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4 逃走ならぬ迷走するかもしれない男装必須の契約結婚

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「この度は申し訳ありませんでした」
「ミラベルさんが謝らないで下さい。むしろあなたの方がギル様からの謝罪を受けるべきなのですし」

 現在新郎控え室では、赤くなった顎に小さな氷嚢を当てたギルバートが長椅子の上でうんうん唸っている。
 彼を横目にあたしは改めて丁寧に自己紹介してくれたセツナさんに困った目を向けた。
 言う通りではあるけど、ギルバートは腐ってもこの国の王子様なんだし、そんな彼に暴力を働いたあたしは普通に考えたなら投獄されたっておかしくない。
 気絶直後に慌てて謝罪したんだけど、最終的にはギルバートの判断待ち。どうなるのか未知数とは言え一先ずは中へと促されてここにいる。

 美貌の第四王子ギルバートの顔はこの国では有名だから、あたしが彼の素性をすぐに悟っても不思議はなく、現にセツナさんは不審がらなかった。本当はゲームキャラだから知っているに過ぎないんだけど、そんな事を告げたところで理解はされないだろう。

 そもそも王子以前に新郎の顔をどうしよう。

 赤くなってる部分にファンデ塗ったくったら誤魔化せる?
 何でも屋で役者達のメイクの手伝いなんかもした経験のあるあたしはそんな方法を考えつつ、とりあえず今優先すべき事項を口に出す。

「それなら、花嫁さんに謝りたいんですが」
「それは……」

 セツナさんは返答に窮した。
 今日ここに花嫁はいない。いるのは花婿だけだとまだ知らなかったあたしは怪訝に首を傾げ、最悪の事態に思い至った。

「ま、まさかあたしのせいでもう既に怒って式取り止めたとか? こんな恰好してるし重婚とか変な誤解をされちゃったとか? だったら直接乗り込んで誤解を解きたいですけど、でもこのカッコじゃ余計に説得力無いですよねっ、あああどうしよ~ッ!」
「ミラベルさん、そこは心配いりませんからどうか落ち着いて下さい」
「うぅ、はい」

 ゲームではギルバートが既婚者だとか離婚していたなんて過去はなかったはず。あたし自身の展開も含めたあらすじが大きく変わっていると見て間違いない。
 別に彼が誰かと結婚するならするで構わない。
 ミラベルと恋愛しないならあたしも役から解放されて自由に動けるだろうから。そうなれば準備も捗って予定よりも早く両親救出だってできるかもしれない。
 ゲーム中にギルバートから得られる魔女教に有効な協力の数々は、その方法や道筋さえ知っていればあたしだけでも進められそうなんだもの。
 つまり、ギルバートは必要ない。
 ん? あれ? ならこの展開は悪くないのでは?
 なんて考えていたら、控え室に誰かが入って来た。

「あ~腹痛かった。朝飯に変なもん食ったかな」
「ルーク。どこに行ったのかと思えば」
「あっルークさん! 良かったまた会えて。この度は大変お世話になりました!」

 あたしは駆け寄って大きく頭を下げた。

「おっ目が覚めたのか~って、何か顔色悪くねえか?」
「……ああ、ええっと、寝起きのせいですよ」

 彼はふうんとだけ頷いた。長椅子の上の王子の惨状をチラリと見たので、何か察するものがあったのかもしれない。
 ここでようやくあたしはルークさんもタキシードなのに疑問を抱いた。

「あなたも結婚式なんですか? でも今日は王子殿下ので……あ、え? もしかしてお二人の結婚式ですか!? おめでとうございます!」
「――違うんだレッド!」
「わあっ殿下!?」

 いつの間にやら起きたらしいギルバートから不意打ち同然に後ろから抱き締められた。ルークさんが目を丸くする。
 困惑していたら、またくんかと嗅がれてぞわっとした。あたしは撫でてよし抱き締めてよし吸ってよしの猫じゃなーいっ!

「なななっ何ですか!?」
「再会してよくわかった。正装でも女装でもとても凛々しくて魅力的だって。正直こうして抱きしめると想像よりも華奢だけど、君は僕の理想だ。契約結婚だとしても君の横に並べるなんて夢みたいだ……!」
「な、何か大きな誤解があるようですけど、まずは放して下さい! 先の事は謝りますからっ」
「ああ、声まで素敵だな。男にしては高い声も君の唇が奏でると極上の音楽も然りだ」
「そうですか、それより放して下さい。お願いです放して、ねえ、はーなーしーてーっ、ちょっとこら人の話を聞けえッ!!」

 またもや首筋に顔を近付けようとする彼の顎を敬意皆無で押しやろうとするあたしと、不敬それさえも嬉しそうに耐えて絶対に離れまいとするギルバートを、セツナさんもルークさんもポカンとして見ている。見てないで何とかしてよお~っ。巻き付く両腕を思い切りペシペシと叩いていると、くるりとダンス中のように体の向きを変えられた。
 不覚にも真正面の至近距離にきた超絶好みの綺麗な顔にドキッとしたけど、ドキッとしただけ。うん、そう、単なる一時的な動悸よ。この顔に弱いわけじゃない、たぶん!

