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第十話 弁護士ジャスティン

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 屋敷まで送ってもらいジュリアンはそのまま馬車で帰った。
 ヴィセラスは自分の部屋に戻り、エレノアはアメリアの部屋に連れて行かれた……と言ってもすぐ隣だが。

「単刀直入に訊きますわ。今日追いかけた男たちは誰でしたの?」

 先導して部屋に入るとそのドアを押さえたままエレノアを促し、彼女が部屋に入った所でドアを閉めたアメリアは、くるりと振り返った。

「本当ならあの場で問い詰めたかったのですけれど、クレイトン様の手前素知らぬふりをして我慢しましたのよ!」

(う……何だ気付いてたのね。これは誤魔化せそうにないかなあ~)

 腹を括るしかなさそうだ。
 観念するように頷くと、どちらから促すでもなく二人でソファに腰かけた。
 十中八九そうだろうという狐顔の男の正体を話せば、事情を知るアメリアは悔しげに拳を突き上げた。

「ああもう知ってましたら飛び蹴りしてギッタンギッタンのバッタンバッタンにして差し上げましたのにっ」
「ギッタンギッタンって……」
「でも、でしたら全部片が付けば、エリーはちゃんとメイフィールド家のエレノアに戻るつもりなんですわよね?」
「うん、そのつもりよ」

 そうしたら自分は約束通りヴィセラスの婚約者になるのだろうか。
 その話をしたらアメリアはどんな顔をするだろう。

(絶対初めは怒るわね。でも我ながら自意識過剰かもしれないけど、最終的には喜んでくれる気がする)

 だからそれまでにはジュリアンとはきっぱり終わらせておく必要がある。
 出来るか出来ないかではなく、確実にそうしなければならない。
 ただ一つ、ヴィセラスとジュリアンは知己だ。もし将来的に今考えているような関係に収まったとして、二人の仲がこじれなければいいと思った。

「そうしたらあなたはこの家を出ていくんですわよね……」
「それは……」

 嘘をつくのは嫌だったので肯定も否定もできず曖昧に濁す事しかできなかった。
 それきり黙ってしまったアメリアは、たぶんエレノアが屋敷からいなくなるのを想像して残念に思ってくれている。
 いっそピンカートン家との約束を話してしまおうかと思ったところで、アメリアが勢いよく顔を上げた。

「でーもでもでもでもでもですわっ、ずっとこのままよりはマシよ! 世界にたった一人のエレノア・メイフィールドが戻るんですもの! その時は改めて私と仲良くして頂戴ねエレノア! ふふふ嫌だって言ってもくっ付き虫になって離れませんけれど」

 元の身分に戻っても、家族も思い出の屋敷も婚約者も、エレノアの失った最も大事なものたちは戻って来ない。
 けれどそれもアメリアに出会えるための対価だったのだと思えば、悪いことだけではなかった。
 期待に満ちた目を向けてくる友へとエレノアは「そんなの大歓迎よ」と満面で応えていた。

「とりあえずは、その色々知ってそうな弁護士センセの所に一度行ってみましょ?」

 気を取り直して今後の方策を相談すれば、アメリアも自分と同じ結論を出した。

「もっちろん私も付き合いますわ」
「え、いいの?」
「何を今更。もうどっぷりエレノアの事情に首を突っ込んでますのよ。当然ですわ」

 彼女には色々ともらってばかりだ。

「ありがとうアメリア」

 ぎゅっと抱きしめると「うふふふっ」という笑声がじかに響いた。

「ああそう言えば、半月後の仮面舞踏会の準備も着々と進んでますし、エレノアも楽しみにしていて? 勿論あなたのドレスは私が手配しましたわ。うふっうふふふふっ」
「……」

 アメリアの世話焼きには時々辟易するが、場を席巻する嵐のような騒々しさはふとした拍子に沈み込むエレノアの心を巻き込んで一気に浮き上がらせてくれる。
 この一年、彼女がいてくれたから楽しいと感じられたのだ。

「アメリア、私、ジュリアンと会うのは仮面舞踏会で最後にするわ」
「えっそんな短いお試し期間でいいんですの? クレイトン様は納得なさるかしら……」
「してもらうしかないわ。そのための最終手段も実はあるの」
「最終手段!? ななな何ですのそれは? 猛烈に気になりますわ!」
「もしも必要になったらその時にアメリアにも教えるわ」

