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第一章 仲間とスライム
3シュトルーヴェ村のドラゴン退治1
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「ねえジャック、いい加減元気出しなよ?」
「ああ……」
「グラスから零れた水は元には戻らないんだよ?」
「わかってる……」
リリーから残酷な現実を告げられたジャックは道中ずっと何日も元気がない。
山道を歩く僕は、やや遅れて後ろを付いて来るジャックへと努めて明るい声を掛けた。
「ええとさ、旅先の学校で運命の出会いがあるかもしれないよ?」
このままのペースで行けば日が沈む前に近くの集落に到着できる。だからその前に少しでも立ち直って欲しかった。
「そっちで学校には行く予定ないから俺……」
「え? そうなの?」
村の高等学校を急遽飛び級卒業した僕とは違い、ジャックは休学中。
「休学中は勉強しないの? 何で? 学生身分の間はどこの学校でも飛び入りで授業を受けられるのに勿体ないよ」
この国じゃ学生支援制度の一つとして、在籍している学校を諸事情で休学していても、滞在する地のどこの学校の授業も一日から聴講できる仕組みになっている。聴講証明書をもらえば休学していても出席日数を稼げる仕組みだ。
「いい、どうせリリーとは終わったんだ。復学後に最低限の単位を取れればいいよ。別に賢くなったって報われないしな……」
「ジャック……」
全く以ての自棄発言。
しかも振られたばかりの時も勉学だけじゃなく何事にもやる気を失くしていたっけ。
失恋は男の方が引き摺るって言うけど、本当だなあ……。
「ジャック、よく聞いて。大都会ではスライムも学校に行く時代なんだって」
「……は? 何だよいきなり」
「スライムの学校があるんだって話。スライムに脳みそで負けたらどうするの。あんなちっこい脳みそに。それでもいいの?」
「スライムに脳みそとかあんの?」
「え……たぶん」
「へーそー」
ジャックはやっぱりいつもの覇気がない。ゾンビと歩いてるみたいで何か嫌だなあ。
「で? それが俺と何の関係があるんだよ」
「リリーが」
「リリー!?」
ふっ、食い付いた!
「リリーがもしもインテリ眼鏡スライムに惚れたらどうするのさ!」
「なん……だと!?」
「スライムの学校の入試倍率は何と嘘八百倍って話だよ」
「八百……!? 超難関!」
「その試練を乗り越えた秀才のみに許されしスライムの学校なんだって。将来性抜群の相手にリリーが惚れる可能性は否定できないと思わない?」
「た、確かに……! スライムが、あのスライムがそんな難所を越え俺より先に学業を修めるってのかよ!」
「そうだよ」
「くそうッスライムめええ! 負けてたまるかあああっ!」
嘘も方便で、ジャックは見事に正気を取り戻した。
その後、幾つか小さな村や町を経由してオースエンド村から南西に歩き続けて十日、ここいらでは一番活気溢れる街に着いた。
もうここはオースチェイン家の領地じゃなく、他の貴族領だ。
まあ一番の活気とは言っても、王都を含めこの国の経済の要所は五都市あって、そこから更に細かく分かれて集まる点の一つに過ぎない。
それでも故郷の村と比べれば天と地だった。
時間はまだ昼。
「ねえジャック、あそこに行こうよ」
よくある白い漆喰の壁に赤屋根の家屋が並ぶ石畳の通りを並んで歩きながら、僕は遠くに見える看板を指差した。
看板には互いに固く握り合う手をデザインしたものが描かれている。
この国のみならず、世界共通の冒険者ギルドの紋章だ。
「この街ならギルドの募集掲示板もそこそこ充実してそうだし、冒険者らしくクエストを受けてみない?」
「クエストか、そうだな。フィールドで戦うだけよりは稼げるもんな。併設の看板見ると建物に換金所も入ってるみたいだから魔宝石を引き取ってもらおうぜ。結構ずっしり溜まって荷物なんだよな」
「そうだね、賛成」
同じような景色の草地や森で戦うのに少し飽きていた僕達は、そうしてその街の冒険者ギルドに行き、誰も請け負っていないのか、日付がやや経った依頼書を目にする事になる。
シュトルーヴェ村という村の、ドラゴン討伐クエストを。
「あれ? シュトルーヴェ村って……」
「どうしたアル? その村が気になるのか?」
板張りの床の落ち着いた雰囲気のギルドロビーの掲示板。
どれを受けようかと依頼書を見繕っていた僕の目に飛び込んで来たその文字列に、思わず呟いていた。
ジャックが寄って来て僕の視線の先と同じ所を覗き込む。
