たちの間に嫌な沈黙が落ちた。
 一人クマ男だけはどうでもよさそうに欠伸あくびをかみ殺している。

「クマ男、てめえも顔を知ってるはずだよな?」
「ぎゃあぎゃあ騒ぐな。俺は本人だと言った覚えはない。聞いていなかったのか? 自称エレノアお嬢様だと言っただろう?」
「自称……」
「んなもんあの場に居た奴なら本人だと思うだろ」
「おいよくも騙したな!」
「騙す? 責任転嫁は感心しないな。そもそも目の色からして違っていたのに、それに気付かない貴様らが無能なだけだろう?」

 淡々と言葉を返すクマ男に男たちは明らかに腹を立てているようだったが、彼の使う毒針が恐ろしくて攻撃には出られないようだった。仲間割れでもしてくれればいいのにと内心エレノアが思っていると、男の一人がミレーユの髪の毛を唐突に摑んだ。

「った……!」

 短い悲鳴が上がって、次には彼女の黒髪が夜風に晒される。

「な……かつら!? しかも本当は黒髪ブルネットだと!?」
「マジで偽者かよっ」
「ちょっとあんた一緒に地毛まで抜かないでよ! ハゲたら殺すわよ! ホントこれだから教養のない男ってやんなっちゃうわ。レディに手荒な真似するなんて信じられない」

 ミレーユはウィッグを取った男をキッと睨んだ。
 ハラハラと陰から見守るエレノアには、手首を縛られたままの彼女が強がっているようにしか見えない。

(今すぐ出て行きたい。けどろくに戦闘も出来ない私が出て行っても、いたずらに状況を悪化させるだけよね。心配だからってこうしていつまでも見てるわけにいかないわ。早く戻って皆なり警察なりに知らせないと)

「だけどバレちゃったなら仕方ないわよね。どうせ大人しくしてるのも性に合わないし肩が凝ったから運動にはちょうどいいわ」
「何余裕かましてやがる。この状況がわかってんのか? よくも騙してくれたな!」
「知られたからにはこのままってわけにもいかねえよな、なあフォックス?」
「ああ。顔も見られたし通報されても厄介だ。女だからって見逃すわけにはいかないだろうな、へへへ。屋敷の中でたっぷり可愛がってやるよ。存分に蜜を味わってから川にでも捨てればいい」

(何ですって!?)

 そりゃあいいと同意する男たちは、縛られていれば反撃もされないだろうと意気がって、劣情も欲望も隠しもせず下卑た笑みを浮かべた。
 ただ一人クマ男だけは別で、何も言わないが心底侮蔑するような眼差しを仲間に送っていた。
 エレノアはフォックスから路上で腰を撫でられた時の事を思い出し嫌悪に全身がぞわぞわした。彼らは口にするのも憚られるようなとても酷い行為をミレーユにしようとしている。

(そんなことさせないわ! ミレーユさんには指一本触れさせないんだから!)

 エレノアはカッと頭に血が上っていた。
 羞恥心なんて感じる暇もなくスカートの中に手を突っ込んで太腿から短銃を引き抜いて握り締め、男たちから見える場所へと走り出た。

「ミレーユさんから離れてこのすっとこどっこいたち!」

 ほぼ同時にぱらり、とミレーユの足元に縄が落ちた。

「……え? ええっ!?」
「あらっ来ちゃったの!?」

 そう驚いた顔で口に手を当てたのは、両手を縛られているはずのミレーユだ。
 困惑するエレノアの前でミレーユの両手は自由になっていた。
 縄抜け。
 ミレーユはきつく縛られていたはずの手首の縄を解いてみせたのだ。
 あっという間の早業にエレノアだけでなく男たちも奇術でも見ているような顔になっている。
 しかも登場したピンクブロンドの少女を見て更に目を瞠った。

「おい! その娘が本物のエレノア嬢だぜ!」
「獲物自ら飛び込んできたって事か」
「そりゃいい!」

 フォックスが仲間に叫び、男たちは喜びを目に宿す。

「エレノアちゃん早く人の多い場所まで逃げなさい!」

 ミレーユはドレスのスカート部分を隠していた刃物で裂いて取っ払った。
 中に穿いていた厚手の黒いタイツが露わになると、周囲の男たちはヒュ~ウと口笛を吹いたが、そのスケベ心が仇となって素早く動いたミレーユから次々ともろに蹴りを食らった。急所へのクリーンヒットの連続で、一分もしないうちに男たちは路上で無様に呻きのたうち回る羽目に陥ったのだった。

(ミレーユさん、何だか女怪盗みたいでカッコイイ……)

 スタイルが良いだけに、上がドレスで下が黒タイツというちぐはぐな出で立ちでも様になっていたミレーユは、最後に残ったクマ男へと思い切り長い足で蹴り上げる。
 しかし男は僅かの所で避けミレーユから距離を取った。

