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第1章 その男、ゼロ

第2話 現状把握

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「おはよう、イトーさん。昨日はありがとうな」
「おう、起きたのか」

 目が覚めた俺は店の掃除をするイトーさんに挨拶をした。
 開店準備をしているのだろうか? いや、それにしては店の中が殺風景すぎるというか、なんというか……。

「店は開けないのか?」
「あー……。今は"勇者と魔王の戦い"が終わったお祝いのせいか、人はみんな王都の方に流れててな。こんなチンケな宿場村に留まる奴なんていねえんだよ……」

 勇者? 魔王? 王都?
 言葉の意味は分かるのだが状況が呑み込めない。

「……まずこの国と歴史の説明からしたほうがいいか?」
「イトーさん、すまない……頼む」

 俺の態度で察してくれたイトーさんが溜息交じりにこの国とご時世について語ってくれた。
 この国の人間にとっては常識中の常識な話なんだろうが、国や歴史の知識も抜けている俺には正直助かる。



 イトーさんの説明で大体のことは理解できた。

 俺が今いるこの国は"ルクガイア王国"といい、古くから勇者と魔王の戦いの舞台とされている国のようだ。
 勇者も魔王も何度も代替わりしていたが、当代の魔王は過去のどんな魔王よりも強大であったらしい。
他の追随を許さない圧倒的な力、魔族をまとめ上げる卓越したカリスマ性、それらによって組織された魔王軍……。
 人類側も魔王に対抗できる勇者を送り込んだのだが、何人もの勇者が敗れ、歴代最強と言われた先代勇者もその魔王に敗れ去った。その存在感から当代の魔王は【伝説の魔王】と呼ばれるようになったらしい。
 だがその魔王が先日、ついに当代の勇者によって打倒されたらしい。
 歴戦の勇者でも倒せなかった【伝説の魔王】が倒されたことで、現在国の中枢である王都は連日のお祭り騒ぎ。辺境であるこの宿場村はすっかり過疎気味だそうな。
 
「――で。めでたい話だってのに、イトーさんにとっては実入りが減ってひもじいと……」
「お前さん容赦なく言ってくるな……いや、事実なんだが……」

 イトーさんがさらに深い溜息をついて肩を落としてしまう。すまない、傷つける気はなかったんだ。

「まあ、お祭りムードが収まれば人も戻ってくるだろう。むしろ魔王がいなくなったことでこの辺りも活気づくはずさ」

 イトーさんも言う通り、いずれはそうなるだろうな。いつの時代も活気なんてものは簡単に移り変わるものだ。
 ……ん?なぜ俺はそんなことを考えたんだ?相変わらず自分の記憶の欠け方が中途半端でよく分からない……。

「ああ、そうだ。ずっと気になってたんだが、お前さん、名前も完全に思い出せないんだったな?」
「ん?ああ……。情けない話だが、全く思い出せなくてな……」
「それじゃあ、とりあえず仮でもいいから名前をつけねえとな。いつまでも『お前さん』と呼ぶ訳にはいかねえしな」

 それもそうだ。とりあえず俺自身に何かしらの名前がないと不便極まりない。
 イトーさんが言うには丁度腕の立つ流れ者の神官が村に来ているらしい。その神官は他者の能力を読み取ることができるらしく、その神官に名前を占ってもらうのが良いと言われた。
 俺は別にどんな名前でもよかったのだが、「どうせなら能力に見合った名前を付けてもらえ」とはイトーさんの弁である。



 そうして俺とイトーさんはその神官がいるという村の宿にやってきた。

「なあ、イトーさん。今更なんだが、その神官ってのは結構高名なんだろ? だったらなんで王都の魔王討伐祝いに参加せずにこんな村に滞在してるんだ?」
「まあ……会えばわかるさ」

 イトーさんがどこか遠い目をしている。なるほど。老練の気難しい神官なのかもしれない。
 そう考えながらイトーさんは神官が泊まっている部屋をノックする。

「俺だ。イトーだ。リョウ、いるんだろ? 入るぞ」
「むぅ? イトー殿がボクに用事とはね。まあいいよ。入りなよ」

 イトーさんの声掛けに対する返事の声はかなり若々しいものだった。"ボク"と言っていたことからかなり若い男なのか?