「いや確かさ、遠い親戚がいる村なんだよね。祖父の祖父の妹の子孫だったかなー? まあもう遠すぎて赤の他人も同然なんだけど、小さい頃よくおじさんとおばさんがうちに挨拶に来てたなあって。うちが本家なんだってさ」
「へー、貴族はそういう血縁関係が浅く広いって言うか、面倒そうだよな」
「まあね」
僕は苦笑する。
確かに諸々の作法とか血筋とか序列とか挨拶回りとか、貴族は面倒だと思う。
王都の方では当たり前らしいご機嫌伺いなんてのも、僕だったらやってられない。
「ドラゴンが出るみたいだな」
「そうみたいだね。そりゃあクエストも出しちゃうよね。紙綺麗だし、まだ誰も受けてないみたい」
出された日付は半年近く前だ。
「半年って、今その村大丈夫なのかよ?」
「うーん、ドラゴンがどっかを壊滅させたって噂は聞かないからまだ大丈夫だとは思うけど、さすがにヤバイよね半年は」
クエストを受ける場合貼ってある依頼書を剥がしてギルドの受け付けに持って行く決まりになっている。
巷には魔法通話一つでクエストを受けたりする冒険者もいる中、手間だけど各地のギルド職員に顔見せもできるし、そういう小さな繋がりからいい仕事が舞い込む可能性だって皆無じゃない。何よりギルドを介せば正規の記録が残るし報酬に間違いがなくていい。僕だって初仕事でぼったくられたくはないからね。
因みに、クエスト達成できなかった場合、次の受け手が現れるまでまた掲示板に貼り戻され、言うまでもなく受け手がいない場合はそのまま掲示有効期限内は放置される。割と長くて五年間だったかな。
この依頼書を見るに、折り目一つなく誰かが剥がした形跡もない。
って事は、まだ誰も受けていない証だ。
簡単な地図を見るに、シュトルーヴェ村はここから南に南に進んで王領の一つに入った所の国境沿いの山間部にある。
今思えば、おじさんとおばさんはそんな遠くからわざわざ僕たちの村まで来てくれていたんだ。
僕が薄らと二人の顔を思い浮かべているとジャックが貼ってあった依頼書を剥がした。
「じゃ、これ俺達が受けようぜ」
「え?」
「だってアルは気になるんだろ?」
「それは、まあ困ってるなら力になりたいけど」
「じゃあ決まりだな!」
「いいの?」
「成功しても失敗しても、知り合いのいる所の方が便宜を図ってもらえるだろうし、その方が気も楽だろ。クエスト初心者の俺達の利を考えての決定だ」
さすがジャックは僕の性格をよくわかっている。
先回りして提案してくれた事にも感謝だ。
親戚がいるからって僕が勝手にクエストを受ける理由にはならない。だって僕一人の冒険じゃない。遠慮して言い出せないのを察してくれたんだろう。
「ありがとうジャック!」
僕は心からの感謝に破顔した。
その後すぐに依頼書を受け付けに持って行き、正式に受ける形で僕達は大きな山の麓にあるというシュトルーヴェ村まで遠路を急いだ。
一週間後、目的地に到着した。
そこは緑に囲まれた長閑で小さな所だった。
とは言え僕達の故郷よりは少し大きい。
放牧が盛んなのか、山の裾野に広がる広大な牧草地帯には寝ていたり草を食んでいたりする山羊や羊が点在していた。
「此度はこのような辺鄙な場所までお越し下さり誠に感謝致します。冒険者アルフレッド様、ジャック様」
白い口髭と顎髭をもっさりと生やした長老っぽい村長が恭しく頭を下げる。
頭髪は側頭部以外すっかりないくせに眉毛もやけにもっさりしていて目が半分隠れている。何かそういう犬っているよね。ワォフワォフッて吠える感じのさ。
ここは村の集会所の応接室。
僕とジャックは揃って布製の応接椅子に腰かけ、その向かいにワン長あいや村長が座っている。
おじさんとおばさんは僕が来た事をとても喜んでくれて、今は部屋の外で待ってくれていた。当面の僕とジャックの宿は彼らの家に決まったからだ。この後家まで案内してくれる手筈だ。
ああクエスト先に親戚がいるってホントいい。
宿代食事代節約万歳!
『いいことアルフレッド、旅費は節約に節約を重ねるのよ? 絶対よ? わかったわね? わかったなら復唱してみなさい。はい、旅費は要節約!』
って旅に出る時に母親からもよくよく念を押されたし、抜かりはないよ。
「なあアル、秘書と給仕のメイド美人だよな」
横のジャックがこそっと話しかけて来た。
村長の挨拶微塵も聞いてないね君……。
まあ立ち直ってくれて良かったけどさ。
「いえいえ辺鄙だなんてとんでもない。僕達の故郷より余程栄えてますよ。それにしてもいい部屋ですね~」
貴族たる者ガツガツしない。
上品に、動じないままに、室内の調度に目を向け……美人さんをちらっ。
――うむ、確かに!!