 ヴィセラスとの婚約云々はまだ秘密にしておけそうだ。

「それにその方がいいんだわ。ズルズルと友人を続けるのは良くないもの。早めに距離を置いた方が……」
「それは本当にそうですの?」

 アメリアが真剣な眼差しで訊ねてくる。

「エレノアはそれでいいんですの? 正体だって明かさないまま? 向こうの気持ちはともかく、あなたの気持ちは納得してるんですの? あなた本来の立場での別れは直接面と向かっては告げてないのでしょう?」
「それはそうだけど、でも今更だわ。ジュリアンだって、私の……エレノアの事を大事に思ってくれてるのはわかったけど、このとおり別の恋人を探してるし」
「……それはどうかしらね」

 最後の濁すような見解は、白黒きっちりしている性格のアメリアからすればやや珍しい。

「アメリア、気ばっかり揉ませてごめんね?」

 アメリアは何か言いたそうにしたものの、何も言わずにもう一度抱き付いてきた。




「ここがそうみたいですわよ」
「住所だけで実際には来た事なかったけど、こういう所に事務所を構えてたのね」

 同じような形の建物が並ぶ石畳の街路。
 翌日、馬車を降りたエレノアとアメリアは、とある三階建ての赤煉瓦の建物を見上げて目を凝らした。
 アメリアのすぐ横に立つエレノアは深く被った帽子を押さえて見上げる格好だ。
 三階部分の窓に中から「ワーグナー弁護士事務所」と貼り紙がしてある。

「誰の直筆か知りませんけれど、クソ下手ですわね」

 下手くそではなくクソ下手。
 淑女らしからぬ言葉遣いはともかく、親友のあけすけな評価を聞いたエレノアは苦笑った。

「たぶんジャスティンの字だわ。彼、プロ並みに絵は上手いんだけど、書類とかの字面は結構その……芸術的に独特だったから……」
「ふーん。物は言いようですわね。さ、入りましょ」

 頷いて二人で建物に入ると、三階まで階段で上っていく。
 事務所の薄そうな鉄製のドアをノックすると、中からは聞き覚えのある声でいらえがあった。
 ノブを捻って中に入ると、書類や辞典などで雑然とした事務所内の奥、日の当たる窓際の机でちょうど青年が顔を上げた。
 茶色い天然パーマが陽光に透ける。その下の理知的なはしばみ色の瞳が向けられる。
 エレノアは深く被っていた帽子を脱いだ。

「いらっしゃいませ、ようこそワーグナー事務所へ……ってエレノアお嬢様!?」

 目を丸くする青年弁護士は慌てたように椅子から立ち上がった。

「留学先から帰ってらしたんですか!?」
「あ、ううん、それは事情があって嘘なの」
「嘘おおおっ!?」

 素っ頓狂な声を上げる彼――ジャスティン・ワーグナーは、こちらに来ようとして床から積まれた書類に蹴躓けつまづいて盛大に転がった。

「だ、大丈夫ジャスティン?」
「うわ、どんくさぁ」

 悪気なくアメリアが酷い事を口にしたが、幸い彼の方は聞こえていなかったようだ。

「ちょっと凄い音聞こえたけどまたドジやったのジャスティン~?」

 事務所の奥の扉から美人が顔を覗かせ、一度引っ込めてから出て来た。
 耳横で短く切った黒髪ブルネットが職業女性として印象的だ。
 モデルのようにすらりと背も高い。

(あっ! 捕り物の時彼と一緒にいた人だわ。ここの事務所の人だったのね)

「あらお客さん? ごめんなさいね今すぐ片付けますから、どこか適当な本にでも座ってて?」
「ちょっとミレーユ、そのぞんざい過ぎる言い方はやめてくれとあれほど」
「いいじゃない。可愛らしいお嬢さんたちを立たせておくよりマシだわ。全く、ここが汚すぎるのがいけないのよ」

 その通りなのでジャスティンはそれ以上反駁はんばくできないようだった。気を取り直すように咳払いをする、

「ミレーユ、この方がエレノアお嬢様だ」
「エレノアお嬢様……ってメイフィールド家の? まあまあまあまあっ一度お会いしてみたかったのよね! あたしミレーユって言うの。よろしくエレノアちゃん!」

 ジャスティン青年に向けている蔑みにも似た眼差しとは打って変わって、ミレーユと言うらしい女性は目に特大の星を浮かべて輝かせた。しかもエレノアにとってちゃん付けは新鮮だった。

「それでえ~? ……ふむふむふ~むほうほうほ~う。あなたがあいつのー」
「ええと?」

(あいつって誰かしら)