「ずっと君に会いたかった、レッド」

 満面で蕩けるように微笑まれ、頬ずりされそうにもなって背中を仰け反らせて避けた。

「あたしはそのオレンジだかブルーって人じゃありませんっっ」

 更には両手を突っ張って距離を取ろうと試みるも、彼は先と同じくそれを嬉しそうに受け止めている。
 奇しくもあたしと彼は花嫁衣装と花婿衣装でお似合いで、知らない者が見たならまさに晴れの日のカップルだと思うに違いない。片方だけが異常なテンションだろうけどっ。
 そんなあたし達を見ていたセツナさんが、レンズの向こうに視線を隠して徐に口を開いた。

「なるほど。……何か隠された真相がありそうですね。ルーク、それを脱ぎなさい」
「えー折角着替えたのに何で?」
「たった今、新たな代役を見つけましたので、あなたはもうお役御免です。元々あまり乗り気ではなかったでしょう。勿論こちらの勝手な変更ですし、ここまで足を運んでもらった以上日当分はきっちり支払いますよ」
「……え、マジ本当に? 来ただけなのに? 日割りでも結構な額になるのにか?」

 何の話か知らないけど、ルークさんがまだ疑り深くも確認すると、セツナさんはしかと頷いたようだった。ルークさんの目が一等星ばりに輝いて、実に晴れ晴れとした表情になる。

「俺も無駄に顔晒したくねーし、こりゃ変装メイクするか~って考えてたからちょうど良かった。で、その代役ってどこだ?」

 セツナさんは何故かあたしを見た。
 ルークさんも彼の視線を追うと、呆れと驚きで声が大きくなる。

「はあ? 冗談だろ? だってあの子はおん――」
「シッ!」

 セツナさんは人差し指を口に当て、静かにの合図。ルークさんは半眼になった。

「……はあーんそう言う事。どうなっても知らねーよ? 一つ訊くけど、あの子に危険はねえよな?」
「あなたの代わりなだけですし、そのつもりですが」
「うーん、いやけどなあ~……まああの王子様にんな度胸ねえか」

 ルークさんは中途半端に言葉を切ると言われた通りにさっさとタキシードを脱いだ。
 あたしはギョッとする。

「何っで裸なんですか! いっ意外にイイ体ですけど!!」

 正確には下着一丁ね。でも着替えはないわけ!? ギルバートから抱き寄せられているのも吹っ飛び赤くなって両手で顔を覆うと、ルークさんはからりと笑った。

「しっかり見といて恥じらうってホント最初から面白れーな。まっ、んじゃ頑張れよ。また後でな~」

 え、何が頑張れ?
 彼はそのパンツ一丁姿のまま部屋を出て行く。

「ええっちょっルークさんそれは公共わいせつ罪!」

 しかし引き止めも虚しく控え室の扉はパタンと閉められた。

「そ、そんなどうしよ、やっぱり止めた方がいいわよね」

 一瞬唖然としちゃっけど、あたしは追うように動こうとして、

「レッド、他の男なんて見ないでほしい」

 と、ギルバートから手で目隠しをされた。
 いやあれを放置できないでしょ!……って諭したいのに思いの外慎重に瞼に触れてきた彼の掌が温かくて動けなかった。疲れ目にはホットアイマスクで血行促進~って違う違う。

「君はああいう一見物静かで可愛い系の男が好きなのか? あれは多分腹黒系のあざとい男だよ」
「あのっ、とりあえず放して下さいませんかね!」
「嫌だ。このまま式を取り止めて君を屋敷に持ち帰りたい」
「ええ!?」
「ギル様、今後のためにも式は必須です。それから、私は至急この方と今後について色々と打ち合わせておかねばならない点がございますので、どうかそれまで散歩でもして頭を冷やしてきて下さい。全く、あなたは発情期のハムスターですか」

 え、発情? 何でっ!?