絶対の称賛でもってジャックに目顔で頷いてみせた。
若くて綺麗で有能そうな秘書の女性と、お茶を淹れてくれる可愛いメイドさん。
しなびた大根のような髭ジイとは、性別だけじゃなく生物の種すら違う気がするよ。
とは言え、クエストとは関係ないので頭を切り替えよう。
「シュトルーヴェ村はおしゃれなお店もありますし、――それに何より女性の華やかさでは近隣都市に引けを取らないと思いますよ」
僕は元々の大らかさを発揮して目元をふわりと細めた。
室内に控えた女性陣が「まあ」と満更でもなさそうに微笑む。
「ほっほっ、アルフレッド様は女性におモテになるでしょうなあ」
「やだなあ全然ですよ。……スライムからのモテ期到来は年中無休ですけど」
「はい?」
僕は一瞬仄暗い目付きになったものの何でもなかったようににこりとした。
「いえ何でも。学校では大半の女子からいつも遠巻きにされてましたし、告白の一つもされませんでしたよ」
僕は苦笑する。本当に恋愛に関しては清々しいくらいに何もなかった。
「え、いやあれは女子同士の牽制なだけでアルは十分モテて」
「――あっ、モテるって言うなら僕より恋人がいたジャックのほうが断然」
「言うなあああッ!」
彼は涙目で訴え頭を抱えて嗚咽を漏らした。
その前に隣で何か言ったような気がしたけど、気のせいか。
「……ご、ごめんジャック、まだ生傷だったんだ」
故郷を出てもうそろそろ二十日になる。
美人だとか言ってくるからリリーの新恋人出現を整理できてるのかと思ったよ。
村長も察したのか何かを訊いて来る事はなかった。
「――後でそのお話詳しくお聞かせ願えませんかね?」
と思いきや、ジャックがトイレに立った隙に興味津々な顔でそう訊ねてきた。
秘書やメイドも似たような表情をしている。
「え? いやその、ええとー……」
この村は道楽がないんだろうか……。
とは言え、早々にジャックが戻ってきたので有耶無耶になった。助かった、友人を売らずに済んで。
「村長、ギルドで依頼書は拝見したのですが、細かな情報はここ現地でと思いまして、できればもっと詳しくお話を聞かせて下さいませんか?」
「まあ、そうですね。では討伐対象のドラゴンにまつわる話から……」
そうして僕達は、語られた討伐に必要な知識や諸々を頭にしかと詰め込んだ。
討伐対象はドラゴン。
出現場所はシュトルーヴェ村のすぐ傍にある大山山頂のカルデラ湖。件の山の名前はまんまシュトルーヴェ山だそうだ。
湖へは麓から伸びている登山道をひたすら登ってしか辿り着けないらしい。ああ飛行魔法があれば別だけど。生憎僕達にはない。
討伐対象がドラゴンとわかった時点で戦闘に必須になるだろう回復や攻撃、攻撃補助のアイテム類を買い込んだからそっちの魔法具までは手が回らなかったんだよね。
そして、村長の話によると討伐対象のドラゴンは何と百年の間湖の底に封印されていた個体らしい。そいつが目覚めたんだとか。
どうやら、ただのドラゴンじゃないようだった。
このまま放っておけば昔のように村に被害が出るのは必至だって話だ。てっきり普通ドラゴンかと思っていたら、ワケありだってさ。はは、聞いてないよー。
「封印のドラゴンだなんて、王国騎士団には討伐要請しなかったんですか?」
僕が訊ねると、村長は困ったように溜息をついた。
「一応ここは王領でもありますし報告は差し上げましたが、各地の討伐依頼が立て込んでいて対処には時間が掛かる、との回答しか得られておりません。封印が解けた魔物の例は珍しくありませんし、騎士団派遣が本当に必要かどうか様子見の意味合いもあるのでしょうね。我が村と国境を接している隣国とは近年王女が嫁いで関係良好でもある今、国境付近に討伐のためであれ派兵することによる要らぬ誤解を避けたいのやもしれません」
国を護る精鋭集団。
そんな精悍なイメージ先行で憧れていた王国騎士団の政治的制約な一面を知り、僕は表情を曇らせた。
「そんなわけで、騎士団に任せるだけにはせず、巷の冒険者の方々にどうにかして頂けないかとギルドに依頼を出したのです。ここに暮らす私共からすれば実害が出てからでは遅いですから」
小さくとも国王直轄地の村の長という立場上大っぴらに批判はしないものの、村長は難しい面持ちで長い顎髭を撫でた。
それはそうだろう。
村が壊滅してからじゃ救済も意味がない。
今日までドラゴンが暴れていないのが奇跡だ。
だって目覚めた以上、明日はわからない。究極を言えば一秒先だって。