「おや? イトー殿が人を連れてくるとは珍しい。でも、いい年したむさい男二人がいきなりか弱い女性の部屋に押し掛けるのはあまり感心できないね」
「か弱いとかどの口が言ってるんだ……。現在この村での最強はお前だろうが……リョウ」

 お目当ての神官――リョウと呼ばれた人物は若い女性だった。口調は少々変だが、容姿や立ち振る舞いから女性であることははっきりと分かった。紫のセミロングの髪とやや小柄ながら大人びた赤い瞳を持つ結構な美人だ。

「リョウ、お前に頼みたいことがある。俺の連れの能力を見てくれねえか? 昨日の夜にウチの店に来た男でな。どうやら記憶喪失みたいで名前も忘れちまってるらしい。そこで――」
「あー、ダメダメ。ボク、そういうのはお断り」

 「まだ要件全部言ってねえだろ……」と言いたげなイトーさんだが、リョウはさらに続けて口を開く。

「ボクが能力を見るのは若くて美しくてかわいい男女だけ! オジサン、オバサン、年配者は対象外!」

 思わず俺の頭の中が「え?」となる。
 ただ、イトーさんはこの事態をある程度予測はしていたという感じの表情をしていた。

「王都の祝典に潜り込んでかわいい子達をナンパしてたら追い出され、仕方なくこの村まで来たらおじさんおばさん以上しかいない。そんなこんなでボクはただでさえ落ち込み気味なんだよね」

 ……おい。お前は高名な神官じゃなかったのか? 王都でナンパしてたら追い出されたってどういうことだ?
 イトーさんに耳打ちして聞いてみたところ、このリョウという神官は実力は国内でも有数らしいが、道徳面での問題がありすぎるらしい。
 男女問わずに自分が気に入った人間――主に若い人間をナンパしまくる浮気者であり、そのせいで神官としての定職にも中々就けず、高名でありながら流れ者をしているらしい。

 神官は神に仕えるものじゃなかったのか? もっと純愛とか掲げるものじゃないのか? 俺の中での神官の定義が崩れる。記憶はないが、なぜか心の中で妙な確信があった。

「第一、ボクが見れるのは相手の表面的な数値として見れるような能力だけ! 名前まではボクでも見ることなんて――」
「知ってるっての。だからこいつに仮の名でもいいからつけようと思ってな。能力から名前を付けたほうが馴染みそうだからお前を訪ねたんだよ。別にこいつの本名を調べろとまでは言ってない」
「おや? そうだったのかい? クフフフ……これはボクとしたことが、早とちりしてしまったね」

 変な笑い方をしながらリョウという女はごまかしてくる。……いや、正直容姿以外すべて変な女だが。

「リョウさん……だったな。すまないが俺の能力を見てくれないか? 頼む。俺は少しでも自分のことが分かるなら知っておきたいんだ」

 俺は頭を下げてリョウ神官に頼み込んだ。

「むぅ……。そう面と向かって頭を下げられると断りづらいね……。まあ、今回はサービスしてあげるよ。イトーさんにはちょっとお世話になってるからね」
「おい、"ちょっと"ってなんだ?いつも俺の店でツケで飲みまくってるくせに……」
「あー、あー。ボク、聞こえなーい」

 イトーさんの言葉をリョウ神官は聞こえないふりをしてごまかす。
 ……大丈夫だろうか? 今のところこいつの神官要素がゼロなのだが? 誠実さが全く感じられないのだが?

「先に言っておくとあまり大きな期待はしないでほしい。ボクが見れる能力は相手の経験や記憶から数値を推測するものがほとんどだ。それが全てって訳ではないが、記憶喪失の君から能力を正確に測れるかはボクにも想像できない」
「分かった。そのことは承知しておく」

 そうして俺はリョウ神官に能力を見てもらうことにした。
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