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第14章 まどろむ世界のその先へ

第193話 ナイトメアハザード・拡

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 かつて【伝説の魔王】が居城にし、敗れ去った場所、"魔王城"。
 もはや誰もいないはずのその場所から溢れる黒い霧。
 かつてウォウサカの漁師はこの霧に襲われ、『悪夢を呼び起こす声』と共にその霧を『人ではない何かが発する悪夢』と呼んでいた。

 その黒い霧は"円卓会議"での騒動の頃から徐々に拡大を続けていた。
 緩やかに、だが確実に――
 その黒い霧は空を覆いながら、ルクガイア王国へと近づいていた。

「ふむ……。やはり勇者が戦いの場に出たあの日から、<ナイトメアハザード>は拡大を続けている……か」

 そんな魔王城に現れた一人の男、"紅の賢者"。
 彼はこの黒い霧を<ナイトメアハザード>と称し、臆することなく城内へと入っていった。

「いやはや……。黒き霧に包まれた古城というのも、中々に趣深い」

 "紅の賢者"は城内を散策するように進んで行く。
 それはまるで観光でもしているかのように、黒い霧に包まれた城内の様子を眺めながらゆっくりと歩を進める。

 そして"紅の賢者"は城の一番奥にある大きな扉までたどり着いた。
 魔王城、玉座の間。
 【伝説の魔王】ジョウインと【栄光の勇者】レイキースの決戦の舞台であり、"勇者と魔王の戦い"が終わった場所。
 "紅の賢者"はその扉から重い音を上げながら、ゆっくりと開いた。



 もはや座る者などいないはずの玉座。そこを中心に黒い球体が展開されていた。
 黒い霧はその球体から発せられ、魔王城の内部に行き渡り、外へと溢れ出てルクガイア王国へと近づいている。

「誰ダ……? ワたシだケの場所ニ……入ッてキたのハ……?」

 その黒い球体の中から声が発せられた。酷く雑音の入った悲しく幼い声。
 球体の中で玉座に座る、まだ幼い少女の姿がそこにあった。

「ごきげんよう。小生のことを覚えていないかな?」
「……知ラナい。こコはわタシだケの場所だ……。早ク……出てイけ……」

 "紅の賢者"は玉座に座る少女に問いかけた。
 少女から返ってきた言葉は拒絶の声。

「小生のことも覚えていない……か。いや、結構結構。小生にとって、君のこのような変化は実に面白い……!」

 "紅の賢者"はそんな少女に臆すことなく、同情することもなく、ただその姿を面白そうに眺めていた。

「出テいケト言っテいるのガ……分かラナいカ……? ……来イ……<ミラークイーン>……!」

 少女が発した<ミラークイーン>という言葉に反応するように、黒い人の形をした何かが"紅の賢者"に襲い掛かった。

「愉悦愉悦……! このように人の形を作り出せる程、君の感情は膨れがっている……か!」

 "紅の賢者"は攻撃を容易く躱して少女の観察を続ける。
 少女の方も自らが生み出した影、<ミラークイーン>の攻撃を容易く躱されたことで、わずかに"紅の賢者"へと興味を移す。

「何者なノダ……? 貴様ハわタシを……どウしたイノだ……?」
「君に危害を加えるつもりはないよ。ただ、小生は君にいくつか尋ねたいことがある……」

 "紅の賢者"は少女へ質問を始める。

「君は……自らが何者か分かっているかね?」
「……分カラない。たダ……コこガワタしにとッテ大切ナ場所……ワたシだけノ場所だトいうコトハ分かル……」

「君は……何かに怒っているのかね?」
「怒っテイる……。壊シタい……滅ボしタい……コの世の全テを許さナイ……!」

「なぜ……そう思うようになったのかね?」
「思イ出セナい……! だガ……わタしはコノ世界そノモのを……決シて許シはシナイ……!!」

 少女の声に、言葉に、どんどんと怒りが含まれていく。
 そんな少女を見て笑いながら、"紅の賢者"は最後の質問を行った。





「君がこうなったのは……"勇者"と"人間"のせいではないのかね?」
「ユウシャ……? ニンゲン……? あアァ……あアアぁァあぁァアあアァあア!!!!」

 "紅の賢者"の最後の質問を聞くと、少女はこの世のものとは思えない絶叫を上げる。
 怒り、憎しみ、嘆き、悲しみ、絶望。
 あらゆる負の感情が籠った絶叫と共に少女を取り囲む黒い球体から、これまで以上の黒い霧が放たれる。

「勇者!! 人間!! そウだ! 憎イ!! 憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イィ!!!」

 ただただ憤怒と憎悪のこもったおぞましい叫びと共に、どんどんと黒い霧は城の外へと放たれていく。

「<ナイトメアハザード>ヨ! コの世界のすベテを覆イつクセ!! 勇者ヲ! 人間ヲ! ワタしかラスべてを奪ッたあラユる存在ヲ!! こノワタしの力デ……殺シてヤるぞォオオおおオおオオ!!!」

 黒い霧――<ナイトメアハザード>に自らのあらゆる負の感情を乗せて、少女はひたすらに世界中へと殺意をばら撒き始めた。
 少女の目にはもう、"紅の賢者"の姿は写っていなかった。

「ハッハッハッ! 驚愕驚愕! この様子ならば、近いうちにルクガイア王国も<ナイトメアハザード>に覆われる……な!」

 自らへの関心を失った少女の様子を見て、"紅の賢者"は玉座の間を後にした。
 その光景を実に楽しそうに眺めながら――

「さあ、どうなるのだろうな? "新たな魔王の誕生"か? "最悪の怪物の誕生"か? いずれにせよ、小生はこの後に起こることを……存分に見物させてもらおう……か!」
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