「まっ余計なしがらみがない分、俺達冒険者の方がいざって時は騎士団よりも頼りになるってことだな」
敢えてなんだろう、あっさり騎士団を当て擦って得意気にしたジャックには少し笑ってしまった。気持ちも軽くなる。
村長も少し気が紛れたらしく思わずと言った感じで呆れた苦笑を漏らした。
もっと色々と話を聞けば、今回のクエスト発信は村民からの資金を募ってのものらしい。
本来なら領主自らが依頼するような内容だけど、平民主体での依頼なので格段と報酬が低い。小さな村だから資金にも限界があるんだろう。今まで一人も受け手がいなかったのはそのせいだ。
僕達はお金以外も目的に含まれていたからこそこのクエストを受けたけど、そこまで珍しくもない普通ドラゴンだったとしても、提示されていた報酬額は相場よりだいぶ下なんだ。
しかも蓋を開けてみれば普通ドラゴンじゃなくて、いわく付きというか封印されし凶悪ドラゴンだった。もしクエストを受けてやって来た誰かがいたとしても、割に合わないと帰ってしまう率の方が高いだろう。
損得勘定を鍛えられた僕からすれば、このクエストは間違いなく貧乏くじだ。
「全然受け手が現れず焦っていた所に御二方が来て下さって、本当に感謝しているのですよ。誠にありがとうございます!」
よくよく考えてまた難しい顔になっていた僕は冒険者相場をわかっていないと余程指摘してやろうかと思った。だけど村長が思わずと言ったように身を乗り出し僕の手を取って涙ぐむから、毒気を抜かれてしまった。
「ええと、気が早いですよ村長。まだ倒したわけじゃありませんし」
「あ、ああ、そうですね。そうでした。つい感極まって………………ホントは美少年に触りたかっただけですが」
最後の方がよく聞き取れなかった僕はキョトンとして瞬いた。
何故かジャックが村長を二度見した。
「ところで、依頼書の日付から既に半年ですし、だいぶ状況は逼迫しているんじゃないですか?」
「はい。毎日山の方からドラゴンの咆哮が聞こえてくるようになりました。厳密にはまだ封印が完全に解けたわけではないのでしょう。幸い麓まで下りて来てはいませんが、本来の調子に戻るのも時間の問題かと。そうすれば体力を付けようと真っ先に唯一の食料たる人間を襲うでしょう」
「え!? まさか、ドラゴンはドラゴンでも人喰いドラゴンなんですか!?」
「ええ、伝承通りならそのまさかです」
村長が青い顔で組んだ手を額に押し当てた。
僕とジャックは顔を見合わせ、このクエストが実は思っていたよりもとんでもなく厄介だったと知った。
互いに不味い物でも食べた後のような表情になる。
歯のある魔物は人を食う。
それはスライムでもドラゴンでも同じだ。
でもそれは、正確には「人も食う」だ。
大体が雑食だから、人間以外も普通に食べる。
しかし、今回のドラゴンは、人間=唯一の捕食対象らしい。
そういう類の魔物を敢えて食人モンスターなんて言って他と区別するけど、討伐に赴いてそのまま食われたなんて話は少なくない。
「ハードそうだな。どうする?」
「どうするって……」
村長はちょっと心配そうに僕達を見つめた。
「その……完全な情報を載せていなかったこちらの不手際もありますし、今ここでお断り下さっても文句は言いません」
気弱な笑みを浮かべる彼の目には諦めの色がある。あと僕達を案じる気配も。
何だ、誠実で良い人じゃないか。
わざと情報を隠したのかと疑ってしまった僕は、自分を心の中でド突いて心を入れ替えた。
「いえ村長、一度引き受けたからにはとりあえず登ってみるつもりです。実際に自分達の目で見てから可能かどうか判断したいと思います」
「アルがそう決めたなら従うぜ」
「アル君、ジャック君……。本当に宜しいのですか?」
「だって村長、冒険者たる者、冒険しないと!」
「アル君……!」
村長が感動したように何度も頷いてくれた。
「冒険、ええ、ええ、よくわかります……彼女達二人の採用は冒険でした」
「え?」
「あっいえ何でも……」
瞬間、ジャックがスクープ記者のような鋭い目をエロジジイに向けた。
「じゃあさ、アイテムは更に万全にしておかないといけないよね」
「そうだな。喰われないよう全身に唐辛子でも塗ってくか」
「辛いの好きだったらどうするのさ……」
村長はちょっと不安げに僕達を見つめた。
「ええと、明日以後、討伐の方は宜しくお願い致します。今日はごゆるりとお休み下され」