「あなたがこうもベッタリでは……この方もさすがに気が変わってしまい、あまつさえ逃げられますよ?」

 無駄に強調された「気が変わる」「逃げられる」の部分で明らかにびくっと全身を強張らせたギルバートは、状況がわからず困惑するあたしをあっさり解放してくれると、先のルークさんと同じように部屋の扉口へと向かった。

「それじゃあレッド、しばしの後にまた……っ。あとどうか気が変わるなんてせず、チャペルに来てほしい……っ。それが今一番の僕の願いだ」

 今生の別れでもあるまいし、というかあたしとしてはその方がいいけど、何度も名残惜しげにこっちを振り返って出ていった。
 でも、チャペルって……?





 セツナさんと二人になった新郎控え室。大事な話があると言われて腰掛けた猫足長椅子の上であたしは無意識に両の拳を握り締めていた。
 向かいのセツナさんの神妙な顔付きを見ていたら誰だってこうなるわ。緊張度駄々上がり。

「まずは、遅くなりましたが我が主の非礼の数々をお赦し下さい。ミラベルさんには主に代わり心より深くお詫び申し上げます」

 背筋を伸ばして待っていたら、何とセツナさんがわざわざ立ち上がって頭を下げた。

「えっあの止めて下さいセツナさん」

 幼少期の人間関係のせいで人嫌い設定のはずのギルバートが変態だったのはかなりびっくりだけど、まあただびっくりなだけだ。深くは考えない考えない。
 関わらないでいいならその方がいい。
 本来のミラベルなら彼と大人にとことん愛し合っちゃっても問題はないだろうけど、あたしは違うもの。ゲーム画面で見た美麗な胸キュンシーンが我が身に起きるなんて、考えただけで恥ずかし過ぎて死にそう。

「心配なさらなくても悪口を吹聴して回ったりはしませんから。なのでそろそろ失礼しますね。殿下にも宜しくお伝え下さい。ルークさんにも。あ、それとどうかお幸せにとも」

 ルークさんにはもう一度会いたかったけど仕方ない。長居は無用とあたしはそそくさと椅子から立って扉口へと向かった。……行き先なんて一つも決まってなかったけど。

「お待ち下さいミラベルさん。他にも重要な話があるのです」
「他にも……。殿下への傷害罪でやっぱりあたしを断罪するとかですか? そ、それとも治療費請求?」

 どうしようまだそんなに口座に蓄えはないなあ~。
 足を止め内心戦々恐々として振り返ったあたしへとセツナさんは控えめににこりと微笑んだ。それだけで、腕を掴まれたわけでも通せんぼをされたわけでもなかったのに、あたしの直感は彼の話をこのまま無視したり流せばより面倒になると訴えた。
 数々の厄介事と逃走イベントをクリアしてきたあたしの目に狂いがなければ、この人……――できる!

「ふふ、そのような類いではありませんので、無駄に心配せずとも大丈夫ですよ。きっとミラベルさんの損にはなりません」

 え、そうなの?

「わ、かりました。その重要なお話というのを伺いましょう」

 必要なら何でも屋への依頼事だと思えばいい。うんそうよ。彼からはまた猫足の長椅子を勧められた。
 着席して背筋を伸ばすと早速セツナさんが切り出した。

「ミラベルさん、そちらの事情から察しますに今下手にダーレクに戻るのは危険でしょう。私としては暫くこの街への滞在をお勧めします」
「そこは同感です」
「そうですか。では仮にそうするとして、失礼ですがこの街での生活の当てはありますか?」
「……ありませんが、住み込みで働けるような所をこれからどうにか探すつもりです」

 ダーレクに来た当初もそうやって働いてお金を貯めて、何でも屋をやりながらの一人暮らしまで漕ぎ着けたのよ。ここでもできないわけがない。

「そうですか。でしたら私は今からあなたに一つだけそのような場所のご提案ができると思うのですが」
「え?」

 あたしは思ってもみない台詞にパチパチと瞬いた。渡りに舟とはこの事だろうか。
 こんな追われる身でユーリエに来て、まだ名乗ってしかないのに早くも職を見つけられるかもしれないなんてどんな幸運よ。

「もちろん条件を呑んで頂けるならですが」
「――――呑みますっ!!」
 
 一も二もなく叫んでいた。

「この際食事の有無や寝床のしらみの有無なんかの贅沢は言いません!」

 雨風を凌げる寝所があって給金も出る場所なら、今のあたしにはユートピアよりも価値がある。
 それだけ今回のダーレクでの騒動は重く受け止めないとならず、生活基盤をほとんど全て失ったも同然の身でここユーリエで一から始める先の事を考えると、実は結構心が折れそうだったのよね。まさに天の救いだわ。

「ふふっそのような劣悪な居住環境ではありませんよ。受けてもらえるのならこちらとしても大いに助かります」

 即答に気を良くしたのかセツナさんの表情が緩んでいる。

 ……って、また売られたりしないわよね?