 間近で上から下から観察され、何故か髪を撫でられ匂いまで嗅がれる始末。処置なしとでも言いたそうにジャスティンは手で顔を覆っている。

「ちょっとあなた不躾じゃなくって!?」

 困惑しているとアメリアが怒り出した。

「あらあら、ごめんなさい。とてもキュートでつい……ってあなたもいいわねえええ!」

 全く遠慮する気配もなく、今度は気色ばむアメリアをお触りして辟易させてからミレーユは「うーん満足したわ!」とからから笑う。
 その後彼女に代わって謝罪し急いで応接椅子周りを片付けたジャスティンがエレノアたちを促して、上等な紅茶まで用意して、向かいの椅子に落ち着いた。
 その時には安堵なのか疲労なのか、いや両方だろう盛大な溜息をついていた。
 エレノアもアメリアも最近流行りのコーヒーは苦くて得意じゃない。コーヒー紅茶どちらがいいかと訊かれて「紅茶」と即答した二人だった。その間ミレーユはジャスティンの隣の応接椅子の上でにこにことエレノアたちを眺めている。
 もしかしたら彼女がこの事務所のボスなのだろうかと、とんでもない所に訪れたと感じていた二人は思った。

「それで、今日はどういった御用件で? ああもしかして久しぶりに会いに来て下さったんですか? なら大歓迎ですよ!」
「こらこらご主人様に会えて嬉しいのはわかるけど、話が進まないから余計な発言はしない、わかったかね忠犬ジャスティン君?」

 耳を抓まれミレーユに窘められて「わかったよっ」とジャスティンは痛みに悲鳴を上げた。
 忠犬?と小首を傾げるエレノアに、目利きのアメリアは何も言わないまでも悟り切った眼差しを送る。
 そろそろいいだろうかと、エレノアは居住まいを正した。

「ジャスティン、あなたに会いに来たのはその通りよ。だけど本題の前にまずはあなたに渡すものがあるの」
「私に、ですか?」

 エレノアは持っていたバッグから厚みのある封筒を取り出すと、目の前の低い天板の上に置いて手で押し出す。
 形状からして中身の察しがついたのか、ジャスティンは表情をやや硬く真面目なものにすると、決して触れようとはせずに封筒をじっと見下ろした。

「念のために訊きますが、これは?」
「あなたのお給金の残りよ。遅くなってごめんなさい」

 彼はポカンとした。

「お嬢様、何を言っているんですか?」
「いらないなんて言わないでね。通常のお給金は払えたけど、叔父が騙されて、結局あなたに払うはずだった退職金の方は微々たる額になってしまったから」

 彼との顧問契約はエレノアが留学するからと解除したのだ。

「まさか、そのために留学をやめて働いてたんですか!?」
「いいえ、留学の件はわけあって初めから振りだけよ。それで、彼女の侍女として働いてこうしてあなたに渡す給金を貯められたの。ずっと気になってて……だから受け取って?」

 ジャスティンは難しい顔をして封筒を押し返してきた。

「必要ありません」
「どうして!? 正当なあなたの報酬なのよ」
「そうは言われましても、実はその分はずっと以前に頂いているんですよ」
「え、どういうこと?」

 エレノアは困惑し切りに似たような面持ちになっている若い弁護士を見つめた。

「――あたしが頼まれて、彼に渡したのよ」
「え……?」

 唐突にそう言ったのは黒髪の女性ミレーユだ。
 自分と面識のない彼女が何故そんな事をと疑問に思うエレノアの前で、彼女は短い髪を揺らして澄んだ青灰の瞳を半眼にした。

「天敵から頼まれてね」
「天敵?」

 言葉選びや口調、一転した表情からすると相当嫌な相手なのだろうか。

「わかってないようだから教えておくと、天敵ってのは、あなたの元婚約者よ」
「え!? ジュリアンが? でもどうして彼が?」
「あなたの家の事情を放っておけずに肩代わりした、とかじゃないの?」
「……!」

 あり得る可能性を示され思わず黙りこむと、身を乗り出したジャスティンが封筒を手に握らせてくる。

「そういうわけですから、これは持って帰って下さい、お嬢様。渡すならクレイトン様に渡して下さい」
「……」
「私の事を気に病まれていたのなら、尚更それが筋でしょう」

 再度促され、黙ったままのエレノアは小さく頷いた。
 やや険しい顔で封筒を握り締める様を、横からアメリアが不安そうな面持ちで見つめていた。
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