それでも余計な事は言わず深々と頭を下げた。
「ああ……」
「グラスから零れた水は元には戻らないんだよ?」
「わかってる……」
リリーから残酷な現実を告げられたジャックは道中ずっと何日も元気がない。
山道を歩く僕は、やや遅れて後ろを付いて来るジャックへと努めて明るい声を掛けた。
「ええとさ、旅先の学校で運命の出会いがあるかもしれないよ?」
このままのペースで行けば日が沈む前に近くの集落に到着できる。だからその前に少しでも立ち直って欲しかった。
「そっちで学校には行く予定ないから俺……」
「え? そうなの?」
村の高等学校を急遽飛び級卒業した僕とは違い、ジャックは休学中。
「休学中は勉強しないの? 何で? 学生身分の間はどこの学校でも飛び入りで授業を受けられるのに勿体ないよ」
この国じゃ学生支援制度の一つとして、在籍している学校を諸事情で休学していても、滞在する地のどこの学校の授業も一日から聴講できる仕組みになっている。聴講証明書をもらえば休学していても出席日数を稼げる仕組みだ。
「いい、どうせリリーとは終わったんだ。復学後に最低限の単位を取れればいいよ。別に賢くなったって報われないしな……」
「ジャック……」
全く以ての自棄発言。
しかも振られたばかりの時も勉学だけじゃなく何事にもやる気を失くしていたっけ。
失恋は男の方が引き摺るって言うけど、本当だなあ……。
「ジャック、よく聞いて。大都会ではスライムも学校に行く時代なんだって」
「……は? 何だよいきなり」
「スライムの学校があるんだって話。スライムに脳みそで負けたらどうするの。あんなちっこい脳みそに。それでもいいの?」
「スライムに脳みそとかあんの?」
「え……たぶん」
「へーそー」
ジャックはやっぱりいつもの覇気がない。ゾンビと歩いてるみたいで何か嫌だなあ。
「で? それが俺と何の関係があるんだよ」
「リリーが」
「リリー!?」
ふっ、食い付いた!
「リリーがもしもインテリ眼鏡スライムに惚れたらどうするのさ!」
「なん……だと!?」
「スライムの学校の入試倍率は何と嘘八百倍って話だよ」
「八百……!? 超難関!」
「その試練を乗り越えた秀才のみに許されしスライムの学校なんだって。将来性抜群の相手にリリーが惚れる可能性は否定できないと思わない?」
「た、確かに……! スライムが、あのスライムがそんな難所を越え俺より先に学業を修めるってのかよ!」
「そうだよ」
「くそうッスライムめええ! 負けてたまるかあああっ!」
嘘も方便で、ジャックは見事に正気を取り戻した。
その後、幾つか小さな村や町を経由してオースエンド村から南西に歩き続けて十日、ここいらでは一番活気溢れる街に着いた。
もうここはオースチェイン家の領地じゃなく、他の貴族領だ。
まあ一番の活気とは言っても、王都を含めこの国の経済の要所は五都市あって、そこから更に細かく分かれて集まる点の一つに過ぎない。
それでも故郷の村と比べれば天と地だった。
時間はまだ昼。
「ねえジャック、あそこに行こうよ」
よくある白い漆喰の壁に赤屋根の家屋が並ぶ石畳の通りを並んで歩きながら、僕は遠くに見える看板を指差した。
看板には互いに固く握り合う手をデザインしたものが描かれている。
この国のみならず、世界共通の冒険者ギルドの紋章だ。
「この街ならギルドの募集掲示板もそこそこ充実してそうだし、冒険者らしくクエストを受けてみない?」
「クエストか、そうだな。フィールドで戦うだけよりは稼げるもんな。併設の看板見ると建物に換金所も入ってるみたいだから魔宝石を引き取ってもらおうぜ。結構ずっしり溜まって荷物なんだよな」
「そうだね、賛成」
同じような景色の草地や森で戦うのに少し飽きていた僕達は、そうしてその街の冒険者ギルドに行き、誰も請け負っていないのか、日付がやや経った依頼書を目にする事になる。
シュトルーヴェ村という村の、ドラゴン討伐クエストを。
「あれ? シュトルーヴェ村って……」
「どうしたアル? その村が気になるのか?」
板張りの床の落ち着いた雰囲気のギルドロビーの掲示板。
どれを受けようかと依頼書を見繕っていた僕の目に飛び込んで来たその文字列に、思わず呟いていた。
ジャックが寄って来て僕の視線の先と同じ所を覗き込む。
「いや確かさ、遠い親戚がいる村なんだよね。祖父の祖父の妹の子孫だったかなー? まあもう遠すぎて赤の他人も同然なんだけど、小さい頃よくおじさんとおばさんがうちに挨拶に来てたなあって。うちが本家なんだってさ」