 上手い話には裏がある。内心ふと湧いた不安を押し隠し、とりあえず成り行きに身を任せてみて危険があるようならその時はとっとと逃げようと決めた。
 ……最悪、普段は封印している魔法を使ってでも。
 ステルス対策もなしの魔法使用は、魔女教に察知される危険があるからこそ、ダーレクからの逃走でも用心して使わなかったのよね。
 あたしは改めて表情を引き締める。

「それであの、条件とは?」
「ええ、まずはミラベルさんにこのあとに行われる結婚式に出席してほしいのです」
「式に?」
「はい。――花婿として」
「………………はい?」

 百歩譲って花嫁役なら理解できる、けど……?

「は、花婿? ムコ、ですか?」
「そうです。花婿です」

 き、聞き間違いじゃなさそうね。頷く動作もしたし。

 二の句が継げないというより意味がよくわからない。

「それを踏まえて、あなたには期限付きで――淑女を辞めて頂きたいのです」

 なんてのたまった。

「男装をして、暫くの間ギル様の夫を演じてほしいのですよ。勿論その間の衣食住は保証しますし、報酬もしっかりとお支払いします」

 少なくとも聴力がおかしくなっているわけではないらしい。
 ただ、半ば勢いで話を受けてしまった辺り、胸中には明らかな不安の雲が広がる。

「あのぅ、もう一度、ご説明願えますか?」
「ええ、勿論」

 ローテーブルを挟んで向かい合うあたし達の姿を室内の大きな鏡だけが静かに映し込んでいた。





 快くもう一度説明をくれたセツナさんの話をあたしは頭の中で整理して、何でも屋に持ち込まれた変な、ううんレアな、ううん破格な依頼として扱う事にした。一度引き受けると宣言した以上、十分も経たずにやっぱりやめたと無責任な真似はしたくなかったのもある。

 ギルバート・ベルグランドの偽装契約夫になる条件を呑んだ。

 男装して男性だと身分を偽装して、その偽装した身分で契約結婚するって二重のややこしい真似をするの。

 何て数奇な縁よ。ゲーム本来では妻になるはずが、早期に夫。しかも肩書きだけの偽の関係の、更には性別さえも嘘ものの。

 今後の人生のためにも妥協は必要だと言うのが半分、もう半分は端的に言うとお金に目がくらんだ。

 ここでのペナルティーが不明な以上、ギルバートにだけは絶対に女子だとバレないよう細心の注意を払わないとならない。

 セツナさん情報によると、彼にはさっきも連呼していたけどレッドと言う想い人がいるようだからあたしに貞操の危険はないだろうけど、彼は何故かあたしをそのレッドさんだと勘違いしてるみたいだし、その点だけは早々に訂正しておかないとならない。
 でないと思い余った何かの拍子に引ん剥かれるかもしれないでしょ。そうなったら即アウトよ。用心用心。

 そんなわけで、まずは結婚式を無事乗り切ろうと意気込んで赤長髪を後ろですっきり一つに括ったあたしは現在、ルークさんの着ていた白いタキシード姿で控え室の姿見の前に立っている。

 ギルバートから詰めものと言われた胸は、今は布をきつく巻いて潰しているので少し息が苦しい。
 サイズもあっという間に数人のベテランお針子たちの手により修正され、招待客に少しの疑いも持たれないよう女性っぽさのわかる咽元を急遽襟に縫いつけたレースで覆って見えにくくし、不自然でないようその他の袖や裾などの部分にも同様のレースを施した。
 通常仕様よりはレース多めだけど、ほわーこれはまた綺麗なタキシードに仕上がっている。革靴も底上げしてある物が急遽用意された。
 最早最初からあたしのためにあつらえられた晴れ着と言っても過言ではなかった。

 お、恐るべし熟練お針子……! ぶっつけ本番なのにあの思い切りの良い裁断といいスピーディーな縫い付けといい、針を持った手先は正確無比に獲物を仕留める猛禽もかくやだった。何でも屋としての後学のためにも今度是非極意を教えてもらいたい。

「これはこれは、予想以上に見事な美少年に変身しましたね、ミラベルさん」
「……それはどうも」

 さっきギルバートに抉られた心の傷が疼く~う。まあ女だってバレたらペナルティーとか言う馬鹿げたステージなんだから素敵な男の子に見えるのは全然いいんだけど……い、い、ん、だ、け、ど、複雑。