「あんた盗み聞きに気付いてただけじゃなく、彼女の追跡も知っていたの? だからわざわざ偽エレノアのあたしを連れて来たのね?」
「追って来る確証はなかった。最初にエレノア・メイフィールドを手に出来れば最上だが、来なければお前を人質にしてフォグフォード卿と交渉するつもりだった。無爵無冠の王とも言われるの御仁の助力があれば事は円滑に進む。要は保険だ。至宝を手に入れるのはその後でも遅くはない」
「……あんた、いいえあなた、何者よ?」

 ミレーユの鋭い誰何にも動じず、クマ男は皮肉気な笑みを浮かべるだけだ。
 ミレーユの養父フォグフォード卿は広大な領地と財産を有する大富豪で、彼の影響力はこの国に大樹のように根を下ろしていると言われている。
 一部には現王家を凌ぐとすら囁かれる程だ。
 だがその反面、公の場にはほとんど姿を現さず、自ら爵位を返上した変わり者としても知られていた。上流社会では爵位が物を言う場面が多々あるからだ。
 それ故、無爵無冠の王などと揶揄さえ孕んで密かに呼ばれているのだ。
 問いに答える気などないのだろうと悟ったミレーユはすぐさま次の攻撃姿勢に移った。
 屋敷で大人しく従ったのは、この男から隣室で聞き耳を立てる者の存在を告げられたからだ。そんなのは十中八九エレノアたちだろう。だからあの場から早く遠ざかるためにもああした。……生憎それが裏目に出たのだが。
 彼女は距離を取ったクマ男を放置すると、エレノアの方へと駆けてくる。

「エレノアちゃんってば、さっさと逃げるのよ!」
「えっあっはい!」

 ミレーユから手を摑まれ引っ張られ、半ば呆然としていたエレノアは慌てて足を動かした。
 クマ男は口の片端を上げ面白そうな面持ちで二人を見ていたが、思い付いたように馬車に近寄って馬から馬車用の金具を外すと自由になった馬に跨った。

「フン、王子と姫の鬼ごっこというのもまた一興か」
「ぐっ…お、おい待て……っ、手柄を独り占めする気かっ?」

 仲間から呼び止められても、クマ男は完全無視で馬の腹を蹴った。

 石畳を叩く蹄の音に肩越しに振り返ったエレノアとミレーユは、後方から歩道を走ってくる馬上のクマ男を認め揃って仰天した。
 制止を叫ぶでもない冷静すぎる無表情がすこぶる怖い。
 走る若い娘二人に奇異の目を向けていた歩道の通行人たちは、今度はギョッとして慌てて道を開けた。誰だって馬に蹴られたくはない。

「ひいえええーーーーっ!」
「ああもう厄介な相手ね!」

 広い通りでは追い付かれるのは必至だ。
 馬が通れないような狭い路地に入るしかないと判断したミレーユに連れられて、適当な角を曲がり込む。黒タイツのミレーユとは違い、遠心力でメイド用スカートがふわりと膨らんだ。
 明るい貴族街から遠ざかる方向に進んでいるのもあるが、主要な通りから横道に逸れるだけで街灯はぐんと減って道は暗くなった。だがまだ広い。蹄の音は追って来ている。
 ミレーユはより細い道へ道へと曲がっていく。
 一応は王都の大体の地図が頭に入っているエレノアでも、夜の暗さではもうこの通りがどの辺りなのかわからなくなっていた。
 もう息が切れて限界というところで、ミレーユがようやく速度を緩めた。
 建物と建物の間の人が辛うじてすれ違える程度の細道だ。
 蹄の音ももう追っては来ていない。

「まだ走れる?」

 声を落としての問いに、完全に足を止めたエレノアはゼーハーと肩で息をしつつ頷いた。この小休止のおかげでまだ頑張れば行けそうだった。
 ほとんど息が切れていないミレーユの顔は最早暗くてよく見えないが、彼女が気遣うような表情をしているだろう事は容易に想像できた。

「申し訳ないけど余り休んではいられないわ」
「大丈夫、です」

 少し息を整え、ミレーユの後ろを離されないように付いていく。
 先程よりも走りやすいのは、彼女の方もエレノアを置いていかないようにペースを調整してくれているからかもしれない。
 暗い道をひた走っていくと、先の方が少し明るい。

「あと少しで警察の近くの通りよ」

 振り返ったミレーユからのその言葉にエレノアは希望が見えた気がした。
 地を蹴る爪先にも俄然力が籠る。
 本当はもうくたくたで座り込みたかった。気力でそれを何とかカバーできている状態だ。
 もう少し頑張れば道が開ける。
 もう少しで……。

 突然、横から伸びてきた腕に絡め取られ、横道に引き摺り込まれた。
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