「へー、貴族はそういう血縁関係が浅く広いって言うか、面倒そうだよな」
「まあね」
僕は苦笑する。
確かに諸々の作法とか血筋とか序列とか挨拶回りとか、貴族は面倒だと思う。
王都の方では当たり前らしいご機嫌伺いなんてのも、僕だったらやってられない。
「ドラゴンが出るみたいだな」
「そうみたいだね。そりゃあクエストも出しちゃうよね。紙綺麗だし、まだ誰も受けてないみたい」
出された日付は半年近く前だ。
「半年って、今その村大丈夫なのかよ?」
「うーん、ドラゴンがどっかを壊滅させたって噂は聞かないからまだ大丈夫だとは思うけど、さすがにヤバイよね半年は」
クエストを受ける場合貼ってある依頼書を剥がしてギルドの受け付けに持って行く決まりになっている。
巷には魔法通話一つでクエストを受けたりする冒険者もいる中、手間だけど各地のギルド職員に顔見せもできるし、そういう小さな繋がりからいい仕事が舞い込む可能性だって皆無じゃない。何よりギルドを介せば正規の記録が残るし報酬に間違いがなくていい。僕だって初仕事でぼったくられたくはないからね。
因みに、クエスト達成できなかった場合、次の受け手が現れるまでまた掲示板に貼り戻され、言うまでもなく受け手がいない場合はそのまま掲示有効期限内は放置される。割と長くて五年間だったかな。
この依頼書を見るに、折り目一つなく誰かが剥がした形跡もない。
って事は、まだ誰も受けていない証だ。
簡単な地図を見るに、シュトルーヴェ村はここから南に南に進んで王領の一つに入った所の国境沿いの山間部にある。
今思えば、おじさんとおばさんはそんな遠くからわざわざ僕たちの村まで来てくれていたんだ。
僕が薄らと二人の顔を思い浮かべているとジャックが貼ってあった依頼書を剥がした。
「じゃ、これ俺達が受けようぜ」
「え?」
「だってアルは気になるんだろ?」
「それは、まあ困ってるなら力になりたいけど」
「じゃあ決まりだな!」
「いいの?」
「成功しても失敗しても、知り合いのいる所の方が便宜を図ってもらえるだろうし、その方が気も楽だろ。クエスト初心者の俺達の利を考えての決定だ」
さすがジャックは僕の性格をよくわかっている。
先回りして提案してくれた事にも感謝だ。
親戚がいるからって僕が勝手にクエストを受ける理由にはならない。だって僕一人の冒険じゃない。遠慮して言い出せないのを察してくれたんだろう。
「ありがとうジャック!」
僕は心からの感謝に破顔した。
その後すぐに依頼書を受け付けに持って行き、正式に受ける形で僕達は大きな山の麓にあるというシュトルーヴェ村まで遠路を急いだ。
一週間後、目的地に到着した。
そこは緑に囲まれた長閑で小さな所だった。
とは言え僕達の故郷よりは少し大きい。
放牧が盛んなのか、山の裾野に広がる広大な牧草地帯には寝ていたり草を食んでいたりする山羊や羊が点在していた。
「此度はこのような辺鄙な場所までお越し下さり誠に感謝致します。冒険者アルフレッド様、ジャック様」
白い口髭と顎髭をもっさりと生やした長老っぽい村長が恭しく頭を下げる。
頭髪は側頭部以外すっかりないくせに眉毛もやけにもっさりしていて目が半分隠れている。何かそういう犬っているよね。ワォフワォフッて吠える感じのさ。
ここは村の集会所の応接室。
僕とジャックは揃って布製の応接椅子に腰かけ、その向かいにワン長あいや村長が座っている。
おじさんとおばさんは僕が来た事をとても喜んでくれて、今は部屋の外で待ってくれていた。当面の僕とジャックの宿は彼らの家に決まったからだ。この後家まで案内してくれる手筈だ。
ああクエスト先に親戚がいるってホントいい。
宿代食事代節約万歳!
『いいことアルフレッド、旅費は節約に節約を重ねるのよ? 絶対よ? わかったわね? わかったなら復唱してみなさい。はい、旅費は要節約!』
って旅に出る時に母親からもよくよく念を押されたし、抜かりはないよ。
「なあアル、秘書と給仕のメイド美人だよな」
横のジャックがこそっと話しかけて来た。
村長の挨拶微塵も聞いてないね君……。
まあ立ち直ってくれて良かったけどさ。
「いえいえ辺鄙だなんてとんでもない。僕達の故郷より余程栄えてますよ。それにしてもいい部屋ですね~」
貴族たる者ガツガツしない。
上品に、動じないままに、室内の調度に目を向け……美人さんをちらっ。
――うむ、確かに!!