「ではまた呼びに来ますので、それまではお菓子でもつまんでゆっくりしていて下さい。私はちょっとギル様とルークと話をしてきます」
「わかりました」
「正式な契約書を交わすのが式の後になってしまい誠に申し訳ありませんが、ミラベルさん、くれぐれも宜しくお願いします」

 セツナさんは朗らかに言って控え室を出て行った。一人残されたあたしは鏡台の前に腰かけると軽く息をつく。

 あたしの契約期間は実質今日から一年間。

 ユーリエにあるギルバートの屋敷と言うか要塞城で同居もする。

 案外長い一年と言う期間に正直初めは悩んだけど、やっぱりねえ、高い報酬には勝てなかったのよね~。ホホホ。

 ギルバートとの性別を偽っての契約婚なんてゲームにはなかった展開だ。

 あたしは彼の前では偽の身分、一庶民――ベル・ミラー少年になる。

 結婚証明書や身分証なんかの公的な部分はセツナさんが手配してくれるから心配はないそう。でも王子の側近が堂々と身分詐称を主導するなんて大丈夫なの? 万一露見した際にあたしにまでお咎めがないよう願いたい。

 それは置いておくにしても、当初はルークさんがその大任を果たすわけだったのを、よりにもよって女のあたしが代役を務めても大丈夫なのかは正直不明だ。

 だからギルバートにあたしの性別を秘密にして本当に大丈夫なのかもセツナさんに確認した。こっちとしては秘密にしてくれないと困る。途中で勝手にばらされたらペナルティー食らうのはあたしなんだから。

『ギル様は嘘が下手なのでかえって支障を来すでしょう。周囲に嘘だとバレてしまっては元も子もないので、適切な時が来るまでは秘密にしておくのが最善なのです』

 セツナさんはそう言っていた。
 真実を告げる時は事前にあたしに相談なり同意を得るなりをしてほしいともお願いしたら、勿論そうするとも快諾してくれたから一安心だ。

「不安はあるけど、始まりは重要よ。今日の式を無事に乗り切ってみせるわ」

 なるべく何事もなく一年間は偽装夫としてこのユーリエで無難に過ごしたい。
 残してきた家財道具や大事な思い出の品を考えると、勝手に処分されないように家賃だけはどうにか大家に送っておくのが得策だろう。家賃が払われているうちは問題はないはずだから。ほとぼりが冷めた頃にダーレクに戻るまで、お金は絶対的に必要だった。

「――よおーっし、あたしは男よ男!」

 鏡の自分に意気込んだところでノックと共にセツナさんとそしてギルバートの二人が入って来る。

「ああ、素敵だレッド、惚れ惚れする」

 ギルバートが足早に近寄ってくるなり抱きつこうとしてきたのであたしは咄嗟に身を引いて距離を取ると、相手を制止するように両手を前に突き出した。そして勢いよく頭を下げる。

「人違いです。そしてギルバート殿下、改めてさっきは殴ってしまって本当に申し訳ありませんでした!」

 深く腰を折るあたしをやや驚いたように見つめたギルバートは、だけど怒るでもなくこの上なく嬉しそうに眼差しを和らげた。

「律儀なんだな。本当に気にしないでくれ。あれも一種の愛の障害だと思えば何でもない。それよりも、僕を呼ぶ時はギルでいい。僕達はパートナーなんだから、堅いとかえって不自然だ」
「わかりました。では人前ではギルと呼ばせて頂きますね。ところでよーく聞いて下さい。あた……私はあなたのお捜しのレッドという方ではありません。名前もベルと申します。ベル・ミラーと。好きにお呼び下さい」
「ベル・ミラー……?」
「はい。私は今回の件の片棒を担ぎますが、あくまで私達はビジネスパートナーです。馴れ合いは必要最低限でお願いします」

 雇われる立場でかなり生意気かとは思うけど、セツナさんともそこは相談した。
 横でセツナさんが頷いてくれているのが心強い。
 ギルバートが顔に何か恐れのようなものを浮かべた。

「その、馴れ合いというのは具体的には?」
「お互いにべたべた触る抱き付くその他これに準ずる不要な接触行為全般です」
「そ、そんな……っ」

 彼は急によろめいた。それをさっと素早く回り込んだセツナさんが支える。タンゴを見せられているような何とも息の合った主従だ。
 有能執事に支えられながら、ギルバートは絶望した男のように頭を抱えた。

「何てことだ……っ、つまりそれは……っ、君は颯爽と夜這いに現れたり、僕を手籠めにはしてくれないってことかっ!」

 もう一発くらいKOしておけば良かったと思った。
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