絶対の称賛でもってジャックに目顔で頷いてみせた。
若くて綺麗で有能そうな秘書の女性と、お茶を淹れてくれる可愛いメイドさん。
しなびた大根のような髭ジイとは、性別だけじゃなく生物の種すら違う気がするよ。
とは言え、クエストとは関係ないので頭を切り替えよう。
「シュトルーヴェ村はおしゃれなお店もありますし、――それに何より女性の華やかさでは近隣都市に引けを取らないと思いますよ」
僕は元々の大らかさを発揮して目元をふわりと細めた。
室内に控えた女性陣が「まあ」と満更でもなさそうに微笑む。
「ほっほっ、アルフレッド様は女性におモテになるでしょうなあ」
「やだなあ全然ですよ。……スライムからのモテ期到来は年中無休ですけど」
「はい?」
僕は一瞬仄暗い目付きになったものの何でもなかったようににこりとした。
「いえ何でも。学校では大半の女子からいつも遠巻きにされてましたし、告白の一つもされませんでしたよ」
僕は苦笑する。本当に恋愛に関しては清々しいくらいに何もなかった。
「え、いやあれは女子同士の牽制なだけでアルは十分モテて」
「――あっ、モテるって言うなら僕より恋人がいたジャックのほうが断然」
「言うなあああッ!」
彼は涙目で訴え頭を抱えて嗚咽を漏らした。
その前に隣で何か言ったような気がしたけど、気のせいか。
「……ご、ごめんジャック、まだ生傷だったんだ」
故郷を出てもうそろそろ二十日になる。
美人だとか言ってくるからリリーの新恋人出現を整理できてるのかと思ったよ。
村長も察したのか何かを訊いて来る事はなかった。
「――後でそのお話詳しくお聞かせ願えませんかね?」
と思いきや、ジャックがトイレに立った隙に興味津々な顔でそう訊ねてきた。
秘書やメイドも似たような表情をしている。
「え? いやその、ええとー……」
この村は道楽がないんだろうか……。
とは言え、早々にジャックが戻ってきたので有耶無耶になった。助かった、友人を売らずに済んで。
「村長、ギルドで依頼書は拝見したのですが、細かな情報はここ現地でと思いまして、できればもっと詳しくお話を聞かせて下さいませんか?」
「まあ、そうですね。では討伐対象のドラゴンにまつわる話から……」
そうして僕達は、語られた討伐に必要な知識や諸々を頭にしかと詰め込んだ。
討伐対象はドラゴン。
出現場所はシュトルーヴェ村のすぐ傍にある大山山頂のカルデラ湖。件の山の名前はまんまシュトルーヴェ山だそうだ。
湖へは麓から伸びている登山道をひたすら登ってしか辿り着けないらしい。ああ飛行魔法があれば別だけど。生憎僕達にはない。
討伐対象がドラゴンとわかった時点で戦闘に必須になるだろう回復や攻撃、攻撃補助のアイテム類を買い込んだからそっちの魔法具までは手が回らなかったんだよね。
そして、村長の話によると討伐対象のドラゴンは何と百年の間湖の底に封印されていた個体らしい。そいつが目覚めたんだとか。
どうやら、ただのドラゴンじゃないようだった。
このまま放っておけば昔のように村に被害が出るのは必至だって話だ。てっきり普通ドラゴンかと思っていたら、ワケありだってさ。はは、聞いてないよー。
「封印のドラゴンだなんて、王国騎士団には討伐要請しなかったんですか?」
僕が訊ねると、村長は困ったように溜息をついた。
「一応ここは王領でもありますし報告は差し上げましたが、各地の討伐依頼が立て込んでいて対処には時間が掛かる、との回答しか得られておりません。封印が解けた魔物の例は珍しくありませんし、騎士団派遣が本当に必要かどうか様子見の意味合いもあるのでしょうね。我が村と国境を接している隣国とは近年王女が嫁いで関係良好でもある今、国境付近に討伐のためであれ派兵することによる要らぬ誤解を避けたいのやもしれません」
国を護る精鋭集団。
そんな精悍なイメージ先行で憧れていた王国騎士団の政治的制約な一面を知り、僕は表情を曇らせた。
「そんなわけで、騎士団に任せるだけにはせず、巷の冒険者の方々にどうにかして頂けないかとギルドに依頼を出したのです。ここに暮らす私共からすれば実害が出てからでは遅いですから」
小さくとも国王直轄地の村の長という立場上大っぴらに批判はしないものの、村長は難しい面持ちで長い顎髭を撫でた。
それはそうだろう。
村が壊滅してからじゃ救済も意味がない。
今日までドラゴンが暴れていないのが奇跡だ。
だって目覚めた以上、明日はわからない。究極を言えば一秒先だって。
「まっ余計なしがらみがない分、俺達冒険者の方がいざって時は騎士団よりも頼りになるってことだな」
敢えてなんだろう、あっさり騎士団を当て擦って得意気にしたジャックには少し笑ってしまった。気持ちも軽くなる。
村長も少し気が紛れたらしく思わずと言った感じで呆れた苦笑を漏らした。
もっと色々と話を聞けば、今回のクエスト発信は村民からの資金を募ってのものらしい。
本来なら領主自らが依頼するような内容だけど、平民主体での依頼なので格段と報酬が低い。小さな村だから資金にも限界があるんだろう。今まで一人も受け手がいなかったのはそのせいだ。
僕達はお金以外も目的に含まれていたからこそこのクエストを受けたけど、そこまで珍しくもない普通ドラゴンだったとしても、提示されていた報酬額は相場よりだいぶ下なんだ。
しかも蓋を開けてみれば普通ドラゴンじゃなくて、いわく付きというか封印されし凶悪ドラゴンだった。もしクエストを受けてやって来た誰かがいたとしても、割に合わないと帰ってしまう率の方が高いだろう。
損得勘定を鍛えられた僕からすれば、このクエストは間違いなく貧乏くじだ。
「全然受け手が現れず焦っていた所に御二方が来て下さって、本当に感謝しているのですよ。誠にありがとうございます!」
よくよく考えてまた難しい顔になっていた僕は冒険者相場をわかっていないと余程指摘してやろうかと思った。だけど村長が思わずと言ったように身を乗り出し僕の手を取って涙ぐむから、毒気を抜かれてしまった。
「ええと、気が早いですよ村長。まだ倒したわけじゃありませんし」
「あ、ああ、そうですね。そうでした。つい感極まって………………ホントは美少年に触りたかっただけですが」
最後の方がよく聞き取れなかった僕はキョトンとして瞬いた。
何故かジャックが村長を二度見した。
「ところで、依頼書の日付から既に半年ですし、だいぶ状況は逼迫しているんじゃないですか?」
「はい。毎日山の方からドラゴンの咆哮が聞こえてくるようになりました。厳密にはまだ封印が完全に解けたわけではないのでしょう。幸い麓まで下りて来てはいませんが、本来の調子に戻るのも時間の問題かと。そうすれば体力を付けようと真っ先に唯一の食料たる人間を襲うでしょう」
「え!? まさか、ドラゴンはドラゴンでも人喰いドラゴンなんですか!?」
「ええ、伝承通りならそのまさかです」
村長が青い顔で組んだ手を額に押し当てた。
僕とジャックは顔を見合わせ、このクエストが実は思っていたよりもとんでもなく厄介だったと知った。
互いに不味い物でも食べた後のような表情になる。
歯のある魔物は人を食う。
それはスライムでもドラゴンでも同じだ。
でもそれは、正確には「人も食う」だ。
大体が雑食だから、人間以外も普通に食べる。
しかし、今回のドラゴンは、人間=唯一の捕食対象らしい。
そういう類の魔物を敢えて食人モンスターなんて言って他と区別するけど、討伐に赴いてそのまま食われたなんて話は少なくない。
「ハードそうだな。どうする?」
「どうするって……」
村長はちょっと心配そうに僕達を見つめた。
「その……完全な情報を載せていなかったこちらの不手際もありますし、今ここでお断り下さっても文句は言いません」
気弱な笑みを浮かべる彼の目には諦めの色がある。あと僕達を案じる気配も。
何だ、誠実で良い人じゃないか。
わざと情報を隠したのかと疑ってしまった僕は、自分を心の中でド突いて心を入れ替えた。
「いえ村長、一度引き受けたからにはとりあえず登ってみるつもりです。実際に自分達の目で見てから可能かどうか判断したいと思います」
「アルがそう決めたなら従うぜ」
「アル君、ジャック君……。本当に宜しいのですか?」
「だって村長、冒険者たる者、冒険しないと!」
「アル君……!」
村長が感動したように何度も頷いてくれた。
「冒険、ええ、ええ、よくわかります……彼女達二人の採用は冒険でした」
「え?」
「あっいえ何でも……」
瞬間、ジャックがスクープ記者のような鋭い目をエロジジイに向けた。
「じゃあさ、アイテムは更に万全にしておかないといけないよね」
「そうだな。喰われないよう全身に唐辛子でも塗ってくか」
「辛いの好きだったらどうするのさ……」
村長はちょっと不安げに僕達を見つめた。
「ええと、明日以後、討伐の方は宜しくお願い致します。今日はごゆるりとお休み下され」
それでも余計な事は言わず深々と頭を下げた。
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